Under the rose -10-



待ち合わせのファミレスには、Aの方が先に着いていた。
サンジは息を切らせてその向かい側に座り、来てくれたことに礼を言う。
「いやあ、サンちゃんが無事でよかったよ、荷物はそんだけ?」
デイバッグ一つにビニール袋を提げているサンジにそう声を掛け、メニューを差し出した。
「飯まだでしょ、一緒に食おう」
「すみません」
食欲はなかったが、まずは腹に何か入れなければ力も出ない。
本当は夕食として作るはずだった食材は、ビニール袋の中に入ったままだ。
「それなに?」
案の定、Aが袋を見て聞いてきた。
「今晩の食材、帰ったら料理しようと思ってたのに変なことになってて」
「んで取るものも取り敢えず出てきたって訳か」
うんと頷きながら、自分の慌てぶりが今更恥ずかしくなってきた。
「大げさだよな、こんなこと」
「んなことねえよ、むしろ早く俺に知らせてくれてよかったと思う」
サンジにメニューを見せながらやってきたウェイトレスに適当に注文を告げて、Aはさてと指を組んで向き直った。

「部屋の様子がおかしいと思ってから、そっから持ち出したものある?」
「いや・・・貴重品はいつも身に着けてるし、着替えも何も持たないで飛び出してきちまった」
やはり考えなしだったかと頭を掻くサンジに、Aはいやいやと首を振る。
「正解だよ、今サンちゃんの部屋の中にあるものには、盗聴器が仕掛けられてる可能性とかもあるから、みだりに持ち出さない方がいい」
「・・・え?」
一体何事かと声を上げそうになって、思わず首を竦める。
「なんでそんな」
小声で囁けば、Aも同じように首を下げて囁き返した。
「ぶっちゃけ、ストーカーが湧いちゃったんでしょ」
「はあ?」
なんで俺に?と疑問符全開のサンジに、Aは眦を下げた。
「まったくもう、ほんっとにわかってないなあサンちゃんは。一応君はもうムービースターなんだから、ファンってのがついてんだよ」
「・・・はああ?」
益々わからない。
確かにエロDVDに出演はしたが、それでなんでストーカーなるものが発生するのか。

Aは前方に倒していた身体を起こして、チチチと立てた人差し指を振った。
「今回販売した第2弾は前回より倍の部数で、男女購入比率が4対6になったんだ。もしかすっとこの先半々になるかもね。一応女性向きだったんだけどなあ」
「ってことは、女の子のストーカー?」
「違うっしょ多分。今のところ比率は低いけど少なくはない男性ファンか、アイテム集めて商売にしようって思いついたマニアか」
「なにそれ」
サンジはおぞましさにぶるりと身を震わせながらも、思い当たってああと声を出した。
「・・・確かに、男だろうなあ」
「なんでそう思うの?」
Aに正面から問いかけられて、一瞬言葉に詰まってしまった。
一応扉の様子と部屋の中の状態を説明する。

「そりゃあ、男だね」
「やっぱりそうかなあ」
文房具用の糊で悪戯しただけかもしれないしとか言ってみたが、Aは首を振った。
「どっちかっつうとそれってマーキングだよ。俺はお前の塒を知ってるぜみたいな。多分ゴミ箱の中にあったティッシュの中にも、同じものがくっついてると思うよ」
「止めてくれ」
サンジはテーブルに肘を着いてがっくりと項垂れた。
もう二度と、あの部屋には戻りたくない。
「それだと、食器なんかももう使わない方がいいね。もしかすっと舐めてあるかもしれないし」
「ひいい」
「間違いなく、ベッドの中で一度は寝転んでるね」
「うええ」
「そこでオナったかも」
「ひゃああ」
気落ち悪がるサンジを面白がってか、Aは喜々として具体例を並べてくれた。
余計気分が悪くなる。

「まあ、サンちゃんにとって大事なものが残ってるんじゃなかったら、もう部屋ごと引き払ったらいいよ。俺の方で手配して処分しちまうし。それより新しい住処探さなきゃ」
「・・・それなんだけど」
なんせ敷金・礼金、先立つものがないのだ。
「大丈夫、必要経費は配当金から天引きするから当座の費用は心配ない。俺の方で適当に部屋探して、手続きは代行する」
「いいのか?」
いくらマネージャーとは言え、そこまで頼ってしまっていいのだろうか。
「どうせ保証人とか、あんまり当てがないんでしょ?俺の名義で部屋借りるよ。セキュリティがしっかりしてるとこがいいな」
そう言いながらAはサンジに断って席を立ち、表で携帯を使っていた。

その間に、サンジはAが頼んでくれたセットメニューに箸をつける。
一人だけで生活していた時にこんなことが起こったらどうしたものかとパニックになっただろうが、今はAが話を聞いてくれるだけで頼もしかった。
しかし、そもそもあのDVDに出演しなかったらこんなことも起こりえないかと思い直して、複雑な気分になる。



Aは携帯を閉じて指で大きく丸を作りながら席に戻ってきた。
「手配できたよ、今夜から泊まれる」
「え、すげえな」
ホテルじゃなくて、住む部屋なのだろうか。
どちらにしても家具類などは改めて揃えなければならないだろう。
折角金を稼いでもいらぬところで散財する羽目になったと、ちょっとがっくり来る。
「どうもありがと、助かった。ここんとついてなかったから」
「なに、他にもなんかあったの?」
「実は・・・」
促されるまま、終電の中で痴漢に遭ったことまで話してしまった。
Aは眉間に皺を寄せたが、いつもの軽い口調での慰めは出なかった。
「そっか、やっぱ厄介だな」
「なに、あのおっさんがストーカーだったとか?」
「いやそれは違うだろ。けどやっぱサンちゃんを普通にウロウロさせとくのはリスクが大きいかもしんないな。自分で思ってる以上に一部ではもう有名人だし、熱狂的なファンがいるから」
「なにそれ」
一部で有名人というフレーズだけで、背中に冷水を浴びせられたようにヒヤリとした。
「やっぱり、面が割れてるってこと?」
「会員限定とは言え、不特定多数に見られてるんだ。それくらいの覚悟はサンちゃんにだってあったでしょ」
なんとなくAに詰られた気分になって、膝に両手を乗せて首を落とした。

勿論、自分を切り売りすると決めた時から恥も外聞も捨てた気でいた。
エロDVDに出るんなら誰かのオカズになっても仕方がないと、頭ではわかっている。
けれどそれがイコール、普段の生活をも脅かすことまで考えが至らなかったのも事実で。
「だってよ、なんで男の俺にファンとか付くんだよ。しかもその・・・やられてんのに、女の子とかにモテるとか思わねえじゃん」
「正確に言うとモテてる訳じゃないんだろうけど」
ここで女子の微妙な心理について説くのも不毛だと思ったか、Aは勝手に話を進めた。
「そういう訳で、セキュリティ万全のマンションを押さえたから今夜からそこで暮らして。必要なものとか揃えないといけないだろうから、これ当座の生活費」
そう言って、財布からぽんと10万円差し出す。
「え?これ、いいの?」
「勿論、後で配当金から差し引くから心配なく自分の金だと思って使ってくれ。家賃も配当金から差っ引かれるからそのつもりで。必要経費だと思えば高くはないさ」
「うーん」
さすがにサンジは渋面を作った。
「そもそも金を稼ぎたくてこの商売始めたのに、それで金が掛かるようになるなんて本末転倒だ」
「差し引きすれば、経費なんて微々たるもんだよ。それにもう、自分一人の身体じゃない。はっきり言うけど、君はうちの商品なんだ。迂闊な管理で傷物にされちゃこっちが商売上がったりだ」
ややきつい物言いにサンジは軽く目を瞠り、悄然と項垂れた。
「そう、だな。そん通りだ」
契約して仕事を貰い金を払われるとは、そういうことだ
「ついでだけど、今のバイトはどんなことしてるの?時間帯とか職種とか?」
マネージャーと言うより取調官のような口調に、サンジは気圧されながらも訥々と答えた。

「大体わかった。まず居酒屋とコンビニのバイトは辞めた方がいいね。誰が来るかわからないし、見つかったら目立ちすぎる。次に、缶詰工場は帽子とかマスクとか付けるの?」
「うん、全身白尽くめで眼鏡も掛ける」
「それじゃあ、どこの誰だかはぱっと見わからないわけだ。同僚の年齢層は?」
「多分かなり年配のレディがほとんど、還暦過ぎてるんじゃないかなあ」
着替えは別の場所だし、帰る時に一緒になる人達を見かけるだけだからねと付け加えると、Aは顎に手を当ててウンウンと頷いた。
「じゃあビルの清掃ってのも?」
「それもユニフォームがある。鼠色の作業服に白い前掛け、マスク着用。髪の毛も隠せば誰って区別もつかないなあ」
「んじゃOKね」

そんな調子で掛け持ちのバイトを割り振られて、結果的に随分働き口が減ってしまった。
「随分、時間が空くんだけど」
「なんで?それでも超過気味だよ。大体サンちゃんいつ寝てるの。今までが働きすぎだったんだよ。もっとちゃんと寝てきちんと食べて、栄養つけなきゃ。それに稼ぎが心配なら、短時間勤務で密度の濃い高額時給の仕事をガンガン回したげる」
「はあ・・・」
本来はありがたいはずの申し出が、まったく嬉しくないサンジだ。
「さてとそれじゃ、早速だけど新しい住処に案内しようか」
サンジが食べ終わった頃を見計らって、Aは伝票を取った。
「あ、あのここは俺が払います」
中腰になって手を伸ばすサンジより先にするりと立ち上がり、Aはさっさと会計に向かった。
こっちで持つとか言って、結局Aから借りた金じゃんと思い直し、サンジは渋々後に続く。
ファミレスを出て、Aはすぐにタクシーを拾った。

「前回使ったスタジオ覚えてる?これからも基本はあそこでするから、そこに近い場所のマンションを取ったよ」
「そうなんだ」
Aの口ぶりはさり気ないが、今すぐにした手配にしては素早過ぎると思う。
本当にやり手なんだろう。
でもなんでそんなAが、ポルノまがいの仕事をしているんだろう。
「ところでねえ、サンちゃん」
「うん?」
塒も決まってほっとしたところで、Aがにかりと悪戯っぽく笑った。
「なんでZの携帯から掛けてきたの」
「・・・あ」
忘れていた。

「いや、あのう・・・俺の携帯電池切れで」
「それは聞いた。そうじゃなくて、Zの知り合いだったの?」
「違う違う」
慌てて首を振る。
「すげえ偶然に、Zが勤めてる会社の近くでバイトしたことあったんだ。そんで、ああここで働いてるのか〜とか思って・・・そしたら今回急なこれで、んであれだろ。もう気が動転しちゃってAの連絡先わかんねえし、俺がわかってるのって、Zの勤め先だけだったから」
しどろもどろで説明するサンジを、Aは両手をポケットに仕舞ったまま半眼で見ている。
「へえ、そんな偶然あったんだあ」
平坦な棒読み台詞で、サンジは余計焦った。
「ほんとだって、マジ偶然なんだって気が付いたの。その前にAに、Zは会社員って聞いてたから余計納得して印象に残っちゃったんだよ」
説明すればするほど言い訳じみるようで、サンジは変な汗を掻いてしまった。
でもなんか、Aに誤解されてる気がする。
これじゃあ今度は、サンジがZのストーカーしてるみたいじゃないか。

「まあいいや。それで当たって砕けろでZの勤め先に行ったと」
「行ったけど、すぐに後悔した。だって俺がツラ出せる場所じゃねえもん。Zだってものすごく迷惑だったと思う」
「そうだね」
あっさりと肯定されて、今更だけどガンと来た。
やっぱり、自分の取った行動は非常識だったか。
「前にも言ったと思うけど、Zは一旦引退した身だからプライベートに関わられるのをすっごく嫌がるんだ。それくらい、サンちゃんだってわかるでしょ?」
「うん」
サンジは俯いて頷いた。
「なのに結局、頼んじゃったんだ」
「会社の前まで行って、引き返したつもりだったんだ。けどぶつかっちゃって、その相手がたまたまZで」
「んで、当たって砕けたと」
「そう」
両手を膝の上に乗せて、サンジは神妙に頭を垂れた。
「ごめん」
「そりゃ、俺に謝ってもらっても困るっしょ。Zがどう取るかだけど、俺にはわかんないし」

Aと話していて何度か気付くのは、定まらない距離感だ。
気さくな口調と笑顔でとことん甘やかせるように見せてその実、突然、突き放したような物言いをする。
それでいて、困ったときにはいつでも力になるよと囁かれ、実際にものすごく頼りになる。
けれど、油断出来ない。
何を考えているのか分からないし、いつも笑顔を絶やさない表情の中で瞳だけは一度だって笑っていない。

すっかり打ち沈んだサンジに、Aは笑い声を立てて背中を軽く叩いた。
「って、ごめんごめん。そんなに凹まないでよ、ちょっと脅しすぎた。冗談だってば」
そう言って肩を寄せ、腕を腰に回してぎゅっと抱き締めた。
「まあ、Zは最初のうちだけって予定だし、今あいつに仕事投げ出されたってうち的には支障がないんだから、サンちゃんが気にすることないよ。なんせ非常事態だったんだから」
そう言われて、サンジは益々青褪めた。
やっぱり相手がZなのは最初の内だけなのか。
今回のことがあって、もしかしたらもうZは撮影に来てくれないかもしれない。
そうしたら――――



「ほら着いたよ、ここだ」
タクシーが止まって、我に返った。
Aはさっさと車を降りて、サンジが降りるのを待っている。
案内も支払いもすべて任せてしまったのは心苦しいが、もう開き直ってすべてを頼るしかない。

「11階の32号室。こっちが鍵で暗証番号はこれね」
テキパキと指示されて、サンジは呆気に取られた。
「ええと、管理人さんとか書類とか申し込みとかは?」
「必要ないよ、実はこの部屋知り合いが借りてるものの一つなんだよね。しばらく使ってなかったからちょっと埃っぽいかもしれないけど、一応家具は一通り揃ってるから」
なるほど、部屋の中を見ればまるで学生寮のように必要最低限のものが置いてある。
「テレビとか欲しかったら、自腹で買ってもらうしかないけど」
「いいよ、そんなん必要ねえし」
台所用品なんかは、必要に応じて自分で揃えよう。
ただっ広いフローリングに備え付けのクローゼット、壁紙も天井も無地で華美ではないが清潔感がある。
布団はないがベッドもあって、ラグとローテーブルを買えばちゃんとした部屋になりそうだ。

「いいの?ここ俺が使って」
「うん。今晩寝るのに毛布もないのはちときついかなあ」
「大丈夫だ。雨露が凌げればそれだけでありがたい」
「またまた〜大げさなんだから」
ぱしんと肩を叩くAに、サンジは曖昧に笑って見せた。
本当に、屋根のある場所に寝られるだけでラッキーだと思う。
こんな部屋は、元いたアパートとは比べ物にならないくらい立派で高そうだ。
家賃を聞くと飛び上がってしまうかもしれない。

「一応、契約書の写し一式ね。今度の仕事までバイトは全部キャンセルして、外出も極力控えるように。どうしても出かけなきゃならないときは帽子にマスクは必需品だよ」
「そんな、芸能人みたいな」
「そん通り、もうサンちゃんは有名人なんだから、自覚と備えを持ってて」
有名人の辺りが胸に痛い。
別の意味で有名人だ。
決して誇られる職業じゃない。
「まあ、もう寒いからマフラーぐるぐる巻きとかしてどんだけ着込んでも怪しくない季節だよなあ。ほんとに、用心してね」
Aは人差し指を立てて念押しすると、それじゃあと部屋を出て行った。

「今度の土曜日、こないだのスタジオに午前10時集合。よろしく」
「よろしくお願いします」
神妙に頭を下げて、顔を上げたときにはもう扉は閉まっていた。



なんとなくがっくりと力が抜けて、上がりかまちでそのまま蹲る。
なんだか怒涛の一日だった。
目まぐるしくコトが起こりすぎて、現実感が伴わない。
だがこうしていても始まらないと、サンジはよろよろと腰を上げて台所へ行った。
備え付けのシステムキッチンと、小さな冷蔵庫がある。
助かったと中を開けてみて、空っぽな棚に冷気がないことに気付いた。
裏を探り、コンセントを差し込む。
静かだった部屋の中にモーター音が小さく響いて、サンジはようやくここがこれから自分の住処になるんだと実感できた。





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