砂の国と勇敢な王女のおはなし -4-


「私はアラバスタ国王の娘、ビビです」
ああやっぱり、とサンジは得心した。
王女であるなら、ビビの優雅な立ち居振る舞いや毅然とした態度は理解できる。
「王女が、こんなとこでなにやってんだ」
ゾロのもっともな突っ込みに、トトはハラハラしながらビビの顔を見た。
「砂の魔王に攫われた、んだよね」
「はい、でも攫われたのは昨日のことです。そこを、Mrブシドーに助けていただきました」
「ん?待ってビビちゃん。オアシスでの話じゃ、王女が魔王に攫われたから国王が政治を投げ出したとか何とか、言ってたんじゃなかったかな」
サンジの指摘に、ビビは口惜しげに眉を顰め奥歯をグッと噛み締めた。
「父は、国政を投げ出したりはしていません。監禁されているのです」
「―――まさか!」
トトが、痩せこけた頬に手を当て小さく叫ぶ。
「しかし、篭ってらっしゃるとはいえ時折広場に顔を出して、集まった人々の必死の訴えを無表情に見下ろしているのでは・・・」
「あれは、父ではありません。そっくりの偽者がいるのです」
ビビは両手でストールを握り締めながら、ポツリポツリと話し始めた。

アラバスタに雨が降らなくなって、父は八方手を尽くしてその原因を探ろうとしました。
そうして、魔女の導きから北の地に古くから住みつく砂の魔王が目覚めたことを知ったのです。
その時、魔王の討伐を自ら買って出たのがサー・クロコダイル。
サウスの大商人である彼は大臣達に取り入って地位を得、王宮にも頻繁に出入りしていました。
魔女の助言もあって魔王討伐をクロコダイルに託したのですが、その時彼はこともあろうに魔王を王宮に招き入れたのです。

「ちょっと待って、話の腰を折って申し訳ないんだけど、手引きをした魔女って誰だい?」
まさか、紫や紅ではないだろうけれど。
「榛の魔女・ポーラです。私も、実際に魔女にお目にかかるのは初めてでしたが、人智では判断しえない力を持った方だとは思いました」
ロビンやアルビダでないことに、ほっとする。

砂の魔王が王宮に現れ、護衛隊が必死の攻防を繰り広げている隙を突いてクロコダイルが王宮を占拠しました。
その際、父そっくりの偽者が現れて私達親子と、護衛隊長のイガラムまで幽閉されたのです。

「砂の魔王とクロコダイルが、組んでいたのか?」
サンジの問い掛けに、ビビは硬い表情のまま首を振った。
「そうではなかったようです。砂の魔王が王宮を襲った時のクロコダイル達の対応を見ても、魔王復活をクロコダイルが利用して騒ぎを大きくした・・・そう感じました。砂の魔王は一旦はそこで撃退され、その後クロコダイルが王宮内を取り仕切っています」
「じゃあ、ビビちゃんはどうやってそこから逃げ出したんだい?」
「砂の魔王を、自ら呼び出したんです」
ずっと監禁され続け、国民には王女が魔王に攫われたため、国王が王宮に篭ったと嘘の情報を流された。
これでは、国民達の国王への信頼が危うくなる。
そう感じたビビは焦り、王族にのみ伝わる呪術で魔物を呼び出し、自らを攫わせた。
「そんな無茶な!」
「クロコダイルの強固な警備には、魔物の力を借りないと太刀打ちできないと思ったんです」
作戦は成功し、ビビは王宮の外に出ることができた。
だがそこから逃げ出すことなど、生身の人間にできる訳がない。
砂嵐に巻き上げられ意識を失った時に、ゾロが通りかかった。

「Mrブシドーは私の命の恩人、そしてこの国の恩人です。ありがとうございます」
ビビの大きな瞳が涙で潤み、熱い眼差しで見つめられたのに、ゾロは素っ気無く口を開く。
「あんたを助けたのは俺じゃねえ、こいつがなにかいるから助けろって言ったからだ」
いきなり指差され、サンジは赤くなって慌てふためく。
「馬鹿やろ、実際助けたのはお前だろうが。けどビビちゃん、確かにビビちゃんの命は助かったけどこの先大変だよ。それに、大体ビビちゃんは最初から無茶し過ぎだよ。この国には、王女様をちゃんと護る騎士はいないのかい」
サンジにしてみれば、こんなか弱い女性が孤軍奮闘せねばならない状況に腹が立ってしょうがなかった。
それに、ビビは毅然として微笑み返した。
「いいえコックさん、国を護るのは王族の勤めです。私は護られる王女ではなく、国を、国民を護る女王になるべき運命ですから」
きっぱりと言い切ったビビに、サンジは一瞬見惚れてしまった。
なんて気高く雄々しく、美しい王女なのだろう。
ビビならきっと、誰よりも強くて優しい立派な女王になるに違いない。

「・・・ビビちゃんがその心積もりなら、わかったよ。もうなにも言わない」
「ありがとうございます、コックさん」
ビビは、気持ちをこめた目でサンジを見つめた。
その間で、トトが落ち着きなく両手を揉みしだく。
「しかし、そうと決まれば早くクロコダイルを討つべきじゃあないか。ビビちゃんはこんなところにいないで王宮の・・・」
そこまで言って、「ああ」と小さく呻く。
「王宮はすでに、クロコダイルに占拠されているんだね」
「そうなんです、ですから私が名乗り出ることができなくてこうして顔を隠してここまで来ました。コックさん達が一緒にいてくれなかったら、どうなっていたことか・・・」
けれど、ビビは唇を噛んで俯いた。
「コーザがいてくれたら、と。それだけを頼りにここまで来たんですが・・・」
「それなら、私からすぐにコーザに連絡を取ろう。なにせコーザは反乱軍のバロックワークスにいる―――」
そこまで言って、トトは再び「ああ」と絶望のうめき声を上げた。
「バロックワークスは、反乱軍だ」
「国王を敵として、反旗を翻す組織ですよね」
悲嘆に暮れたビビに、サンジは駆け寄ってその手を両手で押さえた。
「ビビちゃんが無事なことを話せば、その、コーザって奴もわかってくれるんじゃないか?」
対して、ビビは力なく首を振る。
「反乱軍は、バロックワークスはクロコダイルの傘下なんです」
「・・・なんと!」
トトは真っ青になった。
「クロコダイルは王宮を支配しておきながら、国民を煽り国王への反乱を起こさせる計画も同時に実行していました。私は、それを早くコーザに知らせたくて、なんとか力になって欲しくて・・・」
ぎゅっと閉じた瞳から、涙のしずくが零れ落ちる。
透明な粒はビビの滑らかな手の甲に落ちて跳ね、サンジの頬も濡らした。

「ビビちゃん・・・」
「ここまで疲弊した国を、民を、私の力で説得できるかどうか・・・」
もうわからない、と弱音を吐いたビビにサンジは伸び上がって叫んだ。
「大丈夫、力になるよ!きっと君を助けるよ!」
「・・・コックさん」
涙に濡れた目を向けたビビに、サンジはにかっと笑いかけた。
「なんとかするから、ゾロが」
「俺かよ!」
今まで黙って成り行きを見守っていたゾロが、サンジに向かって突っ込んだ。


「お二人を巻き込むわけには行きません」
ビビは断固とした口調で、サンジの申し出を断った。
「これは私の国の問題です。これ以上、ご迷惑を掛けるわけには・・・」
「水臭いこと言わないでよ、ビビちゃん」
サンジはゾロのシャツをよじ登り、肩に立ってビビと同じ目線になる。
「困っているレディを見捨てるなんて、騎士道に反する行為だ。ビビちゃんがなんと言おうと、俺は俺で勝手に行動させてもらうよ、ゾロが」
「だから俺かよ」
律儀に突っ込む声に、サンジはゾロの頬に両手を着いて振り向き、チロリと睨んだ。
「別に、俺一人でだってここに残るぜ」
「・・・やらないとは言ってねえだろ」
そんなサンジの身体にそっと指を回して、テーブルの上に下ろす。
「ぐずぐずしている暇はねえんだろう?王宮に押し入るか、そのコーザって奴に会うか、それとも―――」
「Mrブシドー・・・」
ビビは胸の前で手を合わせ、緩く頭を振った。
「そのいずれも、敵の目を潜り抜ける得策が見つかりません」
「別に潜り抜ける必要はねえだろ、正面から強行突破だ」
「無茶です!」
言い合うゾロとビビの間で、サンジはう〜んと考え込む。
「一番手っ取り早いのは、雨が降ることだがな」
トトが口を挟んだ。
「雨が降らないことで、民衆は国王の所業を疑っておる」
「でも、雨が降らないのは砂の魔王のせいで」
「じゃあ、その魔王とやらをぶっ潰すのが先か」
ゾロはすらりと刀を抜いた。
「んなとこで戦闘体勢になってどうすんだ、気の早い」
サンジが駆け寄ろうとするのを、掌で制す。
「そうでもねえよ」
言い終わるや否や、地響きがして壁が揺れた。
地下にあるはずの部屋に、唐突に光が差し込む。
咄嗟に身を伏せると、あっという間に石造りの天井が崩れ風と共に巻き上げられた。

「来たぞ」
「ええっ?!」
ビビは身体を浮かしたサンジをはしっと掴み、ストールの中に押し込めた。
サンジもビビの長い髪に身体を巻きつけるようにして中に潜む。
「砂の、魔王?!」
アルバーナの上空に、大きな砂の渦が覆い被さるように現われている。
黒々とした煙のような渦は徐々に形を変え、まるで男の顔のようになった。
「あれが魔王か?」
「ああああ、恐ろしい。なんて恐ろしい」
トトは顔を背けながら、ビビを庇って一緒に身体を伏せる。
「とりあえず、俺はこっちに行く」
そう言い置いて、ゾロは瓦礫を蹴って飛び上がった。
まるで救い上げるように、旋風がその身体を巻き上げ見る間に上空へと昇っていく。
「ゾロ!」
「Mrブシドー!」
雷鳴がなり、光る稲妻がゾロの身体に纏わり付く。
吹き荒れる砂に覆われてその表情も見えぬまま、大きな口を開けて咆哮する魔王の元へと吸い込まれていった。
「ゾローっ!!」
サンジの叫びも掻き消されるほどの轟音と雷鳴を響かせながら、砂嵐はゆっくりと上昇し空の彼方へと消えていった。


「う・・・そ」
ぺたりと、ビビがその場にへたり込む。
両手で口を多い、大きな瞳をまん丸に見開いて小刻みに震えだした。
「ああ、なんてことを・・・なんてことに」
動揺するビビに、呆然としていたサンジははっと我に返りストールから這い出た。
「大丈夫だよビビちゃん。あいつは強いから、信じられないほど強くて、なによりめちゃくちゃ運のいい奴だから、きっと大丈夫」
サンジ自身、何の根拠もない言葉だ。
確かにゾロは剣は強いだろうが、砂の魔王相手に太刀打ちできるとは思えない。
けれど、きっとなんとかするだろう。
誰よりもサンジ自身がそう信じたくて、必死でビビを慰める。

「でも、私のせいで、私がこんなことに巻き込んで・・・」
「ビビちゃんのせいじゃないよ、悪いのはクロコダイルってのと砂の魔王だろ?そいつらを倒すことだけ考えよう」
「でもっ・・・」
「ビビちゃん」
サンジは涙に濡れたビビの頬に、ぺちんと手を当てた。
「さっき、ビビちゃんは言ったよね。王女だからこそこの国を、民を護る義務があると。俺もそう思う。だからこそ、誰かの助けを借りることを躊躇わないで欲しい。人に助けられ、時に誰かに犠牲が出ることを恐れないで欲しいんだ。その責を負うことも王族の勤めだと、そう思わないかい?」
サンジの言葉にビビは目を瞬かせて、おずおずと頷いた。
濡れた睫毛から涙の粒が零れ落ち、サンジの足元を濡らす。
「ビビちゃん一人で頑張る決意も必要だけれど、人を使ってどうやって戦うのか、それを考えるのも大事だよ。今は、ゾロが魔王を倒しに行った。だから、俺たちは俺たちでできることをしよう」
「・・・わかりました、取り乱してしまってすみません」
ビビは手の甲で顔を拭い、にっこりと微笑んで見せた。
「Mrブシドーを信じます。そして私はこれから、コーザに会いに行きます」
「そうだね、俺も一緒に行くよ」
「ありがとうございます」
今度はビビも、拒まなかった。

「大丈夫、ゾロは絶対に魔王を倒して帰ってくる」
もしも、ゾロにもしものことがあったら。
これきり二度と会えなくなったら。
そうなったら、それはサンジの責任だ。
自分自身への責めと罰としてすべてが帰ってくるだろうと、そう覚悟して腹を決める。
このままゾロを失って、誰より哀しく辛いのは自分自身だともう自覚しているから。
けれど―――

「魔王を倒したとしても、あいつ一人だと帰って来られないんじゃないかな」
それだけが、本当に気がかりだった。





next