運命と呼ばせない -2-


「なにすんだっ」
思わぬ行動にテンパりながらも、サンジは咄嗟にゾロの肩を掴んで押しのけた。
それをさらに上から押さえ込もうとして、ゾロもはっと我に返る。
「てめえ、なにやってやがる」
「それは俺のセリフだ、ボケエッ!」
ゾロにできた僅かな隙を突いて、サンジは不自然な体勢ながらも片足を垂直に振り上げた。
顎にクリーンヒットしたゾロが、天井に突き刺さる勢いで蹴り飛ばされる。
砕けた天井板がバラバラと降り注ぐのに紛れ、サンジは逃げるように風呂場に飛び込んだ。
追ってきたら扉ごと蹴り飛ばす勢いで身構えていたが、床に落ちたゾロが低く呻いた後おとなしく立ち去った様子だったので安心して服を脱ぐ。
「クソ、やっぱり弊害が出てきやがった」
脱いだシャツの襟元を掴んで、鼻先に近付けた。
自分でも嗅いでも、匂いなんてわからない。
「・・・クソ、なんだってんだよ」
乱暴に衣類を投げ捨て、頭からシャワーを浴びる。
ゾロがのんびり浸かっていただろう風呂に入る気にはなれなくて、その夜はシャワーだけで終えた。


「どうした、その恰好」
まだラウンジでコーラを傾けていたフランキーが、風呂上りのはずなのに頭に木屑をくっ付けて入ってきたゾロを見て笑う。
「これはまた、派手にやりましたねえ。船、大丈夫ですか?」
「知るか」
ゾロは憮然とした表情で、勝手にワインラックから酒を抜き取って口で開けた。
そのままラッパ飲みして、ふうと一息吐く。
「なんだなんだ、荒れてんなあ」
「ヨホホ〜、若いっていいですねえ」
暢気な大人二人をじろりと睨み、ゾロはまだ水分を含んだ頭を乱暴に掻く。
「畜生苛々する、何だあれは」
「あれと申しますと」
「アレだろ、眉毛の兄ちゃん」
フランキーがさらりと言い当てたので、ゾロの方が驚いて片眉を上げる。
「あんたらも、おかしいと思うか?」
「いえ、私は特に・・・」
戸惑うブルックが視線を移すと、フランキーも不審げに首を傾げた。
「まあ、なんだな。俺ァ野郎に全っ然興味はねえが、ちいとなあ・・・とは思う」
その言葉にゾロは苦々しげに奥歯を噛み締める。
「え、あらまあそうなんですか?」
ブルックはぽっかりと空いた眼窩を殊更瞠り、二人の顔を交互に見た。
「それは気付きませんでしたヨホホ〜。サンジさんが苛々してらっしゃるのは、てっきり食料が心許ないからと思っておりました。いえね、ご本人は大丈夫だーと言ってらっしゃいましたが、私達に気を遣わせまいと気遣う方じゃないですか」
「知るか」
ゾロはまた、不機嫌そうにプイと横を向いてしまう。
「どちらにしろ、ワタシ女性のパンツにしか興味ありませんので」
「アウッ!俺だってパンツより中身の方がいいに決まってる」
「もちろんですとも!」
話題が斜め下辺りに向かったので、ゾロはむっつりと押し黙りワインに口を付ける。
「だがな、なんつうか妙な色気あんだよ。いまのぐる眉は」
「そうですか、いわゆるフェロモンと言う奴ですかねえ」
「それもここ最近だ、いつ気付いた?」
後半の疑問はゾロに向けられたもので、それに律儀にも動きを止めて考えてみる。
「いつってえとはっきりは言えねえが、ともかくどんどん酷くなる」
「だな」
「そうなんですか?具体的には?」
「匂い」
ゾロが即答すると、フランキーはサングラスを上げた。
「そうか?仕種とかじゃねえか?」
「いや、明確に匂う」
「へえ、匂いは俺ァわかんねえなあ」
そう言って、鋼鉄の鼻を擦る。
「フランキーさんは、サンジさんの仕種にキュンと来るわけですね」
「キュンってェよりこう、ズクッと」
「あらまあ、またダイレクトな」
「な?」
同意を促すように話を振られ、ゾロは嫌そうに顔を顰めて見せた。
「ともかく、狭ェ船であんな匂いを撒き散らされちゃたまんねえ」
「それほど、追いつめられちゃってるんですね」
「匂いってのは厄介だな。俺みてえに見てて『お?』と思うくらいなら見なきゃいいんだが。匂いじゃそうはいかねえ」
「鼻の孔は塞げませんものねぇ。あ、ワタシ鼻の穴を塞ぐ鼻もないんですけど」
ヨホホ〜と能天気な笑い声を立てたブルックは、それじゃあそろそろと腰を上げた。
「もうサンジさんはお休みでしょうか。部屋に入ったら、私も蠱惑的な匂いとやらに毒されてしまうかもしれませんね」
「さっき風呂入ってたからさほど匂わねえかもしれん。入る前に出くわしたのが、やばかった」
ゾロがそう言って肩を竦めたから、フランキーとブルックは顔を見合した。
「風呂場で鉢合わせか。それでどうした」
「勢い余って押し倒そうとしたら、蹴られた」
二人同時に噴き出して、腹を抱えて笑い出す。
「そりゃ傑作だ、それでその頭かなるほど」
「それはそれは、お互い災難でしたね」
「風呂場の天井、穴空いてるぞ」
「俺まで災難じゃねえか、なんてスーパーな夜だ!」
ようしわかった今夜は飲もう!と、結局一晩中、3人で酒盛りをして過ごした。



「島が見えるぞー」
見張り台から望遠鏡を覗くウソップが、高らかに声を張り上げる。
ほっと息を吐くナミの後ろで、サンジはそれ以上に安堵していた。
ようやく島に着いて、煙草が補給できる。

ストックが無くなるのを恐れて喫煙の頻度を下げたら、仲間達からでさえも妙な目で見られるようになった。
特に顕著だったのはゾロだ。
ブルックとチョッパーはいつもと変わらず、フランキーは態度にこそ出さないが目を合わせなくなった。
反対にルフィはやたらとベタベタ引っ付いてくるし、ウソップも何かとかまいたがって来たがゾロに比べれば可愛いものだ。
風呂場で鉢合わせして以降、ゾロの方から意識的に避けているのはわかった。
初っ端に押し倒されそうになったのは仰天したが、多分サンジと同じくらいゾロ自身も驚いているのだろう。
だから、いつもの二人にはあるまじきどこか遠慮したような、よそよそしい雰囲気がずっと続いている。
それももう、今日でおさらばだ。
街で煙草をしこたま買い込んでいつものように常に吹かしてさえいれば、おかしな空気も払しょくされる。
サンジはそう信じて、最後の最後にと取っておいた一本に躊躇いなく火を点けた。

「ログが溜まるのに三日ですって。もう少しゆっくりしたいわね」
「久しぶりの陸だもんなあ。けど、ここ出発したらその先はまたコンスタントに島があるんだろ」
「ええ、この辺りは結構点在しているみたい。こないだみたいな長旅は不測の事態だから」
ナミはそう言って、やれやれと首を回した。
「食料に心配がなかったのは助かったわあ。さすがサンジ君ね、ありがとう」
「どういたしまして、海のコックの本領発揮さ」
煙草を指に挟んでにっこりと微笑み返すサンジは、島が見えたことからくる余裕のせいか随分と大人びて見える。
ウソップは目が覚めたみたいにぱちくりと瞬きして、一人で頷いた。
サンジも落ち着いたから、俺も落ち着いたのだろうか。
ついこないだまで、やたらとサンジに構いたくて用もないのに声を掛けたり傍にいたりしていた自分が、今となっては恥ずかしい。
なんであんな気になっていたのか、さっぱりわからない。
「思わぬアクシデントで続いた船旅って、精神的にも結構クるものなのかな」
独り言のように呟いた言葉に、チョッパーは「そんなものかもしれないね」と医者の顔で同意した。




滞在中の三日間、思う存分羽を伸ばそうとばかりに、上陸と同時に仲間達はそれぞれに散った。
サンジも、まずは煙草と問屋街に足を運ぶ。
今度はいつ寄港できなくなっても困らないよう、大袈裟なほど買い込んだ。
湿気の心配より、切れることの方が重大な問題だ。
煙草と、それとあと一つ――――

「ない?」
薬局のカウンターでサンジはことのほか大きな声を上げてしまい、慌てて周囲を窺った。
のどかな午後の昼下がり、店内に他の客の姿はない。
「なんで?特に珍しい薬草とかじゃねえだろ?」
焦った様子を見せないように気を付けつつも、食い下がる。
薬剤師は耳の横辺りをポリポリと掻きながら、思案気に首を傾けた。
「確かにありふれた滋養強壮剤ではあるんだけどね、こないだの時化で入荷ルートの島が緊急避難しちゃってねえ」
「あああの、島ごと沈んだってあれ」
「そうそう、それでしばらく薬草系が入荷できないんだよ。でもアレじゃなくて他にいくらでも代用あるから、こっちとかもっとよく効くよ」
ショーケースから色々と取り出して、並べてみせる。
「こっちは胃腸に優しく早く効く、速攻タイプ。お疲れが酷い時にはこっちのがおすすめ。お値段に優しいのはこっち・・・」
「いや、あれと成分が同じやつのがいいんだけど」
いつの間にかカウンターから出てきて、サンジの傍に寄り添うように立っていた。
「漢方薬だからなあ。まったく同じ成分とはいかないけど、これなんて比較的近いかな」
考え込むサンジの肩に、馴れ馴れしく手を掛ける。
「これは通常この値段なんだけど、オマケしとくよ」
「いや、いいよ別に」
必要以上に接近してくる薬剤師を警戒して、サンジは横歩きして距離を取ろうとした。
だが、人目がないのをいいことに薬剤師はぐいぐい距離を詰めてくる。
「遠慮しないで。君、いい身体してるけど疲れやすいの?肩とか凝ってない?俺、マッサージめっちゃ上手いんだよね」
ここまであからさまに押してこられるとさすがに身の危険を感じて、サンジは手にした箱をバンザイするように掲げた。
「じゃあこれ!これ買うから十箱!」
「じゃあサービスで…」
「サービスもおまけも値引きもいらねえから、とっとと値段言え!」
今にも蹴り付けそうな足をなんとか堪え、サンジは言われた金額をカウンターに置いて素早く店を出て行った。

「くっそう、もう期間は過ぎてんじゃねえのかよ」
息を切らして問屋街を駆け抜けると、落ち着く暇もなく早速買ってきた煙草の封を開けた。
次いで、先ほど薬局で求めた薬草をフィルターの部分に揉み込み、火を点けて一緒に吸い込む。
サンジが好んで吸っているのは、一般的な煙草ではない。
最初は大人びた気分になるために手を出したが、ゼフが助言したのだ。
『どうせ吸うなら、この薬草を揉みこんで一緒に吸え』
薬草と聞いて得体のしれなさに警戒もしたが、口では反抗してもゼフには全幅の信頼を寄せている。
ゼフが見ていないところで試しに薬草と一緒に吸ってみたが、特になにも変化はなかった。
下手に吸うと噎せるし、ヤニ臭いし。
けれどそれ以降、律儀に煙草と一緒に薬草を吸うように心がけていた。
『ずっと続けてりゃあ、面倒に巻き込まれることもねえだろうしな』
ゼフの言葉の意味はわからなかったが、問い直せば素直に言うことを聞いたと思われるのが癪で、結局気にしていないふりをした。
だから、ゼフが言うところの『面倒に巻き込まれる』の意味も、知らなかったのだ。

―――― それが、こういうこととはなあ。
この間の島消失事件で、煙草はともかく薬草の摂取が切れたのは、煙草を吸い始めて以降初めてのことだった。
ずっと薬物に頼っているというのは気持ち的に怖かったが、いざ薬切れで副作用が思わぬ形で現れるとは。
「しっかし、気色悪い」
ルフィがやたらとベタベタしたりウソップが普段以上に構いたがったりするのはまあいいとして、いきなり風呂場で襲い掛かって来たゾロには閉口した。
あの後、本人も懲りたのか無闇に近付かなくなったのは幸いだが、煙草が切れる度にこうなってはこの先困る。
「でも大丈夫だ、似たような薬効のものが手に入ったんだから。もうこれで今まで通り…」
サンジはそう思って安心して、煙草を吹かした。
元々薬草を揉みこもうが普通に煙草を吸おうが、サンジ自身には匂いも変化もないから区別などつかない。
だからてっきり同じように薬効はあるものだと思い込んでいたが、現実はそう甘くなかった。



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