Voyage 3


甲板の上は結構綺麗に片付いていて、ナミの躾が行き届いていることに感心した。
それでもキッチンに入れば汚れた皿が絶妙なバランスで積み上げられていて、昨夜の揺れでよく倒れなかったとまた感心する。

とりあえず皿を洗おうと袖を捲り上げたら、シンクの上に綺麗に畳まれたピンクのエプロンが目に入った。
サンジ愛用のドスコイパンダ印エプロン。
今日まで大切に取って置いてくれたのかと、またしても胸が熱くなる。
ちょっと緩みそうな涙腺を誤魔化す為にごしごしと擦っていたら、慌しい足音が響いた。

「す、すみませんサンジさん!遅くなりまして・・・」
ジョナサンが血相変えて飛び込んできた。
なるほどこいつも朝が早いらしい。
「おう、早えなジョナサン。そう謝んな。」
エプロンを身につけて、壁に背中を押し付けて片手で器用に紐を締める。
「俺は誰よりも早くキッチンに入るのが好きだからな。俺に気い遣って早起きなんざするなよ。そうすっと俺は意地でももっと早く起きて、そのうち朝だか夜中だかわかんなくなっちまうから。てめえはてめえのペース守ってろ。」
一気に話すサンジの横でジョナサンは長身を丸めるようにしてただただ頷いている。
「とりあえず俺は皿洗うからよ。こう見えても結構上手に洗えんだぜ。慣れって奴だ。」
「はい…じゃあ、お願いします。」
ちょっと慌てながら、それでもてきぱきとジョナサンも動く。
サンジに気を遣いながら、それでもそうとは思わせないようにまた気を遣いながら朝食の仕込みをする姿は好感が持てた。

「俺には何でも言いつけてくれ。ここでのチーフはお前だからよ。」
「勘弁してくださいよう。」
泣き言を言うジョナサンに背を向けて、サンジは口端を上げた。
一人より二人の方が、仕事だってずっと早い。


割と早い時間からパタパタと軽い足音が響いていると思ったら、ルフィが子供たちと一緒にキッチンに飛び込んできた。
「サンジい、腹減ったあ!!」
「ちゃんと顔洗って着替えて来い!パジャマのまま入んじゃねー!!」
軽く蹴り出してやると、案外素直に親子で戻っていった。
それを合図したかのように、クルー達が次々と起きてくる。
「おはようコックさん。」
「おはよー、うわーサンジのいるキッチンだあ。」
「相変わらずサンジ君早起きねえ。もっとゆっくりしてればいいのに。」
とんでもないですよナミさんvっとハートを飛ばしながらロビンとナミに椅子を勧める。
昨日紹介してもらった若い奴らも次々と顔を出すが、サンジは録に名前を覚えちゃいない。
男供はジョナサンに任せてレディ専用の給仕に廻るつもりだ。

ああ、寝腐れ腹巻は今でも寝太郎か?とちらりとゾロが頭を掠めたとき、当の本人がのそりと現れた。
頭と肩に宝と夢をくっつけている。
「へえ、随分早く目え覚めるんだな。」
珍しいものを見たとサンジが目を剥くと、ナミがいたずらっぽく笑う。
「ゾロを起こすのは子供たちの仕事よ。容赦がないから結構効くみたいで、いい早起きの習慣になったみたい。」
まだ寝ぼけ眼でがしがし歩くゾロの上から子供達は身軽に飛び降りて、いつの間にか着替えて席に着いたルフィの隣で
同じようにがっつき始める。
親子揃って意地汚ねえなと突っ込むサンジの隣にゾロは腰を下ろした。

「これで全員・・・とは行かないわね。当分ルイジは出てこないでしょ。」
「ああ、船酔いは辛えからなあ。二日酔いよりも辛えよなあ。」
ウソップが上体を低くして下唇を突き出している。
ちょっとばかり頭が痛いらしい。
「でも点滴だけじゃあ・・・と、ルイジ君?」
ジョナサンの声に振り向けば、扉にもたれかかる格好でルイジが顔を出した。
まだかなり青褪めて苦しそうだ。

「起きてきたのか。」
チョッパーが立ち上がって手を貸すのに、邪険に振り払って近くの椅子に倒れこんだ。
「食うもん食わなきゃ、吐けえねえだろ、クソ・・・」
荒く息をついて唇を噛み締めている。
「無理してでも食った方が良い。さすがゾロの息子だなあ。」
巨体を揺らして笑うチョッパーの隣で、ゾロがなんともいえない顔をしていた。

多分、今まで誰も見たことのないような暖かいまなざしでルイジを見ている。
ナミがそれに気づいてもからかいもしないし、サンジはなんだか胸が苦しくなった。
降って沸いたようなでかい息子でも本能で愛しいとか思ってるんだろう。
息子の方はそんな父親の視線を敢えて無視して、眉間に皺を寄せている。
ジョナサンがルイジの為に用意していた粥を運んできた。
サンジはなるべく意識を逸らせて、ナミやロビンの間を飛び回った。

「ルイジは何が得意なんだ。なんか武器使えんのか。」
熱い味噌汁を飲んで何とか復活したウソップが話を振ってきた。
「そうね。見たところ丸腰のようだけど・・・あんた強いの?」
ストレートなナミの問いにどきんとしたのはサンジの方だ。

ルイジの唯一の得意といえば蹴りしかない。
しかもそれを教えたのはサンジ自身。
心臓をばくばく言わせながら、心持ちゆっくりとナミの後ろを通り過ぎる。

ルイジは粥を殆ど噛まずに飲み込んで、目だけ上げた。
「チンピラと喧嘩くらいしか、したこたねえ。」
「ルイジの腹に最近ついたような刺し傷があったけど、それもそうなのか?」
チョッパーの問いに嫌そうに顔を顰めながら頷いた。
「チンピラに刺されてるようじゃ海賊なんざ務まんねえぞ、ルイジ。」
ウソップはえらそうに胸を張った。
なまじ鼻が高いから余計にそのポーズは似合う。

「何か使える技を身につけた方がよさそうね。ウソップに武器を開発してもらう?」
「剣士さん譲りで力が強いんじゃないの、ジュニア君は。」
空になった皿を無言でジョナサンに突き出して、ルイジはロビンを睨み付けた。
「俺はルイジだ。変な呼び方はよせ、おばさん。」
瞬間、フライパンがルイジの後頭部を直撃した。
「このクソルイジ!!!ロビンちゃんになんて口ききやがる!今度言ったらドタマかち割るぞ!!!」
全員サンジに注目したから、サンジは顔を赤らめてうろたえた。

「まあサンジ君がルイジに話しかけたの、はじめてじゃない?」
「ほんとだ。夕べルイジはそれどころじゃなかったしな。」
「サンジ、正直に言え。複雑なんだろ。ゾロそっくりの顔がもう一個増えてよ。」
囃し立てる仲間の中で、ルイジも困ったような顔で後頭部を撫でている。
「さすがゾロの息子だ。こぶもできてないや。」
チョッパーの言葉にまた全員が沸いた。
サンジは何か反論したそうだったが口をへの字に曲げてむやみにタバコを吹かして見せる。

「サンジ君も席に着いて一緒に食べて。でないとジョナサンが座れないわ。」
ナミに促されて渋々席に着いた。
これからずっとこのメンバーで旅をするのだから細かいことにオタついていては身が持たない。

「で、ルイジはどうやって戦うんだ?」
騒ぎの中でマイペースに食べ続けていたルフィがようやく口を開いた。
ルイジは粥のおかわりを腹に流し込んでふうと一息ついている。
「…剣を習いたい。」
サンジは左手で持ったフォークを危うく落としそうになった。
ルイジの台詞一つ一つが心臓に悪い。

「まあ、やっぱりゾロの子ね。」
「どうすんだ、四刀流で行くのか?」
みなに冷やかされながら、ゾロは満更でもない顔をしている。
「剣は一つでいい。自分が死なねえ程度に教えてくれ。」
ゾロに挑むような視線を外さないルイジに、ゾロは片眉を上げて見せた。
「剣を取るってことは、てめえその剣で何を目指す気だ?」
「目指す?」
「俺は世界一の剣士になることを目標に腕を磨いてきた。俺が求めてたのは強さだけだ。お前も強さを目指すのか?」
ならばルイジの行く道には必ずゾロが立ち塞がる事になる。
だがルイジはふっと表情を緩めた。
「目標とか夢とかは、まだ見つけてねえし、俺は世界一とかにゃ興味がねえ。ただ自分の大切なモンが守れて、邪魔な奴を殺せる程度の腕が欲しい。」
正直な答えにロビンが微笑んだ。
ルイジはまだ若い。
旅の果てに見つける何かは星の数ほど転がっているはずだ。

「わかった。なら今から特訓してやる。言っとくが死なねえように気をつけて習えよ。」
「殺さねえ程度に教えろよな。」
物騒な親子の会話を和やかに聞き流すクルー達の中で、俯いたサンジの顔だけが紙のように白かった。

大切なモンを守って、邪魔な奴を殺す―――

そう言ったとき、ルイジは確かに、自分を見たのだ。

next