Voyage 4


薄曇の空の元、海は凪ぎ風が止まった。

ナミとロビンはパラソルの下に海図を広げ、進路の確認をしている。
後甲板が騒がしいのは、今朝からずっとルイジがゾロに稽古をつけてもらっているから。
揺れがかなり治まったとは言え、まだまだ具合の悪そうなルイジは素振りを繰り返しながら時折海に向かって吐いている。

「ゾロったら張り切っちゃって。なんのかんの言って親馬鹿よねえ。」
ナミはよく冷えたフレーバーティを一口飲んでテーブルに置いた。
グラスの氷がからりと揺れる。
「剣士さんは今がこの世の春ですものね。思いも掛けない息子が現れたし、コックさんが帰ってきたし。」
ロビンは海図に視線を落としたままふふと思い出し笑いのように微笑んだ。
幸福なのは皆一緒だ。
この5年間、ずっと欠けていたのだ。
クルー達の心の中は。

「ゾロが大剣豪になって、サンジ君が戻ってきて万々歳なんだけど…」
ナミはそこで言葉を切った。
彼女にしては珍しくためらっている。
ロビンは先を促さず、懐から本を取り出してページを開いた。
ナミは後甲板を見てそれからキッチンの方向を見て、静かに座り直した。
「なんとなく、サンジ君が弱くない?」
自分に問われているのだと、ロビンは本から視線を上げてナミの顔を見た。
「もちろん、右腕のことはチョッパーから聞いたけど。もう腱が切れてしまって元には戻らないって。ケガをして直ぐならなんとかできたかもしれないけど、あまりに時間が経ちすぎてしまったって、そのことは聞いているけど・・・」
「コックさん自身、腕のことは克服しているわ。」
ロビンがさらりと断言して、ナミは小さく頷いた。
「料理人として致命的な腕の傷、5年間のブランク。コックさんを弱気にさせる材料はいくらでもあるわ。でもそれだけじゃなさそうね。」
「そうなのよ、なんだかとてもサンジ君らしくないの?なんだかまるで・・・」
「まるで?」
ロビンの深遠の瞳に見つめられて、ナミは重い口を開いた。
「まるで何かに怯えてるみたいで…」
自分で行ってから、ナミは困ったように笑みを浮かべた。
「そんなこと、ないわよね。」
けれどロビンはナミを見つめて黙って頷いてみせる。
そのとき、一際高い歓声と水音が響いた。

「どうしたのかしら。」
ナミが立ち上がると、青い波飛沫の中に人影が見える。
「やだ、ルイジ落ちたみたい。」
「彼泳げるのかしら。」
「さあ…」
宝と夢が甲板からはしゃいで手を振っている。


「ルイジっての、一応泳げるみてえだな。」
甲板掃除の手を止めて、トムがニヤニヤしながらシンに話しかけた。
もっぱら掃除専門の新入り達だ。
「ゾロの息子だからって容赦しねえからな。俺らで鍛えてやろうぜ。」
頭の上から声を掛けるのは、小山のような図体のバルド。
「イビるんなら早めにしねえと、ゾロの息子だけあって飲み込みが早そうだ。実践を積まれっとすぐに追い越されるぜ。」
シンの言葉に二人とも嫌そうな顔をした。
「せっかく新入りが入ったってのに、ゾロの息子じゃやりにくいよなあ。まあそんなの気にするようゾロじゃねえけど。」
「そうだよ、どっちかってえとガンガン扱けって俺らに言ってたじゃねえか。」
「それより俺が気になるのはもう一人の方だ。」
バルトが巨体を屈めるように声を落とすと、二人共にたりと笑った。
「ああ、アレだろ。やっぱそうか…あれ。」
「絶対そうだって、昨夜も見てただろ。どう見たってアレだろアレは。」
トムがきししと口元を抑えて肩を揺らす。
「いつの間にか二人して消えたしよ。まあ海賊なんだから珍しかねえけどな。やっぱゾロって凄えよな、いろんな意味で・・・」
「けどあのサンジってのもソレっぽいじゃねーか。色白いし細っこいし、弱っちいし。なんかカマっぽ・・・」
トムはそれ以上言えなかった。
いきなり後頭部にルイジの蹴りが炸裂したのだ。


「ったく、喧嘩もいいけど程々にしなさいよ。」
ナミが腕を組んでふんぞり返り、足をトントンと鳴らした。
忙しく介抱するチョッパーの前には、体中包帯だらけのシンとバルトとルイジが一列に並んで正座させられている。
トムは脳震盪を起して甲板で寝たきりだ。
「お互いに鍛錬し合うのも喧嘩するのも構わないわよ。でもここはグランドライン。いつこの天候が変わるか、海王類が出てくるか、海軍が現れるか、海賊が襲ってくるかわからないの。どんな状態になっても直ぐに臨戦体制でいて欲しいの、わかる?」
じろりとそれぞれを睨みつけてダンと机を叩いた。
「だから致命的な傷は残さないで、わかるわね。特にルイジ!」
びしっと正面から指を指されても、ルイジだけは平然と睨み返している。
ふてぶてしいところまでゾロそっくりだわとナミは大いにむかついた。

「あんた喧嘩の仕方もわからないくせにトムの脳味噌を豆腐にしたり、シンの骨を折ったりバルトに肉離れさせたりしないでよね。あんただって、たまたま今回はたいした怪我をしなかったけど、自分の身もろくに守れないんだから喧嘩してる暇があったらこの船の役に立つようになりなさい!いいわね!罰としてあんたはこれから一週間、一人で毎日甲板掃除よ!!」
高飛車に言い放つナミにも眉一つ動かさない。
隣でシンが身を竦めておずおずとナミに進言した。
「こいつのせいばかりじゃねえんだ。元々俺らが悪かったから…」
「言うな!殺すぞ。」
シンの言葉を遮るようにルイジが低く呟く。
滲み出る殺気を隠そうともしない。
「反省してないみたいね。ルイジ、今日1日謹慎よ。格納庫に入ってなさい。」
あそこって謹慎部屋かよ。
黙って成り行きを見ていたサンジは何本目かの煙草に火をつけた。
昼飯の用意はすっかりできているのだが、乱闘の後のお説教がなかなか終わらない。
ルイジはふてくされた態度でキッチンを出て行き、ゾロは面白そうにニヤニヤ笑って見送っている。
ナミははあと大げさにため息をついて、くるりとサンジ達に向き直った。
「さて、お待たせしたわねお昼にしましょ。」
ナミの言葉に一番大喜びしたのは船長だった。

「俺らが一方的にやられたわけじゃねえんですよ。ルイジが頑丈過ぎんです。あいつだってバルトに乗っかられたのに・・・」
「俺が乗って骨の折れねえ奴なんて、初めてだ。」
包帯姿のまま皿を運ぶシンとバルトに、ナミは首を傾げて見せた。
「そう言えば、あんた達自分らが悪いって言ってたわね。ルイジに何したのよ。」
二人は顔を見合わせて、それからそうっと視線を流した。
サンジの後ろ姿を気にしているようだ。
「サンジ君、ちょっといいかしら。」
「はあいvなんですかナミさんv」
サンジが踊るようなステップで振り返る。
片手に3皿乗せていても、その動きは軽やかだ。
「悪いんだけど、ルイジにお昼持持ってってあげてくれない?」
えええーとあからさまに眉毛が下がる。
「ほら今ジョナサンは手が離せない見たいだし、ねvお・願・いv」
めったに見せない上目遣い媚目線でサンジに片目をつぶって見せる。
こうするともう条件反射みたいにサンジはナミの願いを断れない。
「はい、わかりましたぁvナミさんがおっしゃるならv」
そう言ってルイジ用の大皿を持ってキッチンを出て行った。

サンジの足音が遠のくのを確認してから、それで?と二人に向き合う。
シンとバルトはもう一度互いの顔を見て、それからゾロに視線を移した。
ゾロは興味なさそうに宝とパンの取り合いをしている。
シンが観念したように口を開いた。
「ちょっと、ゾロとサンジ・・・さんの噂話してたんすよ。まさかルイジが聞いてると思わなくて・・・」
「ばっかだなあ、お前ら。」
ウソップが頓狂な声を上げた。

「そんなん怒るに決まってっじゃねえか。仮にも自分の父親だぞ。考えてもみろ、今まで顔も知らなかった親父にあってみたら、まだ20代で、しかも男と―――…だったとしたら、てめえらならどうする?どう思う?ショックだろ、そりゃあショックだって。それをよおルイジはよお、顔色一つ変えねえ知らん顔してたんじゃねえか。いじらしいったらないぜ、なあいじらしいよなあ。えれえショックだったに違いねえ。だって俺もショックだったんだぜ、なんせ俺とチョッパーはそんなことなーんも知らなかったんだから。ええ、5年前からそうだったって?いや正確には9年前からそうだって?知らねーよ、知るはずね―よ気づかねえよ。まさかあの二人がああなってるなんて、誰が気づくかってんだ畜生!あー俺だってショックだった。びっくりしたさ。昨夜はあんまりショックで眠れなかったくらいだ。いつもならゾロほどじゃねえが秒速5秒で寝る俺様がよ。天井を睨みながら考えたさ。今では勇敢なる海の戦士の俺様だが、昔は――」

ウソップの話が始まった辺りから、ナミははいはいと手を振って皆を着席させて食事を始めた。
シンとバルトは正座のままウソップの説教を延々と聞かされている。
お灸には丁度いい。

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