月見 -3-


夕食の席で“すこ”を口にして、サンジは感嘆の声を上げた。
「さっぱりして甘酸っぱくてシャキシャキしてて美味い」
「だろ?」
何故かゾロが得意気に頷いている。
「手伝いの時なんかで色々食ってるが、おばさんの作るのが一番歯触りがいい気がする」
「そうか、んじゃいつかおばちゃんに作り方聞かなきゃ」
言いながら、サンジは携帯を取り出してなにやら打ち込んでいる。
「何してんだ?」
「ん、ネタ帳。季節の料理とか、時期を過ぎると忘れちまうからこうしてメモっといて作り方と一緒に記録してんだ」
先に撮って置いたらしいすこの画像を、ホラと見せてくれる。
「別に産直用の資料って訳じゃねえけど、俺も色々レシピまとめておきたいと思ったからさ。後でパソコン貸してくれたらデータ出せるぜ」
「そういや前にも言ってたな、飯食ったらちと見せろ」
「ん〜どうすっかな」
自分から言っておきながら焦らす素振りで口元を緩めるサンジは、今日も景気よくビールを飲んでいて半酔っ払い状態だ。
先に風呂に入らせておいて正解だと、ゾロはもう布団を敷く算段まで頭の中で済ませている。

「飯食ったらちょっと調べて、んで月見だな」
サンジは目を細めて縁側を見た。
真新しいカーテンは両サイドに止められて、全開にした窓の中央の位置に盆に乗せた団子の山とススキが飾られている。
三方も半紙もないから、俄か仕立ての月見仕様だ。

「月見っつっても、中秋の名月は来月だぞ」
「いいんだよ、月が眺められたら」
いつもとはまるで逆の、サンジらしくない大雑把さが酔いの程度を表している。
ゾロは苦笑しながらビールを空け、自らこれで仕舞いだと手のひらでジョッキを蓋した。
「まあ、来たのが今週でよかった。先週までなら夜は練習で忙しかったからな」
「練習?なんの?」
「集落対抗運動会」
「・・・は?」
なるほど、確かに秋はスポーツの季節でもある。
「集落別に分かれて競う訳だ。案外と体育会系が多くてな、普段はのんびりした顔してっけど、勝負事になると俄然張り切る年寄りが多い。まあ、走りは早い者に任せるが、団体競技なんかは夜密かに練習してたりする」
「マジで?」
なんだその一致団結具合は。
「じゃあ、町の体育館と借りて走り込みとか?」
とんでもないと、ゾロが大げさに首を振って見せた。
「練習してるところを他の集落の者に見つからないようにってのがミソなんだ。大体じろださんとこの空き地辺りに集まって、ムカデ競争とか大縄跳びとかの練習をする」
「・・・・・・」
ぷっと噴き出してから、不謹慎だと思ったのか無理して真面目な顔つきを取り繕う。
元から赤く染まっていた頬が耳まで真っ赤になっていて、我慢しなくてもいいぞとゾロは空いた
ジョッキにビールを注いでやった。
「玉入れの練習とか水運びリレーとかな。結構みんな真剣で、老いも若きも練習から熱が入ってた。
 大会が近いとほとんど毎晩みたいになって・・・昼は仕事や農作業で夜はそれだから、大したスタミナだ」
ゾロ的にはいい鍛錬になったという程度が、確かにシモツキ村民は根が熱い。

「でも先週までは結構雨も降ってただろ。雨降ったら練習は無理だよな」
「いや、雨天練習場がある」
「どこ?」
もしかして、誰かのビニールハウスの中か。
「西の海に抜ける峠にトンネルあるだろ。あれが雨天練習場」
「トンネ、ル?」
ある、確かにトンネルはある。
あるがしかし―――

「トンネルの中で、練習してんのか?」
「おう、結構快適だぜ。雨は当たらないし、めったに車は通らないし、夜だから車が来たらライトでわかるし」
いやだがしかし―――
サンジはつい想像してしまった。
たまたま通りかかった車が、トンネル内の壁にぴたっと張り付く大勢の老若男女とそれぞれの手に握られた大縄なんかを目にしたとしたら・・・どれだけビックリするだろう。
「ぶはははははははははっ」
脳裏に浮かんだ光景がツボに入って、サンジはテーブルに突っ伏す勢いで笑い転げた。

「んで、結果はどうだったんだ」
ひとしきり笑いの発作が治まってから、サンジは目尻を擦りながら聞いた。
「おう、うちの逆転勝ち優勝。最後のリレーが効いた」
「ゾロも出たのか」
「ああ、20代でな」
確かに足速そうだなと、サンジが一人で頷く。
「なに、部活で陸上とかやってたとか?」
「いや、俺はガキん時から剣道やってて、それとは別に部活は柔道やら空手やらカルタやら・・・」
「わお武道系だ・・・って、カルタ?」
「百人一首、冬のスポーツだろ」
「・・・スポーツ?」
百人一首ってスポーツなの?
ゾロがそう言うならそうかも〜と、酔っ払いがブツブツ呟いている。
「確かに陸上からも誘いはあったが、剣道以外はそれほど真面目にしてなかったし・・・。お前こそ、足速そうじゃね?」
話を振られて、サンジは得意そうに頷いた。
「おう、俺も速いぞ。中学までサッカーやってたしな」
「じゃあ、高校入ってから陸上に誘われたんじゃねえか?」
サンジは空のジョッキを置いて、う〜んと言葉を濁した。
先ほどまでフラフラ揺らめいていた上半身が、両肘を着いた姿勢で固まる。

「ん、あのな」
所在なさ気に後ろ頭を掻いて、えへへと困ったように笑う。
「俺、高校行ってねえの」
「そうか」
なら専門学校にでも行ったのだろうか。
小さい頃から実家の店を手伝っていたようだし、中々真面目な若者だなとゾロは年寄りみたいな思考で頷く。
サンジはまたん〜と声を出し、顔を下げてゾロを窺い見るように視線を上げた。
「中学出てから、ずっと店で修行してた」
「そりゃ偉いな。立派な跡継ぎがいて祖父さんも安心だろう」
「・・・一体どこの年寄りだよ」
ゾロの言い種に噴き出して、それからあーあと長くため息をつく。
「どうした」
なにやら屈託を抱えたらしいサンジに、ゾロはもうちょい飲ませた方がいいかとビール缶に手を伸ばした。
サンジは肘を着いたまま緩慢な仕草で手を振って、いらないとジェスチャーする。

「今凹んだのは自分のこと。別にゾロがどうとか思う必要なかったのに、高校行ってないこと言うのをためらった」
え?凹んでたのか?
驚いて軽く目を見張るゾロの前で、だから俺はバカだーとか一人呟き両手をテーブルの端に揃えて顎を乗せる。
まるで犬の反省ポーズだ。
「俺が高校行ってないからってゾロが気ぃ遣うとかする訳ないのに、咄嗟に見誤った。俺サイテー」
何やら自己嫌悪に陥っているらしいサンジに、ゾロははてと困り果てて、耳の後ろ辺りを指で掻いた。
サンジが何に凹んでいるのか、今イチ掴めない。

「まともに高校行ってないことが後ろめたくて、でもお前に嘘とかつきたくなくて、んで妙な間ができた」
ゾロの戸惑いを察したか、サンジが懇切丁寧な説明を付け加える。
なるほどと納得して、気にするなと声を掛ける。
ああまただ、とサンジは歯痒いような悔しいような、それでいてほっと安堵するような複雑な気持ちになった。
ゾロが気にするなと口にすると、額面通りに気が楽になる自分がいる。
ありがたいことなのだが、それはそれでなんだか癪だ。

今までも、サンジ自身が高校に行ってないことに引け目を感じるような発言をしたことはある。
相手の反応はそれぞれだが、時には「高校に行ってない事がなんだ」「大体普通ってなんなんだ」と窘められることもあった。
言っている当人は、だから気にするなと逆説法で励ましているつもりなのだろうが、そういうのは言われる身としては却って白ける。
俺だけは理解してやってんだよと好意を押し付けられるようで、不愉快になるのは自分が天邪鬼なせいだろうか。

けれどゾロにはそれがない。
高校行ってようがなかろうが、サンジに後ろめたさがあろうがなかろうが、ゾロには露ほどの影響も与えない。
だからといって無関心や薄情なのとは違うからそれで寂しさを感じることもないけれど、一体ゾロのこの鷹揚さの元はなんなんだろう。

「もうなんか、てめームカつく」
「・・・は?」
考えついた先は八つ当たりだった。
ぽかんとしたゾロを置いて、サンジはふらつく足で立ち上がる。
「俺、もう月見するもんね、ごっそさん」
片手をひらひらと振りながら、左右に揺れつつ縁側まで移動してしゃがみこんだ。
大丈夫かと姿を見ていたが、廊下にへたり込むようにうつ伏せになって空を見上げている。
あれで月見スタイルなのだろう。



ゾロはサンジが席を立った後のテーブルから皿を運び、炊事場で洗い物を始めた。
背後で水仕事の音を聞きながら、冷たい床に火照った頬を付け、サンジは黒い夜空と軒の間にほんの少し覗く月を眺めている。

さっきゾロが気にするなと言ったのは、一体どれに対してのことだろう。
高校に行ってないことだろうか。
ゾロの反応を気にして、取り繕ったことだろうか。
そもそもゾロが、そんなことを気にすると見誤ったことだろうか。
それとも、それらを全部ひっくるめて考えすぎる自分に対してだろうか。

―――あー、わからん
サンジは床に額を押し当てて首を振った。

そもそも、そんな余計なことをグルグル考える自分が駄目なのだ。
ゾロは何にも気にしてないのに。
ゾロが気にしてないんだから、自分だって気にしなくていい。
そう思うから、気が楽になるのに。
なんでまた途中で戻って、堂々巡りに入ってしまうんだろう。


「月、見えるか」
背後から声を掛けられ、はっとして顔を上げた。
いつの間にか月は移動して、完全に軒下から出ている。
「おう、よく見える」
「本当だな」
今気付いたと言った風のサンジに、ゾロは呆れながらその傍らに腰を下ろした。
途端に、庭からリーリーとうるさいくらい賑やかな虫達の声が鳴り響いていることに気付く。
ゾロが傍に来て、音と景色が戻ってきた。
そんな感じだ。

「すげえな月、ウサギだかなんだかわからないけど、模様がくっきりと見える」
「そうだな」
「でもウサギって、逆さま向いてね?」
「そもそもどこがウサギなんだ。カニだろ」
なんだかわからないけれど、月には模様があるのだ。
それが肉眼で見える辺りが、すごいと思う。

「こんなに月って、でかかったんだなあ」
「おう、それは俺も思った。ここに来て初めて、月の存在感を思い知ったつうか」
ゾロが言いたいことはなんとなくわかる。
街で過ごしている頃は、空なんて見上げなかったし月の姿を探すこともなかった。
地上の光が強すぎて、夜の闇さえ霞んでいたから。

「こっちの夜は深いなあ」
「昼間の空は高くて、夜は深いか」
詩的な台詞を呟くから、似合わなくてぶっと噴き出した。
なんだよとゾロが軽く睨む。
「月見酒は?」
「もういい、それより団子はいつ食うんだ」
どうやらゾロは団子を狙っているらしい。
「一応お供え物だから。五穀豊穣を月に願うんじゃなかったっけか?」
詳しくはわからないけど、こういう田舎では重要なことなんじゃなかろうか。
サンジより無頓着なゾロが、綺麗に積み上げられた団子に伸ばした手を叩き落とす。
「明日串に刺してみたらし団子にしてやる。それまでお預け」
「うっす」
みたらし団子と聞いて納得したのか、ゾロは大人しく手を引っ込めた。
実に躾が行き届いていると、サンジは一人満足しほくそ笑む。



「月眺めながら寝たいなあ」
「寝ればいいじゃねえか、縁側に布団敷いてやる」
なんだか、毎回布団敷く作業はゾロがしているような気がするが、気にしないことにした。

相変わらず一組の布団に、大の大人が二人でごろりと横になる。
夕方から随分と気温が下がって、窓を開け放した今は夜風が寒いくらいだ。
寄り添って眠るにはちょうどいい。
「一応、腹にタオルケットを巻いておけ」
「お前腹巻してんじゃん」
「だから俺はいいんだよ」
サンジが縁側の端に仰向けになって、その真横にゾロがぴたりと背中をくっ付けて眠る。
相変わらず庭からは虫達のかまびすしいほどの音色が聞こえるが、不思議と夜の風に紛れて耳障りではない。

大きな月の前を、薄い影のような雲が何度か横切った。
じっと見つめていると、月に映った逆さまウサギの影がぴょんと跳ねそうな気がして、サンジは長い間夜空から目を離せなかった。



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