Voyage 15


ジョナサンが鮮やかな手つきで大物を捌いている。
サンジはこの肝どうすっかなーと考えながら顔を上げると、窓から覗く悪人面と目が合った。
まともに顔を見るのは久しぶりだ。
しかもちょいちょいと手招きまでしている。
無駄に心臓をばくばくさせながら、サンジはさり気なくキッチンを離れた。

あれからずっとゾロに無視され続けてきた。
医務室で寝ていても一度も顔を見せないし、食事の時間ですら決して目線を合わせようとはしなかったのに。
なんとなく後ろを気にすれば、甲板でトム達とじゃれ合うルイジの声が聞こえた。
無意識にホッとしてゾロの後を追う。
日差しの入らない薄暗い廊下で立ち止まると、ゾロは腕を組んで壁に凭れた。
サンジも煙草に火をつけてゾロが話し出すのを待つ。
ふうと吐き出される紫煙を目で追いながら、ゾロがポツリと呟いた。
「明日には島に着くってナミが言ってただろ。」
「ん、ああ。」
ゾロの声を聞くのも久しぶりだなと、サンジはぼんやりと考えていた。
「島あ着いたら、俺は船を下りる。」
煙が消える瞬間を目で追って、サンジはえ?と向き直った。
「黙って行くつもりだったが、ルフィの野郎がてめえにだけは言って行けと言いやがるから。」
淡々と話すゾロの表情から感情が読めない。
義務として報告しているようだ。
「・・・なんで、だ。」
「てめえを、見ていたくねえ。」
煙草を取り落としそうになった。
無駄に指に力を入れて、フィルターを押しつぶす。
「ふ・・・ん、そう…」
言葉を紡ぐのがやっとだ。
ここまで嫌われればいっそ清々しいか。
「俺にはもう、この船に乗る理由がねえ。そんだけだ。」
再び沈黙が流れる。
サンジは吸い殻を足で揉み消すとポケットに手を突っ込んだ。
「そんだけか。」
「あ?」
「俺に言うことは、そんだけかよ。」
「ああ。」
へへ・・・とサンジが乾いた笑いを立てた。
前髪に隠されて表情が見えない。
白い歯が下唇を噛んでいる。
なぜか痛々しく感じて、ゾロは手を伸ばしそうになった。
だがその場で固く拳を握る。
サンジに手を触れてはいけない。
触れれば抱きしめたくなる。
抱きしめれば口付けたくなる。
ルイジを愛しているサンジに、無理強いはしたくない。
「そっか、じゃあな。」
サンジは顔を上げずよろよろとその場を立ち去った。
未練がましいと思いつつ、ゾロはその背中が見えなくなるまでじっと見つめていた。


「とーとー着いちまった。別れの島だ。」
ウソップの呟きが風に乗ってクルーの胸に染みる。
小さな島がいくつか集まった辺鄙なところだ。
そう広くない土地を綺麗に開墾して、牛なんかが放牧してある。
昨夜はご馳走だった。
島での供給を考えて古いものから蔵ざらえの宴会だ。
大いに飲んで喰って笑った。
仲間を失う悲しみは大きいが、引き止める者はいない。
誰もが、行く道は自分で決める。
「はい、これ餞別よ。考えて使いなさいよ。お金はあるに越したことないんだから。あと、あんたの借金は10年ローンに変えてあげる。」
「まだ取る気かよ。」
「ゾロこれ、一応傷薬と包帯一式だ。使える薬草もこのノートに書いてある。」
「おう、ありがとよ。」
「特製の迷子札作ったぞ。これを首から下げて置け。誰かが拾って届けてくれる。」
「そりゃどうも。」
「無事を祈って、毎晩お祈りを欠かさないようにするわ。」
「・・・効くのかよ、それ。」
ジョナサンやバルトたちは臆面もなくわあわあ泣いている。
宝や夢は別れの意味が分からないから、島を見ながらはしゃぐばかりだ。
ルイジはバツの悪そうな顔で睨みつけているし、とうとうサンジは姿を現さなかった。

「グランドラインは広いようで狭え。また逢おうぜ。」
ルフィと固い握手を交わし、ゾロは腰に挿した和道一文字を抜いた。
ルイジの目の前に突き出す。
「今日からこれは、てめえが持て。」
驚いた顔で見つめるルイジに、ぐいと押し付けた。
「これは俺にとっちゃ誓いの刀だが、てめえにはただの刀だ。これからこの刀でてめえの道を切り開いて行け。俺からの餞だ。」
ルイジは両手でしっかりと刀を受け取った。
使い込んで汚れた白い刀は、ずしりと重く美しい。
じっと魅入られたように手元を凝視して、真っ直ぐに目線を上げた。
「手入れの方法はウソップに聞け。あいつも良く知っている。」
ゾロは父親の顔で微笑むと、2本の刀を携えて船を下りた。
ずた袋一つを肩に掛けて砂浜に立つ。

チョッパーが錨を上げた。
ルフィが大きく手を振る。
「またな、ゾロ。」
「迷子になるんじゃないわよ!」
「拾い食いするなよ!」
ゆっくりと遠ざかる船から身を乗り出して、みんなが口々に叫ぶ。


「喧嘩すんなよー!!」
「仲良くしてねー!」

船の影から波に呷られて木の葉のように揺れる小船が姿を現した。
避難用の小型ボートに黒いスーツ姿が引っくり返っている。
ゾロは荷物を投げ捨てて、波を蹴散らしながら駆け寄った。
サンジはふんぞり返って煙草を吹かしている。
ゾロの姿を見ても身を起こそうともしない。
「て、てててめえっ、何してんだ。」
目を見開いたまま見下ろすゾロに煙を吹きかけて、けっと顔を背けた。
「女々しいとかしつけえとか、笑うんなら笑えよ畜生。嫌われたって憎まれたって、死ぬまでてめえに取り憑いてやる。」
ゾロはいじけた子供みたいな顔のサンジを見て、それから船を振り返った。
ルイジが刀を携えて、こっちを見ている。

「ついて来られんのが嫌なら、今すぐ俺を殺せ、バーカ。」
そっぽを向いたサンジの胸倉を掴んで、引き上げた。
傷に触るのかいててと悲鳴が上がる。
「ついてくる、だと。」
加減を忘れているから、掴まれた首元が絞まってサンジの顔が見る見るうちに赤くなった。
「て、めーのいねえ船に、乗ってたって…しょうがねえんだ。オールブルーはジョナサンが見つける。
 俺とあいつの夢だ。あいつが見つけら、俺の夢が叶う。俺にゃあ、お前のいねえ船に乗ってる理由はねえ!」
ゾロは漸く気づいて、サンジの腰を抱いてシャツを離した。
なんとか解放されて、サンジは軽く咳き込む。
「離れねえと言ったな。」
驚愕に固まったままのゾロは、多分サンジを見つけてから一度もまばたきしていない。
「離れねえっつったか?死んでもか?」
「死んだら捨てろ、腐るから。」
ゾロはサンジの顔をまじまじと見て、おもむろに抱きしめた。
いででとまた悲鳴が上がる。
「この、馬鹿おやじ!息子の船出に背中向ける奴があるか、ちゃんと見送れ馬鹿野郎!!」
ゾロはサンジを抱き上げたまま振り向いた。
少し遠のいたメリー号から仲間達がやんやと喝采を上げている。
ルイジの苦虫を噛み潰したような顔も見える。
ゾロはにやりと笑うと、見せつけるようにサンジに口付けた。

「大人気ないわねー。」
「このタコオヤジ!今すぐ死ね阿呆!!」
歓声が怒号に変わる。
ゾロが片手を高く上げて、中指を立てて見せた。
何事か喚きながら物を投げて、賑やかなGM号は水平線の彼方へと遠ざかっていった。


その影がかすんで見えなくなった頃、ゾロはようやくサンジを下ろした。
目線だけは海の彼方に向けたまま。

「てめえのケガが、治ったらな。」
唐突にゾロが口を開いた。
「また、海に出ようぜ。」
「どっかの島に着いてよ。」
「でけえ大陸ならそっから歩いてよ。」
「また海に当たったら海に出てよ。」
「行ってみようぜ。」
「二人で。」
サンジは答える代わりに、ゾロの手をぎゅっと握った。
かなり寒い図だが、誰も見ちゃいないから気にしない。
「死ぬまで、一緒によ。」
ゾロは前を見つめたままその手を握り返す。

サンジは青い波に眼を奪われながら、あの夜のルイジの姿を思い出していた。
『俺は、あんたに求めてばかりいた』
目の前に立つ男は、もうゾロの息子でも、15のガキでもなかった。
あれは別れのキスだったのか―――

足元を洗う波が、誘うように寄せては返す。

廻りつづける大地のように―――
めぐる風のように。

ゾロは力を握る手に入れすぎたことに気付いて、少し笑ってサンジの手を引いた。
サンジは右手をポケットに突っ込んで口端を上げて見せる。
荷物を担いで、手を繋いで、二人はゆっくりと海辺を後にした。

寄せては返す波が絶え間なく砂浜をなぞる。

残された足跡もやがて波に洗われ
――消えた。


死ぬまで、生きていこう。
二人ならきっと
どこまででもいける。


END

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