Voyage 13


「チョッパーが前の島で仕入れたハーブ、良く効くわね。血の臭いがだいぶ収まったみたい。」
ナミが見回りを終えて、キッチンに入ってきた。
これから皆で食卓を囲んで、遅い夕食が始まる。

「お腹すいたー。」
「おなかちゅいたー。」
思い切り昼寝した子供達は、ルフィの膝の上で父親と同じように皿を鳴らして催促している。
「俺はさすがに食欲出ませんよ・・・うえっぷ。」
案外繊細なバルトが巨体をかがめて真っ青な顔をしている。
「そんなんじゃ海の男になれねーぞお。」
笑いながらふんぞり返るウソップの顔色だってそんなに良くない。
トムはきょときょとと目を動かして、身を縮こませた。
「サンジさん・・・・大丈夫でしょうか。」

チョッパーはあれから出てこない。
チョッパーが出てこないと、皆落ち着かないのだ。
「ジュニア君は部屋の前で張ってるのね。」
「しょうがないですよ。ぜってえ責任感じちゃいますもん。ルイジも辛えだろうなあ。」
シンが顔を歪めて祈るように手を合わせた。
気まずい沈黙が流れる。

「さ、できました。冷めないうちに食べましょう。」
ジョナサンがメインの大皿を置いた。
「よし、いただきます!」
ルフィが声と同時に手を伸ばす。
「さらえんな、アホ!」
その手を片っ端から叩き落してウソップが自分の分を確保するのに必死だ。
いつもどおりの騒がしい食卓で、新入りたちもおずおずと箸を伸ばした。
食えるときに食っておかなければ、生きていけない。


気の遠くなるような長い時間が過ぎた気がする。
蹄の音が響いて、静かに扉が開いた。
白衣のトナカイが姿を現す。
ルイジは弾かれたように顔を上げて立ち上がった。
「もう大丈夫。意識も戻ったよ。」
青い鼻面がこれほど頼もしく見えたことはない。
「ほんとか、ほんとに・・・」
「うん、少しなら話もできるよ。入る?」
こくこくと頷くルイジに扉を開いて、中に入るよう促した。

照明を落とされた部屋の中に、白い顔が浮かんでいる。
ルイジを認めて首を傾けると、流れる金髪が薄く光った。
「サンジ・・・」
喉が引っかかるみたいで、うまく言葉にならない。
サンジはぐる眉を不機嫌そうに顰めた。

「おいおいおい、情けねえ面してんじゃねえぞ。」
深く息をついて、目だけをめぐらした。
「チョッパー、煙草すいてえ。」
「ダメだ!言うと思ったよまったく。傷口が塞がるまで禁煙だからね!」
腕を組んで仁王立ちの船医が睨んでいる。
サンジは小さく肩を竦めた。

「サンジ、俺は・・・」
「ほんと危なっかしいよなあてめえ。もっとゾロに鍛えてもらえ。」
サンジはにやりと笑って見せた。
「初めて人を斬ったんだろ。めちゃくちゃな型だったけど、結構やるじゃねえか。ビビっても身体に出てねえしよ。殆ど力技だったけどな。」
青い目が優しげに細められる。
ルイジはシーツの端を握り締めた。

「・・・俺が守るって、言ったのによ。」
ふるふると顔が小刻みに揺れた。
「泣くな、てめえは泣きすぎだ。」
「泣いてねえ!」
「あー、我慢すっから先に鼻水が出んだよな。きったねーなあ、おい。」
サンジが腕を伸ばしてルイジの頬に触れた。

「ダメだよサンジ、ばい菌が感染する。そうでなくてもルイジは海に落ちたきり、着替えもしてないんだから。」
「なるほど、だからしょっぺえ臭いがすんのか。」
へへと笑うサンジの顔を切なげに眺めて、ルイジは身体を引いた。
ぐしっと腕で顔を拭って、立ち上がる。
「風呂入って、着替えてくっから。ここにいていいか?」
ちゃんとチョッパーに聞いてみた。
「触らねえし、見てるだけだから。サンジが寝るまで側にいてもいいか。」
泣きながら懇願しているのに、有無を言わせぬ迫力がある。
「うんまあ、そうまで言うならいいけど・・・」
チョッパーは仕方ないといった顔で首を振って、ルイジを戸外まで手招いた。

静かに扉を閉めて向き直る。
「ルイジ、サンジに責任感じてるみたいだけど、あんまり気にしなくっていいからな。」
自分で言って、ぽりぽりと頭を掻いた。
「俺が言うのもなんだけど、サンジって物凄く優しいんだ。口も足も乱暴だけど凄く気持ちが真っ直ぐで、
 自分でも気がつかないうちに人を庇っちゃんだよ。前に行方不明になった時は俺を助けてくれたからだし、
 そんなことは何度もあった。だから、ルイジはそんなに責任感じなくていいと思う。」
大きな身体を縮こませて、一生懸命慰めてくれている。
「今回たまたまルイジだってだけだ。サンジは誰にでも優しいから。」
だから気にしないでね。
そう言ってぽんぽんとルイジの肩を叩くと、静かに医務室に入った。
扉が閉められたのを確認して、踵を返す。
チョッパーの精一杯の気配りから出た慰めの言葉は、ルイジにとっては棘みたいに痛い。


さっとシャワーを浴びて医務室に戻ると、チョッパーはそれでルイジの気が済むならと部屋を出て行ってくれた。
ジロジロ見られて寝てられっかよと悪態をついていたサンジも、今は安らかな寝息を立てている。
チョッパーの注射が良く効いたようだ。
ルイジはベッドの傍らで、息を潜めてじっと白い顔を眺めていた。

死んでしまうと思った。
どくどく流れ出る血が足元をぐっしょり濡らして、見る間に色を失う顔は死を連想させた。
抱きしめる身体のぬくもりさえ、あっという間に奪われそうで身体が震えた。
あんなに恐ろしいと思ったのは、初めてだ。
人の肉を切っても、首を跳ねても、血飛沫で目の前が真っ赤になっても、恐ろしいなんて思わなかったのに。
目の前で命が失われることが恐ろしくてたまらなかった。

サンジが死ぬ。

ぎゅっとルイジは握りしめた手に力を込めた。
死んでしまう。
死なせてしまう。
このままじゃ、俺が。

ルイジは眠る横顔に顔を寄せた。
規則正しい息が頬にかかる。
生きてる。
こいつは生きて、ここにいる。

ほろりと、目尻から涙がこぼれた。
自分はいつからこんなに泣き虫になったのだろう。
ガキの時も、街を出てからも、人前で泣くのはもとより、一人で泣くなんてことなかったのに。
サンジに出会ってから脆くなった。
愛しすぎて失いたくなくて、みっともなく泣いたり喚いたりしている。
今だって本当は力の限り抱きしめたい。
死んだように眠るサンジを起こしてでも、そのぬくもりを直に感じて安堵したい。

ふ・・・とサンジの口が開いた。
唱えるように口元が小さく動く。
ルイジはそっと耳を寄せた。

「・・・ゾロ・・・」

かすかに、だが確かにそう呟いて、薄く微笑む。
夢を見ているのだろうか。
穏やかな寝顔を見つめて、ルイジの目尻から又新しい涙が流れ落ちた。

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