運命と呼ばせない -8-


翌日は明け方から、しとしとと雨が降り始めた。
風はなく、海面も穏やかに凪いでる。
邪魔になるような雨ではないが、なんとなく外に出るのが億劫になる、そんな天気だ。

サンジが朝食の準備をしている間に、仲間達が次々と起きてきた。
見張りだったゾロも顔を出したが、チョッパーだけがまだだ。
「いい匂い、朝からお腹空いちゃう」
「雨のせいか少し冷えるからね、今朝はあったかいスープを用意したよ」
春島海域とは言え、朝夕は冷える。
今朝の雨は荒々しさはないものの、どこかひやりとした空気を船内にも運んできていた。
仲間達の心情がそうさせている訳でもないだろうが。

チョッパーはまだ、姿を現さない。
平然とスープをよそっているサンジも、天候を気遣うように窓の外を見つめて動かないナミも。
あからさまに落ち着きがないウソップも、腹減ったとうるさいルフィも。
それぞれがいつも通りで、けれどいつもと少し違っていた。
ブルックとフランキー、そしてロビンはそんな仲間達を穏やかに見守っている。
ゾロは、壁に凭れたまま目を閉じていた。
近付く足音に誰より先に気が付いて、パチリと片目を開ける。

「おはよう」
「おはよう」
顔を覗かせたチョッパーに、ロビンが微笑みかけた。
弾かれたように振り返るウソップとは対照的に、ナミはことさらゆっくりと首を巡らせ「いま気付いた」とでもいうように軽く目を瞠る。
「おはようチョッパー」
「おはよ」
それとなく、けれど仲間達の視線が自分に集中しているがわかって、チョッパーは照れたように帽子のツバを引き下げたあと、ちょこちょこ歩いて自分の椅子に座った。

「あの、勿体ぶるのも引き延ばすのも好きじゃないから、朝一番でアレだけど結果だけ言うよ」
チョッパーの直球に、誰もがピンと背筋を伸ばす。
サンジはレードルで掻き混ぜる手を止めて、振り返った。
自分のことだから、正面向いて聞かなきゃいけない。
そんなサンジに応えるように、チョッパーはまっすぐサンジを見つめて口を開いた。

「遺伝子検査の結果が出た。サンジはオメガ率94.2%、ゾロはアルファ率92.5%だ」
「随分細かい数字まで出るんだな」
「けどそれって・・・」
ウソップとナミの疑問に、うんと頷き返す。
「100%とは言えないけど、ほぼ間違いないって断定できる。サンジはオメガで、ゾロはアルファだ」

やっぱり・・・と脱力した空気が船内を覆う。
サンジは咥え煙草の先を上下に揺らして、諦めたようにシンクに凭れた。
「そっかぁ、じゃあ決定ってことだな」
煙草を指で挟んで、灰皿に押し潰す。
「んじゃ、それ相応の対策考えねえといけねえな。俺だけの問題じゃないみてえだし、みんなにも迷惑掛けることになる」
そう言って、視線を下げたまま頭を垂れた。
「みんな、ごめん」
「ちょっ」
「止めろよサンジ!」
ナミとウソップだけでなく、ロビンも僅かに腰を浮かした。
「サンジ君が謝ることじゃないじゃない、それに迷惑だなんて思わないわ」
「そうだよ、それに早くわかってよかったじゃねえか。俺達もなんか、協力できるだろうし」
「チョッパーのお手柄ね」
ロビンの褒め言葉に、チョッパーは条件反射でクネクネした。
「褒めたって嬉しくなんかねえぞ、コノヤロ」
いつもと変わらない反応に、サンジがぷっと噴き出す。
「そうだな、さすがドクターチョッパーだ」

サンジが率先して明るい反応を示したので、仲間達もほっとして追随するように笑い声を立てた。
「まあ、ちゃんとわかってよかったな。じゃあサンジ、飯―――っ!」
ルフィの一声に「あいよ!」と軽く応えて、サンジは次々とテーブルに料理を運んだ。
途端に、戦場のような忙しない食卓に早変わりだ。

「ちょっと、勝手に手を伸ばしてパン取らない!」
「あー俺のパンがっ」
「こらクソゴム、ナミさんとロビンちゃんの皿に手ぇ出したらアンチマナーキックコースだぞ」
賑やかな食卓の中で、サンジと並んでチョッパーに正式にアルファ認定されたゾロは、誰もそのことに触れないのをいいことにただ黙々と朝食を摂った。



雨がやむ気配はないので、食事後も皆自然とラウンジに集う形になった。
武具の手入れをするもの、カードゲームに興じるもの、音楽を楽しむものとそれぞれだ。
気の置けない仲間同士だから一日中顔を突き合わせていても気詰まりではないが、今日はどことなく遠慮が漂う。

「サンジも、少し休みなさい」
シンク裏の片付けから初めて、ずっとキッチンの整理を続けているサンジにロビンが声を掛ける。
それに、サンジは目をハートにしてくるんと振り返った。
「ありがとう〜、いまお茶煎れるからみんなで飲もうか」
「酒」
「お茶だっつってんだろ」
間髪入れず酒を要求したゾロに、サンジが言い返す。
いつものノリだと、無意識にほっとしてしまうナミは反省するようにウソップと視線を合わせた。

「次の島は、いつごろ到着になりそうですか?」
ずっと奏でていたバイオリンを置いて、その代わりに紅茶のカップを手にしたブルックがなんてことない風に尋ねる。
「順調に行くと来月頭くらいかな。ちょっと距離があるのよね」
ナミの答えは、すでに20日後に迫っているサンジの発情期を船内で迎えることになると指していた。
「なるほど」
「仲間内だけのことなら、対策は容易かも」
ロビンが水を向けると、マシュマロを摘まみながらホットミルクを飲んでいたチョッパーが顔を上げた。
「そのことなんだけど、サンジをどうにかしようと思わず他のみんなをどうにかするのも一つの手かな、と思ったんだけど」
「どういうこと?」
「他のみんなって、俺ら?」
自分を指さすウソップに、そうと頷き返す。
「オメガの発情が主に一般男性を惑わすのだから、それに惑わされない作用のある薬をみんなが服用したらどうだろうって思ったんだ。性欲減退剤。どうせ陸に上がる訳じゃないんだから、船の中で性欲減退したって支障はないだろ」
円らな瞳であっけらかんと言われ、男性陣が微妙な顔をする。
「そりゃあまあ、確かに」
「船ん中じゃ使いようはねえがな。ってか、そりゃ普段と変わらねえことだが」
「ヨホホ〜素晴らしい着眼点です」
服用する一般男性の中に含まれていないせいか、ブルックは暢気なものだ。

「必要なのはルフィとウソップ、フランキーとゾロの4人だけだ。ゾロは他の人の倍くらい飲んでもらわなきゃなんないだろうけど、これで回避できると思う」
どうだろうか、と決を取る前にゾロが目を剥いた。
「冗談じゃねえ、そんなおかしな薬飲めるか!」
「ゾロ」
「ゾロ…」
「ゾロ―――」
非難の目が一斉に注がれる。
対象男性を代表するように、ウソップが口を開いた。

「あのなあゾロ。正直俺らだってできれば薬なんざ飲みたくねえよ。だが、そうでなくても負担が掛かってるサンジをこれ以上肉体的にも辛い思いさせたくねえって、俺は思ってるよ。俺が薬飲むことでサンジの負担が軽くなるなら、俺は喜んで服用する」
「ウソップ・・・」
なぜかナミが、感動の面持ちでウソップを見つめた。
「あんた見直したわ。なんって男らしいの」
「本当、素敵ね」
ナミとロビンに褒められ、ウソップは満更でもなさそうだ。
「そうですよ、一時薬を服用することなど屁でもないことですヨホホ〜」
「お前飲む必要ねえだろうが。まあ、俺も薬ぐらいいくらでも飲むぜ」
「その薬、美味いのか?」
ちゃんと美味しく味を付けるよとチョッパーが太鼓判を押すと、そりゃ楽しみだとルフィは納得した。
残るはゾロ一人だとばかりに、視線が集中する。
それを、鬱陶しそうに眉間に皺を寄せながら見返した。

「お前ら、発情期はこいつがなるって忘れてねえか?いくら俺らが薬飲んだって、こいつ一人盛り上がった状態になるのは避けらんねえだろうが」
「―――ぐっ」
痛いところを突かれたと、怯むチョッパーの後ろでサンジは黙って煙草を吹かしている。
「そりゃ、サンジにも発情を抑える薬を作ろうと思ってる」
「今からか?そんなん、できんのか?」
「やってみるよ、俺は頑張るから・・・」
「俺らが欲情しねえ薬ってのも、もうできてんのか?それともそっちも並行して作る気か?間に合うのか」
「ゾロっ!」
矢継ぎ早に質問するゾロを、ナミが強い口調で窘めた。
「チョッパーが可能性を模索して話してんのに、なに頭ごなしに否定して掛かってんの。あんたの問題でもあるのよ」
「だったら…」
ゾロが何か言おうとするのを、サンジがパンパンと手を叩いて止めさせた。

「あーもう、とりあえずここで一旦止め。ってか、ちょっと冷静になろうぜ」
当の本人に仲裁に入られては、黙るしかない。
「あのさ、最良の手は俺がミニメリー号に乗って船尾に繋留されんのはどうかなあって思ってんだけど」
サンジの提案に、フランキーはふむと顎に手を当てて考えた。
「そうか、風下にもなるな」
「何日間になるかわかんねえけど、必要なことがあれば電伝虫で連絡とれっだろ。必要最低限の水と食料だけ確保して、俺が籠城したらいいじゃん」
「近くにオメガがいなければ誘発されないって、半径どのくらいかしら」
「そもそも誘発の条件は匂いじゃない?それだったら風下にいたら大丈夫なのかも」
「だったら、ミニメリー号よりもっと快適な滞在用の船を新たに造ったら…」
現実的な解決方法の提案に、仲間達は食いついた。

「その間、食事の面では不便掛けることになんだろうけど」
申し訳なさそうなサンジに、ナミが憤然と言い返す。
「なに言ってんのサンジ君!食事ぐらい私達が当番で作るわよ、海賊の自活力舐めんじゃないわ!」
「そうよサンジ」
「俺も、料理は結構得意なんだぜ」
「サンジに教えてもらったオムレツの作り方、俺やっと披露できるよ」
口々にそう言われ、サンジは唇をきゅっと引き結んだ。
一見不機嫌なように見えて、これは感激しつつ戸惑っている顔だと、仲間達にはすぐわかる。
「そうと決まれば、まずは滞在用の船建設よ」
「サンジが不在の時の当番表も作ろう。みんな平等に」
「あ、でも被害を最小限に留めるためにもルフィはちょっと・・・」
「ルフィには他のことやらそうぜ」

方向性が決まったら、一致団結はお手の物だ。
盛り上がる仲間達を前に、鼻を啜ったサンジは呆れたように見ているゾロと目が合ってすぐにぷいっと顔を逸らした。



意気込みが天に通じたか、午後には雨も止んで晴れ間が広がった。
分厚い雲の隙間から差し込む陽光が、光の階段のように大海原に降り注いでいる。
「雨が上がると、風が気持ちいいなあ」
「ようし早速、作業開始だ」
昼食もそこそこに甲板で忙しげに働く仲間達とは離れ、ゾロは一人黙々と錘を振った。
わざと我関せずを貫いているとわかっていて、ナミなどは軽蔑の眼差しを送る。
「なにあれ、感じ悪―い」
「放っておきなさい、ゾロにはゾロの感情があるのよ」
ロビンに諌められても、反発心は消えなかった。
「だってロビン、サンジ君はあんなに辛い想いをしてるのに私達に心配かけまいとして、明るく振る舞ってるじゃない。私、もし自分がサンジ君の立場だったらって思うと辛くて…」
「わかるわ、ナミ」
「なのにゾロったら、当のサンジ君が頑張ってるのにあんな態度取って。ゾロだって、当事者の一人じゃない。私からはなにも無理強いとかしたくないし、言わないけど。でもいくらサンジ君と仲が悪いからって、せめてもうちょっと協力したっていいはずなのに」
ナミは悔しげに唇を噛んで俯き、すぐに感情を振り払うように顔を上げた。
「・・・なんてね、私が怒るのってお門違いよね」
「―――・・・」
「サンジ君は、前向きに頑張ってるんだもん。こんなマイナス感情に振り回されるだけ無駄だわ。ゾロのことなんて、放っとけばいいのよね」
「そうよ」
複雑な表情で頷くロビンに笑い返し、ナミは「さて」と踵を返す。
「サンジ君のおやつの準備、手伝ってくるわ」
「そうね、私はフランキーの手伝いをするわ」
青い空の下、リズミカルなトンカチの音がこだまする。

「サンジ君、なにか手伝えることなあい?」
「ん、ナミっすわん、ありがとう嬉しいなあ」
君と一つの空間で過ごせることこそが、俺へのご褒美だよ〜と泡だて器をクルクルかき混ぜながら自身も器用に回る。
「まあ、そういうのいいから」
「クールなナミさんも、素敵だーっ!」
一声吠えてから、じゃあと抱えていたボールを置いた。
「オーブンでパウンドケーキ焼いてんだけど、竹串で焼き上がり見てくれるかな?良さそうならそのまま余熱で置いておく」
「どうりでいい匂い」
「火傷に気を付けて」
ナミは慣れた手つきで、さっと竹串を突き刺し抜いた。
「火が通ってるわ、表面もうっすらきつね色になってる」
「じゃあそのまま火を止めて、余熱で焼き色が付くだろうし。あと、大皿2枚出して冷蔵庫のフルーツをカットしてくれるかな」
サンジに言われたとおり、テキパキと作業をする。
基本、調理はサンジの担当だが、ナミだけでなくクルーのみんなが最低限の作業手順は仕込まれていた。
ルフィだけは、例外中の例外だ。

「パンケーキをどんどん焼いて行くから、フルーツとクリームは好きなトッピングで」
「了解、切り分けたらまた冷蔵庫で冷やしておくわね。クリームはこの器でいい?」
「さすがナミさん、それで頼むよ」
サンジと並んで厨房に立つのは楽しい。
自分が邪魔になっていると意識させるような動きを、サンジは決してしないからだ。
チョッパーも以前、サンジの手伝いをすると自分に自信が持てると言っていた。
人を使うのが上手いというより、人を立てる気遣いができるのだろう。

「ねえ、ナミさん」
「ん?」
「あのさ、ゾロがアルファって決定したじゃん」
ナミは一瞬包丁を持つ手を止めたが、すぐに思い直してフルーツのカットを再開させた。
「そうね」
「だったらさ、その、都合はよかったよね」
「・・・馬鹿ね」
サンジが何を言わんとしているか察して、ナミはコンと包丁の柄をまな板にぶつけた。
「都合がいいとか、そういう風に言わないの。サンジ君がオメガであれゾロがアルファであれ、だからって手っ取り早く仲間内でくっつけちゃえなんて思わないわよ」
サンジが、驚いたように片目を瞠った。
「そう?」
「そうよ。そんな手軽に扱っていいような存在じゃないでしょ。サンジ君も、あのゾロでも」
ナミはそう言って、手元に集中して小さな果物に包丁を入れる。
「ねえ、自分の身になって考えたらわかるはずよ。もし私がオメガで、フランキーがアルファだったら?ウソップがオメガで、ルフィがアルファだったら。もしそうだったと仮定して、サンジ君は身近にアルファがいてラッキーとか、思う?」
「そ、んなこと」
サンジは慌てて、ぶんぶんと首を振った。
「そんな、身勝手な都合で勝手にくっつけようとか断じて思わねえよ」
「でしょ、だから私達もそうなの」
ナミはにっこりと笑い、サンジは気が抜けたように目と口をぽかんと開いた。
「・・・ナミさん」
「もちろん、サンジ君が今後どうするのか、誰を選ぶのかは自由よ。だからサンジ君が心に決めたことを行動してくれればいいの。サンジ君の選択なら誰も反対しないわ」
急がないで、自棄にならないで、一生を決めることなのだから慎重に。
「サンジ君自身が、決めればいいのよ」
そう言ってから、ナミはダンと包丁の柄をまな板に打ち付けた。
「ただし、あのゾロの態度は、私は腹立ったけどね」
そう言って窓の外を睨み付けるナミの横顔に、サンジは泣き笑いのような表情を見せた。





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