Voyage 10


「あんたは船中の酒を飲み尽くす気?」

キッチンに転がった瓶をヒールで蹴って、ナミはゾロの前に仁王立ちになった。
ジョナサンはキッチンを追い出され、他のクルー達もゾロの異様な雰囲気に恐れをなして近づこうとしない。
ルイジは、医務室で眠っている。

「親子喧嘩の腹いせだか知らないけど、いい年して酒に逃げるの止めなさいよ、みっともない。しかもあんな
 子供相手にああまでしなくていいんじゃないの?」
ナミは辛辣だ。
だがゾロは眉一つ動かさない。
ナミはふんと鼻を鳴らすと、ミニスカートのままゾロの正面で胡座をかいた。

「わかったわよ、付き合おうじゃないの。」
「何でだ。」
思わず声に出して突っ込んだ。
「冗談じゃないわよ。このままじゃ全部あんたに飲まれちゃうでしょ、あたしも飲むわよ。」
どう言う理屈か知らないが、まだ手のつけられてない瓶を引ったくりゾロを真似てラッパ飲みする。
「冗談じゃねえぞ、てめえが飲んだら直ぐになくなるじゃねえか。」
「それはこっちの台詞よ。足らなかったらチョッパーから消毒用アルコール貰ってきなさいよ。」
ゾロは憮然とした表情で瓶を置いた。
ぎりぎりと歯を噛み締めている。
ナミはちらりと視線を送って、同じように瓶を置く。

「ゾロ、あたしの言うことが間違ってたら、あんた殴ってもいいわよ。」
こめかみの血管がピクリと動いた。
「サンジ君は、ルイジのこと、知ってたんでしょう。」
ゾロは何も答えない。
瓶を口に運んでくいとあおった。
殴らないということは、ビンゴなのだ。

「サンジ君って、元々とても表情の豊かな人だから…」
モロわかりなのよね。
小さく呟いて、ナミも酒を飲んだ。
暫く黙って向き合っている。

「ねえゾロ、あんたとルイジって生き写しじゃない。」
ナミは自分の指を見つめて爪を撫でる。
「考えてみれば、あんな小さな島で一緒に住んでたんだから、知り合いだったって考えた方が自然だわ。」
ゾロは傍らに瓶を置いて、ふうと息をついた。

「…一緒に、暮らしてたんだとよ。」
ナミが息を飲む。
「笑わせやがる。二人して俺を騙してやがった。」
「そんなことないわよ。」
ナミは自分でも驚くくらい声を上げた。
「少なくとも、サンジ君にそんな器用なことできないわ。もしそのつもりなら最初からあんなにオドオド
 してないわよ。きっと言いそびれただけで…」
「なんていうつもりだ。あんたの息子と寝てました。まだ15だからいろいろ教えてやりましたってか。」
「ゾロ!」
聞いているナミの方が辛い。
ゾロは口を歪めてくくと喉を鳴らした。
「ざまあねえや。まさかてめえのガキに取られるたあ。」
「取られたって、決まってないでしょ。」
慰めるつもりはないが、他になんと言っていいかわからない。
「わかっだろが。俺はとにかく嬉しくてよ。もう逢えねえと、生きているとも思わなかったから。ただ逢えた
 だけで嬉しくてよ。もう片時も離さねえと思ったのに、あいつは抱き返してこなかった。」
瓶を傾けたがもう酒は残っていなかった。

「心ここにあらずだ。俺の顔をきょときょとした目でみて、抱こうとしたら嫌がりやがった。」
ゾロの独白は血を吐くように痛い。
ナミは黙って耳を傾けた。
「結局、想ってたのは俺だけだ。確かに5年は長えよな。だがあいつは連絡しようとしたらできたはずだ。それをしなかったってのは、もう俺に会うつもりもなかったんだろ。そういうこったろ。偶然会ったもんだからビビったんだ。もうあいつの心は俺には、ねえのに。」
ナミは新しい瓶の栓を抜いてゾロに手渡すと、ゾロも黙って瓶ごとあおる。


「で、あんたはこれからどうするつもり?若い息子に譲って、オヤジは笑顔で祝福でもしてやるの。」
ぺちんとナミの頬にゾロの手の甲が当たった。
殴られたのだから、ハズレだ。

「俺は絶対にゆるさねえ。」
ぐるる…と獣じみた唸り声が響く。
「いくらあいつらが惚れ合ってようが、俺あ絶対認めねえからな。コックは俺のモンだ。息子が相手でも手放す気はねえ。」
「それって、サンジ君の気持ち次第なんじゃ…」
「うっせえ、あいつ等の仲は認めねえ。ゆるさねえっつったら、ぜってーゆるさねえぞ!!」
がおうと鼻がくっつきそうなほど間近でゾロが吠える。
ナミは小さく肩を竦めた。
「いいわ、せいぜい頑張りなさい。あたしはどっちの味方でもないし。」
「け、味方なんかいるかよ。」
「あら勝利の女神を袖にするの?」
ナミがゾロに向かって瓶を掲げる。
ゾロはそれに割れそう勢いで瓶をぶつけた。

「味方はしないけど、あんたの勝利を祈ってるわ。」
片目をつぶって見せたナミに、ゾロはそっぽを向いてそれきり口を開こうとはしなかった。


東の空が白々と明けた頃、サンジはゆっくりと腰を上げた。
脈に合わせてずくずくとこめかみが痛む。
――――泣きすぎだ。
大の男が、どうやら泣き明かしたらしい。
うまく瞼も開かない。

昨夜、ゾロが吐いた暴言が一晩中頭の中を回っていた。
言われて当然だと思う。
正論だとも思う、が。

やっぱあんまりだろ。

確かにルイジと寝たとはいえ、男と寝たのはルイジだけだ。
あんだけ似てんのは反則だろうが。
そもそも俺の知らねえ内に、自分そっくりのガキを作ってたてめえはどうなんだ。
離れ離れの状況で再会できるとも思ってなくて、そこにクリソツの男が現れたら仕方ねえだろうがよ。

ふつふつと怒りがこみ上げてきた。
理不尽だろうが逆ギレだろうが、悪いのは俺だけじゃないと思う。
それに――――

やっぱ惚れてんだな。

一緒に旅をしていたときから、甘んじて男を受け入れたのは惚れた相手だからだ。
5年も離れてなお忘れられなかったのは、本気モードの恋だったからだ。
時が過ぎても会えなくても、執拗に続いた想いは本物だったらしい。
わかっちまったから、認めねえと。

唯一更生できるチャンスだった島での生活を棒に振っちまったし、もう開き直るしかないだろう。
俺はアホ緑に惚れてるらしい。
バカ息子は可愛いが、俺みたいな腐ったホモに惑わされちゃあ奴の未来がなくなっちまう。
ルイジの顔が胸に浮かぶと、胸の隅っこがちくりと痛んだ。
もう終わりにしねえと。
ルイジとも、ゾロとも――――

どうにかこうにかマストを降りてキッチンに顔を見せると、惨状の中でジョナサンがしくしくと泣いていてた。
床には無数の空き瓶が転がっている。

「あ、サンジさん〜。」
「こりゃまた…なあ…」
犯人の目星はついているが、責任の一端は自分にもあるだろうからサンジは怒るより困ってしまった。
「すまねえ。半分は俺のせいだ。」
サンジのセリフにジョナサンはしょぼしょぼと目をしばたかせて、それじゃあ仕方ないですねと涙を拭いて
片付け始めた。
どこまで察しているのかてんでわからないが、どこか達観した男だ。

「でも参りました。ストックも全部やられてんですよ。」
「まだ島に着くまで日があるんだよな。いんじゃねえの。これを機会に禁酒すれば。」
一人で飲んだにしては尋常な数じゃねえなと呆れながら瓶を拾っていると、いくつかの瓶には口紅の跡がついていた。
冷や汗がサンジの背中を伝って落ちる。

「また船が通り掛かったら、ちょっと分けてもらいましょうか。」
「ぶん捕るって言えよ。なんだよ、うちはまだ海賊の自覚ねえのかよ。」
大方片付け終えた頃、子供達の軽やかな足音が近づいてきた。

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