砂の国と勇敢な王女のおはなし -10-



クロコダイルが吸い込まれた小さな砂時計は、くるくると回転しながらポーラの手に戻った。
「罪深き名使いの魔術師よ、形成さぬ砂のまま永久に時を刻むがよい」
嫣然と微笑み、豊満な胸の谷間に砂時計を押し入れる。
サンジはふわわ〜と鼻息を荒くして、ゾロの腕の中で身をくねらせた。
「なんか羨ましー!」
「アホか」
「ああ?」
カチンと来て睨み付ければ、思いのほか近い場所にゾロの顔があった。
「―――あ・・・」
「・・・―――」
ゾロもゾロで、なんだか眩しそうに目を瞬かせながらサンジの顔を見返している。
一瞬言葉を失くしてお互いに見詰め合えば、割れるような歓声が地表から上がった。
慌てて二人して振り返る。
街から多くの人が集まり、雨に打たれながら城壁の向こうで手を振っていた。

「ビビ」
「はい」
ポーラに促され、ビビは国王と共に蛇の頭に乗った。
巨大な蛇はその巨体をしなやかにくねらせながら、静かに人々の頭上へと進み出る。
「長い間姿を見せず、不安を与えすまなかった」
疲労の色は濃くとも、朗々とした国王の声が雨に煙る砂の街に木霊する。
待望の雨に恵まれた民衆達は、愛する王女の帰還と国王の登場に沸き立ち、その声に大人しく耳を傾けた。
「砂の魔王に攫われたビビも、わが国の守護神・アンフィプテールと共に無事に戻ってきた。もはや、国を揺るがす悪意は消え去った!」
おおおおおと城全体を揺るがすような歓喜の叫びが湧き上がる。
「もう二度とアラバスタが飢え乾くことがないよう、我が王室が命を掛けてこの国を守ることを、約束しよう」
イガラムもコーザも、今まで闘っていた兵達もみな傷だらけの顔を伏せ、その場に跪いて王の言葉を聞いている。
民衆の中には、トトの姿もあった。
涙ぐみながら、何度もビビに向かって頷き微笑んでいる。

いつの間にか、ゾロとサンジが腰掛ける窓辺にポーラがそっと下りていた。
「王の側にいなくていいんですか?」
どぎまぎしながら問い掛けるサンジに、ポーラは腰をくねらせながら振り返る。
「いいのよ。この国の守護神はアンフィプテール、私はあくまで“酒場のポーラ”」
そう言って、優雅な仕種で煙草を咥え紫煙を燻らした。





バケツをひっくり返したような雨は、今はしとしとと煙るような霧雨へと代わっていた。
時折雲の切れ間から陽が射すが、また柔らかな雨雲に覆われる。
辛気臭い雨模様とは違い、まさに疲れた人々の心に染み入るような恵みの水だからか、国全体が穏やかな倦怠感に包まれていた。
そんな中、半壊した城だけは活気に満ち、あちこちで復興の槌音を響かせている。
「いいからみんな、じゃんじゃん食べて身体を休めなさい」
イガラムの妻テラコッタは厨房で采配を振り、疲れ傷付いた家臣達に温かい食事を提供していた。
サンジも積極的に手伝い、豪勢な料理をいくつも作っては広場に運ぶ。
玉座の後ろでとぐろを巻いたアンフィプテールにはなんとか見慣れたが、それでも目にする度にドキリとする大きさだ。

「アラバスタには、立派な守護神がいるんだねえ」
晴れて王宮に戻り着換えを済ませたビビは、王女の風格を漂わせたままサンジと同じく立ち働いていた。
もういい加減お座りくださいと、テラコッタに窘められている。
「私も、直接お目にかかるのは初めてです。と言うか、恥ずかしながら知らなかったの」
「仕方がないわ、いつもは地下の水路で眠っているのですもの」
ポーラも今だけは、と華やかな衣装を身に着け守護魔女として上座に着いていた。
酒場の女主人・ポーラと外見は同じなのに、人からの認識を別にさせる魔術を使うらしい。
「アンフィプテールも災難だったのよ、砂の魔王に攫われ地下に閉じ込められて・・・」
ポーラの言葉に頷くように、大蛇は首を下げて身体をこすり付けてきた。
それをあやすように腕撫で、頬ずりしてやる。

「つまり、最初にアンフィプテールが攫われ、ついで国王達が監禁されたってこと?」
「一番最初はクロコダイルが国の乗っ取りを企んで、砂の魔王を唆したことね。砂の魔王は強大だけれど、ちょっぴりオツムが弱いのよ」
ポーラは煙草を吹かしながら、困ったように片眉を顰めて見せた。
「それで、クロコダイルにも牙を剥き、呼び出したビビを攫って魔宮に戻ろうとしたの。それからは、貴女方も知っている通り」
「砂の魔王はどうしたのかしら?」
不安げなビビに、ポーラはなにごとか聞き取るようにアンフィプテールを見上げた。
「緑の剣士が、拳で殴って怒ったんですって」
「まあ」
「彼が剣を振るえば、魔王といえども消滅は免れないわ。けれど魔王が滅すれば、砂漠の国であるアラバスタもまた滅びる。言ってわからないものには殴って言うことを聞かせるって、まあ乱暴だけど一番手っ取り早いわね」
「・・・ゾロ」
サンジは呆れながらゾロの姿を探せば、賑やかな宴会の輪に加わり兵士達と酒を酌み交わす姿が遠目に確認できた。
隣の誰かと肩を組み、大口を開けて笑っている。
実に珍しい光景だがとても楽しそうで、こちらまでつられて笑顔になってしまう。

「そうか、大活躍だったんだな」
「大活躍なのは、サンジさんの方ですよ」
ビビに力強く言われ、俺は何も―――と首を振りかけて「ん?」と動きを止めた。
「ビビちゃん?俺の名前、言ったっけ」
「いいえ、でも存じておりました」
ビビは少しイタズラっぽく瞳を煌かせる。
「ノースの大国、オールブルーには小さな王子様がいらっしゃると聞き及んでおります」
「・・・ああ、そうかあ」
恐るべし王族ネットワーク。
でも確かに、“小さな王子”と言うのは他にいないだろうから、サンジは知る人ぞ知る存在だったのだろう。


「知っていて伏せていたのは、クロコダイルが真名使いだとわかっていたからだね」
「ええ。彼の魔術は強力で、フルネームがわからなくても名前の一部を呼ぶことで真名を引き出すことができるんです。少なくともこの国に住まう人の名前は、全部抑えられてしまっていました」
だからこそ、旅人のゾロとサンジが救世主となったのだ。
「それなら、ゾロはなんで効き目がなかったんだろう。俺が不用意に“ゾロ”と呼んでしまったばかりに、あいつ自分からフルネーム名乗ったんだぜ」
「・・・さあ、それはちょっと私にもわかりません」
困ったように首を傾げるビビに、サンジもそれ以上追求できなかった。
サンジがゾロに対して本名を隠しずっと“コック”と名乗っているように、実は“ロロノア・ゾロ”も偽名なのかもしれない。
もしそうならすごくショックだと、自分を棚に上げて哀しくなった。
けれどすぐに、気分を変えるように顔を上げる。

「まあそれはいいとして、アンフィプテールもよく頑張った。一人で砂の中に囚われて、ずっと不安だったよな」
そう言いながら振り仰ぐと、アンフィプテールはサンジの頭に鼻面を押し当ててまるで甘えるような鳴き声を立てた。
その大きさと異形さで勝手に恐れを抱くけれど、ポーラがペット扱いするのにつられて優しい言葉を掛けてやれば存外可愛らしいことに気付いた。
聖獣としてはまだ、赤ん坊並みらしい。
「ご褒美に、お前の大好物を作ったぞ。そろそろ焼けたみたいで、いい匂いがしてきたな」
「あら、本当」
ビビも目を輝かせてその場で背伸びをする。
広間の扉が開いて、テラコッタがワゴンを押してきた。
乗っているのは幾つもの大きなケーキだ。
「ポーラちゃんに、アンフィプテールの好物はミルクと蜂蜜のケーキだって聞いたからたくさん焼いたんだ」
「美味しそう」
たらふくご馳走を食べ酒を酌み交わしていた戦士達も、広場に充満する甘い匂いに振り返った。
普段は甘いものが苦手なものも、疲れているせいかはたまた気分が高揚しているせいか、やけに食欲をそそられる。
「欲しいやつには切り分けるからな、順番に並べ。まずはこっちをアンフィプテールに・・・」
サンジはそう言って一際大きなケーキをアンフィプテールの目の前に持っていくと、呪文を唱えた。

「Bon appetit!」
瞬間、目の前がぱっと輝き白い煙が立ち昇った。
続いて黄金色のキラメキがちらちらと舞い落ちて、その中に巨大化したケーキが聳え立っている。
わあ・・・と子どものような歓声が広場を満たし、アンフィプテールはケーキの中に勢いよく頭を突っ込んだ。



ケーキを切り分けるのはテラコッタ達に任せ、サンジはキョロキョロと首を巡らした。
これだけたくさんの人がいるのに、一人だけ姿が見当たらない。
もしやと広場を出て見ると、廊下の向こうを足早に歩き去ろうとするコーザの後ろ姿を見つけた。

「コーザ!」
サンジの声に足を止め、けれど振り返らずに再び歩き出す。
「待てよコーザ、どこ行くんだ」
追いついて肩に手を掛ければ、仕方なさそうに振り向いた。
「プリンス・・・いや、サンジか。世話になったな」
「俺にんなこと言ってねえで、ビビちゃんの側にいてやれよ」
サンジの言葉に、コーザは緩く首を振った。
「・・・俺は、一体どの面下げて王やビビに会えばいいか・・・」
「なに言ってんだ!」
思わず憤慨して、コーザの肩をがしっと掴む。
「ビビちゃんはなあ、絶望的な状況にあってもお前を頼りにこの街まで帰ってきたんだぞ。その信頼に、いま応えなくてどうすんだ」
「だが俺は、そんなビビの危機にも気付けなかった・・・」
コーザは、暗い表情で顔を伏せたままだ。
「今回、俺はなんの役にも立てなかった。それどころか国王を信じきれず、バロックワークスに唆されて反乱軍まで組織して・・・俺がやったことは、反逆罪だ。勿論、このまま逃げ出すつもりはない。大人しく裁きを待つよ」
「それだって、国を思ってのことだろう?第一、国王が偽物だとわかってからはイガラムのおっさんと戦ってたじゃねえか、お前がいなきゃクロコダイルを追い詰められなかったよ」
「いいや、全部お前のお陰だよ。オールブルーのプリンス・・・」
コーザはすっと顔を上げた。
羨望と嫉妬が入り混じった表情でサンジを見つめる。
「育ちや家柄から言っても、あんたのがビビに相応しい」
「―――!お前」
サンジの白い顔にかっと赤味が差した。
それは照れから来るものではなく、怒気を孕んで顔付きが険しくなる。

「本気で言ってんのか?やっぱりお前は、ビビちゃんを信じられないのか」
「ビビのことは信じる!」
コーザはサンジの言葉に被せるように、小さく叫んだ。
「ビビはいつだって信じてる、彼女を守るために俺はこれからも生きるつもりだ。けれど、これ以上彼女の側にいることは・・・」
「側にいないで、どうやって守るつもりだ馬鹿野郎」
今度こそ蹴り飛ばそうと身構えたサンジの後ろで、カツンとヒールの鳴る音がした。

「ビビ・・・」
コーザははっとして顔を上げ、それから視線を逸らした。
「すまなかった、何の力にもなれないで」
「なにを言っているの、コーザ」
ビビは軽やかな足取りで駆け寄り、拳を握ったままのコーザの腕を取る。
「終わったように言わないで、この国はこれからなの」
「ビビ・・・」
「ここで逃げるなんて卑怯よ、私を二度も置いてきぼりにしないで」
「ビビを置いていくなんて、そんなことは・・・」
「だったら二度と、離れないで!」
そう叫んで、ビビはコーザの腕を取りその胸に飛び込んだ。
「・・・ビビっ」
「私はこの国の王女だから、国民みんなを守らなければいけないの。けれど、そんな私をコーザには守って欲しい・・・」
コーザはこの期に及んで、戸惑うようにビビとサンジを交互に見た。
「俺じゃあビビちゃんを守りきれないよ、もうすぐわかると思うけど」
苦笑するサンジに、ビビは弾かれたように振り向いた。
「そうですサンジさん、もう時間がありません。早くMrブシドーの・・・いいえ、ゾロさんのところに戻って!」
「・・・あ」
「その姿でいられるのは、24時間なんでしょう?」
スパイダーズカフェで薬を飲んだのが何時だったのか、正確な時間はわからない。
けれど確かに、そろそろ効力が切れる。
「早く行って!」
「・・・ありがとう、ビビちゃん」
何のことかわからず目を瞬かせているコーザをビビに任せ、サンジは急いで広場に戻った。

足を大きく踏み出せば、ぐんと前に進み、耳元では風を切る音まで響く。
大きな身体、長い手足。
力強く躍動する自分の身体が、今でもサンジには信じられない。

これが人並みの大きさなのだ。
両親に魔法が掛けられていなければ、サンジはきっとこんな風に育っていた。
そう実感できる間もなくアラバスタの動乱に巻き込まれたけれど、それももう終わった。
あとは、この身体のままでゾロに会いたい。
ゾロと話して、ふざけあって肩をぶつけたりして。
同じ目線で同じ大きさで、同じ年頃の人間としてゾロに接してみたかった。
その夢が、いま叶う――――

広場に足を踏み入れれば、ミルクと蜂蜜のケーキは綺麗に食べ尽くされ、あちこちで満腹になった兵士達がまるで討ち死にしたように転がっていた。
どの兵士も満足そうな顔をしているから、死屍累々と言う風ではない。
その中で、一人柱に凭れ酒瓶を呷っているゾロを見つけ、サンジは思わず名を呼んだ。

「ゾロ!」
「…おう」
上機嫌なのかずっと酒を飲んでいたせいか、ゾロはのんびりと片手を挙げて見せる。
「お前すげえな、それが元の姿か?」
呑気な問い掛けに、サンジは頬を上気させたまま首を振った。
「…違うんだ」
「ん?」
「今だけなんだ、この大きさ…」
サンジはストンと、ゾロの前で膝を着いた。
「飲んだら24時間だけ、普通の大きさになれる薬を飲んだ」
「飲んだのァ、いつだ?」
「時間はわかんねえ、お前と別れでビビちゃんがスパイダーズカフェに捕まった時―――」
ゾロは酒瓶を床に置き、そのまま手を着いて身体を起こした。
もう片方の手を伸ばして、やや乱暴にサンジの肩を掴む。
急に切羽詰まったような表情でサンジに顔を寄せるゾロの、いつになく真剣な眼差しが焦点が合わないほど近付き、上へと逸れた。
―――と思ったら、サンジの視界が白に包まれる。

「―――…あ、あ――っ」
「―――あ…」
二人の声に、明らかな落胆の色が混じる。
ゾロが床に両手を着いてガックリと肩を落とす前で、サンジは素っ裸な身体を今まで着ていたシャツに埋めて、ヘラリと笑った。






「もっとゆっくり、していってくださればいいのに……」
残念がるビビに、サンジは大きく手を振って笑いかけた。
「充分ゆっくりさせてもらったよ、ビビちゃん達はこれから復興で大変なのに手伝えなくてごめんね」
「いいえ、本当に助けていただきました。お二人は命の…いいえ、この国の恩人です」
大袈裟だなあと首を竦めるサンジは、身振り手振りが大きい。
すっかり元の大きさに戻ってしまったから、ある程度オーバーアクションでないと伝わらないのだ。
こういう仕草は、自分でも久しぶりだなと思う。

「せっかく…大きな身体でゾロさんと過ごせるチャンスだったのに…私のせいで…」
「あ〜いいんだって。そんなことより、こんな俺でもちょっとは役に立てたんなら嬉しいよ。台所に立てたのも、楽しかったしね」
「コックさん…」
涙を浮かべて見つめるビビの手に両手を添えて、白い手の甲にそっとキスした。
「ありがとう。一生の思い出だ」
涙ぐんで俯くビビの肩を、コーザが抱き寄せた。
「もう二度と、ビビちゃんが無茶しないように見張ってろよ」
「わかった、約束する」
ビビが、どこかゾロに似ていると言った精悍な顔つきで、コーザは拳を軽く突き出してきた。
サンジも自分の拳を掲げて、軽く合わせる。
「ビビちゃんとこの国を、頼んだぞ」
「任せろ」

さてと首を巡らせば、ゾロはアンフィプテールとまるでなにか話しているみたいに顔を寄せていた。
心なしか、アンフィプテールの方がゾロを慕っているように見える。

「…あいつ…ほんとに獣に懐かれるな」
呆れていたら、国王とポーラが傍らに立った。
「オールブルーの若きプリンスよ、この恩は忘れない。オールブルーにも親書をしたためよう」
「ああ、ついでに元気でやってるって言っといてくれ。ただし大きくなったのは内緒な。一度きりの魔法なのに、親も喜んじゃうとガッカリするだろうから」
「わかった」
痛ましげな国王の隣で、ポーラは使い魔たるボン・クレーとMr1を従え、くねんと腰を捻った。
「アルビダも、酷なことをしたわね」
「ポーラちゃん…知り合いなんだ」
さすが、魔女ネットワーク。
「アルビダもロビンも友人だから、もちろん秘蔵っ子のことは知っていてよ」
わかっていて、一縷の望みを託した。

「私からもありがとう。できれば大きくなる魔法を授けたいけれど、これは貴方の宿命だから魔法の力では変えられないわ」
「ありがとう、ロビンちゃんもそう言ってた。いいんだ、気持ちだけで」
屈託なく笑うサンジに、ポーラはそっと赤い唇を寄せる。
「この先、なにが起こるかはわからないけれど、東の海辺に向かいなさい。きっとよい変化が起こるわ」
「東へ…」
「ええ、彼と一緒に」

ポーラが振り向くと、ゾロがちょうどアンフィプテールと離れてこちらに歩いてくるところだった。
「んじゃ行くか」
「おう」
ゾロの肩に座って、見送る人に手を振る。

「みんな、元気でな」
「ありがとう、お二人もお元気で」
「ありがとう」
「良い旅を」
「プリンスちゃん、気をつけてねん。剣士ちゃん、プリンスちゃんを頼んだわよーぅ」
道行く街の人やトト、兵士達にも見送られ、ゾロとサンジは賑やかに砂漠の街を後にした。





しばらくは砂漠を歩くが、アンフィプテールのお陰であちこちにオアシスができ、すでに商人の隊列が行き来していた。
このまま真っ直ぐ東に進めば、海が見えるとわかってもいる。
「こうやって見ると、砂漠も綺麗だなあ」
サンジはゾロの肩に座り、名残を惜しむように景色を見渡した。
「どうなることかと思ったけど、終わってみれば楽しかった。ビビちゃんは可愛かったしポーラちゃんは麗しかったし、色んな珍しい料理を習えたし」
テラコッタさんは料理を教えるのも上手で、プロのコックに混じって腕を揮えたのは本当に楽しかった。
自分でドアノブを握って扉を開けたのも、階段を二段飛ばしで駆け上がったのも初めてだ。

「でっかくなったらやりたかことが全部できた」
――――本当に?
本当に、全部?

ゾロの右手が自分の左肩に回され、サンジはその手をキュッと掴んだ。

大きくなれたら。
ゾロと同じくらいに、大きくなれたら。
身長はどちらの方が高いだろうか。
向かい合って話す声は、どう聞こえるだろう。
ゾロを荷物持ちにして市場に買い出しに出て、二人であれこれ言い合いながら試食したり値切ったりして。
歩き疲れたらちょっとお洒落なカフェに入って、隣の席の可愛い子ちゃんとおしゃべりなんかしたりして。
普通の自分がどんなだったか。
普通の自分をゾロはどう思うか、どう過ごせたか。
もっともっと、やりたいことはいっぱいあった―――

サンジはゾロの腕を伝って降り、モソモソと腹巻の中に入った。
「俺ァちょっと疲れたから、寝る」
「ああ」
ゾロは真っ直ぐ前を向いたまま、歩を休めず進んでいる。
サンジが潜ってしまった腹巻の中が、じんわりと熱く湿ったけれど、気付かないふりをした。



End


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