砂の国と勇敢な王女のおはなし -9-



「なかなか、やるわねぃ」
派手な化粧を施したオカマは、肩で息をしながらもそのなりに似合わぬ雄々しさで立ちはだかった。
だがあちこち傷だらけで、額や口からも血を流している。
対するサンジも満身創痍だ。
小さい身体でもそれなりに鍛えてきたつもりだったが、他人相手の実戦は今回が初めてだった。
しかも相手は手加減などせず、殺す気でかかって来ている。
直接命のやり取りをするような戦いを、サンジはしたことなどない。
それでも―――
「俺ぁいま、負ける訳にはいかねえんだ!」
一声叫んで高く跳躍し、オカマの脳天目がけて踵を振り下ろす。
ほんの僅か、躊躇いと共に浮かしたふくらはぎに男の手がかかった。
がっしりと受け止められ、それでいて威力はそのままに叩きつけられ、衝撃で男の足元の床板が割れる。
「…くっ」
押さえた腕で固定され、横腹を殴打された。
瓦礫の中に身を埋め止めの攻撃を覚悟したが、オカマもまたそのまま動きを止めてしまった。

「な…んで」
血で霞む目を拭いながら身を起こすと、オカマは不適な笑みを浮かべて見下ろしている。
「あんたこそ、なにしてんのよう。あちしを倒す気、ないの?」
「あるに決まってる!」
「嘘おっしゃい。あちしも舐められたもんねぃ、殺す気でかからないと倒せなくてよぅ」
奇抜な構えを見せながら、そういうオカマ自身からも殺気を感じなかった。
「だめねん、あんたはどれだけ乱暴な言葉使っても育ちの良さが滲み出てるわ。まるでビビみたいに」
「…ビビちゃんを、知ってるのか?」
警戒しつつ驚きを露わにしたサンジに、オカマは血だらけの顔でツンと澄まして見せる。
「当たり前じゃないのよーう。あちしは榛の魔女の使い魔よ」
「榛の…」
聞いたことがある。
確かビビが、王室を裏切ったと言っていた守護魔女、ポーラ。

「なんで魔女は国王を裏切って、クロコダイルなんかと手を組んだんだ」
「そんなこと、あちしは知らないわよう。あちしはポーラの命ずるままに動くだけ」
言いながら、ちらりと思わせ振りにサンジを見やる。
「けれど個人的には、あちしはクロコダイルだいきらーい」
視線がサンジの背後に移り、はっとして振り替えれば遠目にも禍々しい気配を放つ男がいた。

「あんたが、クロコダイルか…」
「ようこそプリンス。どこの馬の骨か知らんが、随分と引っ掻き回してくれたものだな」
引き攣れたような笑い声を響かせるクロコダイルの後ろには、拘束された国王とおぼしき男が兵に連れられていた。
面窶れしてはいるが、一国の王としての気品は失われていない。
本物の彼が国民の前に現れていたら、民衆達も彼の言葉を信じられただろう。
けれど、偽物の王の薄っぺらい言葉は、王の存在感と共にその信頼性も揺るがしてしまった。

サンジはクロコダイルを無視し、片膝を折って国王に敬意を表した。
「国王陛下、ご無事でなによりです」
「誰かは知らぬが、勇気ある若者よ」
国王は痛ましげに目を細め、毅然とした態度でクロコダイルを睨み付ける。
「大山も蟻穴より崩ると言う、この者の出現はお前の計画の破たんだ。観念いたせ」
「そのような状況で、よくぞ大口を叩けるものだ」
クロコダイルはせせら笑いながら、巨大な鉤爪の付いた左手を横に伸ばした。

「イガラッパッパー!」
轟音と共に、横壁が弾き飛ばされ数人の兵が飛び出た。
イガラムが巻き髪を豪快に膨らませながら、瓦礫を押し退け進み出てくる。
「陛下!ご無事で」
「国王陛下っ、プリンス!」
コーザも加わり形勢逆転かと思われたが、クロコダイルは余裕の笑みで国王の前に立った。
「ベンサム、ダズ・ボーネス!」
オカマとミMr1が、ビビっと電流にでも打たれたように身を震わせながらクロコダイルの前に立った。
「国王以外、皆殺しにせよ」
「はっ」
振り返ったオカマは、先ほどまでとは打って変わって全身に殺気を漲らせている。
それでいて、化粧を施された目元は悲しみに歪んでいた。
「あんた・・・」
「あちしの名はボン・クレー。けれど真名使いには逆らえないの、怨まないでちょうだい」
言いながら目にも止まらぬ動きでサンジに蹴りかかってきた。
それを紙一重で避け、サンジも応戦する。
傍らでは、Mr1がイガラムとコーザを相手に身体から出した刃物で襲い掛かっている。
「止せっ」
「動くなネフェルタリ・コブラ」
進み出ようとした国王を、クロコダイルの声が止めた。
「間もなく夜が明ける。夜明けと共に灼熱の太陽がアルバーナを焼き、この城も砂の瓦礫と化そう。その時、アラバスタの新しい歴史が始まる」
「・・・おのれ・・・」
動かない身体を震わせながら、国王は必死の形相でクロコダイルを睨み付けた。
「向かいの塔には、わが忠実なる僕・榛の魔女ポーラがネフェルタリ・ビビを連れてきておる。私は王女を救った英雄として彼女と結婚し、この国を継ぐことにする。安心して余生を過ごすがよい」
「させるかっ!」
サンジはボン・クレーを蹴り飛ばし、クロコダイルに向かって挑みかかった。
その足元に白い光が射す。
いよいよ夜が明けると、身構えて窓の外を見れば東の塔に二人の女性の姿があった。
榛の魔女・ポーラと囚われのビビだ。

「コックさん!」
悲愴な表情で叫ぶビビの声が、風に乗ってこちらまで届いてくる。
背後に広がる夜明け前の白い空には、雲ひとつない。
だが、不意に天空を切り裂くような雷鳴が轟いた。




青天の霹靂かと、城内にいる者も首を一斉に竦め、思わず空に目を向ける。
東の塔の向こうに広がる地平線から、俄かに黒雲が湧き上がった。
見る見るうちに空を覆いつくすほどに広がった雲の間には、幾つもの細かな稲光がまるで放電するようにあちこちで輝いている。
「く・・・雲?!」
「雨か、雨が降るのか?!」
戦いの途中でありながら、イガラムもコーザも思わず窓辺へと駆け寄った。
クロコダイルは呆然と口を開け、Mr1もボン・クレーも呪縛が解けたかのように放心して空を眺めた。

一際強い雷鳴のあと、まるでバケツで水をひっくり返したように雨が降り出した。
轟音と共に降り注ぐ風雨に、内乱を恐れ家の中で息を殺し隠れていた人々が何事かと恐る恐る外に出てくる。
反乱軍も護衛軍も、警備兵もみなが虚を突かれ、戦いの手を止めて空を見上げた。
「・・・雨だ」
「雨だ、水だ、雨が降っている!」
おおおおおと、地鳴りのような雄叫びが上がった。
それらはやがて歓喜の声に代わり、今まで敵同士だった者同士も手を携え、肩を抱き合って喜びに躍り上がっている。

「アンフィプテール!」
ミス・ダブルフィンガーの声に、ビビはハッとして振り返った。
黒雲に遮られ、影ができた女の横顔は見覚えがあるものだ。
アラバスタの守護魔女・ポーラ。
確かに知っていたはずなのに、なぜ気付かなかったのか。
「ポーラ?」
「ええ、そうよ。王女ビビ」
「どうして?私、ちっとも気付かなかったわ」
「気付かないようにしていたの、黙っていてごめんなさい」
ポーラは、先ほどまでのミステリアスな表情とは打って変わって晴れやかな笑顔になっていた。
その背後、モクモクと盛り上る黒雲の中から煌く光が現れる。
「あ、れは・・・」
滑らかな銀色の鱗を輝かせ、うねるように飛んでいるのは羽根が生えた巨大な蛇だ。
大きく恐ろしいけれど、どこか神々しく夢のような光景にビビは呼吸も忘れて魅入っている。

「アンフィプテール」
もう一度、ポーラの声が愛しさを滲ませて優しく呼びかける。
雨を纏い水しぶきを上げながら真っ直ぐに近付く蛇の頭上には、人が一人乗っていた。
「Mrブシドー!」
「――――!?」
サンジの目にも、そこにゾロがいるのがわかった。
暗緑色の角に掴まり、雨風に打たれながらもまるで快適な乗り物のように蛇の頭上に胡坐を掻いている。
そんなゾロが、サンジを見て驚いたように目を瞠った。
「コック!?」
「・・・ゾッ」
名を呼ぼうとして、危うく思い留まる。
サンジの背後で、クロコダイルが一際大きな声で呼びかけた。

「プリンス、いやコックか!そしてMrブシドー、動きを止め・・・」
皆まで言わずとも、サンジが振り返り様に蹴り飛ばした。
不意を付かれ、クロコダイルは衝撃をまともに腹に受けて対面の壁にまで吹っ飛んだ。
長い間、きつい陽射しと風に晒されていた城壁はクロコダイルを支えきれず、脆くも崩れひび割れる。
「・・・おのれ・・・我が意のままに動け、コック!プリンス!」
「てめえの呪詛は、効かねえんだよっ」
タタンと空を蹴って身を翻す。
空中で回転しながら懇親の力で叩き付けた踵は、だが砂に霧散したクロコダイルによって避けられた。
「・・・てめっ」
一旦砂と化した身体が、サンジの足を抱えたまま再び人型に形作られる。
がっしりと足を固められ、大柄なクロコダイルに吊るされる形で拘束された。
「てめっ、クソ離せ!」
「偽の名で謀ろうとも、所詮生身の人間では到底力で適うまい」
「―――三十六煩悩鳳!」
ゾロの飛ぶ斬撃がまともにクロコダイルを貫く。
身を逸らせて紙一重で避けたサンジは、そのままとんぼ返りしながら飛び退った。
「ぐおっ」
「・・・ゾロッ」
形さえ残さず塵になって消し飛んだと見えたクロコダイルは、高い天井近くにまで砂を寄せ集め再び形を成し始めた。
蛇から降り立ったゾロが、サンジの側に駆け寄ってくる。
「コック、てめえ」
「ゾロ、無事か・・・」
「ゾロ・・・だと?」
クロコダイルの声にはっとして、それからサンジは口を押さえた。
「・・・やべえ」
黒々とした砂の塊が、辛うじて人の形を取りながら空洞のような口を開いた。
「ゾロ―――汝の真名を我に寄越せ・・・」
「俺の名は、ロロノア・ゾロだ」
即答するゾロに、サンジはあわわと慌てながらしがみ付いた。
「馬鹿!この馬鹿、名を言うなっ」
「ロロノア・ゾロよ、わが手足となりてその男を八つ裂きに―――」
「…羅生門!」
クロコダイルの言葉が終わらぬ内に、ゾロが刀を振るった。
ぎゃっと一声叫び、黒い砂の塊は窓の外へと一目散に飛び出す。

「お前ごときが、俺を名で縛れるか」
ゾロは不敵に笑いながら、サンジを脇に抱えて窓の桟に飛び移った。
「ゾロ、奴が逃げる…」
「あとは任せるさ」
視線の先に、いつの間にか蛇の頭上に乗った魔女が嫣然と微笑みながら待ち受けていた。

「よくも、私の可愛いアンフィプテールを閉じ込めてくれたわね。魔女の復讐に果てはなくてよ」
言いながら手を開き、小さな砂時計を宙に浮かべた。
「ぐおおおおおおおおお…」
か細い悲鳴だけを残し、もとはクロコダイルであった黒い砂は一粒も残さず、砂時計の中へと吸い込まれていった。





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