Under the rose -16-




「こ、んやく?」
「うん、かねてから交際していた某社の社長令嬢だってさ。逆玉だよね」
そう言う訳で、とエースはもう一切れロールケーキを切って、サンジの皿に勝手に乗せる。
「Zにしたら、アダルト業界でバイトしてたって話も多分NGなんだろうなあ。俺達日陰の身なんだから、さっさとZの周りから撤収してやらなきゃ。それが長いこと一緒に仕事してきた仲間ってモンでしょ」
サンジの顔を覗き込み、でしょ?と念押しする。
「反応ないなあ、やっぱりサンちゃん本気でZに惚れちゃってた?」
馬鹿なことをと笑い飛ばそうとして、実際には口がちゃんと動かないことに気付いた。
顔が強張って、うまく表情が作れない。
自分で想像していた以上にダメージを受けているのが、我ながら滑稽だ。
「あー図星か」
Aが気の毒そうに顔を歪め、手を伸ばしてよしよしと頭を撫でた。
頭を振ろうとして、それも上手くいかないのに気付く。
下手に動くと何かが零れ落ちそうだ。

「確かにZはベッドの上では優しいし、なんせ上手いしね。彼の相手した女優達は、軒並みそうやって落ちちゃうんだ。俺は抱かれたことないからわからないけど、きっとあいつは本気になったら誰だって落とせるだろう」
快楽でねと、悪戯っぽく瞳を煌かせる。
「けれどサンちゃん、勘違いしちゃ駄目だ。あいつは仕事でやってるだけ。サンちゃんを優しく抱いたのも、気持ちよくしてくれたのも全部仕事。わかるね」
「そんなこと、わかってるっ」
ぐっと喉が詰まって、それ以上うまく言葉にならない。
そんなサンジの髪を乱暴に掻き混ぜて、Aはそっと顔を寄せた。
「最初に、Zのことを“奏者”だと俺は言っただろう?」
低い声音は脅しの響きを伴っていて、サンジは表情を強張らせた。
「Zにとって、抱く相手はただの楽器でしかないんだ。どんな可憐な少女でも妖艶な美女でも関係ない。ただいい声で啼き声を上げる“モノ”でしかない。Zはただの演奏家だ。そこに愛情は存在し得ない」
「そんな・・・」
けれどZは、婚約するのではなかったか。
「相手が社長令嬢だからさ。愛情がなくったって、Zならそれと悟られずに彼女を身も心も満足させてやれるだろう。それでZの出世も保障される、悪い話じゃない」
「けど、ほんとに凄い美女だったんだぜ」
つい飛び出したサンジの言葉に、Aは一瞬片目だけ丸くしてふと表情を緩めた。
「なんで知ってるのと聞きたいところだけど、そう言えば前にプライベートでZに会ってたんだよな」
ああと無意識に口元を手で隠し、項垂れた。
「あれは、仕方なかったんだ。たまたま見かけた時に凄く綺麗な女性と一緒でさ。ほんとに綺麗だったんだ、モデルみたいにスラリとして赤い口紅がとても似合ってて・・・」
「Zも優しかっただろう」
「うん、とても優しい仕種だった。すごくお似合いだった」
心の底からそう思う。
だから、サンジがそんなZと彼女の幸せを望まないわけがない。
「Zが彼女のことをなんとも思ってないなんて、それはないと思うぜ。きっと心の底から彼女を愛してる。だから、今度のDVDだって無理してZを起用することないんじゃないか」
サンジの言葉に、Aはおやおやと両方の目を丸くした。
「呆れるくらいお人好しだね。確かに君は女性全般を敬い賛美しているようだけど、だからってZの胸の内まではわからないだろう?」
「そりゃそうだけど、でもあんな綺麗な人を好きにならない訳がない」
「なんで君がそう断言できる?」
Aの瞳には、明らかに嘲笑の色が浮かんでいる。
けれどサンジは怯まなかった。
「物凄い美人で素敵な人だったからだ!」
いっそどーんと効果音でも響きそうなほど堂々とした物言いに、とうとうAは笑い声を立てた。
可笑しくて仕方ないと言った風に、身体を折り曲げて苦しそうに息を継ぐ。

「参った、なんだろうそのサンちゃんの自信は。根拠がないだけに最強だね」
はあはあと大げさに息をついて、冷蔵庫から勝手に水を取り出しラッパ飲みした。
「けどねサンちゃん、ここだけの話だけど・・・」
パシャンと水を零しながら、椅子を引き摺って更にサンジの真横へと移動した。
その勢いに押されて、サンジは僅かに身体を引く。
「そもそもZがバイト辞めたってのも、女絡みの事件があったからでさあ。Zって服脱がないっしょ、まあ面倒臭いってのもあるんだろうけど」
面倒臭いと言う単語に、サンジの胸がチリリと痛んだ。
「脱がれるとこっちも困るんだよね、修正が大変で。なんの修正かってえとZの胸にはこう袈裟懸けに、ばっさり切られたでかい傷跡があるんだよなあ」
「切られた?」
「文字通り、出刃包丁でバッサリ。普通なら心臓切り裂かれて即死もんだよ。でも胸板が厚かったって言うか筋肉硬かったって言うか心臓が強かったって言うか。まあ九死に一生を得た訳」
「・・・それが、女性絡み?」
Aは生真面目そうな表情を作って頷く。

「Zのテクにメロメロになっちゃった女同士の諍いに巻き込まれたんだね。いや違うか、原因はZにあるんだから。ともかく逆上したミホちゃん・・・あ、これ内緒ね。女の子にすぱっと切られちゃってさあ、そりゃあもう大変だったよー」
まさに地獄絵図だね〜とその時の事を思い出したのか、遠い目をしてへらりと笑った。
「そん時も、Zは結局最後までなんで自分が切られたのか理解できなかった。Zにとって女の子なんてみんなただの楽器でしかないんだ。弾かれて鳴り響くだけのモノが、自分を奪い合ってしかも刃傷沙汰になるなんて感覚がわからない。勿論彼女が泣いて謝っても、自ら死のうとしてもZはきょとんとしたままだったよ」
「・・・まさか」
死んじゃったの?と震える声で問えば、Aはううんと首を振った。
「途中で馬鹿らしいことに気付いたらしく、Zが告訴しなかったのをいいことに新しい彼氏と逃げちゃった」
「そう」
よかったと呟くサンジに、Aはカラカラと声を立てて笑う。
「本当にサンちゃんは可愛いなあ。生真面目で優しくて、自分より先にまず他人のことを考えちゃう。・・・疲れない?」
「・・・別に」
あからさまに馬鹿にされたようで、サンジはむっとして横を向いた。
「そんなんだから苛めたくなるんだよ。Zだってそんなサンちゃんの可愛さくらいわかればいいのにねえ」
「Zは関係ないだろ」
確かに心の内でZに惹かれているのが事実だとしても、Zにとっては関係のない話だ。
愛情がなかろうと見せ掛けだけの恋愛だろうと、Zと彼女が幸せになれるならそれでいいはず。
この先堕ちる一方のサンジの人生とは、なんら関わりがないこと。

「だからさ、思い切って俺に乗り換えない?」
サンジは口をポカンと開けて、まじまじとAの顔を見た。
「・・・一体、どこから『だから』に繋がるんだ?」
「細かいこと気にしないでよ」
Aの手が、驚くほどの素早さでサンジの背中に回った。
反射的に身を引き、床に着けた足を強張らせる。
「初めての相手が特別になるってのはよくあることだ。けど世の中には色んな人間がいて、色んな愛が
 あるって理解するのも必要だと思うよ。手始めに俺と付き合ってみようよ、テクはZほどじゃないけどサンちゃんのことを大事に想う気持ちは人一倍さ」
肩を抱かれて強引に引き寄せられる。
ここまで接近してしまうと蹴り飛ばすのは容易ではない。
「なんでいきなり」
困惑するサンジの鼻先にまで顔を近付けて、Aはもっともだねと囁いた。
「ちょっとした切っ掛けで、恋の炎ってのは燃え上がるもんさ」
そのまま首を傾けて口付けようとするのに、サンジは慌てて掌でその唇を遮った。
薄く目を閉じていたAはぱちりと目を開けて、手を当てたままの口から「ふぁ?」と間抜けな声を上げる。

「てめえこそ、勘違いするんじゃねえよ」
サンジは軽く仰け反りながらも、掠れた声を絞り出した。
沸々と、怒りが湧いて来る。
「俺がZと寝たのは仕事のためだ、金のためだ。これからもその為に生きてくだけだ、てめえに恋愛がどうこう言われる筋合いはない」
Aは小さく震える手首を掴んで、そっと外させた。
「じゃあ、俺が金を払えばサンちゃんを抱けるのかな」
指の先を口に含み、軽く歯を立て甘噛みしながら問うて来た。
間近で見詰める黒い瞳が、危険な色を孕んで煌く。
本能的な恐れを感じて、サンジは青褪めたまま消え入りそうな声で呟いた。
「・・・そうだ」
「そう?」
口から指を外し、手を返してその甲に軽く口付けすると、Aはさっとサンジから離れた。
「好きな子を金で買うほど、俺は野暮じゃないよ」
ひらりと手を振って立ち上がる。
「さてと、もうこんな時間だ。食べ散らかして悪いけど、そろそろお暇するよ」
残りは食べてねとケーキの箱を冷蔵庫に仕舞い、ハンガーからコートを外すと帰り支度を始める。

「そうだ、これは仕事絡みの命令だけど」
コートを羽織ったまま、くるりと身体を反転させた。
「次までにちゃんと食べて、もうちょっと身体に肉つけて体重増やしておくこと。あんまりカメラ映りが悪いようなら、契約は打ち切るから」
常と変わらぬ口調でにこやかにそう言い渡す。
口元には笑みを浮かべているが、目が笑っていない。
サンジは強張った表情のまま、こくんと頷いた。
「それじゃご馳走様でした。おやすみなさい」
「おやすみ」
扉が閉まる間際まで笑顔で手を振るAの顔をぼんやりと眺めながら、サンジは椅子に座ったままロックされる
音を聞いた。
静かに足音が遠ざかって行く。
部屋の中が沈黙で満たされてから、サンジは詰めていた息を大きく吐いた。


今更ながら、心臓がトクトクと子ネズミみたいに暴れ出している。
色々びっくりしたし、ほんの少し怖くもあった。
頭に血が昇るほど腹も立ったし、泣きそうにさえなってしまった。
様々な感情に一時に襲われて、今はただ疲労感しか残っていない。

Aは一体、なにを考えているんだろう。
そして俺は、どうしたいんだろう。

自分の希望などどこにも入る余地はないはずなのに、今更悪足掻きをしようとしていることに気付いて、
サンジは一人俯き唇を噛んだ。





next