運命と呼ばせない -6-


しばらくの間、気まずい沈黙が下りた。
誰も何も言えず、ただ気遣わしげに視線を彷徨わせるばかりだ。
当の本人は、項垂れたまま微動だにしない。
それでも、重い空気を振り払うようにぎこちなく首を巡らせ、サンジはへへっと笑ってポケットに手を入れた。
「確証は、ないよねロビンちゃん」
「ええ」
「でも、そう思った根拠って、聞いていいかな?」

少なくともゾロとサンジは、ロビンの説明を聞いて納得できる要素はあった。
だが、他の仲間達はさほど“サンジの変化”に気付いていない。
だから半信半疑ではあるし、サンジ自身は抗弁する権利がある。

「そうね、まずオメガの特性の中に“繁殖に適した”というものがあるのだけれど。なぜそう言われるのかというと、オメガは18歳を迎えた日から月に一度、発情期が現れるからなの」
「――――・・・」
咥えたばかりの煙草が、ぽとりとテーブルに落ちてしまった。
それを拾う余裕もなく、サンジは呆然とロビンを見やる。
「オメガが発情期に入ると、性的なフェロモンを誘発して不特定多数を惹き付けてしまうのよ。その対象者はアルファもベータも関係なく、男性も女性も区別がないの。でも、大方引き寄せられるのは男性が多いわね。行動を起こすのも」
「・・・それって」
「船が島に着くまでの数日、そして着いてからの数日。心当たりはない?」
心当たりはある。
めっちゃある。

ウソップが、発言を求めておずおずと片手を挙げた。
「あの、それあれかな。島に着く前に、なんか俺が妙にサンジに構いたくなったってのも」
「じゃああれか、俺がサンジ見てるとめっちゃ腹減ったのもそれか」
ルフィもそう聞き、頭の後ろで手を組んでふーんと唇を尖らせた。
「でも俺、いまそんなにサンジ見てても腹減らねえぞ」
「発情期を過ぎたからよ」
ロビンがあっさり言い切って、思わせぶりにゾロを見る。
「ゾロは、どうだった?」
対してゾロは、苦虫でも噛み潰したような表情を見せる。
なにか言おうと口を開いたら、サンジがそれを遮るように牽制した。
「こいつはいつもみてえに寝くたれてただけだ!それよりロビンちゃん、18歳になったらって俺もう20歳越えてるよ?こんな症状出たのってつい最近のことじゃねえか。やっぱり、そのオメガとやらと違うんじゃね?」
「そのことなんだけど・・・」
ロビンは、そう言って向かい側に座るチョッパーに目を転じた。
チョッパーは、飲み終えたカップを静かに置いて背筋を伸ばす。
いつもの可愛いマスコット的存在ではなく、医者の目で仲間を見つめた。

「ロビンに助言を貰って、俺なりに調べてみたんだ。サンジがずっと飲んでいた煙草・・・」
ドキッと、心臓が鳴る。
「煙草自体はそう珍しいもんじゃないけど、サンジはその煙草のフィルターに薬草を塗り付けて吸ってただろ?前に、聞いたことがある」
健康診断のついでに、喫煙は身体に悪いとチョッパーに窘められた時、サンジは確かに薬草の話をした。
これを塗り付けて吸えば、健康を害することはないのだと。
「そんな作用あるかなって、俺もずっと疑問には思ってたんだ。で、今回の件でロビンの意見を聞いた時、もしやと思って成分を調べさせてもらった」
そういって、足元に置いてあった鞄から取り出したのは、サンジが島で買い求めた薬包と同じものだった。
「こないだの島の沈没事件で、流通が滞っててまったく同じものは手に入らなかったけど、これとほぼ成分は一緒だよ」
「あ、それは・・・」
俺も持ってる、と小さく付けたしてまた黙る。

「これね、実は発情期を抑制する作用があるんだ」
「――――!」
これには驚いた。
ということはつまり、ゼフはこのことを見越してサンジに勧めていたということか。
「多分、サンジを育ててくれたバラティエのオーナーは、サンジがオメガであることに気付いていたのね」
しみじみとしたロビンの言葉に、サンジは複雑な思いを噛み締める。
そこまで俺のことを考えていてくれたのかという感謝と、なんで言ってくれなかったのかと恨めしい気持ちと、なにもかもお見通しだったんだなという反発心とがごちゃ混ぜだ。
「でもこれは、あくまで発情期を抑制する作用だったってことで」
チョッパーは言い難そうに、下顎を歪ませる。
「一度発情しちゃったら、もう効かないんだ」
「えっ」
サンジは今度こそ、がぼんと口を開けて固まってしまった。

またしても居心地の悪い沈黙が下りた。
じっと成り行きを見守っていたナミが、おずおずと口を挟む。
「あの、それってつまり、オメガであるサンジ君が発情しないように常時投薬されていた薬の効能が切れたってこと?」
「うん、そう」
「それで、いったん発情期を迎えちゃったサンジ君は、もうその薬をいくら常用しても効き目がないってこと?」
「そう」

「あちゃー・・・」
ウソップの暢気な声が場違いに響き渡り、慌てて口を押さえて身を引く。
そんなウソップをじろりと睨み据えながら、サンジは震える手で煙草を取り出した。
「いやでも、悪いけどそれってあくまでチョッパーの診立て、だけだよな。そうと決まった訳じゃ、ねえよな」
「そうだよ」
ここでサンジの疑問に闇雲に反発せず、こともなげに肯定する方が却って自信を覗かせて、やけにチョッパーが頼もしく見えた。

「それを証明するのは、1か月後に再びサンジが発情期を迎えるかってことなんだ。もし、薬の作用がずっと続けば、サンジが薬草を塗り付けた煙草を吸い続ければ、発情が起こることはない。今まで通り、誰彼ともなくサンジに魅かれることもなく、サンジ自身も自分を持て余すこともなく平穏無事に旅を続けられる。けど、もしそうじゃなかったら?」
怖い問いかけに、サンジはもとより仲間達みんながごくりと唾を飲み込んだ。
「一度発情してしまったら、これからは一か月サイクルを延々と続けるだけなの。この狭い船の中で、或いはたまたま他の島に上陸していたとして。サンジが行く先々で、彼のフェロモンに惑わされた男達がついて回ったら…」
「ロビン」
ナミは堪らなくなって、思わず非難の声を上げた。
「それはあんまりだわ。だって、私もロビンもわかるでしょ?不特定多数の男に言い寄られたり、注目を浴びることの厭わしさを。そりゃあ、私達の魅力に抗えなくて色々貢いでくれるのはいいのよ。そこはオールOK。でも、野蛮な男が自分の欲望の赴くままに行動するとしたら、話は別よ。そんな対象になると思うだけで、吐き気がするわ」
「ええ、わかるわナミ」
ロビンも深刻そうに、眉を寄せた。
「でも、哀しいことにオメガが放つフェロモンは性衝動を誘発する種類でしかないの。オメガが繁殖に適していると言われるのも、その所以なのよ」
「そんな…」
ナミは、自分がその立場に立たされたかのように蒼褪めて口を覆った。

不特定多数から欲望の対象になる機会がそもそも少ない「男性」である仲間達とは、ロビンもナミも一線を画している。
だがまさか、サンジがそっち側に回ることになろうとは。

「えーと、待って」
この期に及んで、サンジはまだわずかながらの抵抗を示した。
「いまのは、その、この薬がは・・・つじょう?を抑える効果があるかなしかの話、だけだよね。俺がその、オメガとやらであるかなしかってことは、議論にもならねえの?」
サンジは、そっちを聞いたつもりだった。
なのにロビンもチョッパーもナミ達でさえも、そこをすっ飛ばして発情云々に話を持って行ってしまっている。
「ごめん、それほぼ決定事項。どうしてもって言うなら、遺伝子検査すればはっきり結果が出るけど」
する?とぞんざいに聞かれ、サンジはムキになっておうと頷いた。
「当たり前だ、そもそも論が間違ってたら話になんねえだろうが。俺の毛でも血でもなんでも採って、きっちり調べてもらおうじゃねえか。それではっきり結論が出たなら、俺だって納得すらぁ」
憤然と言い切るサンジに、それもそうだねとチョッパーはすげない。
ナミの方が意気消沈して、暗い表情で肩を落としている。

「ロビン、それなんとかならないの?」
ナミにすれば、ひたすらサンジが気の毒でならないのだ。
女好きだけれどとても紳士で、カッコいいのに気取りすぎない優しいサンジは、頼りになる兄のような、放っておけない弟のような存在だ。
誰よりも男としての矜持を抱いているサンジが自分と同じように、いやそれ以上にあからさまな情欲をぶつけられる対象になるのは、生理的にも許し難い。
「もし、サンジ君がオメガだったとしても、それでも普通の男性として生きていけるようにはなれないの?」
「普通の男性・・・」
ナミの言葉は、すでにサンジが“普通”じゃない認定されたことの証左だ。

衝撃を受けてしまったサンジに気付かず、ナミは縋るようにロビンを見た。
「一つだけ、方法がないこともないの」
ロビンも悩ましげに言葉を選びながら、彼女らしくなく言い淀む。
「一度発情してしまった以上、サンジはオメガとしての人生を歩むことになるわ。これは薬草の効果がいつまで効いていたかにもよるけれど、早かれ遅かれこうなる運命だったと思う。ずっと薬草付の煙草を吸い続けていたとしてもいずれ発情は免れなかったでしょう」
その上で、とロビンは顔を上げた。
「過去、オメガであった人達はみんながみんな、不特定多数と性交を繰り返し子どもを多産して来たのかと言えば、そうでもないの」
うわあ、えっぐ・・・
思わずそう呟きかけた口を、ウソップは辛うじて噤んだ。
「オメガが発情した時、アルファもベータも同じようにそのフェロモンに惹き付けられるのだけれど、特にアルファは嗅覚で嗅ぎ分けるのだそうよ。そうしてお互いが強く惹かれ合い結ばれた時、二人は“番”になるの」
「番?」
「そうすると、オメガの発情は止まる。闇雲にフェロモンを撒き散らして他者を誘惑することはなくなるわ。番となった・・・もっと平たく言えば、愛するアルファのためにのみ発情する。過去、多くのオメガ達は本来はそうして生涯の番を得て、幸せな結婚生活を続けていたの」
「ああ、わかります」
ブルックが、遠くを見るような目で(瞳はないのだけれど)頷いた。
「私が幼い日に目にしたご夫婦も、それは仲睦まじく美しいお二人でした」
「まさに生涯の番のごとく、一度結ばれた縁はどちらかが死ぬまで切れることはないそうよ。それだけに、どちらかが早逝した場合は悲劇なのだけれど」
ちょくちょくブラックな物言いを挟ませながら、ロビンは淡々と真実を告げた。
「だから、もしサンジが今後幸福な人生を送るとしたなら、アルファの恋人を見つけることね」

「――――・・・」
自然と、仲間達の視線がサンジに集中した。
サンジの顔色は、紙のように真っ白だ。
「誰か、心当たりがあるのかしら?」
ロビンの追及は容赦がない。
それに気圧される形で、サンジはぎこちなく首を振った。
「や、やだなァ。そんな女神がいるなら、早く出会いたいよ」
そう呟き、だよね?と勢い込んでロビンに聞き返す。
「その、アルファってのは男って限らないよね?女性もアルファっているよね、俺アルファの女性を死に物狂いで探せばいいよね?!」
サンジの必死の形相に、ロビンは至極真面目な顔で答えた。
「ええ、もちろんアルファの女性もいるわ。でも、その場合でも子どもを産むのはサンジよ」
「なんでーっ?!」
今度こそ悲鳴のような声を上げ、テーブルに突っ伏す。
「なんで?レディ相手でも俺が妊娠するの?産んじゃうの?」
「・・・頑張れば、サンジも誰かを妊娠させることは可能なはずだけれど、とてもレアケースになるみたい」
「そんな〜〜〜〜〜〜っ!」

嘆き悲しむサンジに同情の涙を浮かべつつ、ナミはきっぱりと言い切った。
「わかったわ。それじゃあもう、進むべき道はただ一つよ。サンジ君の番を探しましょ!」
ね、とウソップに話を振れば、うう〜〜〜んとウソップも首を捻る。
「そりゃあ、話を聞いてる限りそれしかねえ気もすっけど。でも気の毒さが先に立つな」
「いくら同情したって、サンジ君の立場はもう変わりようがないじゃない。これより悪くならない内に、手を打たないと」
そうと決まれば、と元気よく席を立つ。
「一刻も早く、次の島に上陸しないとね。急がないと次の発情期が来ちゃう」
急がないと電車出ちゃう♪程度のノリで言い切られ、サンジだけが「あああああ〜」と低く呻いてテーブルを掻いた。
「でも、そう都合よくアルファが見つかるか?」
「見つかるか?じゃなく見つけるのよ。そうじゃないと、この船1か月おきにめっちゃ風紀が乱れるのよ。耐えられる?」
「・・・う、ううう」
想像してみて、怖気が来たらしい。
ぶるっと震えるウソップの後ろで、ルフィが鼻をほじりながら椅子に凭れた。
「別に、腹減ったって我慢すりゃあいいんだろうが」
「そんなこと言って、真っ先に齧り付くんじゃないのあんたなら」
「まあ、いざとなればまるっと食っちゃえばいいかな」
「怖いこと言わない!」
ナミとウソップが揃って指をさすのに、ルフィはピンと鼻くそを飛ばす。
「ししし、なるようになるだろ」
「だからそれがダメだってえの」

侃侃諤諤と言い合うナミ達を置いて、ロビンはゾロに目を向けた。
「島でアルファを見つけるという手もあるのだけれど、ここでもう一つはっきりさせていいかしら?」
「おう、なんだ?」
あっけらかんとしたルフィの隣で、ゾロは眠っているかのように目を閉じている。
「ゾロ、貴方サンジの匂いに気付いていた?」
「ロ、ロビンちゃん」
サンジはガバッと顔を上げ、腰を浮かした。
「そいつ関係ねえだろ、どうせそいつのがめっちゃ臭えんだから。なんせ1週間風呂に入らな・・・」
「サンジは黙っていて」
ぴしゃりと言われ、しおしおと椅子に座り直す。
「ゾロ?」
「ああ」
ゾロは片目だけぱちりと開き、ロビンを見据えた。

「俺には、ぷんぷん匂ってたぜ」
「ばっ!」
血相を変えて再び立ち上がったサンジを、大きくなったチョッパーが押さえる。
「馬鹿マリモ、いい加減なこと言うな!」
「事実だろうが、てめえが臭えって言ったのは俺だ」
「それはてめえが、野生の獣だからっ」
喚くサンジを椅子に座らせ、チョッパーはゾロに尋ねた。
「ゾロ、サンジの遺伝子を調べるのと一緒にゾロのも調べていいかな?」
「・・・好きにしろ」

意外な展開に、他の仲間達は黙って成り行きを見守っている。
始終空気だったフランキーは炭酸が抜けたコーラを飲み干してから「まあ人生、色々あらあな」とその場を締めた。





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