Voyage 14


沈黙を破るようにノックの音が響いた。
間を置かず扉が開く。
隙間から顔を覗かせて、ゾロが顎をしゃくって出るように促した。
ルイジはサンジの顔を振り返って、促されるまま外に出る。
「クソコックは寝てんだろ。てめえも飯食え。」
みっともねえ面しやがってとゾロは横を向いて吐き捨てた。
「てめえら、揃いも揃って馬鹿だ。あの馬鹿は今に始まったことじゃねえが、てめえまで引きずられんな。」
「何をだよ。」
立ち止まるルイジに、ゾロはやれやれと首を振って振り返る。
「俺達はいつも死と隣り合わせに生きてんだ。てめえの身を守るのは最低限でもできねえと即おっ死んじまう。人を庇うなんざもっての他だ。だがあいつは馬鹿だから頭より身体が勝手に動いちまう。これで何度目だかわからねえほど馬鹿をしでかすからな。」
苛々と、ルイジに怒りをぶつけるようにゾロが唸る。
「だからてめえは、あの馬鹿にほだされるな。もしもって時は切り捨てる覚悟で付き合わねえと、共倒れがオチだ。」

ルイジは唇を噛み締めて黙って聞いていた。
言いたいことは一杯あるが、すべての元凶は自分の弱さにある。
「いくらてめえらが好き合ってろーが、ちゃんと線は引いとけってことだ。」
苦々しげに吐き出されたゾロの台詞が、ルイジに引っ掛かった。
「―――好き合って?」
ずんずん前を歩くゾロの背中を改めて見た。
ルイジはその背に縋るように声を掛ける。

「最初は、確かに俺はあんたの身代わりだったんだぜ。」
ゾロは歩みを緩めたが、振り返らない。
「俺があんまり似てたから、サンジは気を許したんだ・・・けど、」
ごくりと唾を飲み込んで、ルイジは背中を睨みつける。
「一緒に暮らしてて、サンジは俺を見るようになったぜ。あんたの身代わりじゃねえ、俺を。さっきだって・・・うわ言に、俺の名を呼んだんだ。」
ゾロが完全に歩みを止めた。
だが振り返らない。
暫くの沈黙の後、そうかよと呟いた。

「飯を食う。」
立ち止まったゾロを早足で抜いて、ルイジはキッチンに向かった。
一目散に。
振り返らずに。


嘘をつくのは慣れている。
ガキの頃は悪戯をしても嘘で誤魔化したし、カッパライや恐喝で食ってきた。
口から出任せは日常茶飯事だ。
ほんとのことを言う方が、よっぽど勇気がいるし難しい。
けれど、言ってしまってこんなに辛い嘘はなかった。
自分がひどく惨めで醜い。
子供地味た行為に、我ながら反吐が出そうだ。

砂を噛むような思いで、何とか夕食を喉に流し込んだ。
ジョナサンは片付けの手を止めてルイジの向かいに座っている。
ナミが広げた海図をくるくると丸めると、んーと大きく伸びをした。
「じゃあジョナサン。あたしもそろそろ休むわ。遅くまでご苦労様。」
「はい、おやすみなさい。」
顔を上げずに黙々と食べ続けるルイジの額を、ナミはぺちんと指で弾いた。

「・・・ってなにすんだよ!」
「そんなまずそうな顔で食べるもんじゃないわよ。ジョナサンが珍しく夜更かししてあんたの為に待っててくれたんだから。それに美味しいでしょ。美味しいときは美味しい顔しなさい。」
腰に手を当てて居丈高に話す。
何でこの女は何を言うんでもこんなにえらそうなんだろうとルイジは純粋に感動していた。
「それに、サンジ君のケガは、あんたが責任感じるようなことじゃないわよ。何せ彼は底なしに優しくて
 馬鹿だから。」
知ってるよ。
十分聞かされた。
思い知った。
「あたしでもロビンでもウソップでもルフィでも・・・あいつは身体張って助けるのよ。」
知ってるって、うぜえよもう―――
ルイジは射殺すつもりでナミを睨み上げた。
とっとと消えて欲しい。
「サンジ君が、唯一後ろを気にせずにいられるのは、ゾロだけなの。」
ルイジを見下ろすナミの瞳は、燃える炎のように明るく深い。
ルイジは目を逸らした。

「じゃお休みジョナサン、ルイジ。ご馳走様。」
「おやすみなさい。」

ルイジは残りの食事をすべてかき込んで、流しに皿を置いた。
「俺も寝る。お休み。」
「はい、おやすみなさい。良く休んでね。」
いたわるような優しいジョナサンの声が耳障りで、乱暴に扉を閉めた。

甲板に目をやれば、ゾロが寝転がって空を眺めている。
ひどく傷ついたような、苛ついた気持ちを抱えてルイジは男部屋に入った。

横になって目を閉じる。
気が高ぶって眠れそうになかったが、ともかくじっとして眠りが訪れるのを待った。
眠れるときに眠らなければ、強くなれない。


いっそ間が抜けて見えるほどすこーんと晴れた青空の下、GM号は順調に航海を続けていた。
あれから2回ほどちんけな海賊の襲撃を受けたがウォーミングアップにも足らず、食料の補充に役立つだけで終わっている。
絶対安静を言い渡されたはずのコックも食料チェックに余念がない。
おとなしく寝ていたのはせいぜい2日で、いつの間にかきっちりスーツを着こんで、煙草を銜えてキッチンに立っていた。

「僕が言っても聞く人じゃありませんから。」
最初から匙を投げているジョナサンは、苦笑しながらもこまめに気を遣っているようだ。
ルイジは相変わらずゾロの命を付け狙い、ゾロは適当にあしらいながら鍛錬を続けている。

ぶんぶんと鉄串を振り回す手を止めて、ゾロは額の汗を拭った。
ルフィはお気に入りの船首の上で、サンドイッチ片手に海を眺めている。
「ルフィ」
「んー?」
「俺あ、次の島で降りる。」
まるでちょっと買い物に行ってくるといった軽いノリで、ゾロが言った。
ルフィはぐるンと首をゾロの方向に廻して「そっか。」と答えた。

「なんでだ?」
サンドイッチをもぐもぐ咀嚼しながら間延びした声で問い掛ける。
ゾロは眉間に皺を寄せて、ふんと鼻息をついた。
「俺あ惚れた奴が他の男といちゃついてんの見て、平気でいられるほど度量が広くねえ。」
後甲板からうわあと歓声が上がった。
ウソップが大物を吊り上げたらしい。
「そっか。」
ルフィはごくんと飲み込んで、じっとゾロを見る。
「サンジには、ちゃんと言っとけよ。」
「んあ?」
ぴきっと額に青筋が浮いた。
「なんでクソコックに…」
「ちゃんと言ってから行け。船長命令だ。」
まっすぐに引き結んだ口の端をにっと上げる。
ガキの頃と変らない顔で、ルフィはゾロに笑いかけた。
ゾロも口を引き結んで、了解の代わりに片手を上げる。


生きてりゃいいと思ってた。
側にいなくても、やれなくても、どこかの空の下で笑ってりゃいいと、思う。

昨夜、見張り台の上でルイジとサンジが肩を寄せ合って空を見ていた。
サンジの表情は穏やかで、女やルフィたちに見せるそれとは違う顔でルイジに話しかけている。
その横顔を遠くから眺めているだけで、素直に綺麗だと感じた。
あんな風にサンジが笑っていられるなら、それだけでいいと思う。
自分の前でサンジはあんな顔で笑わない。
二人の影が重なる直前に、ゾロは目を逸らして甲板から立ち去った。

毎日見なきゃ又面も忘れるだろうが、幸せに笑ってるんならそれでいい。
ルイジごと放り出そうかとも思ったが、あいつはまだ弱い。
どっかで野垂れ死ぬのがオチだろう。
甘いかも知れないが、自分の夢はもう叶ったから、船に残る理由はない。
挑んでくる若造を蹴散らして、死ぬまで生きていくだけだ。
ゾロがない頭を振り絞って考えた答えがこれだった。

船を、降りよう。

next