月見 -2-


すうと、どこかに吸い込まれるような心地がして目が覚めた。
視界には、そろそろ見慣れた天井の木目。
欄間からは変わらぬ青空が覗いていて時間の経過を感じさせず、なんだか得した気分になる。

―――よく寝た…気がする
ゆっくりと起き上がり、柱時計に目を向ける。
まだ2時だ。
やはり小一時間くらいか。

半端に眠ると頭が痛くなったりして、却って気分が悪くなったりもするが、ここでの昼寝はいつも寝覚めがいい。
傍らのゾロを見れば、仰向けで足を広げ何故か腕を組んで眠っている。
へなちょこ生徒のマラソンを見守る教師みたいだ。
クスッと小さく笑いを漏らし、サンジはゾロを起こさないように静かに立ち上がった。
早昼だったから、目が覚めたら腹が減っているだろう。



30分ほどすると、ゾロがゴロゴロと寝返りを打ちだした。
目が覚めたのだろうが、寝起きが悪いのか往生際が悪いのか、いつまでも名残惜し気に畳に張り付いている。
サンジはコーヒーを入れて、その薫りで寝覚めを促した。
「おはよう、よく寝たな」
「おう…っあよう」
後の方は大きく伸びをしながら勢い付けて、それでも畳の上で反転している。
「腹減っただろ、おやつ」
「うしっ」
今度こそ腕に力を入れて、ゾロは身体を起こした。

それでも眠そうに目を擦りながら台所にやって来たゾロが、お!と声を上げる。
「なんだ、洒落てるじゃねえか」
「だろ?」
テーブルに並べられたのはサンドイッチとスコーン、それに小さな焼き菓子だ。
「農家でなんちゃってアフタヌーンティーだ、洒落てるだろ」
本当は3段スタンドが欲しかったと、軽く笑う。
「サンドイッチはオーソドックスにハムときゅうり、海老と青菜のマヨネーズ和えな」
「上等じゃねえか」
「スコーンは生クリームとジャムつけてな。このジャムはまだ冷凍庫にイチゴ残ってたから即席でチンして作った」
「この菓子は?」
サンドイッチを一口で平らげながら、ミニタルトを指し示す。
「家から持って来た。タッパに入れて」
ぺろんと舌を出し、サンジもサンドイッチを頬張る。
「美味いな、しかも色々食べられて面白え」
「だろ?ひと手間掛かるけど、ちょっとしたぜい沢気分が味わえる」
まったくだと頷いて、ゾロは慣れない手付きでスコーンにクリームを塗っている。
「スコーンは二つに割れよ、こうやって。ああ、一口で行くと喉に詰まるぞ。ってか、崩れてるこぼれてる、コーヒー飲めコーヒー」
あれこれと世話を焼きながらも、頬が緩んでくるのは止められない。
自分が作るものを美味そうに平らげてくれるゾロの姿を見るのが、一番楽しいから。

「ご馳走様でした」
パンと手を合わせ、ご丁寧に頭も下げてから皿を重ねる。
洗い物を始めたゾロを眺めながら、サンジは縁側で一服した。
「これから買い物行くだろ?」
「ああ、今回はちょっと足を伸ばしてホームセンターまで行きたい」
「…なんか買うのか?」
駅前のスーパーしか行ったことがなかったサンジは、目を輝かせた。
「まあな、カーテンをな」
ゾロはやや言葉を濁して答えた。
「カーテン?この家にか」
そう言われれば、この家にはどこにもカーテンがなかった。
雨戸を閉めなければ、西日は入りっぱなしだ。
畳がすっかり日焼けしてしまっている。

「カーテンかあ、どこに?」
「そこだ」
ゾロは縁側を顎で指し示す。
確かに、ここからは夕日がよく見えるが…
「ここにカーテン吊すのか…なんか、合わなくね?」
なんとなく、雨戸→サッシ→縁側の順で充分な気がする。
「カーテンレールもねえし」
「これから寒くなると、カーテン一枚でも結構な保温効果があるだろ」
「ああ、そりゃそうだ」
俄かに合点がいって、サンジは素直に頷いた。
「なら、ちょっとでも浮かない柄を選ばなきゃな。カーテンレールの色とかも」
「吊れりゃなんでもいいよ」
ゾロ的には、前回夜の窓ガラスに映った光景を見てサンジが失神した経緯があるから、カーテンで窓を覆うことには再発防止の意味がある。
けれどサンジにそれを告げる訳にはいかず、自然と歯切れが悪くなった。
そんなゾロに頓着せず、サンジは何かを思いついて子どもみたいに目を輝かせた。

「なあ、じゃあ俺も買いたいものがあるんだけど、いいかな?」
「あ?いいが」
買い物で、なぜ許可を取る。
「ただ、それはここに置いときたいから、場所取って悪いんだけど」
そこまで言われて、ゾロもピンと来た。
「自転車か?」
「ビンゴ!」
サンジが親指を立ててにかりと笑う。
「やっぱ俺一人で移動した方が便利な時もあるしよ。足がないと不便なんだ。自転車があったらすごく助かると思って」
「そうだな、置き場所はいくらでもある」
ゾロ一人の場合なら、荷物や機械類を結構運ばなくてはならないから軽トラの方が便利だが、サンジは自転車のが足回りがいいだろう。
「必要経費だ、折半して買おうぜ」
「いいよ、俺の小遣いで充分買えるから」
そうと決まれば善は急げだと、サンジは煙草を灰皿に揉み消してゾロが片付けるのを手伝い始めた。





ホームセンターは、駅とは反対方向の郊外にある。
園芸資材や農業用が豊富で、インテリア類はスペースもやや狭かった。
「柄の種類はこんだけか」
不満そうなサンジに、なんでもいいだろとゾロはすげない。
「ここに規定のサイズに仕立てられた奴があるぞ。これていいんじゃねえか」
「でかい窓用だから、一枚分しか入ってねえ。同じ色のあるか?」
「別に色違っててもいいだろ。閉まれば」
「いやおかしい。それ絶対おかしいから」
サイズさえ合えば色は適当でいいと主張するゾロを無視して、サンジは一番無難そうな色で2枚揃って
いるものを選んだ。
「ちと地味だけど合わせやすいだろ、あとカーテンレールの色は…」
「それこそなんでもいいぞ」
ゾロが安いステンレス製のものを買おうとするのに反対して、しっかりとした木製のものを選んだ。
きっとその内ハンガーなんか掛けだすに決まってるのだ。

「カーテンの次は自転車な」
荷物をゾロに持たせ、ウキウキと表に回る。
一輪車や三輪車に混じって、自転車も置いてあった。
やはり種類は少なく、選ぶほどでもない。
サンジはあれこれ悩んでから、普通のママチャリに決めた。
前籠と荷台がちゃんとあるのが決め手だ。

「足慣らしに乗って帰りたい」
「お前は子どもか!」
ゾロに突っ込まれてもめげず、サンジは食料品のメモだけ書いてゾロに渡した。
「スーパーでこんだけ買って来い」
「一人で帰れんのか、道わかるか」
ゾロの心配に、肩を揺すって笑った。
「農道ほとんど一直線だったじゃねえか。迷うとこねえよ」
お前じゃあるまいしの言葉は飲み込んで、それじゃあと颯爽と手を振り自転車を漕ぎだす。
荷物を積み込んで後から出発した軽トラが、途中でクラクションを鳴らして追い抜いて行った。



「あ〜気持ちいい」
秋の風を感じながら、刈り取りの終わった田んぼの中を駆け抜ける。
農道は稲穂の匂いに満ちていて、道の端に生えた夏草からバッタがピョンピョン飛び跳ねた。

途中、停めたトラクターの隣に立っていた若者が、帽子を脱いでパタパタと振ってみせた。
「サンジさん、こんにちは〜」
この声はコビーだ。
隣の田んぼでコンバインを運転しているヘルメッポも軽く手を上げる。
「お疲れさん!」
通りすがりに大きな声で答え、赤トンボの群れと並行するようにスピードを上げる。
「あれサンちゃん、いらっしゃい」
「こんにちはー」
また知らない昔のレディから声を掛けられた。
にこやかな笑顔で答えるもペダルを漕ぐ足は止めない。
「おう」
別のトラクターに乗ったおっさんまでもが、こちらに手を振った。
「うっす」
サンジはぺこりと頭だけ下げて、走り抜けた。
何故だが、周り中が知り合いばかりみたいだ。
サンジは知らないのに。
不思議な感覚に陥りつつ、風の気持ちよさに導かれぐんぐんスピードが上がる。
農道はあまり起伏がないから、実に走りやすい。
うっかりすると赤トンボとぶつかるから、それだけは気を付けないといけないのだけれど。




家に着くと、ゾロはまだ帰っていなかった。
買い物の分だけ時間が掛かっているらしい。
自転車を納屋の横に停めて、先に洗濯物を取り込んでしまう。
居間で蜂や虫がいないか点検しながら畳んでいたら、ゾロが帰って来た。
「ただいま、早かったな」
「おかえり、遅かったな」
玄関まで迎え出て食料品の入ったビニール袋を受け取り、今度エコバッグ持って来なきゃなと呟く。
「だんご粉なんて、どこ売ってるかわからなくてな」
「買えなかったか?」
「いや、店員に聞いた」
「偉い偉い」
子どもに言うように褒めて、冷えた物を手早く冷蔵庫にしまう。
「こっちは月も綺麗に見えるんだろ?」
「昨日の月はでかかったぞ。今夜も晴れるだろう」

サンジが夕食の支度をしている間に、ゾロはカーテンレールの取り付けにかかった。
「端っこ持ってようか?」
「手がいる時は頼む」
しばらくゾロは一人で梁に位置を合わせたりしていたが、やはり一人ではやりにくいと判断したか、
ちょっと頼むと声を掛けてきた。
「そっち持ってて」
「まっすぐか?」
「右、もうちょい上」
サンジに支えてもらい、ゾロが釘を打つ。
「こういうのは一人でできねえもんだな」
「んなこと言って、片手でネジ釘刺して回せてるじゃん。どんだけ馬鹿力だ」
うひゃひゃと笑うサンジに得意気な顔を見せ、調子よく釘を止めていく。
そもそもサンジがいなかったらカーテンを買う予定もなかったということは、口には出さなかった。

カーテンを吊し終えた頃、玄関からおばちゃんの声がかかった。
「こんにちは、いる?」
「はーい」
サンジがペタペタと裸足のまま玄関に向かって走る。
「あ、こんにちは」
「あらぁサンちゃん来てたのぉ、いらっしゃい」
お隣のおばちゃんがタッパを持って立っていた。
「帽子とあの、手に嵌める奴、どうもありがとうございます」
「いぃえぇ、不出来なもんでごめんねぇ」
「え?あれ作られたんですか?」
驚くと、おばちゃんはコロコロ笑った。
「端切れで適当にだから悪いわぁね。それはそうと、すこ作ったの。食べてみて」
タッパの中にはピンク色の植物の煮物が詰まっていた。
「わあ、綺麗だ。これなんですか?」
「芋の軸煮たの、血の道にもいいのさぁ」
「ちの…みち?」
「若嫁さんの産後とかね、身体にいいから」
「…ありがとうございます」
俺は何も産んでないぞと首を捻りつつ、丁寧に礼を言った。


おばちゃんが行ってしまってから、タッパ片手に台所に戻る。
ゾロが目ざとく見つけて「お」と呟いた。
「そういや、すこの美味い季節だな」
「これ、なんだって?」
「芋の軸を甘酢で煮たのだ。血の道にもいいぞ」

だから、なんなんだよそれ。



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