空蝉 -2-


一夜明けて、巷はフランキーの電撃入籍の噂で持ちきりかと思いきや案外と静かなものだった。
サンジは薄曇の午前中のうちに愛車ナスガシラ1号で買い物に出かけ、同じくスーパーで涼んでいたウソップと顔を合わせた。
「兄貴の入籍の話、まだ大っぴらになってねえ?」
「つか、もしかして俺とお前しか知らねえんじゃねえの」
たまたま居合わせた二人にフランキーがモノのついでにぽろっと話しただけで、他の人には内緒なのかもしれない。
けど、口止めをされた訳ではないから別に話してもいいことなのかもしれない。
というか、自分で言うのは照れくさいからああして話すことでサンジやウソップから他の人に広めて欲しいのかもしれない。
どちらにしろそれは、人選ミスってもんだ。
サンジもウソップも、もちろんゾロも率先して人の噂話をするタイプではない。
しかも結婚なんてデリケートな話題は、いくらおめでたくともおいそれと話せるネタでもないだろう。

「・・・まさか、兄貴の冗談ってことねえよなあ」
「もしくは、願望とか妄想とか」
「ひでえ」
ちゃちゃっと買い物を済ませたサンジと一緒に、ウソップは長居していたスーパーから出た。
「俺、いまからフランキーハウスに行くことになってんだ。10時半の約束で時間潰ししてた」
「なに、仕事の話か?」
「おう、南口にコミュニティハウス建てる話とかで、そのデザインに俺も一枚噛むことになった」
「そりゃすげえ、頑張れ」
ウソップは自由業だから、知らない人が見ると「昼間からブラブラしている謎の人」になっているが、実はその才能を多方面に遺憾なく発揮できている。
こんな田舎に引っ込んで大丈夫かと当初は心配していたサンジだが、いまは実に頼もしく思っていた。
「また、様子見て午後にでも報告に行くよ」
「おう、今日は家で一日ダラダラしてるつもりだから来いよ」
「・・・お取り込み中だったら帰るけどな」
「このクソ暑いのに、それはないって」
―――― 否定しないんだ。
ウソップは引き攣った笑顔のまま、それじゃあと手を振った。



サンジもナスガシラ1号で熱風を切りながら自宅に帰る。
出かけにはまだダラダラと惰眠を貪っていたゾロが、庭で胡坐を掻いて座っていた。
「おかえり」
「ただいま、暑いのになにやってんだ?」
傍らでは、風太がブンブンと千切れんばかりに尻尾を振ってサンジを出迎えてくれた。
しかし颯太の姿がない。
「・・・もしかして」
はっと気付いて正面に回り込めば、やはり颯太が「勘弁してくれ」といった顔付きで、ゾロの足の間に挟まれてがっちりホールドされている。
ゾロの手には、犬用のカットバサミが握られていた。

「散髪中か」
「おう、こら颯太動くな」
動こうにも動けない状態で、酷なことを言う。
珍しくサンジに助けを求めるような哀れな眼差しで見つめる颯太に、サンジも申し訳ない気持ちで一杯になりながら首を振った。
「とりあえず、買ったもん仕舞って来る」
「おう」
台所にとって返し、冷蔵庫にいろいろ詰めた。
そのまま庭に戻れば、先ほどと同じ姿勢でゾロの散髪は続いていた。

颯太は雑種ながら、サモエドの血でも混じってるかと思える風貌と毛の長さをしている。
そのせいか風太よりも暑さに弱く、見かねたゾロが毎年この時期に散髪をするようになった。
最初は普通のハサミを駄目にし、それならばと裁ちバサミを取り出したのでサンジに怒られた。
それからは犬用のカットバサミを買って、それを使用している。

毎年のことなのだから多少腕が上がればいいのに、ゾロは相変わらず適当かつギザギザに切ってしまった。
お陰で、もともと愛らしい外見の筈の颯太が、なんともみすぼらしい犬に変わり果てた。
本人(本犬?)も自覚があるのか、さっぱりしたと喜ぶどころか尻尾を下げて項垂れながらしおしおと風太の側に戻っていく。
「よしよし、これで涼しいだろう」
満足そうなゾロとは正反対に、日陰でしょんもりと俯く颯太を気の毒そうに眺めながら、サンジは切り散らかされた毛玉を箒で履き集めた。
「気の毒に・・・」
「ああ?さっぱりしただろが。やっぱ男は五分刈りだ」
「男前カットじゃねえよ」
本当ならトリマーさんにお願いするのが一番だろうが、生憎シモツキにそんな小洒落た商売はない。

「そろそろ飯にしようぜ。冷蔵庫に冷奴とそうめんと焼きなすの煮浸しがある」
「全部、冷やしといた奴ばっかじゃね?」
「手軽でいいだろ」
冷奴となすはともかく、そうめんまで茹でて冷蔵庫にぶっこんだせいですっかり一塊に固まってしまっていた。
それを流水で解しながら、サンジは手早くつけ合わせも作った。
「あんまり身体冷やしてばっかも駄目だぞ」
「んー」
向かい合わせに座って「いただきます」と手を合わせ、冷たい麦茶で喉を潤す。

「そう言えばさ、兄貴の入籍話」
「んー」
「まだ、いまのところ町の噂にはなってなさそうな」
「そうだな」
家から出てないはずのゾロも、そうめんを頬張りながらウンウンと頷いている。
「さっき、隣に回覧板持ってったけど、おばちゃんもなんも言ってなかった」
「なるほど」
お隣のおばちゃんは噂好きというほどではないが、そこそこアンテナを張り巡らせていて時事問題?には聡い。
そんなおばちゃんなら、こちらから水を向けずともフランキーの話題ぐらいは知っているなら出てくるはずだった。
悪い噂じゃなくておめでたい話なら、なおさら。
「もしかして、からかわれたとか・・・」
「棟梁にか?んなことねえだろ」
フランキーが言うなら、本当のことだ。
「でも、ロビンちゃんがお嫁に来たなら絶対目立つと思うんだけどなあ」
「普通に駅前歩いてても、すぐに噂になるからな」

レテに食事に来てくれたときも、翌日駅前を歩いていたらたちまち人の口に上っていた。
見慣れない美人を見ると、素朴な人々はテンションが上がるらしい。
「ナミさんが来たときも、もしかしてそんな感じだった?」
「おうよ、古くはたしぎが来た時からそうだったな」
ナミの時はお前も一緒だったから2倍だった・・・とは、口にしない。
サンジは自覚もないし、言ったところで「なんで?」と疑問にさえ思わないだろうが、ぶっちゃけものすごく目立っていた。
そういうゾロだって、緑風舎で修行中にやたら注目を集めていたのも無自覚だ。
「まあ、昼からウソップが遊びに来るみてえだから、そん時なんかわかるだろう」
サンジはすぼめた唇でちゅるっとそうめんを吸い上げ、頬に跳ねた汁を手の甲で拭った。



昼ご飯で腹いっぱいになって、そのままごろりと昼寝。
朝寝坊していたゾロは、廊下の突き当たりにある普段使っていない倉庫を開けてなにかゴソゴソとしている。
窓は開けてあるが風がほとんどない。
サンジが冷たい板の間に転がって手でうちわを仰いでいると、ゾロが大股でのしのしと通り過ぎた。
羽目板が、その振動に合わせてぎしぎし揺れる。
掃除機を持って引き返すから、本格的に倉庫の掃除でもする気かと起き上がる。
「なに、このクソ暑いのに掃除?」
「ああ、お前は来なくていいぞ」
「いかねえよ、なんでまたこんな暑いのに・・・」
ぶうぶう文句を垂れつつ、転がったまま仰向いて突き当たりの倉庫を見た。
逆さまに映る、見慣れない光景が新鮮でおもしろい。
が、サンジから見れば天上に当たる開き戸の床に黒い塊を見つけて、目を眇めた。
「・・・ゾロ、なにあれ」
「いや、なんでもない」
ゾロが言葉を濁した。
これは、危険信号だ。

「・・・なにあれ、なに、なにあれあれあれあれ・・・」
見てはいけないと思うものほど、目が吸い寄せられてしまうものだ。
まさに怖いもの見たさ。
そして大概、そういうものは後悔が付きまとう。
「なにそれーっ!」
サンジは起き上がって悲鳴を上げた。
倉庫の隅、なにかの箱にわらわらと纏わりついている黒い粒が動いている。
「アリ?!」
「おう、なんでか知らんがアリが湧いてた」
まだアリならましだ。
なんせありんこだから。
けど、ここまで密集しているとめちゃくちゃ気持ち悪い。

「なんでアリ?なんか甘いもんでも置いてあったのか?」
普段使わない倉庫に甘いもの?
疑問符いっぱいで遠巻きに眺めるサンジの前で、ゾロはぶいぶい掃除機でアリを吸い込みながら元凶となった箱を取り出した。
「・・・アリの駆除薬だな」
「はい?」
確かに、それは対蟻用駆除薬だった。
いつから使ってないのかわからないが、随分と年代モノっぽい。
それがなんで、アリホイホイになったのか。
サンジは恐る恐る、四つん這いになって倉庫ににじり寄った。
「・・・これ、甘いのかな。それとも甘い匂いするとか」
「さあ」
ゾロがせっせと掃除機で吸い取ってくれているが、アリはどこから来るのかあとから後から文字通り湧いて出てくる。
黒い粒々があちこちに蠢いてるのを見て、サンジは身震いした。
「きっしょおおおおお」
「あっち行ってろって、来なくていい」
邪険に追い払われたが、サンジはめげずにキッチンに向かった。
確か、ハーブの匂いで虫を撃退とか何とか言うスプレーがあったはずだ。

ゾロは倉庫の中のものを全部出して、隅々まで掃除機をかけていた。
それでもいつの間にか、壁伝いにアリが列を成していたりする。
「ゾロ、ちょっと退いて」
サンジは及び腰で倉庫に半分だけ身体を入れて、隅っこにスプレーをかけた。
途端に、爽やかなミント臭が充満する。
天井四隅と床四隅、満遍なくスプレーし終えて、息を止めたまま廊下に出る。
「うっへ」
「ぐっへ」
ゾロと一緒に両手を振りながら匂いを拡散させ、しばらく倉庫の様子を見た。
もう、アリの侵入はなさそうだ。
「大丈夫かな」
「しばらくこうやって、様子見とくぞ」
倉庫に入れられていたものはそのまま廊下に放置で、ゾロは元凶となった駆除薬を庭先から外の倉庫の横へと持ち出した。
それに、サンジが掃除機を持ち上げて縁石に置いた。
「これも、外でゴミ捨ててくれよ。中で捨てるなよ」
「おう」
吸い込まれたアリが掃除機から這い出てきそうで、サンジは作業を全てゾロに任せてしまう。
ついでだからと、ゾロは庭で掃除機の掃除まで始めた。
なにもこんな炎天下で暑い時間にと思わないでもないが、ちゃっちゃとしてもらわないと気持ち悪くて仕舞えない。
風太と颯太は、せっかくゾロが庭で作業をしているのに暑さに負けたかがったりと寝転んだきり起き上がりもしなかった。
サンジは昼寝をしそびれて、おやつでも作るかと台所に立っている。
3時ぴったりに、玄関が開いてウソップの声がした。



「うおーい、あっちいあっちい」
ウソップは頭にタオルを巻いて、汗だくで入ってきた。
丁度頃合いだと、部屋は締め切ってクーラーをかけてある。
さっきまで庭で掃除機を掃除していたゾロは、いまは畳の上で大の字になってごろりと転がっていた。
「おつかれー」
「おう涼しいな、快適だ」
ほい手土産と、ウソップが鶏卵を持ってきてくれた。
「さんきゅ、まあ座ってろ」
ありがたく冷蔵庫に仕舞って、代わりに冷やしておいた柚子茶を取り出した。
足でゾロの脇腹を突っついて起こす。
「ウソップ来たぞ」
「・・・んー」
「寝かせといてやれよ」
「まあな、さっきまでアリ退治で大変だったんだ」
「アリ?」
倉庫の顛末を話すと、ウソップが代わりに見に行ってくれた。
「別に、どこにもアリはいねえぞ」
「あ、じゃあやっぱり撃退できたんだな。恐るべしハーブの力」
「つか、なんでアリが寄ってきたんだろうな」
「それが最大の謎だよな」

二人で話しているうちに、いつの間に起きたのかゾロが勝手に柚子茶を飲んでいる。
一気に飲み干して、「お代わり」と言った。



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