Under the rose -15-




サンジは短くなった煙草を揉み消し、指を組んだ。
正面に座ったAの顔を睨み付ける。
「調べたのか?」
「興味が湧いて」
Aは穏やかな笑みを浮かべたまま、コーヒーを啜る。
「あのバラティエで副料理長を勤めてたんだって?その年でたいしたもんだ」
「・・・」
「オーナーゼフの秘蔵っ子。確か1年前にフランスに修行に出たんじゃなかったっけ。ゆくゆくはバラティエの味を継ぎたいと夢膨らませてさ」
サンジはゆっくりとした動作でポケットから新しい煙草を取り出し、火を点けた。
二人の間に紫煙が漂う。

「オーナーの親友とも言うべき人の元で修行してたんだよね。ところが、そこを半年で叩き出された」
Aはそこで言葉を区切り、そっと首を伸ばして声を潜めた。
「なにやったの?」
「あんたには関係ない」
ぴしゃりと言い切られて、Aはそのままおお怖と首を竦めた。
「でもまあ、どういう偶然かオーナーが脳溢血で倒れたのもその頃だ。以来、寝たきりだって?意識が戻らないのか」
サンジは横を向いて黙ったきりだ。
「結構な年だったそうだし、それで半年も意識が戻らなきゃ、現場復帰は無理だろうな」
青褪めた横顔がさっと筋張った。
怒りのためか、テーブルに着いた拳が硬く握り締められている。
けれどサンジは何も言わない。
ただ、頑なに黙り込むだけだ。

「カネがいる理由は知らないけどさ。本来なら、サンちゃんはこんなとこで身体売ってないで、バラティエに戻って店を支えてる方がいいんじゃないかな。道義的にも」
Aはこくりとコーヒーを飲み干して、空のカップをそっとソーサーに置いた。
「オーナーだって、サンちゃんのこと信用して希望を託してフランスに修行に出させたんだろ?んで、自分の大切な親友に預けたんだ。その恩義はサンちゃんだって忘れてやしないだろうに」
言ってから、ああと一人で合点がいったように頷いた。
「恩義を感じてるからこそ、戻れないのか。今更どの面下げてって、そういうこと?」
サンジの頬に赤味が差した。
どうやら図星らしい。

「そんな意地張ってたって、サンちゃんまだ19歳の子どもじゃないか。意識がないとは言え、オーナーだって本気で怒ってやしないよ。それに、バラティエの連中だって本当はサンちゃんが帰って来るの待ってるんじゃないかな。いくら熟練のスタッフが固めてるとは言え、オーナー不在じゃ何かと大変だろう。今こそサンちゃん力が必要なんだろうに」
Aは手を伸ばし、サンジの煙草を勝手に拝借した。
ライターを使わず、手品のようにどこからか火を点けて美味そうに吹かす。
「けど、そのバラティエも一時売りの話が出たらしいね。急遽金が必要になったとか何とか。オーナーの医療費だけでも大変だろうに、別口でも金が要るようになったのかな」
ぷわあと丸い輪っか煙を吐き出して、得意気に指差した。
「災難って、妙に重なるもんなんだよねえ」
人差し指で煙を掻き消してから、Aは真面目な顔でサンジを覗き込んだ。

「ねえサンちゃん、悪いことは言わないよ。素直に店に帰った方がいい」
「なんであんたが」
「だってさあ、俺こうしてサンちゃんの料理食っちまったもの」
Aは綺麗に平らげられた皿を、優しい目で見つめた。
「俺が食いに来るって聞いて、サンちゃんわざとこういうメニューにしたんでしょ。万が一にも料理人だった過去に気付かれないようにって。けど、やっぱりサンちゃんは根っからの料理人なんだ。ありふれてそうで、その実とても手の込んだ最高の料理だよ。プロの仕事は誤魔化せねえや」
サンジの拳がぴくりと動く。
「サンちゃんは、根っからの料理人なんだよ」
もう一度繰り返したAの言葉に、けれどサンジは激しく頭を振った。
「料理人、なんかじゃねえ」
「サンちゃん?」
「料理のことだけ考えてればよかったのに、そうしたらあんなこと・・・」
そこまで言って、きつく唇を噛んでしまう。
いかにAとは言え、フランスに行っていた間のサンジの動向までは調べようがなかった。
ただ、オーナーが信頼する友人を裏切り、その顔に泥を塗ったことだけははっきりしている。

「もう、この話は仕舞いだ。仕事の話じゃなかったのか」
きっと睨み付ける目は泣きそうに歪んでいて、Aは両手を挙げて降参のポーズを取った。
「わかったよ、サンちゃんがそう望むなら俺だってこれ以上深入りはしないさ。勿論、サンちゃんはモデルとしてもものすごく魅力的だ。ずっとサンちゃんを撮影し続けていたいよ。これも偽らざる俺の本音。どちらのサンちゃんもいいと思うからさ、複雑なんだよなあ」
カリカリと頭を掻いてから、あっと声に出して立ち上がる。
「仕切り直しにケーキ食べよ、もう一杯コーヒー貰える?」
これにはサンジも依存はなかった。





「いただきまっす」
あれほど食べておきながら、何処に入るというのか。
物理的に無理だろうと突っ込まずにはいられないのに、Aは平気な顔をしてケーキを頬張っている。
見ているだけで胸焼けしそうになりながら、サンジも一口食べた。
上品な甘みが口内に広がって、自然と口元が緩む。
「美味い」
「だね、美味しいもの食べると笑顔になるね」
この部屋に来てから終始笑顔ばかりのAが、今度はクリームで頬を汚しながら云々と頷いている。
抜け目なくて油断ができない相手だとわかっているに、どうしてか素直に気持ちを委ねてしまいそうになるのは、この笑顔があるからか。

「で、次の仕事はいつなんだ」
目を背けてロールケーキに再びフォークを突き刺せば、サンちゃんはせっかちだなあとAの呆れた声が降って来た。
「でもまあ、仕事熱心なのは結構結構。予定がようやく立ったよ、今度の祝日」
「また、一日」
「そうだね」
Aは勝手にロールケーキを切ってお代わりしている。
雑な仕種の割に切り口が綺麗で、こういうところが油断ならないんだとサンジは内心舌打ちをした。

「今回仕事のペースが遅れたのは、ちょっと手詰まりになってたのもあるんだ。今後のサンちゃんのあり方と言うか方向性と言おうか」
「前に電話で言ってたな」
「そう、それ」
フォークについたクリームをぺろりと舐めて、Aは物憂げに頬杖を着いた。
「俺的にはZのテクでサンちゃんに慣れて貰ってさ。そろそろ他の男優とも絡めたり複数相手にしたり、そういう展開に持ってく計画だったんだけど、顧客アンケートはまったく違う方向を要望してくれてねえ」
話している内容に問題アリだが、淡々とした口調だからサンジはそう引っかからなかった。
「サンちゃんの相手はZだけにしてあげてってのがすんごく多いの。8割はそれだから、無碍に相手変えること出来なくなっちまった」
「・・・なにそれ」
意外な展開に、サンジ自身が吃驚だ。
「元々女性ターゲットの商品だったし、何よりサンちゃんのキャラクターを重視して愛されるアイドル的に売り出したせいもあるんだけど、神格化・・・つうとおかしいかな、清純路線?」
「それもおかしい」
絶対におかしい。
「ともかく、サンちゃんに肩入れしたファンが物凄くついちゃって、本来発生すべきエスカレートの方向が違ってきちゃったんだ。もっと過激なプレイをとか、激しい陵辱とか汚して貶めてとか・・・これって男性的願望だったのかなあ?」
「俺に聞くな」
頭を抱えたサンジに倣って、Aも両手で頭を押さえた。
「勿論もっと苛めて〜vって声も多いんだけど、大多数が相手はZ限定なんだよ。Zなんて服脱いでないから身体だって映してないし顔も一切出してねえのに」
「え、そうなの?」
「そうなのって、サンちゃんほんとにDVD見てないの?」
誰が見るか!
Aはああ〜と改めて部屋の中を見渡して、一人納得した。
「確かに、テレビもなけりゃパソコンもない。見たくても見られないよねえ」
「見たくないし」
「ともかく、Zがどんな男か見る側はまったくわかってないんだから、まさかZにもファンが定着するとは思ってなかったんだよなあ」
Aの驚きはなんとなく理解できる。
Zは一応並以上のルックスを持っているのに、あの顔を映してないとするならば、殆ど声を発することもないのだからその他大勢か、サンジを弄くるだけの裏方的存在でしかないはずだ。

「なんでZに拘るんだろう」
「それはサンちゃんがそうだからだよ」
「・・・俺?」
サンジはカップを持ったまま、瞠目して動きを止めた。
「サンちゃんの表情はカメラで逐一追ってるんだ、そりゃあ細かい部分までね。そうすると画面越しにサンちゃんの気持ちが手に取るように見えてくる。戸惑ってるなとか泣きそうなんだなとか、気が触れそうになるほど気持ちいいんだなとか」
改めて言われると恥ずかしさが増して、サンジは赤面しながら俯いた。
「そのサンちゃんの気持ちがダイレクトにファンの子達にも伝わるんだ。特にあからさまだったのが、第3弾での大人の玩具に苦戦したサンちゃん。見ててハラハラするほど悲愴な顔つきで今にも倒れそうだったのに、Zの登場でぱっと顔を輝かせた」
「そんな大げさな」
鼻の頭に皺を寄せてしかめっ面を見せるサンジに、Aはいいやと口元を真一文字に結んで厳かに首を振る。
「あれはモロバレだったね。それからのサンちゃんたら感じること乱れること。さっきまでの悲惨さはなんだったの?と誰もが突っ込みたくなるほど気持ちよさそうだった。Zの手じゃなきゃ駄目なんだって、誰もが思い知らされた瞬間さあ」
サンジは片手で顔を覆い、もう片方の手でAの言葉の続きを遮った。
とてもまともに聞いていられない。
「そう言う訳で、顧客のニーズとしてはこれからも相手がZオンリーであれこれいけないことをエスカレートさせていきたいなと言う希望なんだけど、こっち側としてはそうもいかなくてね」
サンジは赤くなっていた顔を今度は白くさせて、ゆっくりと頭を振った。
「わかってる。俺はあんたらに指示された通りにするだけだ。確かにZは上手いし、つい俺も頼っちまってる部分があるけど、仕事となったらそんな甘えたこと言ってちゃいけないんだろ。この先もっとエスカレートして・・・その、色々するって最初に宣言してたし、俺だってイヤだとか言わねえよ」

―――実は昨日、早速輪姦しかけてたんですけど
と心の中で突っ込みつつ、Aはウンウンとしたり顔で頷く。
「サンちゃんならそう言ってくれると思ったよ。だから次、第4弾の撮影を最後にZは相手方から降りるよ」
「え」
覚悟していたとは言え、やはりこうまできっぱり宣言されると動揺が走る。
それでも冷静を装って、サンジは一転して青褪めた顔を上げた。
「次は、まだZなんだ」
「うん。Zも後一度くらいならと了承してくれてる。実際、今までも結構無理言ってきたんだ。最初だけって約束だったのに、つい俺も調子に乗って第2・第3とZを引っ張っちゃったからね」
悪いことしちゃってたんだ〜と後ろ頭を掻く。
「なんせZ、今度婚約することになったから。いい加減、身奇麗にしてやらないと」
「―――」
どきんと大きく心臓が跳ねて、サンジ自身が驚いた。




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