Voyage 11


表向きは、順調な航海だ。
時々海王類が横切っても、臨時のご馳走と化すだけで問題はない。
クルー達はといえば、新たに出現したアトラクションを楽しんでいた。

突然、ゾロがルイジに真剣を渡してこう言った。
「いつでも俺の寝首をかいていいぜ。」
ルイジは額面どおり受け取って、日夜ゾロの命を狙っている。
「ルイジの肋骨、まだくっついてない筈なんだけどなあ。」
「あらあんなもの、ほっとけば引っ付くんでしょ。問題ないわよ。」
今日も太陽を照り返しながら、甲板で大立ち回りをしている。
「ルイジもさすがゾロの息子だけあって、筋はいいみたいね。」
「いんや〜まだまだだね。俺ですら動きが読めるもんよ。」
ウソップは細工の手を止めて、ナミの顔を見上げた。
「ところで、なんであんなにルイジの殺気は本物みたいなんだ。あいつ食事の間でも刀離さねえぞ。」
「そりゃあ、ずっとチャンスを狙ってるからよ。ルイジは本気でゾロを殺る気よ。」
まるでお天気の話でもするようにナミがにっこり笑う。
ウソップは怖ええ親子だなあおい、と口の中で呟いて手元に集中した。


サンジは篭一杯の豆を選りながら、ぼうっと煙草を吹かしていた。
遠くからやんやの歓声が聞こえる。
性懲りもなく、又あの親子はやり合っているらしい。
ゾロがルイジに刀を渡した日から、ルイジはゾロの首を取るのに躍起になっている。
昼夜を問わず隙を見ては襲い掛かっているつもりだろうが、ゾロには隙なんてありゃしないから、
容易くかわされて返り討ちに遭っている。
「案外ゾロも、楽しんでんだろうな。」
ゾロのルイジへの愛情の深さはあの時思い知った。
やっぱり腐っても親なんだ。
可愛い息子が親子ほど年の違う男にたぶらかされたってのは、生理的に我慢できねえんだろう。
もしも、もしも自分に娘がいて、それがゾロとどうにかなったら・・・
―――躊躇いなく殺すぞ俺は。
そういうことなのだ。

パラっと灰が撒けた。
気がついて灰皿に揉み消す。
今、ルイジの意識はゾロを殺すことに集中している。
そしてゾロは、サンジと目を合せようとはしない。
あからさまに避けてるって訳じゃねえんだが。

幸いというべきか、コックとしてジョナサンがいてくれるお陰で、接触回数がかなり減っているのも事実だ。
丸1日顔を合わせない日だってあるくらいだ。
そう広くない船の上で。
やっぱ不自然だろと、サンジは思う。
ゆるさねえっつったから、もう口も聞いてくれねえのかな。
ガキじゃねえんだからと突っ込みたいけど、サンジにはその資格はない。

嫌われちまったよな。
あの手が自分に触れないのがたまらなく寂しい。
島で暮らした5年間は、ルイジが来るまでそれほど寂しいとは思わなかった。
自分の状況を受け入れるのに精一杯で人恋しいなんて思う暇もなかったのかもしれない。
現金なもんだ。
最初からないものなら欲しがったりしないのに、一度手にしたものをなくすと、人間ってのはなんて
脆いんだろう。
こんなに近くにいるのに、あまりに遠い。

船に乗る理由をなくした今、自分がここにいる意味はない。
ルイジの事を思えばいない方がいい筈だ。
次の島で降りちまおう。
勝手なことばかりして、他のクルーにはすまないと思うが、コックとしても戦闘員としても中途半端な自分が
この船に乗る資格はないと思う。
サンジの手の中から、豆がポロリと零れ落ちた。


「オレンジスカッシュをどうぞ。ナミさんが分けてくださったんです。」
ことりと傍らに置かれたグラスの水滴に目を奪われた。
「この船で、誰かに飲み物を入れてもらうなんざ、初めてかも知れねえ。」
素直に感動しているサンジに苦笑して、ジョナサンも向かいに腰を下ろす。
「ルイジ君もすっかり船に慣れたようで、よかったですねえ。」
「そうだな。」
サンジはジュースを一口、口に含んだ。
すうと喉に染みとおる。
「うめーなあ。」
子供みたいに笑うサンジにジョナサンは目を細めた。

「僕が初めて船に乗ったときは、あんなもんじゃなかったですよ。もう苦しくて苦しくて・・・」
「そんなもんなのか。」
サンジに船酔いの経験はない。
物心ついたときから船の上だ。
「それこそ吐くものがなくなって胃液の代わりに血まで吐いて、荒れ狂う波に身を投げたほうがよほどマシだと思ってました。」
そうなると甲板に出してもらえないんですよねと、他人事みたいに笑っている。
「僕はもともと山育ちで、それまで海を見たこともなかったんです。でもどうしても海に出たかった。どんなに苦しくっても海に身を投げるわけには行かなかったんです。」
いたずらっぽい目で見るジョナサンに、サンジの中で、少しだけ胸が跳ねた。
「俺もね、オールブルー探してんです。」
「ほんとか。」
オールブルーはすべてのコックの夢の海だが、コックなら誰でも信じてるわけじゃない。
おとぎ話の一つとして語り継がれるだけの夢物語だ。
「田舎でレストランやってた親父に子供の頃聞いて、絶対俺が見つけるんだって、海に出る機会狙ってたんです。それで最初は船乗りになっていざ海に出たら、絶対にどこかにオールブルーはあるって思いましたよ。」
サンジの青い目が輝いている。
ジョナサンが初めて目にする活き活きとしたサンジの顔。
「俺がこの船に乗るきっかけになったのも、オールブルーなんです。ルフィが偶然立ち寄った食堂で島の人にオールブルーの話をしてるのを聞いて、僕が飛びついちゃったんですよ。そしたら・・・」

『ならお前、俺の船に来い!』
「初対面でそれだからビックリしたんですけどね。」
『俺の船に乗ったら絶対見つかるぞ。オールブルーも俺は探してるんだ。』
「ほんとに・・・?」
サンジはぽかんと口を開けた。
「ルフィが、そんなこと・・・。俺はいねえのに。」
「なんだかほんとに見つかるような気がしてGM号に乗って、旅を続けたらとんでもないことに一杯巻き込まれて・・・だから絶対見つかります、オールブルー。海を見てたらわかりますよ。」
「へへ・・・」
サンジは破顔した。
オールブルーはサンジの夢だ。
皆それぞれ夢があって、語り合ってきたけれど、誰かと夢を共有できるなんて凄く嬉しい。
嬉しくて、ざくざく豆を掻き回してしまう。
「オールブルーを見つけたら、俺に手伝わせてください。」
「へ?」
豆を選る手が止まった。
「その時は俺も側にいますから、皆にいろんな魚を食べてもらいましょうよ。俺が手伝います。」
サンジは穏やかなジョナサンの顔をみて、少し口元を歪めた。
「てめえが手伝ってくれるってんなら、俺は・・・探しててもいいのかな。」
「ええ。」
「オールブルー見つけるために、この船に乗ってて、いいのかな。」
「この船じゃなきゃ、多分見つかりませんって。」
少し氷の溶けたグラスを持ち上げる。ぽたりと水滴が落ちた。
「へへ・・・じゃあ、もう少し探すかな。」
「見つかるまで探すんですよ。なんせ僕達の夢ですから。」
サンジはごくりとジュースを飲み干した。鼻の奥がつんとした。

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