運命と呼ばせない -7-


寄港地を出港し大海原に出ると、途端に嵐に見舞われたり海王類の襲撃に遭ったりと息つく間もなく忙しい航海になるのが常だった。
が、ここ数日何事もなく、退屈なほど平穏無事に日々が過ぎていく。
あのぶっちゃけた話し合いの夜以来、ナミ達は妙にサンジに気を遣ってしまっていた。
意識するまいと思えば思うほどサンジに対しての接し方がぎこちなくなり、お互い居心地の悪い思いをしている。
もちろん一番精神的に辛いのはサンジだとわかっているから尚のこと、下手な気遣いも同情もできず、さりとて普通に振る舞うのも難しくどこかぎくしゃくとした雰囲気が船内を占めていた。
それもこれも、平和過ぎるのがいけない。
いっそ海賊か海軍でも襲い掛かって来いよとか、臆病なウソップでさえ本気で願ってしまうほどの不穏当さだ。

「意識し過ぎちゃダメだって、わかってるのにねえ」
カモミールティーを飲みながら、ナミはここぞとばかりに愚痴をこぼした。
サンジは入浴中で、ゾロは見張りだ。
当事者が揃って席を立っている今だから、ようやく本音が言える。
「まったくだ、俺ぁルフィを尊敬するよ」
同じく神経をすり減らしているウソップが、恨めしそうにクッキーを齧る。
ルフィはと言えば、サンジが夜食用に焼いたクッキー+専用のパンケーキを頬張って、ご満悦だ。
「お前らが気にしすぎなんだ。やきもきしたって結果が変わる訳じゃねえし、あんまり意識すっとサンジが可哀想だろうが」
ルフィから気遣いの言葉を得られるなんて。
今回の件はよっぽどなんだなと、改めて驚きつつも考え込んでしまう。
「それは、そうなんだけどさあ」
「ヨホホ〜、お二人とも心根が優しい方ですから」
落ち込むナミとウソップを励ますように、ブルックは静だが軽やかなメロディを奏でた。
「そうだぜ、一番しんどい思いしてんのはサンジなんだしよ」
「わかってるよ、わかってんだけどー」
フランキーにも慰められ、ウソップはクッキーを咥えたままテーブルに突っ伏す。
それを、ホットミルクが入ったカップを両手で抱えたチョッパーが気の毒そうに見やった。
ロビンも、コーヒーを傾けながらチョッパーに顔を向ける。
「チョッパー、結果はいつ出るのかしら」
「多分明日。もう後は結果待ちの状態だけだから、俺にできることはなにもないし」
問題提起をしたロビンはともかく、チョッパーは今回終始冷静だった。
医者の立場から物事を考えているし、そもそも人間でないので生殖関係に関しては非常にシビアだ。

「結果が出たら、今度こそ動揺せずに事実を受け止めましょう」
もう、サンジがオメガであることはロビンの中では確定事項なのだ。
だが問題は、ゾロがアルファであったとしたら・・・ということ。
それは、仲間達にとっては「ラッキー」な出来事かもしれない。
ただ、サンジにとってどうなのか・・・

「もう、グダグダ考えてたってどうしようもないものね。私達にできることなんてなにもないし」
「ああ、自分だって余計なことばっか考えてるってわかってんだ。それもこれも、平和過ぎる毎日のせいで・・・」
ウソップのボヤキに、ルフィは膨らんだ腹を撫でながらしししと笑う。
「なんだ、ウソップは退屈なのか?そんじゃ、海王類探して喧嘩でも売るか?」
「ばーっ!なぁにを言い出すんだルフィ君、今のままが一番いいに決まってるじゃないか。どんな結果が出ようとどーんと受け止める覚悟もあるんだから、頼むからこれ以上余計なトラブル背負込むの勘弁してくれマジで」
両手を振り回してオーバーアクションで訴えるのに、はっとして動きを止める。
近付く足音で、みんな自然と口を噤んだ。

「ああ、いい湯だった」
「おかえり」
風呂上りのサンジが、まだ生乾きの髪を拭きながらラウンジに戻って来る。
「ああもうこんな時間。そろそろ部屋に戻るわ」
入れ替わるように、ナミが腰を上げた。
ロビンもそうねと、その後に続く。
「お夜食のクッキー、ご馳走様」
「サンジ君も早めに休んで、風邪引かないようにね」
空になった皿を受け取って、サンジは目をハートにしながらくねくねと身体を捻らせる。
「ナミさんもロビンちゃんも、ゆっくりお休み〜。また明日」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
なんとなく、つられた形で男達も席を立ち始めた。
「じゃあ、俺風呂入って来るわ」
「俺も寝よう、今夜は夜更かししちゃった」
「おやすみーサンジ」
「おう、おやすみ」

ゾロゾロとラウンジを出ていく仲間達を見送って、サンジは一人きりになった。
上着のポケットをまさぐって煙草を取り出し、口に咥える。
―――避けられてる、訳ではない。
今のだって、たまたま就寝のタイミングが合っただけだ。
複数人が一つの船で生活する以上、いろんな擦れ違いや間の悪さに遭遇することはよくある。
そんなことをいちいち気にしていたら、やってられない。

そう思ってゆっくりと一服するのに、どうしても気分は塞ぎがちだ。
自分ではなるべく気鬱や動揺を表に出さないよう、普通に振る舞っているつもりなのに。
「・・・場を乱してんのは、俺なんだよなあ」
口に出して呟いたら、ズーンと更に落ち込んだ。
なにもかも、この厄介な体質がいけないのだ。
好きで「オメガ」とやらに生まれた訳じゃないけれど、サンジがこうじゃなかったらそもそもこんな問題は生じなかった。

サンジ的には、どんな野郎に目を付けられたって毅然とした態度で跳ねつけるし、いざとなったら相手を半殺しにしてでも抵抗するつもりだ。
だから己の身の心配など、毛ほどもなかった。
ただ、ナミやロビンと言った女性達の繊細な心に、不愉快な思いをさせることこそが一番恐ろしい。
それが好意であれ嫌悪であれ、サンジが関わることで彼女たちの心にさざ波が立つのが、嫌なのだ。

「くっそ・・・」
落ち込みそうになった時は、怒りに転じるのが一番手っ取り早い。
そして怒るべき対象はただ一人。
あの、考えなしの阿呆毬藻だ。





不寝番であろうがなかろうが、明け方までゾロは起きている。
そうして時には、不寝番でも日の出と共に寝入ってしまう。
今のゾロには、眠っていようが起きていようが感覚は同じだった。
だから、ゾロの存在そのものが「見張り」に適していると言える。

そろそろ日付が変わろうかという時刻、かすかな振動と共にコックが昇って来たのがわかった。
夜食の差し入れとは珍しい。
いつもなら、一食分をラウンジに準備して先に眠ってしまう。
夜中に目を覚ましたルフィに食べられてしまうこともあるから、日付が変わると同時に取りに降りるのが習慣だった。
だが今夜は、コック自ら運んできた。

火を灯さず、月明かりだけが差し込む見張り台に、猫のように目を眇めたコックが顔を出した。
怒りと苛立ちをそのままにぶつけてくる。
ご丁寧に夜食を準備し運びながら、相手に怒りを持続させるとは器用な男だ。
「どうした」
「どうしたもこうしたもねえよ、このクソ腹巻!」
持ってきたバスケットを床に静かに置いた後、いきなり回転しながら蹴り掛かってきた。
夜中に乱闘騒ぎは歓迎しないと、ゾロは足音を消し自ら飛び込んで行って全身で蹴りを受け止める。
「てめっ・・・」
「いきなりなにしやがる、この野郎!」
短く叱咤し、首根っこを?まえて伏せさせる。
それを腕を振り上げて跳ね退けてから、サンジは距離を取って壁際に腰を下ろした。
「うっせえ、てめえがあんまりバカだからムカついただけだ」
「ずっと怒ってんな、しつけェ」
「誰のせいだ!」
そう、サンジはずっと怒っていた。
あの夜の話し合い以降、ゾロに対してずーっと怒っていたのだが、口に出して責めたのは今夜が初めてだ。
ゾロもサンジも、周囲にやけに気を遣われる日々が続き注目度も高い。
二人きりで言葉を交わせるのも、今夜が久しぶりだった。

「俺がなんだって?」
ゾロは面倒臭そうに後ろ頭を掻きながらも、サンジが持ってきたバスケットに手を伸ばしお握りを頬張っている。
サンジとどれほど険悪な状況になろうが派手な喧嘩をしようが、食べることに対して躊躇はしない。
ゾロのそんなところは、サンジにとってありがたくもあり若干の救いにもなっている。
そんな感情を自ら認めようとはせず、サンジは憤怒の表情のまま煙草を咥えた。
「てめえが、考えなしなことを言うからだ」
「ごたくはいい。てめえが言いてえことを、とっとと言え」
「――――てめえが!」
サンジはそこまで言って、ガリガリと乱暴に耳の後ろを掻く。
「てめえが、ロビンちゃんに聞かれた時。なんで正直に答えんだよ」
「―――・・・」
なんのことだったかと、ゾロは本気で数秒考えた。
多分、以前の話し合いの席でのことを言っているのだろうと見当を付け、記憶の糸を辿る。
「なんだったか・・・匂い、か?」
「それだよ」
なんですぐ忘れるんだと、サンジはいら立ちを募らせた。
「てめえに、匂いがするのかと聞いた時なんで肯定した。馬鹿正直に、そんなん知らねえって言えばよかっただろうが」
「なんでだ」
ゾロの方こそ、サンジの言い分がわからない。

「ちょっと考えりゃわかっだろ?俺の匂いとやらを嗅ぎつけるのがアルファの特性だってんなら、てめえが匂いがわかるって認めることは、イコールてめえがアルファってことになるじゃねえか。事実、それでロビンちゃんも確信しちまったんだし、決定付けるために遺伝子検査までやっちまった。これで本当にてめえがアルファだって確定しちまったら、どうする気だよ」
別に、どうすることもない。
「なんであそこで、認めたんだ。適当に嘘ついてでも、しらばっくれたらよかったじゃねえか」
その言葉に、ゾロはムッとした。
「なんで俺が、てめえのことでいちいち嘘吐かなきゃなんねえんだ。くだらねえ」
この台詞に、サンジもカチンと来る。
「ああそうかい、そうだよなお前にとっちゃそうだよな」
フィルターを齧りながら、サンジは俯いて自嘲した。
「どうせ、くだらねえ俺このことでてめえが嘘吐く必要はねえんだ。ああそん通りだよ、つまんねえことだ」
俺がオメガだろうがてめえがアルファだろうが、てめえにとっちゃたいしたこっちゃねえんだ。

「だがよ」
長い前髪の下から、片方だけ覗く目が正面から睨み据える。
「俺がオメガでてめえがアルファって、知れちまったらそうもいかねえぜ。あと一月、いやもう20日足らずか。次に俺がどうなるか知れねえが、俺のせいで仲間達をトラブルに巻き込むくらいなら俺は俺にできることはなんだってやるさ。ナミさんやロビンちゃんが嫌悪を抱くようなことは、極力避けてやる。そのためにはそう・・・なんだってやる」
へらりと、気が抜けたような笑みを浮かべた。
それでいて、視線は射竦めるほどに強い。
「そんときゃ、てめえは否が応でも巻き込まれんだぜ。くだらねえ、この騒動に。あん時あんだけ、二人して擦りきれそうなほど手コキ繰り返して済ませてたことを、今度はどうする気なんだ。え?」
挑発的な目線を、ゾロは黙って見返した。
「仲間には手ぇ出さねえって、てめえが言ってたんだよな。次もまた、そうすっか?別にいいぜ、俺はどうでも。だがなあ、てめえが自分をアルファだと認めたなら、もう巻き込まれたも同然なんだよ。そこがわかんねえから、てめえは阿呆だって俺ァ言ってんだ」
噛んで含めるように言い放ち、サンジはふうと白い息を吐いた。
「まあ、お前にはどうでもいいんだろ。どうせ、くだらねえことだ」

サンジは、怒れば怒るほど口元に笑みを浮かべるのは知っている。
悔しければ悔しいほど、目元が笑うのも。
哀しければ悲しいほど、口調が軽くなるのも。
わかっていて、ゾロは何も言い返せない。

「邪魔したな」
サンジはそう言い終えて、短くなった煙草を咥えたまま見張り台から降りて行った。
煙草の残り香だけが、いつまでも静けさと共に漂っている。

夜食を食べ終えたゾロは、しばらくじっと目を閉じたあと観念したように懐に手を入れた。
「・・・クソ、あの阿呆は一人で煽るだけ煽りやがって」

オメガだとかアルファだとか。
ゾロにとっては、すべてくだらない事象だ。
発情期だのなんだのと言っていたが、それだってまったくあてにならない。
今だって、怒り嘆き悲しみ悪態を吐くサンジを目の前にしてゾロはずっと欲情していた。
一月後とか20日足らずとか、それこそ関係ない。

ゾロは眉間に皺を寄せると、まるで厳しい鍛錬を積む修行僧のような厳しい表情で高まった欲望の解放に努めた。






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