空蝉 -1-


店から一歩外に出ると、むわっと息苦しくなるほどの熱気に襲われた。
まるでぬるま湯の中を泳いでいるようで、湿気がまとわりついてくる。
そもそもシモツキは山間部で日陰が多いため県内でも平均気温が1~2度低い土地柄なのに、それでも外気温はすでに35度を示していた。
「あっつ~~~~」
わかっていてもつい、口に出してしまうほどに暑い。

このクソ暑い最中、レテルニテの店の前ではきゃっきゃと賑やかな子どもたちの声が響いていた。
一番はしゃいでいるのは、そこに混じった大人たちに見えるのだが。
「うおーい、一休みしようぜ~」
「おー!」
「待ってました!」
子どもたちと水を掛け合っていたウソップが、上半身裸にオーバーオール姿でブンブン手を振った。
その向こうでは、フランキーがでかい図体に子どもをまとわりつかせたまま立ち上がる。
「クラッシュゼリーと塩アイスだ」
「わーい!」
「おやつおやつー」
「川戸で手を洗ってからな~」

天気のいい日曜日、フランキーとウソップがレテルニテの近くの空き地に簡易流しそうめん台を作った。
そこで流しそうめん大会をするはずが、二人とも凝り性なのが祟ったか永久機関流しそうめんを作り出してしまった。
結果、そうめんそっちのけで水遊びに発展してしまっている。
「みんなー、木陰においで」
店の中はクーラーが効いていて涼しいが、ここまで猛暑だと汗が引かない内に急激に冷えて風邪を引かせてしまう恐れもある。
そう思って、サンジは子どもたちを木陰に集めた。
一緒になってわらわらと駆けてくるウソップとフランキーは、大きな子どものようだ。

「ちゃんと水分取ってるか?こっちにもタオルがあるぞ」
「つめたーい」
「あまーい」
「しょっぱーい」
つるんとした額に汗に濡れた髪をぺったりとくっつけながら、よく日焼けした子どもたちが友達同士でじゃれ合っておやつを食べている。
どんなに暑かろうが、ペタペタ引っ付きたいらしい。

「俺は、おやつ食ったらそろそろ帰るわ。夕飯買い出しして作らないと」
ウソップは頭に巻いていたバンダナを外し額の汗を拭う。
正直、真夏にこのヘアスタイルは見ているだけで暑苦しい。
「そうだな、カヤちゃん具合はどうだ」
「そろそろ退院してもいいんだけどこの暑さだから、もうちょい置いてもらってんだ。カヤは帰りたがってるけどな」
この春めでたく妊娠したカヤは、この暑さと酷いつわりで参ってしまった。
今は入院して点滴を受けている。
「付き添ってなくていいのか?」
「それが、メリーが奥さんと一緒にやってきてさあ。ずっとホテル泊まりで付きっきりなんだよ。俺の出る幕ねえし」
「そりゃ頼もしいな」
カヤは元々お嬢様で、実家の屋敷は今は私設博物館になっている。
そこの館長であるはずの元執事が、カヤの一大事とばかりにシモツキにやってきてしまったのだ。
ウソップとしたら、助かりはするものの疎外感を覚えずにもいられないのだろう。

「けど、カヤちゃんも頼もしく思ってんだろ。ありがてえじゃねえか」
「まあな。別に口うるさい小姑ってわけじゃねえから大歓迎なんだけどよ。つわりが治まって安定期に入ればまたあっちに戻るって言ってくれてるから・・・」
「もうちょっとの辛抱だな」
冷えたコーラを呷るフランキーのサングラスに、きらっと日光が反射した。
年がら年中アロハシャツ一枚に海パン姿のフランキーが、唯一違和感なく見られる季節の到来だ。
ほとんど半裸なのになぜかあまり日焼けせず、色白の大男なのがまた奇妙で目立つ。
「産まれたら産まれたで、また面倒見に来るんじゃねえのか」
「もう、予想できてるぜその展開」
げんなりとするウソップに、サンジは煙草を咥えたままニヤニヤと笑っている。

時刻は午後4時を回り、レテルニテのカフェタイムもそろそろ終了だ。
シモツキの夜は早く、常連の奥さん方は自分ちの夕飯の支度のために4時半には家路に着く。
サンジもそろそろ仕舞わりをして、日が暮れる前に帰ってくるだろうゾロを迎えるため帰宅するつもりだ。
「俺も嫁さん迎えに行くか」
フランキーが太い腕に嵌めた時計を見ながら立ち上がったので、サンジもウソップも「うん」と頷いた。
言ってから「え?」と跳ね上がる勢いで顔を上げる。
「棟梁?いま、なんつった?」
「嫁さん?」
「おう、4時の電車で駅着くんだよ」
嫁さんって誰。
「フランキー、結婚してたのか?」
「お前、妻帯者だったのかよ?」
サンジの叫びに、フランキーはニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「今日からそうなったんだよ。七夕に入籍だ」
「誰と?!」
「誰だと思う?」
質問に質問で返すなんて大人げないが、この表情では該当者が一人しかいない。
「…ま、まさか・・・ロビンちゃん?」
「ご名答」
嘘だーーーーーーーーーっ!!!!とサンジとウソップの悲鳴が木霊した。



ロビンは、オハラ出版という会社で編集の仕事をしている。
ルフィとナミの冒険譚が書籍化し、秋には3巻が刊行される予定らしい。
相変わらず忙しそうにあちこちと世界を駆けずり回っている二人だが、その縁でロビンは度々サンジの店を訪れていた。
店で知り合ったフランキーと意気投合したのかしないのか、むしろフランキーの変態性がいかんなく発揮されたのか単に押しが強かったのか。
過程がまったく不明だが、どうやら二人はめでたく婚姻したらしい。

「なんだよそれ、どういうこと?!」
問い詰めたいところだったが、ウソップもフランキーも時間がないからと早々に片付けて店を後にしてしまった。
サンジはもやもやした気持ちを抱いたまま、カフェの最後のお客さんを丁寧にお見送りして店内を片付ける。
明日は月曜日だから、今夜はゆっくりできるだろう。

夕方とは言え、まだまだ空気は蒸し暑い。
温泉の中を泳ぐように生ぬるい風を切って自転車を漕ぎ、キャンキャン散歩の催促の吠え声に迎えられた。
「よーしよしよし、ちょっと待ってなー」
急いで家の中に入り、網戸を開けて風を入れる。
夕方になって少しは風が出てきたが、それも生ぬるい。
取って返して、尻尾をブンブン振りながら飛び掛かる風太と颯太の綱を外した。
「うっし、ちゃちゃっと回っちまおうぜ」
正しい散歩の仕方などすでに忘れる勢いで、犬に引きずられて田圃を一周する。
日が陰り、ようやく風に涼しさが混じって来た。
犬に連れられて玄関に着いたサンジとほぼ同時刻に、ゾロの軽トラがスモールランプを付けて橋を渡って来るのが見えた。



汗だくになって戻ったゾロをそのまま風呂場に押し込め、その間に手早く夕食を作る。
ここのところ口当たりの良さを求めて簡単なものばかりになってしまっているが、仕方がない。
ナスのカレー丼と冷奴のモロヘイヤ掛け、それに彩り野菜のピクルスを付けた。
ゾロは相変わらず夏を迎えて痩せ狼になってきたが、一応精の付くものは混ぜ込んで食べさせているから夏バテの兆候はなかった。
ビールだけで夏を乗り切ることがなくなっただけマシと言うものだ。

「お疲れ~」
風呂から上がってさっぱりしたところで、缶ビールで乾杯する。
夏場は面倒くさいからと、梅雨に入ったと同時にゾロは髪を短く刈り込んでしまった。
いよいよ芝生っぽいと、襟足から後頭部に掛けてザリザリ触るのがいまのサンジのお気に入りだ。
髪が伸びるのを待たずに梅雨が明けそうな陽気に、ゾロの眉間の皺も濃い。
「今年も空梅雨だったな」
「もう梅雨明けそうだよな、入るのも遅かったのに」
新聞の天気予報欄も、晴れのマークばかりだ。
「なすびときゅうりが小せえ」
「でも豆はたくさん採れるな。あと、今年は人参が立派だ」
「そろそろピーマン尽くしだぞ」
畑の様子をあれこれと話し、それはそうととサンジはタイミングを計って切り出した。

「フランキーの兄貴、結婚したんだぞ」
「ほんとか?」
茶碗を持って飯を搔き込みながら、目を瞠っている。
ゾロも初耳だったらしい。
大体ゾロの情報源は緑風舎で、それも辿ればスモーカー経由のたしぎで、つまりは和々のおばちゃん達だ。
耳ざといおばちゃん達も、知らなかったということか。
「いつだ」
「今日だって、入籍するってことかな」
「随分急だな」
「しかもだ」
サンジは行儀悪く箸で指示し、慌てて手元に置いてから指を立てた。
「相手は、誰だと思う?」
「俺らの知ってる子か?」
「まあ」
ゾロはもぐもぐと咀嚼しながら首を捻った。
「あの、事務所の双子のどっちかか。・・・年は離れてるが」
キウイとモズのことだろう。
「ぶー」
「んじゃあ・・・」
他に該当者が思いつかないらしい。
ゾロは肘を着いたままよそを向いて考え込んでしまった。
フランキーに釣り合いそうな妙齢の女性は、そもそもシモツキに少ない。
そろそろ時間切れかと、サンジは含みを持たせながら口を開く。

「聞いて驚け、ロビンちゃんだ」
「――――・・・」
ゾロはしばし沈黙してから、ああ、と声に出した。
「あの、暗黒女」
「なんだそれは」
サンジが意図したとは違ったリアクションに、ビールを口に含んでむむむと下唇を尖らせる。
あの美人がフランキーの嫁に?!って反応を期待していたのに、そもそもゾロは「ロビン」の名前ですぐにピンと来なかったらしい。
サンジ程とは言わなくとも、せめて人並みに美女に対する興味は持っていてもらいたい。
「あの美女をすぐに思い出さないとは、お前本当に大丈夫か」
「知るか。こっちの人間じゃねえならいちいち覚えてねえよ」
「うちのお客さんだぞ」
「そういやそうだっけか」
ダメだこいつ。
「ともかく、あんな美人がよりによって兄貴の奥さんになるんだってよ」
そこまで言って、ゾロは初めて「ほほほ~~~」と感心した様子だった。
「そりゃ驚れえたな」
「だろ?ビックリだよ」
ようやく自分のペースに戻れて、サンジは勢いよく缶ビールをテーブルに置く。
「しかも七夕入籍って、当日の夕方に花嫁がこっち来るってどういうこった。結婚式は?披露宴は?お披露目とかしねえの?」
「レストランに話はねえのか」
「・・・ねえんだよ」
それがちょっぴり悔しい。
とは言え、フランキーは元々九州の出で仕事でこっちに来て去年から住み着いたから地元民じゃない。
ロビンも都内の出版社に勤めているから、こちらに住民票を移すとは限らない。
「式をするんなら、お互いのどっちかで小規模にするんだろうなあ」
「どこに住むんだろうな。事務所か」
「だよな、兄貴はいまフランキーハウスに住んでんだろ」
遠くからでも目立つユニークな外観の工務店の、三階部分に居住していたはずだ。
「あそこにロビンちゃんも住むのか・・・新婚さんか・・・」
サンジは頬杖を着いて視線を宙に彷徨わせた。
「…新妻か」
でゅへへへへ・・・とだらしなく鼻の下が伸びている。
「明日は、和々も休みだからあれだけど、明後日卸しに行った時でも話出るかな」
「この村は新参者には反応早いし、お松ちゃん達に掛かれば丸裸だろ」
「は・・・ロビンちゃんのは・・・っ」
「なにに反応してんだアホ」
ゾロに軽く頭をはたかれて、なにおうと新聞紙を丸めて応戦する。
パカポカ間抜けな音を立てながら俄かチャンバラごっこを始めた二人を、縁側から風太と颯太が呆れた目で眺めていた。


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