Under the rose -20-





「お疲れさん」の一言で、サンジの拘束は解かれた。
縛ったときと同じように手際よく解いていくRの手の動きを眺めながら、サンジの胸を占めるのは安堵より喪失感だ。
終わってしまった。
これで全部。
Zとの撮影は、すべておしまい。

ベッドに四肢を投げ出して横倒しのまま、差し出されたストローで水分を補給した。
身体を起こそうにも手足に力が入らない。
ようやく閉じることが許された両足の間はぬるついて、あちこちがジンジンと疼いている。
「シャワーついてるといいんだけどね」
助け起こそうと手を伸ばしたAの前に、Zが割って入る。
無言のまま抱き上げ、トイレへと運んでくれた。
Zの肩越しにAを振り返れば、目を丸くして口元を小さく尖らせている。

「指図される前に自分で動くなんて、初めてじゃね?」
「いいじゃないの、最後くらい」
持参した花を手早く片付けて、Pはそれじゃお先にと帰り支度を始める。
「次の仕事の前に一旦帰って着替えるわ。濡れちゃった」
ぶほっとコーヒーを噴くAにウィンクを返し、しゃなりしゃなり腰を揺らしながらスタジオを後にする。
「それじゃ俺も」
商売道具を仕舞ってRも腰を上げた。
「お前の仕事は弁当の一つも出ねえからつまらん」
「突貫が多いモンで」
へらりと笑って優雅にカップを傾けているのはA一人だ。
BとLはさあ戻って編集だと浮き足立っているし、Kも片付けに忙しい。
「また次のがあったら呼んでくれ。今日のはよかった」
「機会があったらな」
去っていく長身にひらひらと手を振る。

トイレのドアが開いて、Zに抱き上げられたサンジが出てきた。
まだ歩くのが覚束無いのか、大人しく姫抱きのままだ。
「手足の感覚戻るの、もうちょいかかるかもな。大丈夫だった?」
サンジは血の気の引いた顔でコクコクと頷いた。
排尿した時少し血が混じっていてビビったが、後処理はZがしてくれたし他に問題なさそうだ。
こんなことで怖気付いてたら、この先やっていけない。
「派手に痕ついちゃってるけど、3日もしたら消えるから」
言われて初めて、自分の身体を見下ろした。
なるほど、肌の至る所に赤い線がくっきりと残ってまだ赤紐で括られているみたいだ。
どこをどう縛られていたのか一目瞭然で、急激に恥ずかしさが湧いて出る。
「今は赤いけどその内青くなって紫になって、黒くなった時が一番グロいかも〜。記録写真撮る?」
―――もうどうにでもしてくれ
不貞腐れて答えないサンジの頭を、ぐりぐりと掻き混ぜる。
「冗談だって、次の仕事までまずはゆっくり休んでよ。つか、今も休んだ方がいいな」
「お先―」
BとL、それにKが連れ立って出て行った。
それに片手だけ挙げて応じ、何の話だったっけと振り返る。
「ああそうだ、このスタジオ5時まで取ってあるからそのまま休んでてもいいよ。どっちにしろマンションに帰るのはタクシー使った方がいい。一緒についててやりたいけど、あいにく俺も急な仕事入ってさ」
どうする、今タクシー呼ぶ?と聞くAに、サンジはだるそうにZに凭れたまま頷いた。
そこにZの声が割って入る。
「俺はこの後フリーだから、ここに残ってもいい」
その言葉に、サンジよりAの方が驚いた。
「え、マジ?つか、え?」
よほど意外だったのか、言葉がつっかえている。
「こいつが回復したらタクシーに乗せる。そんでいいだろ」
「それはまあ」
上出来だけどと呟いてから、にやんと人の悪い笑みを浮かべた。
「そうかそうか、うんそれなら俺も安心だ。んじゃ任せたよZ」
あ、でも・・・と人差し指を立ててオーバーアクションで振り返った。
「マンションまで送るとか言って送り狼にはなんなよ。そのまま帰って来れなくなるから」
迷子決定―と笑うAに「心配はそっちかよ」とサンジが小声で突っ込む。
「うんまあよかったよかった。最後のご奉公だよな、サービス残業くらいしろっての」
急に上機嫌になって、Aは鼻唄交じりで荷物を担ぎ上げる。
「これスタジオの鍵。手続きは先に済ませとくから、事務所に鍵預けて撤収ね。5時の時間厳守、延長は自腹。OK?」
黙って頷くZから、まだぼんやりしているサンジの顔へと視線を走らせて、目の前で掌を振る。
「まだ夢見心地って感じだな。頑張れよサンちゃん」
健闘を祈る!と檄を飛ばしてから、Aも扉の向こうに消えた。






スタッフが去った途端、部屋の中が静けさに包まれた。
外の音は何一つ聞こえない、密封された世界。
どんとしつらえたベッドの上に未だ全裸のまま座っていることに気付いて、サンジは急に慌てだした。
四つん這いになってベッドから降りようとして、バランスを崩す。
顔から床に落ちかけて肩を捕まれた。
猫の子のように抱えられ、またベッドの上に下ろされる。
「何してんだ」
「・・・服」
今更なのに、腕を前で交差させて無意識に身体を隠そうとした。
「ああ」
今気付いたと言う風に、Zが腰を上げる。
弾みでスプリングが跳ねて、サンジは座ったまま転がった。
何してるんだと自分でも思うが、思うように手足が動かないのだ。
「・・・なにしてるんだ」
案の定冷たい声で、上から見下ろされた。
サンジは恥ずかしいやら腹が立つやらで耳まで真っ赤に染めながら、寝そべったまま睨み返す。
「起き上がれねえんだから、仕方ねえだろ」
「ならそうやって転がってろ」
畳んであった服を、無造作にサンジの上に放り投げる。
顔を服で覆われてぶはっと声を上げながら、サンジはだるそうに腕を動かしてポケットを探った。
腹の上に服を乗せて、取り出した煙草に火をつけ仰向けのまま吹かす。
「はー・・・生き返る」
枕元にまたZが腰を下ろした。
ベッドが沈んで逆さまになった感触が甦り、少し気分が悪くなった。
「お前こそ、チャカチャカ動くな」
「ああ」
素直に返事したZは、手を伸ばしてサンジの煙草から1本拝借した。
片足だけ胡坐を掻いて、慣れた仕種でくゆらせる。
「・・・煙草、吸うんだ」
「美味いもんじゃねえな」
咥えたまま顔を顰める、初めてのガキ臭い表情にサンジの胸は勝手に高鳴った。
動揺を悟られたくなくて、煙草を咥えたまま横を向く。
「焦げ跡付けんなよ」
「わかってる」
自然、受け答えがぶっきらぼうになるのにZは気にする様子もなくぼうっと煙草を吹かしていた。
身体がだるすぎてこのまま寝てしまいそうだが、眠りたくはない。
こうしてZと二人きりで過ごせるなんて初めてで、たぶんこれが最後。
勿体なくて、寝てなんていられない。

「あのさ」
「うん?」
「なんで、居残ったんだ」
Zはちらりとサンジを見下ろしてから、空き缶に煙草を揉み消した。
「俺、携帯灰皿持ってんのに」
「お前さあ」
Zの口ぶりはぞんざいだが、妙な馴れ馴れしさを含んでいる。
それが今はなんだか嬉しい。
「この前、駅にいただろ」
「え」
どきんと、心臓が跳ねた。
「気付いてたの、か?」
「ああ」
いくら察しがいいっつったて、良すぎるんじゃね?
つか、どこに目つけてんだこいつ。
「別に姿を確認したわけじゃねえけど、前からお前らしいの来るなとは思ってたんだ。したら急に方向変えて階段下りるし、と思ったら柱の影に隠れたろ」
「わあ」
バレバレですか。
サンジは携帯灰皿に吸殻を仕舞ってから、あーあと片手で顔を覆った。

「つか、なんでわかった?」
人通りは多かったはずだ。
「知るか」
それは、あれだろうか。
サンジが、ちゃんとZと確認しないでも気が付いたのと、同じことだろうか。
「こっちもまんまと柱の反対側に立ち止まったしな。お前が飛び出て来るんじゃないかと思ってたんだが」
「そこまでバレてんの?」
肘をついてガバリと身を起こす。
だいぶ動けるようになって来た。
「気配がした」
なんでもないことのように言われ、ああ〜とまたしてもベッドに倒れ伏す。
「すぐにも飛び出そうって身構えてただろ。なのに結局お前は来なかった。なんでだ」
「なんでって・・・」
サンジは寝そべったまま口ごもり、はたと顔を上げた。
「なに、それが答え?」
「ああ?」
Zは怪訝そうな顔をする。
「つまり、今日居残ったのはそれを聞きたくてってこと」
「ああ」
そうかなと、自分で言い出しながら首を傾げている。
「そうだな、なんでお前は俺達の前に顔を出さなかったのか、だな」
「俺達」の言葉につくんと胸が痛んだ。
そう、Zにとっては大切な婚約者が一緒だったってこと。
「婚約、したんだろ」
「まだだ」
「でもするんだろ」
「そうだ」
おめでとうと口の中で呟いて、2本目の煙草に火を点ける。
「綺麗な人だよな、前にお目にかかってる」
「そうだな」
「だから、俺が顔出しちゃまずいと思ったんだよ」
Zがサンジの顔の横に手を着いた。
ギシリとスプリングが鳴り、ベッドが沈む。
「ぱっと見てめえってわかるわけねえだろうが。むしろなんで隠れる必要がある」
それを指摘されては言い訳もできない。
サンジは指の先で頬をぽりぽりと掻いて、見下ろすZから視線を逸らした。
「ええと、咄嗟に動いたってえか?無意識」
「行き過ぎりゃいいのに、なぜ留まっていた」
「タイミングを逃した・・・とか」
苦しい、明らかに言い訳で苦しい。
「逆だろう。お前は俺達の前に姿を現したかったはずだ」
なにもかもお見通しかと、サンジは煙草を咥えたまま溜め息をついた。

「そうだな。彼女に言いたかったんだ」
Zは元AV男優で、金のために男も抱くような節操なしだと。
そんなZに誑かされて人生踏み外しちゃった女の子はたくさんいるし、俺もその一人だよと。
「あんたは愛されてなんかないんだよと、言いたかったんだ」
違う、と心の底で叫ぶ自分がいる。
少なくとも、彼女を傷つけたかったわけじゃない。
けれど自分が取ろうとした行動は、誰もかれも傷つける結果しか生まなかっただろう。
「あんたは誰も愛さないって、言ってやりたかったんだ」
サンジは片手で顔を覆ったまま、笑い声を立てた。
実際、おかしくて仕方がない。

「なら何故言わなかった」
反してZの声はどこまで落ち着いて穏やかだ。
サンジがしようとしたことを責めてもいないし、これからのことを危惧してもいない。
純粋に「なぜ?」と湧いて出た疑問だけをぶつけてくる。
「あんたの、そういうところが腹が立つ」
サンジは携帯灰皿に煙草を押し込んで、頭の上に放り投げた。
「どこまでも我関せずだ。いつも相手が一方的に入れ込んだって思ってんだろ、自分には責任ないって。そりゃそうかもしれないな、あんたは何も努力してないし気も遣ってない。勝手に惚れ込まれるばかりで寧ろ迷惑なんだろう。もしも俺が彼女にすべてをぶちまけて、彼女があんたに愛想を尽かしたとしても・・・」
一旦言葉を切って、苦々しく顔を歪める。
「あんたは多分、痛くも痒くもないんだ」
人を愛さないってのはそういうことだと、吐き捨てるように言って顔を背けた。
「あんたは何も欲しがらない、失って惜しいものなど何もない、何にも興味を示さないし何にも満たされない」
だから―――
「そんなあんたを、傷つけたくなるんだよ」
痛みを知らない人間にせめて今自分が感じている痛みくらい思い知らせてやりたいと、心に傷を付けることができないならせめてその身体にと、包丁を振りかざしたミホちゃんの気持ちが、今なら痛いほどにわかる。

「だからなぜ、それをしなかったんだ」
淡々と、けれど執拗に尋ねるZにサンジは横を向いたまま「さあね」と嘯いた。
「どんだけ多くの人がいてもその中にあんたがいたなら俺には一目でわかるって、その不思議と一緒だろ」
そう言うと、Zはそのまま黙ってしまった。



「だいぶ動くようになったし、俺帰るわ」
勢いをつけて起き上がり、サンジは手早く服を身に着け始めた。
ベッドの上で跳ねるように下着を引き上げる。
腰を下ろしたままのZの身体がサンジの動きに合わせてポンポン揺れているのが面白い。
「今夜は熱が出るかもしれんぞ」
「大丈夫、身体が丈夫なだけが俺の取り柄」
名残り惜しいが、いつまでもグズグズしているのは性に合わない。

靴下を履いていてふらついたら、すかさず支えてくれた。
こういう気遣いは最初に会ったときから変わってないなと感心する。
「じゃあな」
「挿れなくていいのか」
「・・・はあ?」
さすがに吃驚して、目を剥きながら振り返った。
すぐ後ろに突っ立っていたZは、その勢いに軽く仰け反ったものの至極真面目な顔付きだ。
「まだ足りなさそうだったが」
下卑でも揶揄しているのではない、本当に真剣に聞いている。
それがわかったから、サンジは無闇に怒り出したりせずに軽く笑い飛ばした。

「いくら俺でもケツ痛えっての。もう充分だ」
ほんの少しの欲でも見透かしてしまうのかと、腹が立つより呆れてしまった。
誰もいない場所で、カメラが回っていないところでもう一度抱いて欲しいとの想いがなかった訳じゃない。
でもZが傍にいてくれたから。
自分からサンジに興味を持って尋ねてくれたから、それだけでもう充分だ。
「自分でタクシー捕まえるから、戸締りよろしく」
踵を返しかけて、立ち止まる。
後戻りしなくても、Zの方から歩み寄ってくれた。

気配に聡いとか察しがいいとか、恋愛においては邪魔にしかならない能力なんじゃないかと思うけれど、こんなときばかりは言葉が必要でなくて助かるなあ。
そんな現金なことを考えながら、首を傾けて目を閉じた。
そっと、触れるだけの口付けを受けて微笑みながら瞳を開く。

「じゃあな」
今度こそさよならだと、サンジは笑顔のまま踵を返してスタジオを後にした。






まだ日暮れには早い街中を、車道に沿って歩きながらタクシーを捕まえた。
シートに座る時少し腰に違和感を覚えたが、顔には出さずシートベルトを締める。

「―――病院へ」
行き先を告げて袖口が捲れないように気をつけながら、シートに深く座り直した。







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