Under the rose -9-




仕事をしている間に、Aから着信があったらしい。
ロッカールームでそのことに気付いて、サンジはうげと声に出して呻いた。
連絡がなければないで不安だが、あったということは、また仕事絡みだ。
電池が危うかったがどうにも気になって、帰り道に掛けてみる。
コール1回でAはすぐに携帯に出た。

「やほ、元気?」
「まあまあ」
相変わらず能天気な物言いに、ほんの少し緊張を解く。
「まずはお知らせ。DVD第2弾、無事発売されました〜」
パチパチと、向こうで手を叩く音がする。
別にめでたいことじゃない。
「即日完売。発売数、倍になったのにね」
「・・・あんまり増やさないでください」
低くそう呟くと、向こうで明るい笑い声が立つ
世間を憚るような仕事内容なのになぜか陰鬱にならないのは、間に立つAの、この天真爛漫さのお陰かもしれない。
「んでね、次の仕事の日程が決まった」
「はい」
―――来た
「また急なんだけど、今週の土曜日。ほぼ一日掛かると思うから、その日は他に仕事入れないでおいて欲しいんだけど」
「わかりました」
不本意だが、サンジの本職はこちらの方だ。
バイトはすべて後回しにしなければなるまい。

「んでもって大ニュースだよ!今回はスポンサーがついたんだ」
「・・・はあ?」
サンジは立ち止まり、あんぐりと口を開いた。
あんないかがわしいDVDに、一体どんなスポンサーが・・・
「ズバリ!大人の玩具屋さん」
危うく携帯を取り落としそうになった。
力を入れて握り締め、本当に残り電池がヤバイことに気付く。
「あの、また詳しいことは帰ってから聞くよ。今電池がヤバイ」
「オッケー、んじゃ後で連絡待――――」
画面が点滅して切れてしまった。
まあいいかと、そのままポケットにしまう。
今度の土曜日と言っていたし、丸一日と言うことは午前始まりだろう。
前回のように10時頃開始かもしれない。
場所は改めて聞かなければならないが、取り敢えず土曜日のバイトは全部断ればいい。

「・・・丸一日も、何するんだろう」
一日中大人の玩具で苛まされるのかと思うと、すぐ傍にある歩道橋から飛び降りたい衝動に駆られた。
だがここは我慢だ。
大丈夫、命までとられる訳じゃない。
仕事仕事仕事・・・
かね金カネ・・・








途中、スーパーに寄り道して夕飯の材料を買った。
仕事の予定が入って食欲はがくんと落ちたが、体力はつけておかなければならない。
体調も万全にと、変なところでプロ意識を目覚めさせながら栄養価を考えて献立を作る。
もう何ヶ月、腕を揮っていないだろう。
自分のためだけに作る料理はどこか味気なく、物足りない。
けれどもう、誰かのために腕を揮うことはない。
一体何処の誰が、男に掘られるような奴の料理を喜んで食べてくれるというのか。

考えればつい気落ちして、サンジは肩を落としながらとぼとぼとアパートへの道のりを歩いた。
まだ時間的に早いが、人通りの少ない道は外灯の光も心許なくて自然早足になる。
錆付いた階段を上り部屋の前で鍵を取り出そうとして、ふとそれに気付いた。
ドアにべったりと白いものがついている。
「なんだ、これ・・・」
緩いノリか何かのようだが、丁度腰くらいの位置からたらりと下部まで垂れていた。
あからさまにあれを連想させて、サンジはぞっとした。
―――気持ち悪い
すぐに拭き取りたいが、正直触れるのも嫌だ。
不用意にドアに触れないようにして、恐々鍵を回した。
ちゃんと鍵は掛かっているようでほっとする。
中に入り電気をつけて、捨ててもいい雑巾を取りに台所へ向かう。

スリッパを履こうとして、また足を止めた。
―――俺は出かける時、スリッパラックに仕舞わなかったか?
なんで、いつでも履ける状態に置いてあるんだろう。
今度こそゾワっと、後ろの毛が逆立った。
その場で立ち止まって、ゆっくりと部屋の中を見渡す。

机の上のもの、台所の食器。
何も異常はないか?
改めて見れば、食器棚のカップの位置が微妙に違うような気がする。
まさかと思いながらも、恐々部屋の中を歩いた。
シンクの生ゴミ入れは、綺麗なままだ。
冷蔵庫の中も開けてみたが、変化はない。
ゴミ箱の蓋を開けて、サンジは「げ」と声を出した。
今朝、出かけにすべてゴミを捨てた筈なのに、中にティッシュペーパーが丸めて捨ててある。
鼻でもかんだのか、それとも何かを拭き取ったのか―――

「うえええ」
明らかに誰かが侵入したと確信して、サンジは己の腕を抱きながら後ずさった。
気持ち悪くて、一秒でもこんなところにいられない
幸い印鑑と通帳は常に持ち歩いているから、この部屋には取られて困るものなど何もない。
サンジは取る物も取り敢えず、部屋を飛び出した。









―――どうしよう
カードと通帳があるとは言え、余分な現金は持っていない。
そもそも引き出せる口座には残額が少ないから、引越ししようにも先立つものがなかった。
明日、明るくなってからもう一度部屋に戻ろうと、買い物のビニール袋を提げたまま当てもなく街に出る。

―――困ったことがあったら、いつでも言っておいで
不意にAの声が頭を過ぎり、そうだと思い立って携帯を取り出す。
だが真っ暗な画面を見て、一気に落胆した。
電池切れだった。
公衆電話を使うにも、そもそもAの連絡先が分からない。
充電できるショップを探すか、それともどこかでコンセントを拝借しようか。
サンジは迷いながら駅に着いた。

行く当てはなかったが、なんとなく路線図に目を走らせる。
そこではたと気付いてしまった。
サンジが以前、助っ人で勤めたチェーン店の最寄り駅は、ここからなら直通だ。
あの会社にZがいるかもしれないと思い当たり、それが妙案のように感じた。
Zなら、Aの連絡先を知っているだろう。
共通の知り合いは、Z以外他に知らない。
PもKもBもLも、何処に勤めているのかなんて分からないのだから。

「よし」
ルール違反かも知れないが、背に腹は変えられない。
サンジは駅の時計を見た。
8時前だ。
もう帰宅してしまったかもしれないが、それならそれで諦めがつく。
取り敢えずZの会社に行ってみようと心に決めて、サンジは切符を買った。







Zの会社らしき場所まで来て、サンジはやや怖気付いた。
近くで見ると、余計立派で綺麗な建物だ。
奥に見える受付嬢は遠目に見てもすごく綺麗だし、そこに至るまでのフロアが広すぎて、とてもあの中を通り過ぎるなんて出来ない。
しかも買い物袋を提げたままで。
なにより、勢いでここまで来てしまったけれど、やはりこれはルール違反じゃないだろうか。
一応素顔と名前まで曝している自分とは違い、Zはずっと無言で通し仮名だし、しかも現役をすでに引退したと言っていた。
それなのに、こんな裏商売の相手がノコノコと顔を出したら困るんじゃないだろうか。
もしも自分が同じ立場だったら、絶対困る。

そう思い直して、会社の玄関を目の前にして回れ右した。
何しにこんなとこまで来たんだろうと、自分のバカさ加減を嘆きながら駅まで戻ろうとして、危うく前から来た人とぶつかりそうになった。
「あ、すんません」
反動で揺れたビニール袋がその人の手の甲に当たって、サンジは慌てて顔を上げた。
「・・・げっ」
そのまま固まってしまう。
目的だったのに、実際には顔を合わせたくなかったZが、そこにいた。


「あ、の・・・」
突然のことで軽くパニックになって、サンジは突っ立ったまま口をパクパクとさせた。
会いに来たはずなのだが、会ってはいけなかったと今更思う。
けどもう会っちゃったんだし、こうなったら仕方ないんじゃないだろうか。
つか、もうどうとでもなれ。
「ごめん、Aの連絡先知らないか?」
サンジはやや声を潜めて、それでも強い口調でZに尋ねた。
Zは無表情でサンジを見返している。
その目はなんの感情も表さないで、サンジを抱いている時と同じ、冷たい色をしていた。
「突然尋ねて悪いと思ってる、けど非常事態なんだ。俺の携帯電池切れちまって・・・急いでるんだ、悪い」
あまりにZの反応がないから、最後の方はどんどん尻すぼみになっていった。
どうしよう、怒らしちまっただろうか。
やっぱり来なきゃよかった。

返事を待たずに逃げ出そうかと迷っていたら、Zの手がすっと差し出された。
手の平に乗った携帯は、呼び出しの表示になっている。
「あ・・・」
反射的に受け取り耳に当てると、Aの声が届いた。
「おうどうした〜?」
いつもの能天気な声にほっとして、それから両手で携帯を抱くようにして声を潜める。
「Aごめん、俺サンジ」
「え?サンちゃんどうしたの?」
AにしてみたらZの携帯からサンジの声が聞こえてきたのだから、さぞかしビックリしたことだろう。
「あの、俺の携帯電池が切れたままで連絡できなくてZに借りた。うん、なんでZのこと知ってるかって いうのは後で・・・うん」
背後に立つZの顔を見るのが怖くて、背中を向けたまま話す。
早く携帯を返さないと悪いと焦り、余計に言葉がつっかえてしまう。
「俺の部屋、アパートなんだけど留守中に誰か入ったみたいなんだよ。気味が悪くて・・・うん。うん、ごめん」
Aはすぐに事態を理解してくれたらしく、取り敢えず会って話そうと待ち合わせの場所を指定してくれた。
「すぐに行くから、そこでじっと待ってるんだよ。大丈夫、俺に任せてくれたら心配ないから。ちゃんと待っててね、すぐに行くよ」
Aの言葉が頼もしかった。
思わず涙ぐみそうになりながら、何度も頭を下げて携帯を切る。
服の袖でごしごしと画面を拭ってからZに返した。
「どうも、ありがとう」
待っていてくれたZに、頭を下げて携帯を差し出す。
もう怖くてZの顔をまともに見られない。

カツカツと快活なヒールの音が近付いて来て、二人揃ってそちらの方へ向いた。
「ロロノアさん」
豪華な毛皮を身に纏った女性が笑顔で立っていた。
Zがすっと、サンジの横から身を引く。
「すまない、待たせたね」
「いいえ、どうかなさったの?」
声は優しいが不審そうな目でサンジを見つめる女性の美貌に、思わずぽーっと見蕩れてしまう。
なんという美女!
「困っていたようだから、手を貸しただけだ」
そう言いながら、Zの手がさり気なく女性の背中に回る。
美女はその広い肩にもたれかかるようにして背を撓らせた。
「そう、ロロノアさんって優しいのね」
「行こうか」
そのまま振り返ることのなく遠ざかる二人の背中を、サンジは呆けたように見送っていた。

「・・・ロロノア、か」
声に出して呟いてから、サンジはAとの待ち合わせの場所へ急ぐべく、踵を返した。






next