Under the rose -7-




死ぬ思いで、なんとか後処理を済ませてトイレから出たら、予想通りそこにはAしか残っていなかった。
「みんなは?」
「Pは次の仕事。BとLとKは事務所帰って、早速編集作業に没頭してる。第一段もすげえノリノリで作業入って、異常に早く仕上がったんだよな。サンちゃん主役に据えると次の企画のインスピレーションが沸いて沸いて、もう大変」
「はあ…」
誉められても嬉しくなくて、サンジは複雑な表情で頷いた。
「さて、と。ここのレンタル時間も切れそうだし、そろそろ引き上げるか」
「あ、はい」
サンジとしては、やられたら仕事は終わりな訳だから、長居している理由はない。
「それじゃ、俺もこれで」
「あ、ちょっと待って」
Aは上着を持つと、サンジを引き止めるように手を振った。
「時間あったら下の茶店に付き合ってくれない?昼飯食おう、奢るよ」
時間がどこまで押すかわからなかったから、バイトは夕方からしか入れてない。
確かに時間はあったし、今のうちに食事は済ませておいた方がいいだろう。
内臓を散々引っ掻き回された後だから、食欲はなかったけれど。
「んじゃ、行こうか」
Aに促され、サンジはその後に付いていった。



古びた喫茶店でランチを頼み、Aの了解を取って煙草に火を点けた。
禁煙でないのはありがたい。
テーブルに肘を着いた拍子に、袖がずり落ちて手首が露わになった。
そこに縛られた跡を見て、ぎょっとして手を引っ込める。
幅広の布で緩く戒められていただけだったから傷ついたり痣が残ったりするようなものではないが、まだしばらくは痕が消えそうになくて、両手を擦り合わせるように無闇に袖口を引っ張った。
先程までの醜態を思い出し、自然と頬が熱くなる。
正面に座ったAは、そんなサンジに気付かぬ素振りでペラペラのメニューをひっくり返していた。
「あの、Aは仕事・・・いいのか?」
間が持たなくて、つい詮索するようなことを聞いてしまう。
Aはうん?と口元を閉じたまま引き上げて、茶目っ気のある表情で顔を上げた。
「ああ、俺はLに『喋り屋』としか呼んで貰えない程度の存在でね。交渉とか手配とか、そういうのを主にやってるわけよ。今日みたいに撮影が終わったらお役御免だし。それよかこれからは、サンちゃんのマネージャーになろうかなあと思って」
「は?」
「多分、これから色々困り事とかも発生してくると思うしね。なんせサンちゃんは今回の企画の主役なんだから、プライベートな面でもサポートして行きたいと思う」
そこまで言って、少し不安げに視線を揺らした。
「迷惑かな?」
「いや」
面食らったが、サンジ側としてはありがたい話なのかもしれない。
何せ右も左も分からない仕事内容だし、これから発生するであろう困り事というのも今ひとつピンと来ない。
「全部任せるってことで契約したんだから、俺から言うこと何もねえよ」
「契約・・・って、ああいうの契約の内に入るかなあ」
Aは他人事みたいに苦笑した。
確かに、ぺらりとした書面に「すべて同意します」と書いて印を押しただけだ。
そもそもサンジは、契約内容だってろくに目を通していない。
ただ、まとまった金がすぐに手に入ればそれでよかった。
実際、それなりの仕事が回ってきてちゃんと支払われているのだから、この仕事にありついたのは幸運だったといえる。
「そう、そうだね。じゃあ今日から俺マネージャーだから、何か困ったこととかして欲しいこととかあったら、なんでも連絡してよ。特に用事がなくても、気が向いたときにでもいつでも出向くよ」
よっぽど暇なんだなと思ったが、口には出さなかった。

そうしている間にランチが運ばれてきて、しばらく黙って食事に没頭する。
Aは旺盛な食欲を見せて、口いっぱいに頬張っては実に美味そうに咀嚼していた。
一人前では足りなさそうで、すぐに追加注文する。
「大食らいでごめんね」
「いや、美味そうに食べるから見てて気持ちいいぜ」
内臓の不快さは随分と薄くなったがそれでも食欲はあまり湧かず、サンジは鳥が餌をつつくように少しずつ箸を動かした。

「Aは、なんで俺が他に仕事してるってわかったんだ?」
サンジはAのことも他の皆のことも本名はおろか、どんな職業なのかそもそもなんという会社なのか何一つ知らないのに、Aには何もかも見透かされているような気がする。
だからその不安を、直接言葉にしてぶつけてみた。
表に出せない仕事をしているとは言え、この先もしばらくは付き合わなければならない相手だ。
不信な要素はなるべく取り除いておきたい。
「この仕事で俺、結構稼いでるんだから、普通、別に仕事も持ってるなんて思わないだろ?」
「うん」
追加のランチを口に運びながら、Aは頬袋を膨らませて大きく頷く。
「確かに、遊ぶ金欲しくて裏ビデオに出ようなんて思ってるんなら、真っ当な職に就いてない可能性も高いけど、サンちゃんには実はのっぴきならない事情があるんだろ?」
さらっと返されて、つい押し黙る。
「だから、例えばバイトの掛け持ちとかしながら、この仕事も引き受けてる。大方そんなとこじゃないかな」
サンジはランチのパスタをフォークでクルクルと掻き混ぜた。
まったくもって、仰るとおりだ。
「別にサンちゃんのこと調べたりした訳じゃないよ、ちょっと考えればわかるって。大体、裏とは言え掲示板に堂々と『内臓売ります。19歳男子、健康』なんて、乗せるような子に、事情がないわけないじゃないか」
「・・・うう」
恥ずかしくなって、サンジは益々俯いた。

そうなのだ。
パニックになってどうしたらいいかわからなくて、咄嗟に闇サイトの掲示板にそう宣伝を打ったのだった。
とにかく、手っ取り早く現金が欲しかった。
そうしたらコンマ数秒でレスポンスが来た。
それがAで、すぐさま書き込みを削除したから、A以外の人間とは連絡を取っていない。
「ものすごい偶然っちゃあ偶然だったんだよなあ。俺別の用事であの掲示板見てたら、目の前でそんなのUPされたっしょ。こんなことほんとにあるんだあと思いつつ、そこまで思い詰めてんのはどんな子だろうと興味が湧いて、そんで連絡取ったんだよな」
Aは頬にケチャップをつけたまま、しみじみと言った風にため息をつく。
「んで、写真送ってって言ったらすぐ写メ送ってくるし、もうちょっとさあこう・・・人を疑うとか用心するとか警戒するとか、世間ってモノを知ってから行動した方がいいと俺は思ったね」
「・・・ごめん」
何故か説教モードに突入してしまった。
「何度も言うけど、最初に見たのが俺だったからよかったんだよ、ほんとに闇売買する奴とか、もっと悪い商売考えてるプロの人達とかに見つかってたら、いいカモだったんだから。カネなんて支払われずに身体だけ使われてポイってのが相場なんだから」
「うん」
首を竦めながらも、でも今の状態だってまともとは言えないだろうとちょっとは反抗心も芽生えたりする。
なんせエロDVDに出演しちゃってたりするのだ。
これも結構な裏商売のはず。
客観的に見て、相当悲惨な当事者になっているはずなのに、サンジの中に不安や恐れはそれほどなかった。
元々内臓を切り売りするくらいの覚悟で売りに出した身体だからか、それともAをはじめ関わる人間全てが、意外と事務的でプロ意識を感じさせる相手ばかりだったからか。

「まあ、うちだって偉そうなこと言えないけどね。未成年者相手に淫行して、そのDVD売っちゃったりしてるけど」
サンジが思った通りのことを、そっと声を潜めて悪戯っぽく囁く。
「内臓を売ろうって覚悟まであるようだったから、うちの仕事に誘ったんだよ。勿論、撮影内容は今まで通りって訳には行かない。物事ってのはエスカレートしていくもんだ。わかるかい?」
柔らかな物言いとは裏腹に、Aの瞳はひどく澄んで冷たい色を湛えていた。
その目を見返して、サンジはこくりと素直に頷く。
「今日まではまだ2回目だから、ほぼ真っ当なSEXだったけど、この先もそうとは限らない。相手もZとは限らないし、複数になったり道具や器具も使われる。人間相手じゃないこともあるかもしれない。そしてこの先に待ってるものは、ハードSM、スカトロ、フィスト、その後は・・・」
問いかけるように言葉を止めたAに、サンジは青褪めた表情のままこくりと頷いた。
「四肢損壊、それか顔面破壊、解体―――」
グラスを口に付けたままAは小さく口笛を吹いた。
「勉強した?」
「・・・ちょっとは」
出演するのがAVだと知ってから、ネットカフェであれこれと検索を掛けてみた。
おどろおどろしい話がたくさん出てきたけれど、サンジにとって裏の世界は闇そのものでひどく非現実的だ。
この先自分が当事者になることも、今ひとつピンと来ない。
現実に、すでに主役としたDVDが発売されていると言うのに、この危機感のなさはなんだろう。
「でもなんか、他人事だね」
「そう、だな」
すっかり食欲を無くしてしまって、サンジは冷えたカップを両手で抱えるようにしてコーヒーに口をつけた。
冷静な態度とは裏腹に、指先がひどく冷えている。

「なに、もう食べないの」
Aがフォークの先で残ったランチを指し示すからウンと頷く。
「俺、食べちゃっていい?」
「え、いいけど」
びっくりして軽く目を瞠った。
一応、仕事を一緒に?しているとは言え、そう親しくもない赤の他人の食べ残しが平気なんだろうか。
それとも、物凄く腹が減っているのか。
「それじゃあ、いただきます」
Aは皿を引き寄せて、遠慮なく食べ始めた。
その様子を眺めながら、もう1本煙草を取り出す。
「はんはんはあ・・・」
「なに?」
口いっぱい頬張ったまま話そうとするから、煙越しに顔を顰めた。
「サンちゃんさあ、自分大切じゃないの?」
Aの素朴な問いに、サンジは鼻から煙を吐いただけだ。
「まあ、自分大切な子はこんな無茶しないよね」
一人納得して、場を執り成すようにニカリと笑った。
癪に触るが、憎めない男だ。

「みんなこの後仕事ってのはわかったけど、Zは?」
サンジは世間話でもするように話を振ってみた。
確か先ほどの会話の中に、Zの話題は出ていなかったと思う。
気にしていると思われるのはムカつくが、気にならないわけじゃない。
それとも、Lが言っていた通り彼は本当に「ヤル」だけの役割なのだろうか。
「ああ、Zも仕事。午後から入ってたから撮影を午前中に回したんだよ」
Aはそう言って手を挙げ、コーヒーのお代わりを頼んだ。
「撮影が土日とかになるのは、全部Zのせいなんだよな。一応会社員だし」
「―――は?」
サンジは唇に煙草を引っ掛けたままポカンと口を開けた。
一拍置いて、どええええ?と裏返った声を出す。
「か、会社員?Zが?サラリーマン?」
「しー、声が大きい」
さして慌てるでもなく、Aは人差し指を立てて片目を瞑って見せた。

「元々AV出演は本職じゃないんだよ。切っ掛けは大学時代に急遽出られなくなったAV男優の代わりを努めたってえ話だけど、そん時天賦の才と言うか、天然でテクニシャンってのがわかっちゃったんだよなあ。以来引っ張りだこ」
「・・・はあ」
サンジは短くなった煙草を揉み消して、冷めた水をごくりと飲んだ。
「だからZとしたら、いつまでもバイト感覚なんだよなあ。遅刻は平気でするし、自分の都合に合わせてスケジュール変えても知らん顔だし。めっちゃ扱いにくくて協調性なくて非協力的なんだけど、Zじゃないとやだって子も多いし」
羨ましいような、腹立たしいような。
「んで、3年ほど会社員と二束の草鞋を履いてたんだけど、AV界からすっぱり足を洗ったのが3年前。今回、俺が無理言ってサンちゃんと引き合わせたんだ。だから、Zにとっても凄く久しぶりの“仕事”なんだぜ」
「そう・・・・なんだ」
なるほどそれなら、あのやる気のない態度も納得できる。

「なんで今回、Zを復活させたんだ?」
その疑問は最もだと、Aは熱いコーヒーを飲みながら頷いた。
「だって、サンちゃん口では虚勢張ってたけど誰が見たってズブの素人で、しかも相当オクテだってわかったもん。それなら最初から上手い奴のがよかったしょ?それに、Zが男相手でも才能を発揮できるのか見てみたかったし」
「え?」
またまたびっくりだ。
「Zって男専門じゃねえの?」
周囲を見回してから、そっと声を潜めた。
「違う違う、男相手はサンちゃんが初めてだよ。まあ結果的に、男でも女でも変わらないってことが判明したけどね」
「・・・そうかあ」
サンジはなんとなく複雑な想いでグラスに口を付けた。
傾けてみて、もう水が入ってないことに気付く。
「あ、お代わり貰う?」
気付いたAがすかさず手を挙げようとするのを制し、煙草をポケットに仕舞った。
「いやもういい、そろそろ行く」
「そだね、んじゃここは俺が」
Aが伝票を持ってくれるのに甘えて、ご馳走様でしたと頭を下げる。

「また次の企画が決まったら連絡するよ。サンちゃんからも、何かあったら遠慮なく知らせてね」
そう言いながら手を振るAに軽く会釈して、サンジは喫茶店を後にした。





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