Under the rose -13-




DVD第3弾が発売され、サンジへ配当金もぐんと値を上げた。
だが、必要経費として差し引かれた額も半端ではなく、結果として手取りが前回より下がってしまっている。
サンジは明細書に視線を落としながら、眉間に皺を寄せ「ううむ」と一人唸った。
どれだけ睨みつけても、それで額が変わる訳もない。
「参ったな」
以前の自分だったらこの配当金だけで充分ありがたい金額だと思えたのに、掛け持ちしていたバイトを軒並み禁止されたお陰で副収入がない分、これだけでは心許なかった。
最後の砦だった缶詰工場のバイトも、Aから禁止を言い渡されたところだ。
「サンちゃんファンサイトがあちこちで立っちゃってね。宣伝になるのはいいんだけど、時々私生活暴露投稿とかあるからヤバいんだ」
だから慎重に行動してねと釘を刺されても、実際にどうしていいかわからない。
芸能人みたいにサングラスを掛けたら却って目立つばかりだし、買い物一つ出かけるのでも一々タクシーを使っていたらやっていけない。

「画像の投稿とかはコアなファンが通報して潰してくれるから、今のところ自浄作用でもってるかな。でも裏で情報交換されてサンちゃんの身が危うくなることもある訳で、そういう意味でも極力外出は控えて大人しくしててね」
なんせうちの看板なんだからと、ことあるごとにAはそれを仄めかす。
その度、サンジは舌打ちしたい気分になった。
てっとり早く金を稼ぎたかったからこの仕事についただけで、AV男優になりたかった訳でも売れっ子の芸能人になるつもりでもない。
なのに自衛のための費用ばかりが嵩み、手取りが減るのでは本末転倒だ。

「あーあ」
声に出して嘆息し、フローリングの床にごろりと転がった。
どこにも行くな慎重に行動しろと言われても、バイトに出かける以外どこにいく当てもないしすることもない。
必要最低限の家具しかない部屋は、フローリングにラグすら敷いてなくて冷え冷えとしたままだ。
無駄にエアコンもつけたくないし、腹も減らないから食事だって満足に作っていない。
自分のためだけに作る料理の味気なさを、サンジは今回のことで初めて知った。
この先ずっと、こんな生活しか続けられないのかと思ったら、そのことが一番胸に堪えた気がする。
けれどもう、誰も自分が作る料理なんて慶んで食べてくれたりしないだろう。
こんな、男に抱かれる痴態を売り物にする男の料理なんて、きっと誰も食べたがらない。
料理の世界には、もう戻れない。

一人であれこれと考えていると気が滅入って仕方ないのに、迂闊に外出できないとあってサンジのストレスは溜まる一方だった。
テレビもパソコンもないから部屋の中はしんと静まり返っているし、いらないと言うのに押し付けられたDVD3枚は、床に直に放り出されたままだ。
見たくても見られない状況にあるのは、不幸中の幸いというべきか。
DVDデッキがあったって、絶対に見ようとは思わないだろうけれども。
この中に、自分が思っている以上のあれやこれやな姿態が詰め込まれているかと思うと、すべてを粉々に砕ききってしまいたい衝動にも駆られるが、手元にあるもののみ対処したってどうにもなることではあるまい。
こんなものが金になるのかと素直な驚きもあるし、これに金を払う人間はバカじゃないかとも思う。
サンジの観点からしたら、魅惑的な美女のでもない限り金を払う価値はないと思うのだが、こればっかりは人によって価値基準が違うのだからいかんとも言いがたい。
そもそもユーザーの6割が女性だと聞いては、ファンを名乗る人々を無碍にもできないとも思う。
そういう意味で、Aが言うようにある程度「サンジ」と言うキャラクターを大事にししなければならないかと、殊勝な考えも頭を過ぎらないでもない。
だが、やはりサンジは自分を大切になんかする気にはならなかった。

「もっとたくさん仕事が入って、ガンガン稼げたらいいのに」
余計なことを考えないで、身体ばかり酷使している方が気持ちは楽だ。
けれど、Aに仕事の催促をしたら今検討中だと首を振られた。
なんでも、今後のサンジの方向性について企画サイドで揉めているのだと言う。
男のエロDVDを撮るのに一体ナニを揉めると言うのか、サンジにはさっぱり理解できない世界だし興味もない。
「別に、好き好んでやる仕事じゃないけどよ」
本音を言えば、金輪際関わりたくない“仕事”内容ではある。
事情が許せばすぐにだって縁を切りたい事柄ばかりだ。
それでも――――

またZに会えないかと思うだけで身体の芯が熱くなってしまうのは、所謂職業病と言うモノだろうか。
別に絆された訳じゃない。
男になんか昔も今も興味はないし、掘られるのも死にたいほどの屈辱で許し難い。
何度そう言い聞かせても、頭にZを思い浮かべればいつだって身体は火照り心拍数が早くなる。

―――まるで、パブロフの犬だな
あの手をあの指を、あの熱を思い出せば、それだけで腹の底がじわりと温まって何かが疼く。
こんな風に身体から変えられて容易く堕ちていくのは、“逃げ”でしかないのかもしれないけれど。


サンジは己の昂ぶりに抗わず、床に腰を下ろした姿勢でそっと前を寛げた。
目を閉じればありありと、Zの顔が浮かんでくる。
いつもは無表情な冷たい目が、サンジが乱れ啼き声を上げたときだけほんの少し柔らかく笑む。
その顔が見たくて、意地悪く囁かれる声が聞きたくて。
快楽に流されるようでいて、いつだってサンジの意識はZに集中していた。
もっと触れられたくてもっと奥まで感じたくて、床に這い蹲って淫らに懇願してもいいほどに、彼が欲しいと叫びたかった。

「あ―――」
一人きりの部屋に、独りよがりの吐息が響く。
最近は自分で前を扱くだけじゃ満足できず、自ら後ろを弄るようにまでなってしまった。
けれどそこはあくまでも頑なで、どれほどゆっくりと宥めすかしてもぴりりとした痛みしか感じられない。
これがZの指であればと願い想像して、ほんの少し撫で擦るだけで諦めて、前への刺激に専念する。
このままじゃいつまでたっても自力オナニーはできないなと、なぜかAの呆れ顔まで浮かんできてぶるりと身震いした。

いきなり床が振動して、サンジはその場で文字通り飛び上がった。
恐る恐る振り向けば、脱ぎ捨てた上着のポケットの中で携帯が震えている。
シャツで手を拭い慌てて取り上げれば、画面に「ウソップ」の文字が。
「ひええええ」
俄かに現実に引き戻されて、サンジは半ば恐慌状態で通話ボタンを押した。

「あー今いいか?」
「ん、ああ」
喉が渇いていたから掠れた声が出て、サンジは顔を背け軽く咳をしてから携帯を持ち直す。
「悪い、寝てたのか?」
「まあ、そんなとこ。今日休みでさー」
なるべく平静を装って、誰もいないのに首を巡らして胸を張って見せた。
「んでなに?」
「うん、一応知らせとこうと思って。カヤが渡米した」
「・・・そうか」
つい声が弾みそうになるのを堪え、あくまで冷静に相槌を打つ。
「よかったな、手術の目処ついたんだ」
「おう。とは言え、いつできるかはわかんないんだけど。あっちに渡ればまずは一安心だ」
「そうだな」
サンジは云々と、何度も頷いてからふと顔を上げた。
「お前は、ついていかなくていいのか?」
「こっちの仕事で区切りがついたら行くつもりだ。まあ、俺がいたってなんの役にも立たないけどさ」
「んなことねえよ、特にカヤちゃんにとっては!」
「そ、かな」
ずずっと鼻を啜る音がした。
「サンジ、ありがとうな」
ウソップにしたら何気なく出た一言だっただろうが、それは思いのほか深くサンジの胸に響いた。
ありがとうだなんて、何ヶ月ぶりに聞いた言葉だろう。
「こっちこそ、知らせてくれてありがとうな」
「また、連絡するよ。今のところ、他には何も変わりがない」
「そうか」
素直に聞き辛いサンジのために、ゼフの容態の変化をそれとなく知らせてくれるウソップの気遣いがありがたい。
けれど、何も変わりがないということは意識が戻らないと言うことだ。
かなり年配のゼフがあまりにも長い時間寝たきりになってしまっているという事実が、サンジを更に不安にさせる。
どちらにしろ、もうあの頃には戻れない。

「じゃあな」
「ああ、ありがとう」
携帯を切ってから、サンジは暫く液晶画面を見つめていた。
好転していないとは言え、事態は悪い方向へは行っていない。
何よりカヤが専門の治療を受けられる状況になったのが嬉しかった。
あんな汚い金でも、少しでも役に立ってくれるならやりがいがあるというものだ。
「いや、やりがいってなんだよ」
一人で突っ込んで俯いてから、まだ前を寛げたままだったことに気付いてうぎゃあと声を上げた。
素に戻ると、途端に今までしていたことが恥ずかしくて居た堪れなかった。
一体ナニを妄想してたんだ俺。
Zが恋しいってなんだよ。
あの指がって、あの熱がって、一人で盛り上がってなにサカってたんだよ恥ずかしい俺!
うがあああと呻きながら衣服を整えて手を洗いに行った。

恥ずかしい、死にたくなるほど恥ずかしい。
こんなにみっともないのに、まだ生きて誰かの役に立ちたいと願っている自分が一番恥ずかしい。
自分はもう許されないと思う。
過去にしでかした失態も、今の醜態もなにもかも。
そんな自分を罰するつもりで身を貶めたのに、そんな中でも悦びや快楽を見出してしまうなんて。
「俺はどこまで、醜いんだろう」
鏡に映った情けない男の目を睨み返して、サンジはごしごしと乱暴に顔を洗った。








唯一Aに許されていた缶詰工場でのバイトも、今日で終了だ。
業績不振で支店減少に伴い、派遣会社から契約打ち切りの連絡が入った。
常々このバイト先に対してさえ、Aから「距離が遠い」だの「帰りの時間が遅くて夜道が危ない」だのと小言を言われていたので丁度いいタイミングではあるが、サンジの気分は益々重くなった。
これで外出する口実もなくなり、DVD以外での収入が完全になくなってしまう。
室内で袋貼りの内職でもないものかと、半ば真剣に考えながら寒風吹き荒ぶ街を背中を丸めながら歩いた。
毛糸の帽子をすっぽり被り、伊達眼鏡を掛けてマスクをする。
完全防備の格好でも怪しまれない昨今だから、気が楽と言えば楽だ。


最後のバイトと言う感慨もなく、淡々と仕事をこなし夜半に退社した。
作業中は誰とも口をきくことはないし、受付でも更衣室でも親しく言葉を交わした同僚はいない。
俺、今日で終わりなんだと挨拶する相手もなくて、物寂しさばかりが胸に積もった。
駅から離れた道をトボトボと一人歩く。
この道を通うのもこれが最後かと思うと、余計に物悲しくなって来た。
このまま夜の闇に紛れて、自分の存在そのものが消え去ってしまうような気がして。
自分自身を消し去りたいとあれほど願っていたはずなのに、なんて往生際の悪い。


寂れた公園の中を、近道のために早足で突っ切って行く。
ふと、人の気配を感じて顔を上げた。
植え込みの向こうに数人の人影が見える。
誰かたむろしているのかと、サンジは舌打ちしたい気分で横へ逸れた。
人影がそのまま、追うように横へと移動する。
足を速めれば、向こうは駆け出して正面に立ちはだかった。

「こんな時間に、一人でナニしてんの?」
見りゃわかるだろうが、歩いてんだよと言い返そうとしてやめた。
こんな馬鹿を相手にしている暇はない。
無言で擦り抜けようとするサンジの肘を、別の男が掴む。
勢い強く身体を捻って腕を払い除けた。
くっくと嫌な笑い方をして、男が肩を聳やかす。
「そんな邪険にしなくていいじゃん。寒いっしょ、ちと運動してみねえ?」
「運動が嫌なら、お小遣いだけくれてもいいんだけんどなあ」
カツアゲかよ!
内心で突っ込みながら、サンジはどこから突破できるか視線を巡らした。
前に二人、右隣に一人と背後に一人。
全部で四人か。
現金は交通費くらいしか持ち歩いていないし、カードを取られてももう口座には殆ど金が残っていない。
いっそ財布ごと手渡してさっさと立ち去ろうと懐に手を入れたら、目深に被っていた帽子を取り払われた。
「なにすんだよ」
驚いて顔を上げると、両側から腕を取られて眼鏡とマスクも外される。
「ビンゴ」
正面に立った男が、あからさまに嬉しそうな顔をした。
「サンジだ、間違いない」
さっとサンジの顔から血の気が引いた。





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