砂の国と勇敢な王女のおはなし -8-



猫のように縦長の瞳孔が、ぎらりと光ってサンジを睨み付けた。
重たげな巨体をずりずりと引き摺りながら方向転換し、一斉にサンジの元へと這いずり寄って来る。
「な、んだこれ」
「バナナワニだ!」
イガラムの声が、恫喝するように石牢の中で響いた。
「クロコダイルが連れて来た獰猛な人食いワニで、始終腹を空かせてこの檻を見張っておる。だから我々はここから逃げ出せなかった」
「・・・ってことは」
助けに来たサンジ自身の身が危ないと、そういうことか。
「この水路も、ワニを飼うために引き込んでるってのか?」
「それもある」
「それもって・・・」
「ビビ様が呼び出した砂の魔王が再来するのを恐れ、わざと地下水を引いて水で取り囲んでもいるのだ」
「そんな・・・そうでなくても街は水不足で喘いでいるのに!」
サンジが憤ると、イガラムも悔しげに呻く。
「元はといえば、クロコダイルが砂の魔王を操って水の流れを堰き止めたのだ。なにもかも、奴の思う壺に・・・」
「とりあえず今は、俺の危機なんだけど」
話している間にも、バナナワニは大きな口を開けてサンジに襲い掛かってきた。
寸でのところで避け、高く飛び退る。
「俺なんて、食ったって腹の足しにもなんねえぞ!」
叫んでおきながら、いま俺大きかったんだと遅まきながら気付く。
サンジの身体でも、一匹ぐらい腹が張るかもしれない。
手近なものを足場にして、とととんと上に逃げた。
暗くてよく見えなかったが、殺風景だと思っていた地下水路には椰子の木のような植物が生えていて、それ幸いにとするする登った。
天井近くまで伸びたその木には、バナナに似た実が成っていた。
「これ・・・食えんのかな」
一房ちぎって、ワニに向かって放り投げてみる。
パクンと一口で食べたが、ワニが巨大すぎるのとバナナが通常サイズ過ぎるので、話にもならない。
「その実が好物でバナナワニと呼ばれているが・・・それは飼いならすための餌に過ぎん、とてもそんな量では腹は足らんぞ!」
イガラムが下で叫んでいる。
サンジはふむ、と樹上で考えた。
身体は大きくなったが、魔法は今でも使えるのだろうか。

「Bon appetit!!」





キインと火花を散らせ、コーザが振り翳した刃がMr1によって食い止められた。
あわや斬られそうになった王が、横に飛び退りながら喚く。
「あーぶないじゃないのようっ、いきなりなにすんのよあんたっ」
背後に控えていた警護が慌てて王を護るように立ちはだかった。
「コーザ、血迷ったか!」
クロコダイルの一喝に、コーザは刀を落としその場で床に手を着いた。
「も、申し訳ありません・・・つい、頭に血が昇ってしまって」
苦渋に満ちた表情で、床に額を擦り付ける。
「今までの民の苦労、絶望を思えばつい、王への憎しみを露わにしてしまいました。どうかお許しくださいっ」
この展開は予想されていなかったのか、その場に立ち合わせた人間はみな唖然とした。
いち早くMr1が我に返り、コーザの腕を引き上げる。
「コーザ、王との謁見が叶ったのだ。決断をせよ」
叱咤する声にも、コーザは項垂れたまま力なく首を振る。
「・・・もう、俺はもう・・・」
「コーザ!」
「俺はもうダメだ、お前に一任する」
俯いたまま顔を上げないコーザに、Mr1はチッと舌打ちして腕を放した。

「よい、郊外にまで届くよう挙兵の狼煙を上げよ!」
レジスタンスのリーダーが、コーザからMr1に交替した瞬間だった。
「どうするのだ、この腑抜けは」
思った通りにことが運ばず、苛立ちを隠さないクロコダイルにMr1は仕方なさそうに首を竦める。
「とりあえず、こやつは王家にとっても民衆にとっても裏切り者です。地下牢に放り込んでおきましょう。


コーザはすっかり戦意を喪失したようで、大人しく兵に連れられ地下へと引っ立てられた。
その間にも、街から押し寄せた反乱軍は城になだれ込み迎え撃つクロコダイル率いる王国警護軍と戦う、茶番が繰り広げられている。
反乱軍はともかく、迎え撃つ警備兵は応戦の真似事をして入るだけだ。
早々に、城は落ちるだろう。
―――そうは、させるか。
かくなる上は、一刻も早く本物の王を救出しなければ!

「なんだこれはっ!」
地下牢まで連れて来た警備兵が、驚愕の声をあげた。
見れば、水路を覆いつくように何匹ものバナナワニがごろりと寝転び、だらしなく腹を見せてすやすやと眠っている。
その腹はぽっこりと膨らみ、牙をはみ出させた凶暴な顔付きのはずのワニはやけに満足そうな寝顔だった。
「よう、遅かったな」
頭上から、声がした。
はっとして顔を上げれば、一番大きなワニの腹の上に男が一人座っている。
優雅に足を組んで煙草を吹かし、まだ湿り気のある金髪を掻き上げた。

「お前っ!」
「待ちくたびれたぜ」
コーザの縄を持っていた警備兵が、うっと呻いて次々に倒れた。
付近に潜んでいた王国護衛兵が姿を現し、気を失った警備兵を自分達の代わりに檻に閉じ込めた。
「コーザ」
「イガラムさん!」
二人はそれ以上言葉もなく、ガシッと手を組み合わせた。

「一体、どうしてここに・・・」
「国王を信じきれず、申し訳ありませんでした」
俯いたコーザの肩に手を置き、イガラムは黙って首を振った。
「国王との謁見の場を設けるとクロコダイルに言われ、その場に臨んだのですがやはり偽物でした。顔も声もコブラ王そのものでしたが、まったく違う」
コーザは口惜しげに歯噛みして、きっと顔を上げた。
「それで、乱心したふりをして斬りかかり、ここに連れてこられたんです」
「では、表の騒ぎは・・・」
地下牢にまで響くほど、場内は喧騒に満ちている。
「俺が反乱の狼煙を上げずとも、勝手に兵は立ち上がりました。すでに手はずは整っていたのでしょう」
所詮、己自身もお飾りだったと、自嘲めいた笑みを浮かべた。
その背後に、サンジは音もなく降り立つ。
「さて、ぐずぐずしてる暇はねえんじゃねえの。王様、助けるんだろ」
「ああ」
コーザは振り返り、改めてサンジに向き直った。
「あんた、名前はなんて言うんだ」
「・・・プリンス」
これも嘘じゃねえよなと、煙草を吹かしながら応える。
「そうかプリンス、ビビを助けてくれてありがとう」
コーザの声にちょっとだけ目を瞠り、それからにやんと笑った。
「なに、俺の言うこと信じてくれんの?」
「お前のことはまだ信用できんが、ビビが言うことは信じる」
上等だ、とコーザの肩を叩いた。
「じゃあ、ビビちゃんに会ったら直接確認すりゃいいさ。とにかく、今は国王を救出するのが先だろ」
「いや、ビビの方が先じゃないか。そもそもはビビがいなくなったから、国王が治世放棄したことになってる」
そこに、イガラムが割り込んだ。
「今さら事情がどうのと説明しても、もはや国民は聞く耳を持つまい。国王本人の姿とお声を聞かせることが第一かと。みなで行くぞ」
イガラムの声と共に、護衛隊たちは走り出した。
「国王の居場所はわかるのか?」
「恐らくは、東の塔の最上階に監禁されていると思われる。ここから、かなり距離がある」

地下からの階段を駆け上り広間に出ると、外から攻め入ってきた反乱軍と警備兵が戦闘の真っ最中だった。
そこに現れたイガラムの姿に、双方ともいきり立つ。
「王国護衛隊だ!」
「今さら姿を現して、なんのつもりだ!」
三つ巴の様相を呈して、現場はさらに混乱した。
剣を交える中を掻い潜り、サンジは走りながらコーザを振り返った。
「俺がしゃしゃり出るとまた話がややこしくなるだろ、とにかくこのおっさんとあんたらはまっすぐ国王を救いに行けよ、その間俺が食い止める」
「なんだって?」
聞き返すコーザの前でくるりと反転し、追いかけて来た反乱軍を数人まとめて蹴り飛ばした。
「プリンス!」
「俺は大丈夫だ、早く行け」
ふっと煙を吐いて煙草を投げ捨て、その場で手を着いて倒立し回転しながら警備兵達を軒並み蹴り飛ばしていく。
「すげえ・・・」
「何者かはわからんが、なんとも頼もしい。言葉に甘えて我々は先を急ごう」
イガラムに促され、コーザは振り返ることなく東の塔へと向かった。

小さいなりに、どのような状況に陥っても切り抜けられるようにと体術を身に付けてはいたが、こうして実践できるのは初めてのことだ。
小さな身体では体現できなかった技を繰り出せて、サンジ自身夢中になって闘った。
長い手足が面白いほど伸びて、相手にダメージを与えられる。
その分自分にも攻撃の手は容赦ないが、身軽にかわすコツもすぐに掴んだ。
とは言え、反乱軍と警備兵の両方を相手にするにはさすがに敵が多すぎる。
「・・・ったく、後から後から湧いて出やがって」
ある程度吹き飛ばしてから、サンジ自身も東の塔へとひた走る。

城外を見下ろせばすっかり日が暮れ、宵闇に包まれた街はあちこちで焚かれた篝火に照らし出されていた。
街中で火の手が上がっていないことが救いだ。
「クーデターとは言え、街全体は混乱してねえな」
国民は怯え、家の中に閉じこもっているのだろう。
反乱軍の目的は国王一家のみだろうし、迎え撃つクロコダイル率いる警備兵は、形だけの応戦だ。
ある意味最も平和的で被害の少ない侵略と言える。
「なにもかもが、茶番ならな」
サンジはぎりっとフィルターを噛み締め、正面から襲い来る兵たちを軒並み蹴り飛ばしながら先を急いだ。

塔の入口で警備兵と揉みあうイガラム達に追いつき、参戦する。
「通せ!道を開けろっ」
「コーザ!」
「プリンス、大丈夫か?」
銃を構える警備兵に剣で応戦するも、らちが明かない。
だが、イガラムもコーザも本気で闘ってはいなかった。
クロコダイルの指揮下にいるといえども、警備兵達も同じ国民だ。
なるべく傷付けたくはない。

「あんたらは下がってろ、俺がやる」
「プリンス!」
サンジが前に躍り出ると、階段の上から小走りに駆け下りてくる人影が過ぎった。
「ビビ!」
コーザの声に、はっとして顔を上げる。
華やかなドレスを身に纏ったビビが、今にも泣き出しそうな顔で近付いてきた。

「イガラム、コーザ、プリンス!もう止めてください」
「ビビ様!ご無事で」
慌てて駆け寄ろうとしたイガラムを手で制し、サンジはにっこりと笑顔を向けた。
「ビビちゃん、無事だったんだね」
「ええ、私は無事です。ですからもう、こんな真似は止めてください」
「そっちこそ、そんな真似は止めてくれよ」
言って、サンジは前転の形で床に手を着き、ビビに向かって足を振り下ろした。
「なにをすっ・・・」
驚愕に固まったコーザの目の前で、ビビはひらりと身をかわしサンジの目の前から飛び退った。
人間離れした跳躍力で彫像の上に降り立ち、口惜しげに顔を引き歪める。
その様を、サンジは瞳を眇めて見上げた。
「驚いたな、今度はビビちゃんに化けたか」
「なんですと?」
驚くイガラムとコーザの前で、ビビの顔をした女は取り繕うように笑った。
「いやだ、私ったらはしたないこと」
「今さらビビちゃんのふりをしたって無駄だ、ビビちゃんは俺のことを“プリンス”だなんて呼ばない」
サンジの言葉に、ビビの顔がすうと表情を失う。
やがて、見たこともない化粧をほどこした男の顔へと変わった。
「なんなのよーう、あちしの変身を見破るなんて。あんたやるわねいっ」
いきなり飛び出た珍妙な言葉に、さすがのサンジもぎょっとする。
代わりにコーザが、一歩前に飛び出た。
「お前っ・・・国王に化けていた・・・」
「あんた、あんたもあんたねぃっ。いきなり斬り付けるとか酷くなーい?さすがに国王の顔して逃げるわけにも行かなかったわよぅっ」
ビビの衣装を身に付けた大男が、大げさな身振りでもって殴りかかってきた。
慌てて避けるコーザを後ろに押しやり、サンジは率先して蹴りかかる。
「プリンス!」
「ここは俺に任せろ、あんたらはともかく国王を救え」
「やるわねぃっ、あちしだって本気出すわよーう」
サンジが男を食い止めている間に、イガラムとコーザは先を急いだ。





スパイダーズカフェでは、見張りが身包み剥がされて倒れているのが発見され、一騒ぎになった。
が、肝心のビビは部屋の中に取り残されたままだし、意識を回復した見張りも誰に倒されたのかさっぱりわからず要領を得ない。
そうしている間にコーザから挙兵の連絡が入ったと、レジスタンス達は一斉に街に飛び出していった。
「コーザ・・・」
ビビは青褪めた顔で拳を握り締め、ずっとカフェの椅子に座っていた。
サンジは、コーザに会うことはできなかったのだろうか。
もし会えたとしても、初対面のサンジが言うことをコーザが信じるとも思えない。
むしろサンジを一人で向かわせたことは、無謀だった。
「・・・どうしよう、私のせいで巻き込んでしまった」
今さら悔やんでも、どうしようもない。
じっとしいるのは辛いが、自分ひとりが外へ飛び出してもなんの役にも立てないのはわかっていた。
それより、自分の立場を利用される方がまだ活路が開ける。

「あの・・・」
ビビは意を決して、見張りのために残った女主人、ミス・ダブルフィンガーの顔を見た。
「私、コブラ王の娘のビビです」
この国に住む民ならば、王族の顔は大抵見知っている。
だが今回の混乱で他国から流れてきた移民も多く、レジスタンスもほとんどが傭兵で構成されている。
国王一家への敬愛の念がないからこそ、身分を明かすのは恐ろしかった。
けれど、知られていないのなら知らせなければならない。
そうでないと、王宮へは近づけない。

ビビの決死な覚悟を知ってか知らずか、ミス・ダブルフィンガーは優雅な仕種でふうと煙草を吹かした。
妖艶とも言える笑みを浮かべ、ゆっくりと首を傾げる。
「知っているわ、ネフェルタリ・ビビ」
「え?」
驚いて目を瞠る。
知っているならなぜ、さきほどまでここに詰めていたレジスタンス達に知らせなかったのだろう。
人質として、充分に価値があるはずなのに。
「そうね、そろそろ貴女にも来ていただこうかしら」
そう言って、ミス・ダブルフィンガーは腰をくねらせながら立ち上がった。
「私と一緒に、城へ行きましょう」

特に武器を携えるでもなく丸腰だったが、ビビは女主人に本能的に恐れを抱き、反撃はしなかった。
二人で連れ立って外に出れば、王宮の方角は空が赤々と染まって見える。
城から火の手が上がっているのかと恐れたが、風に乗ってきな臭さが漂ってくるものの、闇夜に立ち昇る煙は見えない。
「民衆は恐れをなして家に閉じこもっているわ、このままいけば無血開城ね」
「・・・そんなっ」
「国王自らが城に閉じこもっているなら、戦いにもならないでしょう?」
ミス・ダブルフィンガーの挑発めいた台詞にきっと睨み返す。
「あなた方が、父を幽閉しているのではないですか」
「そうは言っても、民衆の前には腑抜けの国王の姿が出ているんだから、説得力はないわよ」
「・・・あんな、偽物をっ」
ギリっと唇を噛み締めるビビに、ミス・ダブルフィンガーはふっといたずらっぽく瞳をきらめかせる。
「このままではあなた方に勝ち目はない・・・と言いたいところだけれど、一足先に可愛い王子が城に乗り込んでいるから、流れが変わるかもしれないわね」
え?と驚いて、ビビは目を瞠った。
「サ・・・コックさんのことを、知っているの」
「ええ。そしてもちろん、貴女のこともとてもよく知っているわ」
ミス・ダブルフィンガーの曰くありげな微笑の向こうで、東の空に雷鳴が轟いた。





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