注文の多い靴屋さん -2-



年に一度の誕生日、ゼフは仕事を休んでいつもよりゆっくり起きる。
一緒に暮らす孫のサンジが、ゼフのために朝食を作るのを急かさないためだ。
本人は内緒でこっそりしているつもりだろうが、台所がガチャガチャとうるさくなるのですぐに目が覚める。
だがその騒音も年々静かになって来ていて、今年などは早い段階からいい匂いが漂ってきた。
成長を喜ぶ半面、少々寂しく感じるのは年のせいか。

そろそろ頃合いかと、車いすに乗ってゆっくりと部屋から出る。
本来なら、休日もなるべく義足をつけて過ごしたいところだが、ここのところ夜間の痛みが酷くて必要でない限り極力付けないようになった。
朝食の後、散歩のために装着することにしよう。

バリアフリーの廊下を、ゴロゴロと車輪を回して進む。
音で気付いたか、ドアノブに手を掛ける前に扉が開いた。
「ジジイおはよう!寝坊したな!」
いつにもまして元気いっぱいなサンジが、頬を紅潮させ目をキラキラと輝せながら挨拶してきた。
その勢いに押され、椅子に座ったまま若干仰け反り、おはようと返す。
「お前はまた、えらく張り切ってるな」
「べ、別になんにも、張り切ってなんかないよっ」
スープが煮立つ匂いがして、サンジは慌てて踵を返した。
テーブルにはもう、朝食の準備ができている。
温めた牛乳とこんがり焼けたトースト。
オムレツは随分と形がよくなったが、黄味の混ぜ方が甘いのか色味が斑だ。
サラダの盛り付けはそれなりに工夫したようで、拙いながらもラディッシュに細工が施されている。
「あちっ・・・」
レードルから跳ねたスープに顔を顰め、手の甲をペロッと舐めた後、慎重な手付きでスープ皿によそう。
なんの変哲もない、スタンダードな朝食メニューもサンジの手に掛かるとゼフにとって特別なものになる。

「うし、できた」
椅子の上に飛び乗って、ゴトゴト鳴らしながらテーブル近くにまで持って行く。
それから、二人で手を合せた。
「いただきます」
「いただきます」
いつもと変わらぬ休日の朝。
けれど、ちょっぴり特別な一日の始まりだ。


ゼフの一挙一動を、サンジはさりげなく、けれど真剣な面持ちで盗み見ている。
それに気付いていてわざと無言で、サラダを頬張りスープを飲んだ。
トーストに齧り付くと、パリッと音を立てて香ばしい匂いが立ち昇った。
「・・・どうだ」
「うむ」
勿体付けて咀嚼してから、口を開く。
「まあまあだな」
プロの見地から、注文を付けるべきところはまだまだたくさんある。
だが今日は、ゼフのために用意してくれた朝食だ。
あれこれとダメ出しをするより、黙って美味しく平らげてやりたい・・・というより、自分がそうしたい。

特に文句も言わず黙々と食べるゼフにサンジも最初は不満そうだったが、一緒に食べている間に様子を窺うことはしなくなった。
せっかくの朝食なのだから、お互い心置きなくゆったりと味わうべきものだ。




「御馳走様」
「ごちそーさまでした」
また二人で手を合わせ、サンジはふっと息を吐いてから椅子から飛び降りた。
後片付けをする間、ゼフはテーブルに着いたまま新聞を広げる。
「ジジイ、これからどうすんだ?」
食器を重ねてシンクに運び、腕まくりしながら振り返る。
「うむ、足を付けて散歩に出る」
「あの、あのさ」
スポンジを片手で弄びながら、サンジは言葉を探すように視線を巡らした。
「今日、お客さん来るんだよ。だから11時頃には帰って来てくれないかな」
「――――?」
昼食もサンジが腕を奮うから、極力邪魔をしないように午前中一杯は外で時間を潰すつもりだった。
だが、客だと?

「誰に用事の客だ」
「うん、あーえーと、俺」
いかにも挙動不審な答え方のサンジに、ゼフの目が眇められる。
だがそれ以上追及するのは止めて、広げていた新聞紙を畳んだ。
「わかった、11時までには帰る」
「…うん」
ゼフの返事をもらい、サンジはほっとしたように笑顔で背を向けた。
背伸びをしながら洗い物をする後ろ姿をそっと盗み見て、ゼフは義足をつけるべく車椅子を回転させて自室に戻った。



転がったボールを追いかけて、路地から飛び出したサンジを庇い車に跳ねられたのは5年前のことだ。
一命は取り留めたが、片足を失った。
サンジは5才だったが、自分のせいで祖父が大怪我を負い後遺症が残ったことをすでに理解していた。
以降、なにかにつけゼフの世話を焼き常に傍にいて手助けをしようと機会を窺っている。
サンジの両親が日本での仕事を終え、フランスに帰国すると決めた時も自分だけは日本に残ると言い張った。
ゼフは、日本に骨を埋めるつもりで店を出している。
その店を自分が継ぐと、若干9歳にして宣言したサンジはそれからずっとゼフの傍にいた。
フランスに帰った両親や兄妹達とは、時折スカイプで連絡を取っている。
可愛い孫を守るために身体を張ったことをゼフは後悔していないし、片足を失ったのも単なる事故だと割り切っている。
サンジが自責の念に駆られる必要など、まったくないということも。
バラティエを継ぐと決めたのも、罪滅ぼしのつもりならお門違いだときつい言葉で諌めた。
だが、サンジの決意は固かった。
なにより、サンジ自身がゼフとゼフの店を深く愛しているのが伝わった。
贖罪でも自己犠牲でもなく、これは自分に与えられたチャンスだと、サンジは言い切る。
お互い、意地っ張りな性格だから面と向かって感謝の気持ちやいたわりの言葉など交わさないが、憎まれ口を叩きながらもお互いを心底思いやっている。
ゼフは、いまの孫との関係にいたく満足していた。


いつもの公園外周コースを途中でショートカットし、約束通り10時50分には自宅に戻ってきた。
玄関を開けると、キッチンから飛び出してきたサンジが、ゼフを見て落胆した顔を見せる。
「なんだ、ジジイか」
「なんだとはなんだ。お前が帰って来いと言ったんだろう」
むっとして言い返すと、サンジは頭の後ろで手を組んで「おかえりなさい」とつまらなそうに呟く。
玄関脇に置いてあった車椅子を引き寄せ、義足のまま座った。

そのままキッチンに向かうと、昼食の準備は粗方終わったらしく片付いていた。
ゼフのためにコーヒーが煎れられる。
その合間にも、サンジの意識はチラチラと玄関に向けられていた。
よほど待ち遠しい“客”らしい。
落ち着かない空気のまま、更に15分が経過した。
「―――・・・」
サンジはもう、見ているのが気の毒なくらい落胆して椅子に座っている。
約束が11時なら、まだちょっと遅れているぐらいの時間だ。
その内待ち人も来るだろうと、声を掛けてやりたいがどういっていいかわからない。
更に10分経過した頃、唐突にチャイムが鳴った。
「来た!」
その場で飛び跳ねる勢いで、サンジは立ち上がり飛び出していく。



「こんにちは」
「もうーっ!遅いよ――――っ!」
聞き慣れない大人の男の声に、サンジの声が被さる。
ゼフは廊下から覗きたい衝動をぐっとこらえ、聞き耳を立てた。
「すまん、ちょっとここらへんわかり辛いな」
「んな訳ねえだろ!駅から徒歩5分じゃねえか。それにバラティエの横の家って言ったらすぐ見つかるだろ」
「駅から20分かかったぞ」
「どこの駅降りたんだよ!」
言い合う声が、どんどん近づいてくる。
キッチンの前でサンジはいったん足を止め、コホンと咳払いした。
「ジジイ、お客さん」
「・・・俺にか?」
不審気に見上げると、サンジの後ろに背の高い男が立っていた。
短く切りそろえた緑の頭髪に鋭い眼光、がっちりとした身体つき。
一目で、武道を嗜んでいるなと看破した。
だが敵意や威圧感はなく、むしろ意識して穏やかさを醸し出そうと努力しているように見える。
「初めまして、ロロノアと申します」
ロロノアと名乗った男は、サンジの後ろでぺこりと頭を下げた。



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