砂の国と勇敢な王女のおはなし -5-


ビビは長い髪を頭上で束ね、動きやすい服装に着替えて頭からすっぽりとストールを巻き直した。
「これを持って行くといい。私からのコーザへの手紙だ、口実になるだろう」
「ありがとう」
封筒を受け取って、大切そうに上着のポケットに仕舞う。
「けれど本当に一人で大丈夫かい?」
危ぶむトトに、ビビは気丈に微笑み返した。
「大丈夫よ、私にはサンジさんもいるもの」
もう、ビビは一人で行くと言い張らなかった。
サンジはビビの肩に立って、トトを振り仰ぐ。
「ビビちゃんのことは俺に任せてくれ」
「ありがとう、頼んだよ」
こんな小さな男に何ができるとも思えないだろうが、二人は決して馬鹿になどしたりせず仲間として認めてくれていた。
そのことが純粋に嬉しい。
「じゃあ私はこのままナノハナに向かって、知り合いをツテに仲間を集めてみるよ。一刻も早い方がいい」
「おじさまもお気を付けて」
「ビビちゃんも。コックさん、頼みましたよ」
「おう、おっさんも」
軽く手を挙げて、ビビは地下から外へと出た。

「私が砂の魔王に攫われたのが先だと思われているから、市民にはさほど警戒しなくてもいいと思うんです」
ストールの中に隠れたサンジに、ビビは独り言のように話し掛ける。
「私がここにいるはずがないと、先入観がありますからね」
「確かに、ビビちゃんが攫われたから国王が無気力になったって思い込んでるならその通りだ」
だから、この街に車でも比較的怪しまれずに済んだのかもしれない。
「警戒すべきは、やはりクロコダイルの息が掛かったバロックワークスか」
「それと、いま王宮の警護に付いているものです。上層部は父と一緒に幽閉されていますが、末端の兵にはどのような指令が下りているかわかりません」
「最悪、ビビちゃんが現れたとしてもそれが偽者だと吹き込まれるかも知れねえ」
「その通りです」
ビビはきゅっと唇を噛み締め、真っ直ぐ前を向いて早足で歩いた。



急な砂嵐の襲撃を避け、反乱軍は地下に居を構えている。
トトに教えられ、ビビは周囲を窺いながらアジトとなっているカフェに下りた。
「いらっしゃい」
くねる腰付きが艶めかしい美女が、カウンター内に立っていた。
サンジは条件反射でメロリンと飛び出そうになるのを、ストールの中で危うく堪える。
「可愛らしいお嬢さん、お一人?」
相手が女性と言うこともあり、ビビはやや警戒を解いて目元を覆うストールを少しだけずらした。
少し表を歩いただけで、もう頭から砂塗れだ。
「近所のおじさんにお使いを頼まれたんです、こちらにコーザいますか?」
コーザの名前にも、美女は眉毛一つ動かさない。
「見た通り店にお客さんはいないわ、砂嵐のせいで商売上がったりね」
「このお店ではなくその奥に。コーザのお父さんから預かり物があるんです」
ビビが真っ直ぐに見つめると、女性は少し表情を和らげた。
「残念だけど、コーザは今ここにいないの」
「え・・・」
虚を突かれて、ビビの目が丸くなる。
「お仲間を誘いに、ナノハナまで行ってるわ。夕方には帰るでしょう」
だから、とカウンターの奥にある扉を開いた。
「よかったら、こちらで待たない?お腹も空いているでしょう」
ビビは躊躇った。
コーザか、もしくは昔の遊び仲間の誰か一人でも、知った顔の人間がいれば話はできるだろう。
だが、この女性を信用できるかどうかわからない。
それに、扉の向こうには複数の人間の気配が感じられた。
単身で乗り込むには、リスクが高すぎる。
「教えて下さってありがとう。でも、急ぐことじゃないのでおじさんのところに戻りますね」
「コーザへの手紙なら、私が預かっておきましょうか?」
「いえ、たいしたことじゃないんです」
勤めて明るく答えたビビに、女性は目を細めた。
「あら、もしかしてラブレター?」
「・・・いえ、そんな」
「それじゃあ仕方ないわね、ラブレターは自分で渡さなきゃ」
気付けば、すぐ後ろに男が一人立っていた。
触れられずとも言い知れぬ圧迫感が襲い掛かり、ビビはその場に立ち竦む。
「遠慮せずに、ここで休んでいきなさいな」
にっこりと微笑む女性に、ビビは引き攣った表情のままコクコクと頷いた。

いきなり背後に立った大男に連れられて地下の部屋に入ると、中には若い男達が数人寛いでいた。
入ってきた男を見ると一斉に立ち上がり、頭を下げる。
「あ、Mr1」
「お疲れさまっす」
「コーザにお客さんだ」
前に突き出されるように押され、ビビはよろめきながら部屋の真ん中に進み出た。
「部屋の中ではもう、それは必要ないだろう」
言うが早いか、男はビビの頭からストールを剥ぎ取った。
サンジは咄嗟にストールを掴み、裏側に張り付いて身を隠す。
男は両手でくるくるとストールを巻き、近くにあった椅子に投げ掛けた。
皆の視線は、ストールの下から現れたビビの顔に集中している。
「・・・なんか、似ているな」
「はは、まさかな」
人の良さそうな若者達が、戸惑いながらMr1と呼ばれた男とビビの顔を交互に見比べている。
「コーザに用があると言っているのだから、彼が戻るまでここで待っていてもらおう。いいね」
最後はビビに向かって尋ねられ、俯いたまま頷く。
「奥の部屋で休んでいてもらえ、一人見張りに付いてろ」
とても客人をもてなす場所とは思えない、机と椅子しかない薄暗い部屋にビビ一人が入れられて、扉に鍵が掛けられた。



ドアの外に見張りを一人残して、男達が去って行ってしまってからサンジはひょっこりとストールから顔を出した。
周囲を見回し、他に人影がないのを確認する。
そろそろとストールの中から這い出て、布地を伝って床に降り立った。
そのままトトトと駆けて、ビビが閉じ込められている奥の部屋に通じる扉まで辿り着く。
「ビビちゃん、大丈夫?」
「コックさん?」
扉を隔てて、返事があった。
サンジがドアの下部に設けられた通風孔から中を覗き込むと、同じようにしゃがんでいるビビと目が合った。
「よかった、コックさん無事だったのね」
「ビビちゃんも」
「私は大丈夫だけれど、コックさんには安全なところに隠れていてもらわないと・・・」
「それだけどね、ビビちゃん」
サンジは一旦俯いてから、決心したように顔を上げた。
「実は俺、一度だけ効く魔法の薬を持ってるんだ」
「魔法?」
ビビは美しい眉を顰めた。
アラバスタ王家が一人の魔女の罠に嵌まったことで、ビビ自身、魔女と言うものに対していい印象を抱いていないのだろう。
そのわだかまりには気付かないふりをして、サンジは先を続ける。
「ビビちゃんの正体が、彼らにバレているかどうかはわからない。けれど、あのMr1って奴は油断ならないけど、他の男達は素人っぽかった」
「それは、私もそう思います」
「ビビちゃんをコーザって奴の知り合いだと思ってるなら無闇に危害を加えないだろうし、もし王女だとバレていたなら、それはそれで迂闊に手を出してこないと思う。大事な人質だからね」
サンジの言葉に、ビビは気丈に頷いた。
「だから、とりあえずビビちゃんはこのまま敵の手に落ちた形でじっとしていて欲しい。逆に敵の懐に潜り込めたと思っていいと思う。その代わり、俺が行くよ」
「サンジさんが?どうやって」
その小さな身体で全速力で走ったとしても、この部屋を横断するだけで小一時間ほど掛かってしまうだろう。
「それで、この魔法の薬の出番なんだ」
サンジはぽんと胸ポケットを叩いた。
「これの効力は24時間きりだって。だから、1日でケリを付けられるように頑張るよ」
「どうするの?」
「今から薬を飲むと24時間、俺の身体は人並みに大きくなる」
「え!」
「・・・はず」
サンジは自信なさそうに、照れ笑いをした。
「もしちゃんと大きくなれたら、一応一人前の戦力になるだろう?」
「そんな、危険だわ!」
「か弱いレディのビビちゃんがこんな危ない目に遭ってるんだ、これ以上に危険なことなんてないって」
サンジはそう言って笑い、うん、と自分自身を勇気付けるように大きく頷いた。
この薬で本当に、人並みの大きさになれるかどうかはわからない。
生まれて落ちてよりずっとこの大きさだったから、大きくなれた自分なんて想像もできないし、怖くないと言えば嘘になる。
けれど今は、グダグダ迷っている暇なんてないのだ。


サンジは懐から大切に持ち歩いていた薬を取り出すと、思い切ってぱくりと口に含んだ。
水も何もないが、無理やりそのまま飲み込む。
喉が引き攣れて痛みさえ覚えたが、なんとか全て飲み下すことができた。
「・・・コックさん」
ビビの不安そうな視線に笑い掛けようとして、視界がぶれた。
ものの焦点がぼやけて眩暈に襲われ、立っていられなくなる。
その場にしゃがんで床に手を着き、俯いて眩暈が治まるのを待つ。
ほどなくクラクラする頭も落ち着いて、サンジはほうと息を吐いた。
「ごめんビビちゃん、もうだいじょう・・・」
ぶ、と言いかけて、サンジは固まった。

床の木目が随分と小さくなっている。
いや、木目が小さくなったのではなく自分が大きくなったのだと気付いて顔を上げ、今まで見上げていたはずのドアの隙間を見下ろす形になっているのに気付いた。
「あ・・・」
声はそのままのはずだが、心なしか低く豊かな音量になっている。
掌を広げてしげしげと見ても、小さかった頃の自分の手となんら変わりはない。
けれど周囲を見回せば、明らかに視点の位置が違って見えた。
「ビビちゃん」
喜んで振り返り、床に這い蹲って扉の向こうを覗いた。
ら、ビビは両手で顔を覆って俯いている。
「ビビちゃんどうしたの?大丈夫?」
「いえ、あの、サ・・・いえ、コックさん」
背けた顔を赤らめて、ビビはそっぽを向いたまま声を絞り出す。
「着ていらした、服が・・・」
「・・・はわわっ」
サンジはそこで初めて、自分が全裸なことに気付いた。
どうやら大きくなるのは身体だけだったらしく、身に付けていたはずのフリルのシャツもサッシュベルトもズボンも、すべて布の切れ端となって床に落ちている。
「うわあ」
慌ててビビのストールを掴んで、腰に巻いた。
「ごめん、ビビちゃんのストールを・・・ほんとごめん」
「いえ、いいんです。使ってください」
ああもう二度と、このストールはビビの頭を覆い隠す役割を与えられないのだろうなと思ったら、ストールに申し訳ない気分になった。

「このままじゃ、外にも出られないな」
まあ、扉の向こうには見張りが一人いるから、なんとかなるだろうか。
サンジは頭の中でそう計算し、それを第一の目標とした。
「ともかく、俺は行くよ」
「お願いします」
大きくなったサンジに頼もしさが湧き上がったのか、ビビの声も弾んでいる。
「あの、もしどこかでコーザに出会えたら・・・」
「ああそうだ、コーザってのはどんな男なんだい?一応特徴を教えてくれないか」
ビビは少し考えて、口を開いた。
「私より2歳上で、サングラスを掛けていて、左の目に斜めに走る傷があります。それと・・・」
そこで少し言いよどみ、恥じらうように目を伏せた。
「ほんの少しだけ、Mrブシドーに似ています」
「・・・あ、そうなんだ」
なんだかサンジは、それで色々納得できた気がした。




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