砂の国と勇敢な王女のおはなし -7-



コーザはクロコダイルが設けた謁見の場へと急いだ。
だが頭の中は、先ほど出会った金髪の奇妙な男のことでいっぱいだ。
確かに、彼が身に着けていたのはビビのストールだった。
よく知っているような口ぶりだったし、正体がしれない相手なだけで言っていることは筋が通っているように思える。
なにも事情を知らないくせにと反発が湧く半面、もっとゆっくり話を聞きたい気持ちもあった。
―――今は、国王との謁見に集中しなければ。

コーザが直接国王と対話し、自身で見極めてこれはだめだと見切りをつければ、地下に待機している仲間たちを蜂起させるつもりだ。
この大事な局面に、まさかこんな心乱すような事態が起こるとは、思いもしなかった。
「コーザ、国王はすでにお待ちだ」
謁見の間の前で待機していた仲間が、おどおどしたように近寄ってくる。
その後ろにMr1の姿を見つけ、コーザはまっすぐ歩み寄った。
「スパイダーカフェから来たのか?」
「ああ」
Mr1は、いつもと変わらぬ無表情でコーザを頭の上から見下ろす。
「なにか、変わったことはなかったか?」
「なにも」
「コーザ、早くっ」
仲間が短くコーザを呼ぶ。
それに誘われるまま、謁見の間に入った。
だが、やはり先ほどの男のことが気にかかる。
Mr1が考えるそぶりもなく「なにも」と答えたのも、不自然だ。
やはりなにか、隠しているのか。

「遅かったな、国王陛下はお待ちかねだ」
クロコダイルが、柔和な笑みを浮かべてコーザを手招いた。
顔に大きな傷を残し片手は恐ろしい義手になっているが、クロコダイルはその見た目とは反して誠意ある商売で財を築いた、苦労人と言われている。
果たして、本当にそうなのか。
彼が影の実力者として応急に君臨し、今回の事態を招いた首謀者ではないのか。

コーザの疑念が、見る見るうちに膨らみ始める。
直接接見した国王は、魂が抜けたような虚ろな瞳を中空に向けていた。
話しかけても、ビビがおらぬとか娘を返せとか必ず探し出せとか、ラチも明かないことばかり呟いている。
幼いころ、ビビとともに砂砂団を結成して遊びまわったあの頃。
繁みに身を隠し、愛娘をひたすら見守っていた親バカ国王ではあったが、何があっても決して自らが飛び出すことはしなかった。
ビビが怪我をしようと、ガキ大将に小突かれようと、歯を食いしばりつかんだ小枝を握りつぶしながらも、国王は娘のすることを信じて見守っていた。
あの時の、ある意味型破りだった王とはあまりにも雰囲気が違いすぎる。

娘のみならず、国民すべてに愛情を注いでいた王だった。
あの国王が、民を見捨てたことを信じたくないと思っていた。
この目で見るまで、信じられないとも思っていた。

だが、信じなくてもいいのではないか。
今目の前にいる国王が、いくらその顔が国王のものでも、声が国王のものでも、衣服が国王のものでも。
彼が真の国王だと、信じなくてもいいのではないか。
いままで信じ込まされていたなにもかもが、すべてまやかしだと気づいても、いいのではないか。

「コーザ?」
仲間が、気遣わしげな顔で声をかけた。
ここで判断し、革命の合図を仲間に送る手はずになっている。
目の前の王は明らかに、民のことになど目を向けず娘を失った悲しみにのみ暮れる、自分本位の愚かな王だ。
これが、コブラ王だと信じれば、コーザは躊躇なく王族を滅ぼす道を選ぶだろう。
ビビが砂の魔王に浚われたのが本当ならば、後には絶望しか残らない。
それらがすべて、真実ならば。

「コーザ!」
コーザは自ら剣を抜いて、王に斬りかかっていた。





にわかに、王宮内が騒がしくなった。
護衛兵らしき一団が、綺麗に整備された庭を荒らすように走り抜けていく。
街を見下ろす高台に上れば、あちこちから砂煙が上がり、風に乗って怒号が聞こえてくる。
「始まったか?」
サンジは城壁に片足をかけて、身を乗り出し様子を窺った。
コーザは、反乱軍への合図をしてしまったのだろうか。
サンジの言葉を信じず、王に見切りを付けて国家を転覆させるつもりか。

それも仕方ないと、思わないでもない。
初めて会うサンジの言葉を、いきなり信じる方が逆に心配だ。
けれど、何も役に立てなかった自分が歯がゆくて悔しい。
「せめて、本物の国王達を助け出さねえと…」
偽物を仕立てあげても、最後の切り札倒して本物の国王は生かしておくはずだ。
そう期待して階下に降りようとして、ふと足を止めた。
もう一度中庭を見下ろせば、庭の真ん中には水を湛えた人口の池があった。
その中央には噴水があり、豊かな水量を惜しげもなく噴出している。
街が水不足であえいでいる中、ずいぶんと贅沢な水の使い方だ。
この水は、いったいどこから供給されているのだろう。

疑問に思い覗き込んだサンジの背後が、にわかに騒がしくなった。
「誰かいるぞ!」
「誰だ貴様はっ」
出窓からサンジを見つけた兵士たちが、仲間を呼んでいる。
階段からは兵が駆け上ってきて、逃げ場がない。
「ちっ」
屋根伝いに逃げられないことはない。
中庭まではかなり距離があるが、大ぶりの枝が繁って足場にはなりそうだ。
小さな体であちこち飛び回ることに慣れたサンジは、常人より身軽で度胸もついている。
「うしっ」
後ろから矢で射られる前に、サンジは城壁から出窓の屋根へと飛び降りた。

わずかな出っ張りに足先を付けて、そのまま惰性で窓際を走り抜ける。
途切れた屋根と屋根の間も、高さを恐れず飛び越えた。
身体が大きいから、思ったよりも楽に先に届く。
手も足も長くて、とても力強い。
この事実に、有頂天になった。

太い木の幹に飛び降り、枝伝いに走っていたら足元が撓った。
身体が大きくなると同時に重さもそれなりになったことを失念していたと、遅まきながら気付く。
が、その時にはもう枝が折れ、サンジの身体はまっさかさまに池に向かって落ちていた。



水しぶきを上げて、サンジは池の中央付近に落下した。
幸い噴水には当たらず、落ちたところも深くなっていて底で頭を打つことはなかった。
が、水中へも次々と射られた矢の先が突き刺さってくる。
それを横目で避けながら、咄嗟に側溝の金網を蹴り飛ばした。
循環している水の流れを遡るように、人一人分の狭い側溝に身を沈ませる。
息が続くかと危ぶみながらバタ足で水路を抜ければ、すぐに水面に光が差してきた。

「ぷはっ」
勢いよく自ら飛び出ると、どうやら地下水路に出たようだ。
周囲が明るいのは、ところどころで篝火が焚かれているかららしい。
サンジはずぶ濡れのまま水路から首だけ出して、辺りを窺う。
堅牢な石造りの地下は、冷たく暗く沈み返っている。
なのに、柱の向こうで光に揺らめく影が映る。
ただの水路なら、真っ暗なままでいいのに。
噴水に流れ込んでいる水は臭気もなく透明で、下水ではなさそうだ。
安心して身を沈ませ、水底に膝を着きながらそろそろと水路を進む。
水は冷たく芯まで冷えそうだが、今はそんなことも気にならない。
そうっと太い柱を回り込めば、向こう側に人の気配がした。

さきほどサンジが閉じ込められていた地下牢とは比べ物にならないくらい、頑丈で陰鬱とした石牢が洗われる。
しかもその中には、数人の男達が入っていた。
悄然と項垂れ胡坐を掻いているがいずれも凶暴な気配はなく、むしろ毅然として空を睨み付けている。
ぱしゃりと、サンジの足が水路を蹴った。
その音に、男達が視線だけを寄越した。
瞳にはかすかに怯えが混じり、それでいて態度には表さないよう自制するプライドが見える。
ただの、悪党や盗賊などではない。

「おっさんら、どうした?」
この状況ではいささか間抜けな問いかけになったが、無駄に怪しまれると話がややこしいとばかりに、サンジは水路から上半身だけ出して声をかけた。
案の定、男達はぎょっとした顔で腰を浮かせている。
「怪しい奴、何者だ!」
「・・・牢屋に入ってる奴に言われたくねえよ」
サンジはそう呟いて、両手を石畳に着き、よっこいしょと水路から出た。
「俺はいま、反乱軍の奴らに追われて庭の噴水からこっちに流れてきたんだけど・・・」
「反乱軍だと?」
牢の奥に鎮座していた男が、低く問い返した。
よく見ればくるんくるんと派手な巻き髪の、変わったおっさんだ。
「いよいよクロコダイルが占領軍を引き入れたか」
「ああ、あちこちで狼煙が上がって、街はえらい騒ぎになってる」
サンジは懐から煙草を取り出し火を点けようとして、諦めた。
煙草もマッチもずぶ濡れで使い物にならない。

檻の中から、巻き毛のおっさんがやや声を荒げた。
「お前は何者だ、面識はないが」
「あー俺は旅のもんだ、ちょっと巻き込まれてよ。それよりあんたらの方こそ、何者だ?占領軍がどうこうってんなら、王族関係者か」
男達はサンジの声に身構え、警戒を露わにした。
この状況ではどう考えても、突然現れて意味深なことを言うサンジの方が怪しいだろう。
お互い、お前が先に名乗れと言わんばかりに睨み合ったが、根負けしたのは巻き毛のおっさんの方だった。
「いまさら隠し立てしても意味はあるまい。私はイガラム、アラバスタ王国護衛隊長だ」
「イガラム・・・」
どっかで聞いた名前だと記憶を辿り、ビビの声に行き着く。
「ああ、ビビちゃんが“イガラムの娘”とかなんとか、名乗ってたな」
「ビビちゃん・・・だと?」
檻の中の男達がにわかに気色ばむ。
「貴様、ビビ様をなぜ知っている」
「ああ、旅の途中で俺の連れがビビちゃんを助けたんだよ」
「バカな!」
イガラムは憤怒に顔を赤くして、短く怒鳴った。
「旅の途中などと、ビビ様は魔王に攫われたのに・・・」
「その、攫われてる途中を助けたんだ。砂嵐に巻き上げられてたぜ」
両手をくるっと回しながらジェスチャーし、信じられないと言った顔のイガラムの前で大事に懐にしまっていたストールを取り出す。
「ほら、これビビちゃんから預かってきた」
檻越しに差し出せば、手前にいた兵士とおぼしき男が引っ手繰るようにしてイガラムに手渡した。
両手で大切そうに受け取り、イガラムは繁々とそのストールを見る。
「・・・これは確かにビビ様のもの。ビビ様は、無事なのか?!」
「無事・・・ちゃあ無事なんだけど、この街のスパイダーズカフェってとこの地下にいま軟禁されてる」
「なんと!」
「スパイダーズカフェといえば、レジスタンスの根城です」
兵士達がヒソヒソと囁きあうのに、サンジはうんと頷いた。
「まあ、ビビちゃんの身元が割れた感じじゃなかったけど、もし割れたとしても王女なら即どうこうしねえだろうさ。んで、俺はとりあえずビビちゃんをそこに置いて城に来たんだ。コーザってのを探しにね」
「コーザ!」
イガラムがギリッと奥歯を噛み締めた。
何か言いたいことはあるのだろうが、ぐっと堪えて黙っている。
「ビビちゃんはコーザを頼りにこの街に来たんだけど、こともあろうにコーザが反乱軍のリーダーなんだろ。一応会って話ができたはできたんだけど、やっぱ俺の言ったことなんて信用されてねえんだろうなあ」
サンジのなんとものんびりとした口調に、さもありなんとばかりに兵士達が頷く。
「なにもかもよく知っているようなのは、ビビ様から直接聞いたからか?」
聡いイガラムにほっとして、サンジは微笑んだ。
「そう、ビビちゃんから聞いたぜ。今、民の前にいる国王は偽物だってのも、そもそもビビちゃんは砂の魔王に攫われたんじゃなくて王族みんなで監禁されてて、そこから逃れるためにわざと魔王を呼び出して攫わせたってのも」
「・・・おおお」
「だから、ビビちゃんにとっては無謀な賭けだったかもしれないけど、こうして俺がここまでやってこられたんならラッキーだったんじゃねえの?」
あっけらかんと言うサンジに、けれどイガラムの顔は険しいままだ。
「確かに、その通りであれば活路も見出せるが・・・いかんせん、危険すぎる」
「うん、早いとこビビちゃんの安全を確保しないとな」
「いや、そうではなくて・・・」
言葉を続けようとして、イガラムの顔色がさっと変わった。
檻に取りすがるように身を乗り出していた兵士達も、ざっと青褪めて後ろに跳び退る。
「・・・なんだ、どうした?」
兵達の視線が自分の後方に集中しているのに気付き、サンジはすうと息を吸った。

なにかが、後ろにいる。
しかも一つじゃなくていくつも、複数の何かが自分の背後にいて、こちらをじっと見ている。
「・・・な、に・・・」
サンジは恐る恐る振り返り、ひゅっと息を呑んだ。
巨大すぎるワニが何匹も、側溝から這い上がってきていた。




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