空蝉 -3-



「いい打ち合わせできたか」
「おう」
冷えた柚子茶にわらび餅の取り合わせで、ウソップはモグモグ口を動かしながらドングリ眼をサンジに寄越す。
「打ち合わせはまあいいとして、親方の結婚問題だ」
「問題なんだ」
「おうよ、試しにそれとなく聞いてみたら事務所の誰も知らなかった」
「マジで?」
あの、キウイとモズもだろうか。
男性はともかく、女性はそういったことにとても敏感だと思うのに。
「んで、親方をチラッと見たら知らん顔してるから、ずばり聞いてみたわけだ。昨日結婚したよねと」
「おう、おうおう」
「そうしたら、おうよと答えて。それ聞いて例の双子がパニックで」
「ほんとに知らなかったんだ」
「他のスタッフも何事だってんで、あれよあれよって内にオオゴトになっちまってもう」
「・・・よかったのか?」
もしかして、フランキーは内緒にしていたかったのだろうか。
「別によかったみたいだぜ。どうも親方的には自分から言い出すのが照れくさかったみたいだ。下手に言ってもホラ話に思われるかもとか、信じてもらえねえかもとか思ったらしい」
「・・・まあ、わからんでもないわな」
ウソップとサンジの会話を、ゾロはじっと聞いている。

「んで、肝心の花嫁さんはどうしたって聞いたら、もう帰ったって」
「・・・はあ?」
「婚姻届くらい二人で出そうとこっちに来たらしいけど、仕事があるからってそのままとんぼ返りだったと」
「・・・はあ」
「したら、双子がまた騒ぎだして、それほんとのことかとか夢でも見たんじゃないかとか」
「ああ・・・」
「まあ、そう言われたって親方は知らん顔で余裕だったけどな」
「・・・はあ」
ああとかはあとか、言うしかない。
どうにもキツネに抓まれたみたいな話だ。

「言っちゃ悪いけど、ほんとに結婚したのかな」
「お前まで疑ってやるなよー」
「別に、疑ってる訳じゃねえけどさあ」
口の端に黄粉を付けたゾロが、ぼそっと呟いた。
「祝いは、どうすんだ」
「あ?」
「おうそれそれ」
ウソップも同意する。
「昨夜カヤに話したら、ぜひお祝いしましょうって言われたんだよ。一緒にしようぜ」
「そりゃもう」
「だったら、他の奴らにも広めた方がいいんじゃねえかやっぱり」
ゾロにそう言われると、逆に考え込んでしまう。
「そうかなあ」
「たしぎ達だって、祝うなら乗っかりてえだろ」
「うん、まあ」
「でも、ヘルメッポやコビーとかまでだと、あんまり接点ねえよな」
「レテで顔合わせたら話す程度だよなあ」
そもそも、他人が広めるような話でもない気がする。
「ロビンちゃんがこっちに居付いてくれるんなら、なんの心配もないんだけど」
「肝心の嫁さんの姿がないってえと、またいらんことあれこれ詮索されるだろ」
「新婚早々逃げられたとか?」
「偽装結婚とか」
「ひでー」
「でも、ありえるだろ」
陰口や噂話という訳じゃなく、真剣に二人は親方の今後について心配している。

「まあ、急ぐこともねえかな」
話を振っておきながら、ゾロはすぐに撤回した。
「周囲であれこれ言わなくても、あの二人は充分大人だ。頃合いを見て気持ちだけなんか持ってったらどうだ」
「そだな」
「挨拶にでも来てくれると対処しやすいんだけど、そういうのなさそうだしなあ」
先月、集落内で結婚式があった時、隣のおばちゃんが花嫁さんを見に行こうと誘ってくれた。
朝の8時前にいそいそと花婿の家に行けばもう近所のおばちゃん連中が集まっていて、花婿の家から花嫁が出てくるのを今か今かと待ち構えていた。
仏参りを終えた花嫁が扉を開け放たれた縁側に座ると、庭越しに近所の人達がこぞって見物し写メを撮っていた。
思い切り見世物状態で花嫁もただ所在無く笑っているばかりだったが、お披露目としては充分だったんだろう。
綺麗で可愛い花嫁姿を褒められ口々に祝福されて、親戚一動結婚式場へと出発していくまで見送られた。

「・・・あれをロビンちゃんがするってえのは、想像が付かねえが」
「でも、嫁さんの名前入れた蒲鉾は配るだろ」
「お前どんだけこっちに馴染んでるんだ」
ウソップが住んでいる集落は、サンジのところより付き合い方が濃いらしい。
「まあ、しばらく様子見てろ」
ゾロの一言で、その話題は一応の終止符を打った。



翌日、和々に卸に出かけたサンジはそこでフランキーの結婚が話題になっていることを知った。
これはキウイ&モズから派生したものだろう。
さすが女子パワー、恐るべし。

「知ってました?サンジさん」
たしぎが頬を紅潮させて聞いてきた。
眼鏡の奥の瞳もきらっきら輝いている。
「すっごい電撃ですよね、キウイさん達も昨日まで知らなかったって」
「ああうん、俺も一昨日親方から直接聞くまで、知らなかったよ」
「さすが大人ですよねえ。さらっと入籍だけして、クールだわぁ」
「いまどきだねえ」
「ほんにねえ」
おすゑちゃんとおウメちゃんも感心している。
「どんなお嫁さんか知らないけど、別嬪さんだってね」
「そりゃあもう」
「花嫁姿、見てみたいわあ」
「お披露目してくれないかねえ」
田舎にとってお嫁入りは集落挙げての一大イベントだから、俄然おばちゃん達の血も騒ぐようだ。

「なかなか姿は拝めないみてえだぜ、こっちに住んでねえだろ」
スモーカーが葉巻を咥えながら、新聞を捲る。
灰が落ちるから止めて下さいと、たしぎは灰皿を窓際に移動させた。
「あんれまあ、別居婚」
「いまどきねえ」
「また、お二人揃ってレテにお食事に来てくれるかもしれませんね」
「そうだね」
そうだといいなあと、思う。
「もしいらしたら、私もご挨拶したいから呼んでくださいね」
「うん、わかった」
まるで希少種みたいな夫婦だなと、スモーカーが笑っている。



その機会は、案外早く訪れた。
週末に、フランキーとロビンが揃ってレテに来てくれたのだ。
「こんにちは、予約なしでごめんなさい」
カウンター内からすでに、駐車場を歩くロビンの涼しげな姿を見つけていたサンジは自らドアを開けて招き入れた。
「いらっしゃいませ。この度はおめでとうございます」
「ありがとう」
「ありがとうよ」
揃って笑顔で答える姿は、なるほど夫婦らしく見えてお似合いだ。

丁度ランチのピークを過ぎた時間帯だったから、空いたばかりのガラス張りのテラスに案内する。
空調がよく効いて、晴れ渡った田んぼを眺める風景はなかなかに開放的だ。
降り注ぐ陽射しも、適度に配置された観葉植物で遮られ心地よい木陰を演出している。
「このテラス、フランキーさんが作ってくれたんですよ」
ロビンは眩しげに目を細め、幾何学模様の窓を見上げた。
「素敵ね」
「アウッ、スーパーだろぉ?」
サンジは料理を運ぶ以外は、特に二人に話し掛けることもなく仕事に専念していた。
それでいて、さり気なく様子を窺う。
二人はとりとめもない会話を交わしながら、和やかに食事していた。
夫婦らしいといわれればそうだし、ちょっと他人行儀っぽいかなと思えばそうとも見える。
「・・・まあ、お似合いだけどな」
一人で呟いていたら、ドアが開いてコビーとヘルメッポが顔を出した。

「あーあっつい、あっつい」
「お疲れさまです~」
「おう、お疲れ」
最近はパートのおばちゃんにレストランを手伝ってもらっているから、コビーは農作業に専念している。
「ランチタイムは過ぎちゃってますけど、俺お手伝いできることあります?」
「いやいいよ、ありがとうな」
飯食う?と聞けば駅前の食堂で早昼を済ませたという。
「アイスコーヒーお願いします」
「俺パフェ。なんか冷たいもん、てんこもりで」
「了解」
ヘルメッポはタオルで顔を拭きながらがしがし大股で店の真ん中を横切って、お?と足を止め振り返る。
「大工のアニキ!」
「おう」
ヘルメッポは物怖じせず、ずかずかとテラスに入った。
「噂はマジだったんっすか?え、ほんとにこの綺麗な人が奥さん?」
不躾にも程があると、サンジは頭痛を覚えて額に手を当てた。
コビーがその隣で、半笑いしている。
「おうよ」
「ロビンさんでしたっけ、アニキにはお世話になってます」
「こちらこそ、いつもありがとうございます」
如才なく応えるロビンには、妻の風格が見て取れた。
そんな大人な態度のロビンの前で、ヘルメッポは好奇心を隠さない。
「へえ~ほんとだったんだ。いやね、別にアニキを疑うわけじゃあなかったんですが、ほんとに嫁さんもらったのかって、なあ?」
いきなり話を振られ、コビーは引き攣りながらブンブンと首を振った。
「いえ、僕はまったくこれっぽっちも、疑ったりしてませんでしたよ」
「なんだコビー、いまさらいい子ちゃんぶりやがって」
「マジですよ」
軽く言い合いしながら、コビーがヘルメッポの腕を掴んであっちへ引っ張っていこうとする。
その手をかわして、ヘルメッポはこともあろうに椅子を持ってフランキーたちのテーブルに近付いた。
「一緒にテーブル、いいっすか?」
「ちょっとちょっと、ヘルメッポさん・・・」
「おう、いいぜ」
「どうぞ」
二人のOKが出たからと、ヘルメッポはちゃっかり相席してしまった。
仕方なくコビーも、恐縮しつつ空いた席に座る。
サンジは止められなかった自分の不明を恥じつつ、フランキー達のデザートとコビー達の注文を作り始めた。

「いや~一度ゆっくりお話したかったんですよ。結婚されたって噂は聞いてたんですけど、とんとお見かけしない気がして」
「そうね」
厚かましいとさえ言えるヘルメッポの態度にも、ロビンは余裕で微笑んだ。
「あれですか、二人の愛の巣は事務所の3階なんで?」
直球過ぎるぞヘルメッポ!
サンジは内心ハラハラしながら聞き耳を立てていて、クリームを掻き混ぜる手にも自然と力が入る。
「アウ、3階は俺の寝床だがロビンが来てる時はそこで一緒に過ごすな」
「来てる時はって・・・」
「私は基本、東京暮らしなの。いわゆる別居婚というものになるのかしら」
ほえええ~と、心底感心したようにヘルメッポは大げさな息を吐く。
「あれですか、籍だけ入れたけど生活は別ってえ」
「そうね」
ヘルメッポの暴走を止めるべくなんとか口を挟もうとしていたコビーが、好奇心に負けてしまった。
「じゃあ、一緒に暮らしてらっしゃらないんですか」
「そうなるかしら」
「まあそうだな」
フランキーはごつい肘をテーブルに着いて、指先でちょちょいと自分の頬を掻いた。
「ロビンは仕事があるし、気が向いたらこっちに帰ってくりゃいいって、最初から話付けてんだ」
「えー、寂しくないっすか?」
「別に。俺は早くから一人暮らししてっから、不自由なこたぁねえしなあ」
「だって新婚さんでしょ」

サンジはロビンとフランキーの前にデザートの盛り合わせをそっと置き、ヘルメッポの前にはどんとスペシャル・パフェを乱暴に置いた。
「余計なお世話だ、ロビンちゃん達がいいってんならそれでいいんだよ」
「そうですよ、立ち入りすぎです」
二人掛かりで窘められても、ヘルメッポは怯まない。
「だってよう、入籍したっつったら嬉し恥ずかし蜜月じゃねえか。一番ラッブラブな時に離れて暮らすなんて」
「確かにそうね」
ロビンは鋭利な横顔に柔らかな微笑を浮かべたまま、ホットコーヒーを傾けた。
「私がいい想いばかりしているの。仕事を楽しんで、こうして週末を楽しんで。せっかくお嫁に来たのにフランキーのために何もしていないわ」
「別に、俺はなんかしてもらいたくて結婚した訳じゃねえ」
フランキーの言葉は、サンジの胸を軽く突いた。
そうだよな。
お嫁に来たからって、家のことをあれこれ取り仕切らなきゃなんない訳じゃないんだ。
けど、頭でわかっていてもそうはいかないのが現実ってもんで。
田舎ならばなおさら。

「かっこいー」
「んなこと言って、嫁さんもらったのに側に居ないとあれこれ言われるだろ、周りに」
それはお前だと、サンジはトレイの角でヘルメッポの頭を小突いた。
いてえと大げさに騒ぐヘルメッポの脛を、コビーがさり気なく蹴る。
「ご夫婦のことは二人で決めたことです、他人が口出ししていいことじゃありません」
「いってえな、だって気になるだろ」
「いいのよ、こうしてはっきり言ってもらえた方がいいわ」
ロビンは一旦手にしたフォークを、皿に置き直した。




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