注文の多い靴屋さん -1-



煤けたガラス窓の向こうで、金色の光がチラチラと行き交う。
あまりに軽やかな動きなので、作業に没頭しているゾロの目の端にも否応なしに飛び込んできた。
しばらくは無視していたが、立ち去る気配は一向にない。
ゾロは一つ息を吐いて、根負けしたように顔を上げた。

空家活用事業で、安く売り出されていた古民家を買い取って靴工房を開いたのは5年前だ。
間口が狭く奥行きが深い、まさしく鰻の寝床な家屋で半分は住居、残りの半分を作業場兼店舗として使っている。
一応店の形態はしているが、ディスプレイなどない。
看板も、わざと地味で目立たないものを掲げた。
この店を目的に探し求めて来る客にだけ、わかればいい。
一見して「靴屋」とわからない造りだから、冷やかしの客も立ち寄らないしその分作業に没頭できる。

『ロロノア靴店』は、靴職人のゾロが一人で営んでいるオーダーメイド専門店だ。
客のほとんどがリピーターで、主に口コミで増えているがあまり注文が増えても生産が追い付かないから今のところ新規の客は歓迎していなかった。
いまも、常連客に注文を受けた靴を仕上げるのに忙しい。
通りすがりの、しかも子どもにかまけている時間などなかった。

靴職人の仕事が珍しいのだろうか。
子どもの影は、なかなか店の前から立ち去らない。
だが、ゾロは奥の作業場に引っ込んでいるから、表からは何をしているか見えないはずだ。
子どもは何度か、玄関を行きつ戻りつし、目立たないはずの看板を繁々と見上げている。
それから、意を決したようにドアに手を掛けた。
やはり、冷やかしでも暇つぶしでもなく、目的を持った客らしい。
どうしたもんかと様子を見守っていたが、両手でドアノブを持って一生懸命内開きのドアを引っ張っているのを見て、仕方なく腰を上げた。

「いらっしゃいませ」
ゾロが軽く手前にドアを引くと、子どもはたたらを踏んで店の中に引きこまれるように飛び込んだ。
「あ、あ、すみません」
先ほどから、チラチラと光って見えたのは子どもの髪だ。
間近で見ても艶やかで混じりっ気のない、蜂蜜色をしていた。
色白の頬を真っ赤に染めて、自分の倍ほどの身長があるゾロを見上げている。
青い瞳が、落ち着きなく瞬きを繰り返した。
「あの、あの、ここ、靴屋さん」
「そうだよ」
靴屋にしては、品物が並べられていないから不安だったのだろう。
ゾロの言葉に少し安心したように息を吐いて、また振り仰いだ。
「あの、ここ、注文したら靴を作ってくれるって」
「ああ」
ゾロが頷くと、子どもはいつまでもしっかりとドアノブを握っていた手を離した。
「あの、靴を注文したいです!」
やはり、お客さんだったか。

ゾロはバリバリと後ろ頭を掻いてから、まあどうぞと店内に招き入れた。
店内と言っても、ほとんど作業場だ。
靴屋らしさは、いま作りかけの靴ぐらいしかない。
「・・・わあ」
子どもは遠慮がちに数歩歩んで、足を止めた。
まだ小学校、中学年くらいだろうか。
このぐらいの年齢の男の子は、好奇心に負けて飛び込んだりガサガサと落ち着きなく走り回ったりする子の方が多いだろうに、随分と落ち着いて見える。
「すごい」
「危ないから、ここで話を聞こうか」
子どもを制する必要はなさそうだが、道具に手を触れてもらいたくないから玄関先で椅子を薦めた。
一応、接客用にテーブルと椅子は用意してある。

「この店のこと、誰かに聞いたのかな」
向かい合って座ると、まるで小さな子を取調べしているような気分だ。
なんかやりにくいなあと思いつつ、ゾロは肩肘を着いて斜め方向を見ながら質問した。
「うん、あ、はい。お店のお客さんが、いい靴屋さんがあるって教えてくれて」
「お店?」
「うち、レストランなんです」
なるほど、子どもらしくない分別臭さを感じさせるのは家が客商売だからか。
「それで、君の靴を注文に来たのかな?」
「あ、いえ、俺のじゃないです」
子どもはモジモジと両手を太腿の間で擦り合わせた後、テーブルに乗せた。
「あの、じ・・・祖父の靴を作ってもらいたくて」
「お祖父さんの?」
「来週、誕生日なんです。こっそりプレゼントしたいんです」

真剣な眼差しに、ゾロはうーんと顔を顰めた。
子どもの必死さが伝わってくるからこそ、気が引ける。
言葉を選びつつ、口を開いた。
「そもそも、靴をプレゼントするのは難しいよ。サイズが合うかもわからないし、好みもあるし」
「だから、このお店は注文するとその人にぴったりの靴を作ってくれるんでしょ?」
期待に満ちた眼差しが、痛い。
「確かにそうだが、そのためにはまず本人が店に来て、足のサイズを計らなきゃいけない」
「本人が?」
子どもの表情がしゅんと萎む。
「足のサイズを計って、要望をよく聞いて、色や素材、デザインをようく話し合いながら作るんだ」
だからとても時間がかかる、とゾロは続けた。
「最低でも半年はかかるよ」
「そんなに?!」
実際には、半年先まで予約でいっぱいだから新規の客は1年待ちだ。
さすがに子ども相手にそんな酷なことは言えず、この程度で諦めてくれるだろうと踏んで反応を窺う。
子どもはテーブルの上に乗せた小さな拳をぎゅっと握った。
それでも、じゃあいいですとは言わない。
ゾロはダメ押しのつもりで口を開いた。
「それに、特注だから値段もかなり高い」
「あ、あの、これくらいで足りますか?」
子どもはポケットに手を突っ込んで、がま口の財布を取り出した。
小さく折りたたまれた紙幣がいくつも出てくる。
丁寧に皺を伸ばして並べていくと、4万8千6百円あった。
「無理、ですか?」
正直、ゾロは驚いた。
子どもの考えだから5百円とは言わないが、せいぜい千円単位の小遣いを持ってくるかと侮っていたのだ。
だが、それなりの覚悟を持って店に来たことは伝わった。

「もし足りないなら、片方だけでもいいんです」
「片方だけ?」
ゾロは眉を顰めて聞き返す。
「ジジイ・・・祖父は、片足が義足なんでほんとの足は一つしかないんです」
一生懸命話す子どもの表情に、影が差した。
「昔、っていうか俺が小さい時に、ジジイは俺を庇って事故に遭って、それからずっと義足なんです。でも、その時に作った義足だからどんどん合わなくなって来て、一度作り直したんだけどやっぱり何年も経つと合わなくて。ジジイも、年取ると身体が縮むっていうか萎むっていうか。でも、義足は縮まないんです。だから、足の高さとか合わなかったり、あと、義足は作りものだから硬くて、普通の靴を脱いだり履いたりするときやり辛くて―――」
子どもはたどたどしく、身振り手振りを交えながら一生懸命説明する。
「ジジイはなにも言わないけど、でも時々義足嵌めてる足が痙攣して、すごく痛がってるのわかるんです。それに、歩いてる時コツコツ音がするんだけど、前に聞いてたのとこうリズムが違うっていうか、音が大きくなったっていうか。なんか、義足を最初から作り直すといいんですけど、店があるし、ジジイもこれでいいっていうし」
だから、靴を作りたかったのか。
じいさんの足に合う、負担の少ない靴を作って少しでも楽にさせてやりたいのだ。

子どもの心情を察して、ゾロはうーんと腕組みをした。
「あの、でも、ジジイにこのお店に来てっていうと、きっとそんなんいらねえって怒るから」
子ども心に、誕生日のサプライズも考えたのだろう。
だが、オーダーメイドの靴はそう簡単なものではない。
ゾロはうーんと考えてから、すっかりしょげて俯いてしまった子どもの旋毛を見下ろした。

「一つ、提案がある」
子どもが、伺うように顔を上げた。
「その、来週のじいさんの誕生日に俺がサイズを計りに行くのはどうだ」
「え?」
子どもの顔が、パアッと明るくなった。
「いいの?」
「まあ、出前ってえか出張ってえか、客の都合でこっちから出向くこともある。それなら、サプライズでプレゼントにもなるだろ?」
なにも当日に靴がなくったっていい。
突然靴職人が訪ねて、有無を言わさずサイズを計りデザインの相談を持ちかければ、いかに頑固なじいさんと言えど断りはしまい。
それに、子どもが一人でこの店まで来たということは自宅もそう遠くはないだろう。

「ほんとに?嬉しい、ありがとう!」
子どもは跳ねる勢いで立ち上がり、そのままゾロに抱き着いた。
座った状態のゾロにちょうどいい高さで、首に両手を回してぎゅっと締め付ける。
ふわりと、甘い匂いが鼻孔を掠めた。
「あ、わ、ごめんなさい」
我に返ったか、子どもは慌てて離れた。
ゾロは椅子に座ったまま、特に反応を返せず苦笑を浮かべている。

「じゃあ、訪問の詳しい日程を決めようか」
「はい、お願いします」
子どもはきちんと座り直し、まずは自分の名前を名乗った。



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