運命と呼ばせない -9-


思い通りに進まないのがグランドラインの常だったが、予想外の出来事もまた珍しくない。
特に今回の計算違いは、痛かった。

「実はもう、次の島に着いちゃいそう」
ナミが青い顔をして報告してきたのは、サンジがオメガと判明して2週間以上が経過した頃だった。
このままだと、ちょうど発情期には島に上陸している計算になる。
「順調に行けば一か月かかると思ってたのに、まさかこれだけ追い風が続くなんて思いもよらなくて・・・」
「1週間前の突風がでかかったよな。いきなり浮き上がって一足飛びだったもんよ」
「偶然海王類の背中に乗って、さらに運ばれたよね。しかも海軍と鉢合わせして追いかけられたし」
「いろいろいっぱいトラブルあったけど、結果的に全部針路方向に進んだもんな」
こればっかりはしょうがないよと、落ち込むナミをみんなして慰める。
サンジ退避用の船の準備はできていたが、今回は用無しになりそうだ。
「このままだとモロ当たりになっちゃう。ちょっと迂回する?」
「下手に迂回して上陸のチャンスを逃すと、ログが溜まらなくなるかもしれないわ」
「そうだよナミさん、上陸の調整なんてしなくていいよ」
サンジは、いつもと変わらない風に明るく提案した。

「俺の調子が狂うのが一カ月単位で確実に来るんだったら、いちいち無理して回避することないって。予定通り進もう」
「でも…」
「だーいじょうぶさ、ナミさん。俺に考えがあるから」
ナミに変わって、ロビンが異議を唱えた。
「普段ならサンジに任せておけば大丈夫と思うけれど、今回のことは勝手が違う。サンジ自身が当事者だからこそ、甘く見ているところがあると思うの」
ロビンの厳しい口調に、サンジのみならず仲間達もピリッとした空気を纏う。
「サンジは、希少価値のあるオメガなの。ノース特有の肌の白さに金髪碧眼、理想的な容姿に加えて年齢もまだ若いわ。見る人が見れば、法外な値が付くお宝が一人でのこのこと歩き回ってるってわかってしまう」
「ロビン・・・」
窘めるようなウソップの声にも、ロビンは振り返らない。
「人身売買の組織はあまりに巨大で、闇も深い。一番恐ろしいのは世界貴族に目を付けられることよ。彼らにサンジの存在を気付かれたら、恐らく総動員でどんな手を使ってでも手に入れようと、世界中隈なく探すでしょう」
「ひえええ」
ウソップとチョッパーが、抱き合って震えあがった。
「その被害が及ぶのは、貴方だけではないということ」

ロビンが言わんとすることを理解して、サンジは咥えていた煙草を引き抜いて顔を伏せた。
「わかった、ロビンちゃんが危惧することはよくわかったよ。俺だけの問題じゃねえんだよな」
「サンジ君・・・」
「俺がウロウロして下手に目ぇ付けられると、仲間皆が危険に晒されることになる。世界貴族なんざろくでもねえ集団だが、確かに厄介だ。余計な災厄をしょい込むような危ない橋は、極力渡らねえ方がいい」
「そんなもん」
ルフィが一歩踏み出し、両手の拳をかち合せた。
「サンジにちょっかい出して来たら、俺がぶっ飛ばしてやる」
「ありがとうよ、船長」
サンジは顔を上げてにっかりと笑い、再び煙草を咥える。

「それでさ、俺の考えってのは、ゾロと一緒に降りようかと思ってんだけど」
「・・・え?」
間抜けな声を出したウソップの後ろで、ゾロが剣呑な表情を見せる。
「えっと、それでいいの?」
戸惑うように二人の顔を見比べ、ナミは恐る恐る問いかけた。
「いいもなにも、他に手はねえし」
サンジはと言えば、嫌そうに肩を竦めながらも表情に陰りはない。
「本音は、次の島で素敵なアルファのお姉さまを見つけるのが一番なんだけど、そう簡単にいないんだろ?アルファってのも。そんな貴重種同士が同じ船に乗り合わせてたってのもすげえ偶然だ。もうこうなったらしょうがねえじゃねえか」
サンジはそう言って、ぱんと両手を合わせた。
「四の五の言ってたって仕方ねえし、手っ取り早く『番』とやらになっちゃえば万事OKだろ?それに、そうなったらもう俺からは妙な匂いとか気配とか、発しなくなるんだろ?」
「・・・そう、言われているわ」
ロビンは思案しながら生真面目に答える。
「だったら決まりだ。おいマリモ、仕方ねえからてめえを俺の『番』認定してやる。島じゃ俺と一緒に過ごせ」
「てめえなあ」
ゾロは低く唸るように声を出した。
「なに勝手なこと言ってやがんだ」
「おいおい、この場合てめえにも選択権はねえんだぜ?俺だっててめえ相手なんざ天地がひっくり返ったって嫌だが、仲間に迷惑掛けんのはもっと嫌なんだ。しょうがねえだろうが。でもまあ、どうしても嫌だ無理だってえんなら、俺ァ一人で島に降りて誰か相手探すよ。アルファじゃなきゃ、相手は不特定多数になるんだろうけど。最悪、妊娠だけは避けたらいいんだろ?」
捨て鉢な物言いに、ゾロはカッとして掴みかかった。それを、フランキーと大きくなったチョッパーが二人掛かりで止める。
「止めろよ!ゾロ、一番辛いのはサンジなんだぞ」
「ぐる眉がここまで腹括ってんだ、お前ももうちょっと考えてやれ!」
ブルックも、仲裁するようにゾロの前に進み出た。
「ゾロさんのお気持ちもわかりますが、ここは一つサンジさんに協力してあげていただけないでしょうか。恐らく、サンジさんにとって苦渋の決断なのです。それでも、我々の前でこう宣言されたことに、私は男気を感じます」
「―――・・・」
ナミはもどかしそうに両手を胸の前で組み合わせ、真剣な目でゾロを見つめる。
「ゾロ、私からもお願い。無理強いはしたくなかったけれど、サンジ君がここまで言ってくれるのならこれが一番いいと思うの。サンジ君の意を汲んで・・・私が、こんなこと言えた義理じゃないんだけど、でも、でも・・・」
感極まったか、目尻に浮かんだ涙を拭って顔を上げた。
「私達にとって大切な仲間のサンジ君を、貴方に託したいの。どうか、お願い!」

いつの間にか、仲間達の視線はゾロに集中していた。
ルフィは口を引き結んで、何も言わない。
一言言えば、それが船長命令になるとわかっているからだ。

ゾロは全員の顔を見た後、最後にサンジに視線を移した。
煙草を咥え顎を上げて、ゾロを見据えるサンジの目は笑みの形に歪んでいる。
人にとんでもない提案を振っておきながら余裕綽々なのは気に食わないが、ここで意固地になって断るのも本意ではなかった。
「・・・わかった」
おおっ!と仲間達がざわめいた。
ゾロに拒否権はないだろうと思いつつ、ゾロならば強硬に異議を唱えるだろうと推測もしていたのだ。
それが呆気なく受け入れたから、逆に不安になる。
「えっと、ほんとにいいの?ゾロ」
「てめえが頼んで来たんだろうが、いまさらなに言ってやがる」
「や、ごめん・・・でも、なんかちょっと」
言いよどむナミに、ゾロはすぱっと言い切った。
「今さら、見知った仲間同士が、しかも野郎同士でくっ付くのは気持ち悪いだのなんだの言いやがったら、叩っ斬るぞ」
「ナミさんになんてこと言いやがる!」
サンジが憤然と蹴りかかってきたが、ゾロは邪魔くさそうに薙ぎ払った。
「い、言わないわよそんなこと!」
ナミは頬を赤くしながら怒鳴り返し、それから両手を膝に乗せて深く頭を下げた。
「ゾロ、ありがとう」
これにはゾロも拍子抜けしたか、吊り上げていた眦を下げる。
サンジは二人の間でアワアワした。
「ナ、ナミさんこんなマリモに頭下げることないよ。こらマリモ、ナミさんにこんなことさせてふんぞり返るな!」
「うっせえな」
話は仕舞いだとばかりに、ゾロは大股でラウンジを出ていく。
息を詰めて見守っていた仲間達は、誰からともなくほうと息を吐いた。
「これでまあ、話しは付いたんだよな」
「おめでとうって、言ってもいい?」
「いや、ロビンそれはまだなんとも」
「まあともかく、落ち着くところにおちつくましたヨホホ〜」
微妙な雰囲気ながら、めでたしめでたしの空気が流れる。
そのままあっさりと上陸準備の話題に映ったので、サンジもほっとした。
誰かに、慰められても励まされても憐れまれても、困るだけだ。





予定より早く到着した島は、ロビンの懸念通りあまり治安が良くない街だった。
港湾局にも街中にも手配書がべたべた貼ってあるが、海軍への協力要請というより賞金稼ぎのためのリストのようだ。
港には海賊船が堂々と繋留され、街を一歩外れた山中には山賊行為が横行しているらしい。
「海軍の目がないのはいいけど、同業者が多いのも困りものね」
いつもなら「冒険だ〜」とばかりに飛び出していくルフィが、珍しく仲間の傍にいる。
「余計な騒動を引き起こさないようルフィのお守りは必要だけど、今回はお互い様になりそう」
「それがいい。船長、ナミさん達を頼むぞ」
ルフィはナミとチョッパー、ウソップと共に一塊で行動することになった。
ロビンはフランキーとブルックの、大人組で行動する。
こちらは何の心配もないだろう。
「えっと、じゃあゾロもお願いね」
ナミは、どこか恥ずかしそうにモジモジしながら声を掛ける。
そんな態度に吊られたか、サンジの方がソワソワした。
「わかった」
「わかったじゃねえよこの野郎。お蔭で俺は迷子のお守りだ」
「誰が迷子だ」
「てめえだよ!」
言い合いを始めた二人を、いつもなら真っ先に仲裁に入るはずのナミが遠巻きにしている。
「ナミ、お前意識し過ぎだぞ」
ウソップの囁きに、そんなことないわよと強がりを返しながら、肩を竦めた。
「って・・・ダメね、意識しないでおこうと思えば思うほど・・・」
「ああもうこのループ、ここんとこずっとド嵌りしてる」
眉間を付き合わせて暗い顔をする二人を、ルフィが腕を伸ばして引き寄せた。
「ようし、じゃあみんなで上陸だーっ」
「ルフィ、いいからあんたは大人しくしてなさーい」
結局は大騒ぎの内に、それぞれ船を下りて行った。



「んじゃ、行くか」
サンジはいつものように荷物だけ持って、片手をポケットに突っこんで歩き出す。
それに並ぶように、ゾロも歩き出した。
自然と歩が早まり、お互い競争するように早足になる。
「なんでお前が先歩こうとすんだ」
「てめえが急ぐからだろうが」
「お前が先歩くと絶対迷うだろうが、いい加減学習しろてめえ」
黙って俺の三歩後を付いて来い!
サンジがそう言うと、ゾロはけっと横を向く。
「いいから、まずは市場の下見だ」
そんなゾロを置いて、サンジはサクサク歩いた。
いつもの調子で行動したから、注意が足りなかったのは否めない。

「・・・やっちまった」
人混みに差し掛かったからはぐれるなよと、言うつもりで振り返ったらゾロがいなかった。
上陸して3分で迷子とは、才能というより他ない。
この広い街中をこれから探し回らなければならないのかと思うと、げんなりする。
「ああもう、畜生め世話の焼ける」
あれほどナミに「頼む」と言われていたのに、なんてていたらくだ。
この役立たず。

サンジは内心で罵倒しながら、緑色の頭を探した。
目の届く範囲内に、それらしい姿はない。
「兄ちゃん、島の特産の果物だよ。一つ味見にどうだい?」
サンジの視線が遠くを彷徨っているのを見ていながら、果物屋の親父が声を掛けていた。
「いや、また後でいいよ」
「つれないこと言うなよ、一口だけでいいからさ。美味いよ」
しつこく袖を引いてくる。
サンジは胡散臭そうな目で親父を振り返った。
一見人の良さそうな顔付きだが、前の島で色々と学習したので疑り深くなってしまった。
「また今度、な」
親父の手を振り払って先に進んだ。
すると次々と、別の店から声が掛かった。
「そこの金髪の兄さん、見かけない顔だね観光かい?」
「よかったら俺がいい場所つれてってやろうか」
「お、君なんかいいねえ。どっかで休んでかないか」

――――始まったか。
きっかり一月とは言い難い。
日数で数えれば29日目ぐらいだが、もう作用が現れ始めたようだ。
サンジは内心焦りながら、それとなく断り続けた。
「急いでるんだ」
「誰か探してるのか?一緒に探してやろうか」
「おい、なんてこったこりゃあ。俺のハートが撃ち抜かれたぜ」
「ねえ君、なにか困ってるの?」
「いいから、構わないでくれ!」
サンジは大きな声で叫び、ハッとして慌てて駆け出した。
「待って、悪いようにしねえから」
「おい、待てよ」

走るサンジの後を、数人の男が追いかけてくる気配がする。
これはまずいと、騒ぎを嫌ってサンジは素早く路地に入り込んだ。
人波を潜り抜け、追跡者を撒いている間に見知らぬ場所へとたどり着く。

「ちっ、ここどこだ」
自分まで迷子になってどうする。
そう舌打ちしたかったが、ゆっくり地図を探している暇もない。
市場で声を掛けてきた男達は諦めただろうが、駆け抜ける途中で何人かの男が惹かれるように付いてきていた。
追いついたものの、どうしていいかわからない様子だ。
「あ、兄さんなんで走ってたんだ」
「追われてるのか?匿ってやろうか」
「いやほんと、もうお構いなく」
サンジは辟易しながら、手を貸そうと近付いてくる男達から距離を取る。
路地からにゅっと伸びた手に、肘を掴まれた。
「なっ」
「兄ちゃん、追われてんならこっちきな」
新たに現れた男が、路地に引きずり込もうとした。
冗談じゃないと、その手を蹴り飛ばして再び駆け出す。

走っている間に、ぽつりと大粒の雨が頬に当たった。
すぐにその数が増し、あっという間にバケツをひっくり返したような豪雨に見舞われる。
「ちくしょ、なんだよこれ」
踏んだり蹴ったりだ。
降り出した雨に蜘蛛の子を散らすように駆け出した人に紛れ、店の軒先に飛び込んだ。
しばらく雨宿りするつもりで肩の飛沫を払っていたら、扉が開いて中から男が顔を出す。
「兄さん酷い降りじゃねえか、よかったら休んでいきな」
「・・・いいです」
サンジは泣きそうに顔を歪め、すぐさまその場から駆け出した。


走って逃げて、気が付けば街を離れ山道に差し掛かっていた。
もう全身ずぶ濡れで、雨を避ける気にも慣れない。
ぬかるんだ砂利道に靴がめり込み、雨が流れ込んで歩く度にガッポゴッポと音がする。
気持ち悪いが、いっそ自棄になりたいほど爽快な気分だ。
「この雨で、匂いも消えるか」
そう思ったが、雨が降り始めてからもサンジの姿を見た男達がどこからともなくやってきた。
サンジの発情期は、ベータに対しては気配なのだろう。
声を掛けたくなる、或いは構いたくなる気配。
触れたくなる衝動。
それはすべて、サンジの醸し出す仕種や雰囲気、声から来ている。
匂いで催されるのは、アルファだけだ。

サンジは雨が凌げるほど鬱蒼と枝を伸ばした大木に辿り着いた。
幹に凭れて、ホッと息を吐く。
内ポケットに入れたままの煙草は湿気てはいるけれど、かろうじて火は点いた。
軽く吹かしてから、濡れそぼった前髪を掻き上げる。

今この瞬間にも、自分の姿を目にした男は魅了されるのだろう。
だったらなるだけ人目に付かない場所に身を潜めているしかない。
唯一、傍にいるのを許したはずのゾロは、ここにはいない。
酷い雨で匂いは消されてしまった。
ゾロだけが、サンジを見つけることができない。

「・・・ばっか、野郎め」
冷たい雨とは違う、生暖かい雫が頬を伝った。
濡れた袖で拭い、気持ち悪ぃと呻いたら背後で繁みが大きく揺れた。
一瞬、「山賊」の文字が脳裏を過る。

―――――こうなったら、皆殺しより他に手はないか?
物騒なことを考えたサンジの前に、血相を変えたゾロが姿を現した。






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