砂の国と勇敢な王女のおはなし -3-


灼熱の陽射しは変わらないが、途中砂嵐に見舞われることもなく比較的早い段階で首都の遠景が見えてきた。
本来なら砂漠で野宿の可能性もあったらしく、こうして真っ直ぐ辿り着けたのは稀なことだと、ビビが感心している。
「そんな無茶な旅を、君一人でもする気でいたのかい?」
ビビの無謀さが今さらながら心配になって、サンジはゾロの肩に腰掛けたまま振り向いて声を張り上げた。
「ええ、本当ならもう一箇所オアシスがあったんです。でも、砂嵐で埋もれてしまっていて・・・」
「それじゃあ、首都への旅も命がけなんだね」
砂の国を襲っている事態の深刻さが、改めてわかった。
「Mrブシドーが、上手に休憩を入れてくれたお陰です。まるでラクダの気持ちがわかるかのよう」
ビビがそう言うのに、サンジも素人ながら頷けるものがあった。
ゾロも砂漠を訪れたのは初めてだと言っておきながら、ラクダを操るのが妙に上手い。
ラクダもラクダで、旅人を乗せて運ぶのに慣れているとは言え、実に従順にゾロに従った。
ラクダの調子がよい時はさっさと進み、少し疲れればこまめに休憩を入れた結果、思ったより早く目的地に着きそうだ。

「聞きしに勝る、大きな街だね」
陽炎に揺らめく街並みを眺め、サンジは感嘆の声を上げた。
だが、ビビは表情を硬くして首を振る。
「いいえコックさん、なんだか様子が違う」
以前はもっと多くの商人が遠くからでも列をなし、街には色が溢れ水の輝きがあったのだという。
だが、いま目の前に広がる光景はどこまでも土色で、広く巨大なだけの廃墟のようだ。

「大きな、街・・・なんだよね」
「ええ、アラバスタの首都ですもの。多くの人が住み多くの旅人が行き交う活気付いた街・・・だったはず、なのに・・・」
ビビは、悲嘆のあまりラクダの上でくらりとバランスを崩した。
いつの間にか寄り添っていたゾロが、腕を伸ばしてその身体を抱きかかえる。
「しっかりしろ」
「・・・すみません、助かりましたMrブシドー」
ビビは乱れた髪を撫で付け、改めて用心深くストールを巻き直す。
透けた素材で目元だけが辛うじて見える、独特の民俗衣装だ。
サンジはどこか遣る瀬無い想いで、ゾロとビビを交互に見ていた。

この灼熱の砂漠を渡るのにも、サンジの身体は小さすぎて、ラクダを操るどころか自分の足で歩くことだって叶わない。
ましてや今のように、倒れかけたビビを支えてやることだってできない。
ゾロと二人だけで旅をしているなら、自分の無力さはさほど感じなかった。
それよりも、少し目を離すと道に迷いがちなゾロをナビゲートすることで少しは役に立てている気になっていた。
けれどこうして、ゾロ以外の人と一緒に旅をすると途端に自分の無力さを見せ付けられて気落ちする。
ブルックが一緒の時はそうも思わなかったのに、なぜだろう。

「すみません、私先に行きます」
ビビは急いた声を出し、ラクダを駆って走り出した。
乾いた風に砂埃が舞い上がり、灼熱の陽射しがストールの縁飾りに反射して煌く。
「ビビちゃん、待って」
サンジが声を張り上げるのと同時に、ゾロもまたラクダを駆った。


ビビが飛び込むようにして辿り着いた街は、まるで廃墟のようだった。
堅牢な石造りの建物はあちこち欠けて崩れ、瓦礫が散乱している。
大通りには、かっては多くの出店が立ち並んでいたのだろうと推測できる程度に、柱や布張りの屋根が半ば砂に埋もれていた。
「こんな、ことって」
ビビはラクダから降り、ふらふらと街の中をさ迷い歩いた。
家の中に人の気配はするが、誰も表に出てこようとはしない。
ただ息を殺してじっと、窺い見る目線だけは感じられた。

ゾロもラクダから降りて、ビビのラクダと一緒に日陰に繋いだ。
先を行くビビに追いついて並ぶ。
「これからどうするんだ」
「親戚を、探してみます。家がこちらの方のはずだから・・・」
そう言って、まるで瓦礫の固まりのような街角を曲がると、ビビは立ち竦んで今度こそ小さな悲鳴を上げた。

角を曲がった先は無残にも破壊され尽し、建物はなかった。
それどころか、まるで巨大なすり鉢のように中央が凹み穴が開いている。
「一体どういうことだ、これ」
サンジも自分が見ているものを理解できず、ゾロの襟元までよじ登って見下ろしている。
「まさかここに、親戚の人がいたの?」
「―――・・・」
ビビは、声を上げないように口元を手で覆って、真っ直ぐ前を向いたまま頷いている。
目元に涙が盛り上がり、砂で汚れた頬に一筋流れ落ちた。

「ビビちゃん、ビビちゃんじゃないのか?」
背後から顰めた声で呼びかけられ、はっとして振り向いた。
それこそ立ち枯れたような痩せこけた男が、あたりを憚るようにして立っている。
ビビは首を傾げしばらくまじまじと男を見ていたが、その内大きな目を見開いて両手を差し出した。
「おじさん?もしかして、トトおじさん」
「そうだよ、ビビちゃんよく無事で」
ビビはそのまま男に抱きつき、声を殺して泣き始めた。



「とにかく、こっちへ」
声を潜めて誘うトトに、ビビは堅い表情で頷いて即座に従った。
ゾロも、サンジと顔を見合わせてからその後に続く。

トトは崩れかけた小屋に入り、床の一角を剥がして隠し扉を開いた。
地下に続く階段を降りると、生活感のある部屋に出る。
「最近は、もうずっとここで暮らしてるんだよ」
「ここなら、砂嵐の被害には遭わないで済むのね」
「危険は少ないが、ずっと篭っていては生活は成り立たないよ」
深刻な話題をのんびりとした口調で話し、トトはお茶を淹れた。
「妻はちょいと買い出しに出かけていてすまないね。いや、その方が都合はよかったかな」
トトの意味深な言葉に、ビビはこっくりと頷く。
連れはゾロだけだと思ったのだろう。
トトは自分を入れて3人分のお茶を用意し、腰を落ち着けた。
「それで、こちらは?」
黙って茶を啜るゾロに、のんびりと話し掛ける。
「Mrブシドーは旅の途中で、偶然通り掛かって私を砂嵐から助けてくれたの」
「それから、ずっと一緒に?」
トトはショボくれた目を見開き、焦った様子でビビとゾロを交互に見た。
サンジはかすかな違和感を覚えながら、腹巻の中でじっと耳を澄ませている。
「助けられたのならばすぐに、近くの兵士か駐在所に駆け込まれれば…」
「そうは行かなかったのよ」
確かに、昨日のオアシスには駐在所などなさそうだったが、なにか変だ。
トトの反応と自分達の状況が、どこか噛み合わない。
「頼れるのは、私を知っててくれる人だけ。お願い、コーザに頼らせてもらってもいいかしら」
また知らない人物の名前が出て、ゾロとサンジは黙って耳を傾けた。
だがトトは、ビビの真剣な眼差しから逃げるように顔を反らす。
「すまない、ビビちゃん」
「…トトおじさん?」
「コーザは、もうここにはいないんだ」
「どうして?」
「地下に潜って組織を作っている。国家転覆をための反乱組織を」
ビビは声にならない叫びを上げて、手で口元を覆った。

「…嘘っ」
「あの子は、どうしてもこの状況に我慢できなかったのだよ。絶え間ない砂嵐、水の枯渇、国民の流出。このままでは街は砂に埋もれ、国が滅びる。そう言って、あの子は地下に潜った」
「いま、王宮を取り囲んでいるのは…」
「反乱組織、バロックワークスの一員になっているはずだ」
ああ…とビビは悲嘆にくれて顔を伏せた。
ゾロに助けられて以来、ずっと気丈に振る舞ってきたビビの心が、折れかけている。
「コーザだけが、頼みの綱だったのに…」
「ビビちゃん、ビビちゃんこそどうしたんだい。長く砂の魔王に閉じ込められていたんだろう。逃げ出せたなら、真っ直ぐに王宮に帰ればよかったのに」
やっぱり、とサンジは確信した。
ビビこそは、砂の魔王に攫われたというこの国の王女だ。
だが――――
「俺がこいつを助けたのは、昨日だぞ」
不意に口を挟んだゾロに、トトはキョトンとした表情で振り返った。

「昨日…ですか、ではビビちゃんはどこかに移動を?」
「いいえ、私が王宮から攫われたのは昨日のことなんです」
まだためらう素振りを見せるビビに、サンジは思い切って腹巻の中から出た。
「ビビちゃん、なにもかも最初から、話して聞かせてくれないか?」
いきなり現れた小さなサンジに目を瞠るトトの隣で、ビビは少しずつ事情を説明しだした。




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