砂の国と勇敢な王女のおはなし -1-


快適空間である腹巻の中でまったりとするはずが、サンジは大汗を掻いて顔を出した。
「ぷっは」
見上げれば、いつもと変わらず無表情で前だけ向いて歩くゾロ。
だが、その顎から汗が滴り落ちている。
「あっつい?」
「おう、起きたか」
今まで寝ていて寝汗を掻いたなどと思われては心外だが、事実そうなのでサンジは湿気て絡まった髪を撫で付けながら這い出てきた。
「えーと、ここはどこだ?」
「砂漠だ」
言われるまでもなく、辺り一面見渡す限り砂の海だった。
「間違っちゃ、いないな。うん、確かに地図には砂漠を渡るって書いてあった」
一応軌道修正は必要ないかと、胸を撫で下ろす。
しかし、それにしても暑い。
「砂漠って、暑いんだなあ」
「そうだな」
絵本の世界でしか砂漠を知らない世間知らずと、浮世離れした迷子は砂漠たるものがなんなのか、いまいち理解していなかった。

強烈な日差しで干上がってしまわないように、腹巻で庇を作って中に篭る。
ゾロからの体熱と外気温でもはや灼熱地獄だが、それでも自力で焼けた砂の上をトボトボ歩くよりよほどマシだろう。
「ゾロ、大丈夫か?水飲めよ」
「おう」
どこまで歩いても先が見えず目印もなく、目標も立たない。
ゆらゆらと揺れる蜃気楼は常に先を行き、追いつこうと焦る気持ちばかりを煽った。
「方向は、こっちであってると思うんだがな」
歩くのはゾロだから、乗っているだけのサンジは気が引けた。
いくら人間離れした体力のゾロとは言え、この道行きはさすがにきついだろう。
どこかで休めればいいのだが。

サンジはせめてゾロの喉の渇きを癒せるものはないかと、懐を探った。
だが、自分サイズのものではたかが知れているし、飴の一粒もサンジの頭くらいの大きさがある。
懐から何か出てくる訳もない。
結局探り当てたのは巾着だけだった。
「・・・これ」
アルビダに貰った魔法の薬。
一日だけ、身体が大きくなるという。
これをいつ、どんな時に使ったらいいだろうか。

もし今、ゾロが暑さに倒れて動けなくなったら、その時にこそ使おうか。
小さな自分ではなんの役にも立てないが、人並みの身体になればゾロを助けることができるかもしれない。
そう思うと、ほんの少し頼もしい気分になる。
それとももし、この砂漠を無事抜けて普通の街に辿り着けたなら・・・
どこか、賑やかな街中を二人並んで歩いてみようか。
同じ目線で言葉を交わし、どこかの店に当たり前のように入って差し向かいに座って同じものを食べる。
サンジは店のカップをゆったりと傾け、時にゾロと同じようになみなみとビールが注がれたジョッキをかち合わせてみようか。
ゾロと二人でそうしていたなら、可愛い女の子達も声を掛けてくれるかもしれない。
そうするとダブルデートとか、そういうのも夢じゃない。

そこまで想像して、あまり胸が弾まないことに気付いた。
ゾロと一緒に女の子とデートとか、あまりピンと来ない。
それより、二人で食事をしてそれから宿を探して、ツインの部屋でベッドに横たわりながら一晩中とりとめもないことを語り合ってみようか。
サンジはいつもゾロの腹巻の中から語りかけるばかりだったから、横に並んで話をしてみたい。
ゾロは横になるとすぐに寝てしまうから、頭を小突いたり足を軽く蹴ったりして、寝るのを邪魔してやりたい。
同じ目線で言葉を交わして、時々じゃれ合ってみたい。
そう考えると、なんだかとてもワクワクした。
そしてそれから、ほんの少しドキドキもした。
さっきよりずっと、胸が弾む。

そんな風に、たった1日24時間を眠らないで大事に大切に過ごしてみたい。
普通で当たり前でささやかな、一日を。


「それっていいなあ」
サンジが熱に浮かされたようにぼうっと考えていたら、不意にゾロが足を止めた。
頭上を見上げた拍子に、サンジの頭にぽたりと汗の粒が落ちる。
「どうした?」
「なんか、来る」
あたり一面砂の原で、空はどこまでも青く雲一つない。
が、唐突に東の空に黒雲が現れた。
「なんだあれ、嵐?」
「いや、砂だ」
轟々と地響きを立てながら襲い来たのは、砂ばかりが舞い上がる砂嵐だった。



ゾロの手が、素早くサンジを腹巻の中に押し込んだ。
走って逃げるのは無理と判断し、砂の上の僅かな窪みに身を伏せる。
サンジを潰さないように腹ばいになったから、サンジからは何も見えない。
轟々と、耳を劈くような地鳴りと細かい砂塵の礫を腹巻越しに感じて、サンジは思わずゾロのシャツにしがみ付いた。
それでも外の様子を見たくて、少しずつにじり寄ってゾロの脇腹へと回る。
腹巻の網目を広げれば、真っ青な空にそこだけ絵に描いたような鮮やかな竜巻が舞い上がるのが見えた。
その中心地に、水色の長い髪を見つけ目を瞬かせる。
「人が!人がいる」
「ああ?」
腹ばいになったまま怪訝そうに俯くゾロの脇腹を、力いっぱい蹴った。
「砂嵐の中に女の子がいる、助けろ!」
「んなもん、生きてるわけねえだろうが」
そう言いながらも、ゾロは伏せた状態のまま横目で竜巻を見上げた。
確かに、巻き上がる砂に囲まれるようにしてその中心に力なく項垂れる女性の姿を見つける。
「・・・生きてっか」
ゾロはそう呟くと、自らも浮き上がるように手足の力を抜いて、立ち上がりざま刀を抜いた。
「竜巻!」
自身が繰り出した竜巻を身に纏い、中心地に向かって一気に飛び上がる。
なにもない中空で刀を閃かせれば、一瞬乱れた砂の流れは次に巨大な手の形に集まってすぐさま塵と化した。
「なにっ?」
サンジが腹巻に掴まって見入っている間にも、砂はさらさらと崩れながら風に流される。
いつの間にか旋風のようにちいさな渦に変化した砂嵐は、そのまま砂漠の中を吹き抜けて行った。
「なんだったんだ、今の」
サンジの呟きに頷き返したゾロの腕の中には、気を失った少女が抱きかかえられていた。



「おい、しっかりしろ」
ゾロの手が少女の白い頬を遠慮がちにぺちぺちと叩く。
サンジは「乱暴するな」と注意し、リュックに入れておいた甘酸っぱい木の実を取り出した。
「Bon pettit!」
葡萄の実ほどにも大きくさせて、少女の唇の上でそっと押し潰す。
「・・・ん」
小さく吐息をついて、少女の瞼がふるふると震えた。

「綺麗な、子だなあ」
砂漠の中にいたとは思えないほど、肌理細かい白い肌だ。
水色の髪は長くうねり、強い日差しの下で輝いて見える。
薄絹のような丈の長いドレスに豪華なアクセサリーを身に着けていて、一目でやんごとなき身分の女性と知れた。

色を失った唇に赤い木の実の朱が沁みて、頬にもほんの少し赤味が差したように見えた。
長い睫毛を揺らしながら、ゆっくりと瞳が開く。
少女の肩に乗って覗き込んでいたサンジが、焦点が合うように少し下がった。
「大丈夫?」
「・・・あ」
視線がサンジを捉え、その後ろにいるゾロへと移る。
再びサンジを見るのに、訝しげに眉を寄せて繁々と眺めてから、はっと身体を起こした。
「あの、私・・・」
「怪我はないかい?どこか痛いところは?」
少女の肩に乗ったまま気遣うサンジに、慌てて首を振った。
「いえ、どこも痛みはないです。大丈夫です」
そう応えながらも、無意識にか腕を擦っていた。
よく見ればあちこち擦り剥いて、血が滲んでいる。
「可哀想に、ゾロ手当てしてやって」
「ああ」
だが、場所は砂漠のど真ん中だ。
「せめて、日差しを遮るものでもあればなあ」
「あの・・・」
ゾロの腕に身を凭れさせた状態で、少女は腕を伸ばした。
「今、何時でしょう」
「ん?えっと午後2時を回った頃、くらいかな」
専用の小さな懐中時計を取り出して確認すれば、少女は太陽の位置を確認し「それなら」と口を開いた。
「このまま、西北の方向に歩いていけば、30分もしない内にオアシスに着きます。できれば、そこまで」
「わかった」
サンジを腹巻に仕舞い少女を抱き上げたゾロが、大股で歩き始める。
「西北だって言ってんだろうが」
お約束のサンジの突っ込みが入り、無事軌道修正されて20分ほどでオアシスに着いた。



広大な砂漠の海の中でそこにだけ緑の椰子の木や草が生え、満々と水を湛えた泉があるのは不思議な光景だった。
泉を囲うように簡易の建物が並び、多くの商人が軒下で休憩している。
ゾロは木陰に少女を下ろすと、泉に水を汲みに行った。
その間、サンジは少女の膝に乗って話しかける。
「初めまして、驚かせてごめんねレディ」
「いいえ」
サンジを見下ろし、少女は驚きを湛えた瞳でにっこりと笑いかけた。
頬には擦り傷が付き泥で汚れているが、きめ細かい肌をした美少女だ。
長くうねる水色の髪は、艶やかな光沢を纏いながら腰まで伸びて砂の上で渦巻いている。
薄布に刺しゅうを施されたワンピースを来て、足元は裸足だった。
とても、この砂漠で暮らしている民には見えない。
一日の殆どを屋内で過ごし、肌と髪の手入れを怠らない高貴な暮らしぶりが窺われた。

「俺はコック、さっきの剣士・ゾロと一緒に旅をしているんだ」
「貴方は、ノースからいらしたのですか?」
相手が小さな人とあっても、少女は丁寧な物腰を崩さなかった。
態度に育ちのよさが表れている。
「そうだよ、よくわかったね」
「私はビビ、ナノハナの町に暮らしています。助けてくださってありがとうございます」
「ナノハナって言うと・・・」
サンジは来た道を振り仰ぎ、ゾロが腹巻の中に地図を入れっぱなしだったことに気付いた。
「ちょっと待ってね、今クソ緑が戻ってきたら地図で教えて」
「・・・ク?」
そうしている間に、ゾロが大股で戻ってきた。
布袋一杯に水を汲んで来ている。
「大丈夫か?」
「はい、ありがとうございます」
片膝を着いたゾロの手元からタオルを受け取って、ビビは自分の怪我の手当てを始めた。
「この薬を塗ると傷に効くよ」
「ありがとうございます。あ、とてもいい香り」
「ケンタウロス直伝の塗り薬だから」
自慢げに言うサンジに、ビビは可愛らしく小首を傾げて見せた。
「ケンタウロス?」
「汚れを落としたら、どっか建物の中に入るぞ」
2人の上で日差しを遮っていたゾロが声を掛けると、揃って顔を上げた。
「そうだな、ビビちゃん立てるかい?」
「はい」
ビビは手を着いて立ち上がろうとして、うまく身体を起こせなかった。
熱した砂に当てた手も、目に見えて震えている。
「砂嵐に巻き上げられたんだ、無理もないよ」
ゾロの腕を伝って腹巻に収まったサンジが気遣わしげに言うと、ゾロは膝を折って両手を差し伸べた。
「すみません」
ビビの華奢な身体を横抱きにして、重い水袋を背負いサクサクと歩き出す。
ゾロの二の腕に頬を当て、安堵したように目を閉じるビビの横顔の美しさに、サンジは小さく溜め息を吐いた。



簡易ホテルもあるらしく、間もなく日が暮れるからと部屋を押さえた。
初対面の男と同室に泊まることを、ビビはさして気に留めていないようだ。
サンジの方がなぜかハラハラとしている。
「あの、ビビちゃん。こいつはこういう顔だけど決して怪しいもんじゃないからね。あと俺も、紳士だからね」
「わかりますよ」
慌てるサンジの様子に微笑みを返し、ビビは改めて礼を言った。
「助けてくださってありがとうございました。私はナノハナの商人・イガラムの娘ビビです」
「ナノハナって言うと、ここからは西の方角にある町かい?」
サンジはとてとてと地図の上を歩き、砂漠の西側を指差す。
「はい。ここからは相当離れてるんですが・・・」
ビビが現在地を指差すと、サンジはう〜んと唸った。
「また随分な距離を飛ばされて来たもんだね、すごいなあ」
「んな訳ねえだろ」
長いすに寝そべっていたゾロが、目を閉じたまま口を挟んだ。
「ただ砂嵐に巻き込まれて飛んできたなら無事でいられる訳ねえ。あれは、砂嵐じゃねえだろ」
「え?」
ゾロの言葉にサンジは驚き、ビビは表情を変えなかった。
その変化のなさが、逆にゾロの言葉を肯定している。
「俺が斬撃を放った瞬間、砂が寄り集まって巨大な手ぇみたいなもんが見えた」
「・・・その、通りです」
ビビは観念したように、両手を握り合わせて俯く。
「あれは砂の王、砂漠に棲まう魔物です」
「砂の王?」
「遠い昔から、砂漠に潜む魔物です。滅多に町に現れることはないんですが、たまたま私が行き逢ってしまって攫われたんです」
「たまたま、ねえ・・・」
ゾロは何か言いたそうだったが、それ以上言わずぐびりと酒を呷った。
「でもこうして助けていただいたので、私はこれから家に帰ります」
「これから?一人でかい?」
「大丈夫です、砂漠生まれですから慣れていますし」
「それにしたって無理だよ、しかもこんな遠い道」
そう言うと、ビビはすんなりと細い指を地図の上に走らせた。
爪には薄いピンク色のマニキュアも施されている。

「この、アルバーナという街に親戚がいます。ここから近いですし、明日の朝出発します」
「それでも一人は危険だよ、よかったら俺達が送っていこう」
サンジはゾロに相談もしないで、勝手に決めた。
「どうせ俺達は急ぐ旅じゃないし、こいつは酒飲んでるか寝てるばっかだけどそれなりに腕は立つんだ。ボディガードくらいできるよ」
サンジが指差す先で、ゾロは目を閉じてぐうぐうと寝息を立てていた。
「・・・ああ、まあ。いつもはこんなもんだけど」
呆れて肩を竦めるサンジに、ビビはくすくすと笑いを漏らす。
「ありがとうございます、ではお言葉に甘えて送ってもらいます」
「よかった、それじゃあ明日に向けて早めに休もう」
「はい」

ツインの部屋にはベッドが二つ並んでいて、ビビはその内の一つにそっと潜り込んで横になった。
サンジはゾロを起こそうと思ったが、折角長いすで眠り込んでいるのだからと結局起こさずにその腹巻の中に入った。
ビビは、随分と育ちのいいお嬢さんのようだが、こんな見ず知らずの男と一緒に宿に泊まることに抵抗はないのだろうか。
その辺りが引っ掛かったが、なにせ砂の魔王に攫われかけたのだ。
気が動転しただろうし、命の危険にもさらされたのだから今さら男と泊まるのどうのなんて、問題にしないのかもしれない。
ただ、ビビがどこかしっとりとした眼差しでゾロを見つめるのに気付いて、なぜか胸の奥がつっかえたように重くなる。

慣れない砂漠で、柄にもなく疲れたのかもしれない。
サンジはそう思って、規則正しく上下するゾロの腹にぺったりと頬を付けてそのまますぐに深い眠りに就いた。


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