Torick or treat 1

人生山有り谷有りと言うが、日常にもかなりの波があるらしい。
つい先日までやれ海賊だ海軍だ、海王類の襲来だと慌しく駆けずり回っていたのに、それらが突然ぴたりと止んだ。
天候すら味方したのかうららかな陽射しの元、適度な風に煽られながら順調な航海が続いている。
もうかれこれ10日ばかり。



「今日もいー天気だなあ。」
洗濯係のウソップがタオルを広げてパンパン叩いている横で、ナミがお茶を飲みながら空を見上げた。
「ちょっと油断できないわよ、午後にひと雨きそう。でも潤う程度ね。」
「丁度いいからバケツをたくさん出しとこうぜ。」
こんな感じだ。
天候がいいと言ってもカンカン照りが続くのではない。
適度に降って穏やかに晴れる。
気持ちが悪いくらい、快適な日々。

「たーいくつだな〜〜〜」
ぶうんと伸びてきた腕をかわしてサンジはエプロンを外した。
「クソゴム、暇ならチョッパーと釣りでもしろ。いいのが釣れたら今日は刺身だ。」
「うほっ!んじゃあ、いっちょやるか!」
俄然張り切りだした船長を横目にキッチンに引っ込んだ。

ここのところあまりに暇なので、シンクから戸棚から掃除しまくって眩しいくらいに綺麗になってしまった。
「ストックもかなり溜まったし、ルフィじゃねえが少々手持ち無沙汰だな。」
独り言を呟きつつ、自分の為の茶を煎れて甲板に立つ。
みかん畑の緑の合間から、規則正しく振られる錘が見え隠れして、時折きらりと陽光を照り返している。
クソ馬鹿マリモめ。
退屈だと感じる原因は他にもあった。
何故かここ数日、ゾロとコミュニケーションが取れていない。
まったく喧嘩してないんである。







空島から帰ってからこっち、ろくに会話も交わしていない。
以前から喧嘩を吹っかけるのは一方的にサンジからだった気もするが、それなりにリアクションがあって、お互い手や足が出た。
ところが、このところゾロの反応がさっぱりなのだ。
どんな口調でからかっても悪態を吐いてみても、眉一つ動かさないで黙って聞き流す。
尚も言い募ろうとするとこれ見よがしに溜息吐いて、背中を向けて何処かに行ってしまう。
まるでバカの相手はしてられないと、無言で牽制されてるようだ。
これじゃ、俺一人ガキみてえじゃねえかよ。

実はサンジは結構ゾロとやりあうのは気に入っていた。
というか、ぶっちゃけ楽しかった。
バラティエではずっと大人に囲まれて育ってきたから、初めてできた同年代の仲間だ。
しかも手加減なしで戦いではない喧嘩をやり合えるから、サンジにしてみれば楽しくて仕方なかった。
それなのに、ゾロが構ってくれない。
自分だけ、ちょっと成長したような面しやがって。

空での戦いは、過酷なものだったろう。
ゾロは何度もクソ神の雷に打たれて歯がたたなかったって後から聞いた。
それでも起き上がって立ち向かって、皆でエネルを倒したんだ。
俺はずっと寝てたけどな。
思い出すだけで、ちょっとそこまで身投げしたくなる。

目が覚めたらすべてが終わった後だった。
天高らかに綺麗な鐘の音が響いていたっけな。
目を眇めて空を見上げる。
ゾロはあの戦いでまた何か得たんだろうか。
サンジはぶんぶんと頭を振った。
一人でぐるぐる考えていると、いらぬ敗北感に打ちのめされそうだ。

すかしやがって、芝生のくせに。
筋肉だるまでマリモの分際で、人をシカトするたあいい度胸だ。
構ってくれなくったって寂しかねえぞ、クソ野郎。
果てしなく幼児思考に後退しながらサンジは一気に茶を飲み干した。









ルフィとチョッパーの努力の甲斐があって、その日の夕食は豪勢な船盛が食卓を飾った。
「あっさりしたお刺身もいいわね〜」
「種類が色々獲れましたから、いろんな味をご賞味くださいv」
味わう間もなくパクつくルフィはもとより、ゾロも珍しく表情を緩めて旺盛に箸を動かしている。
こいつ、こういうの好きだしな。
サンジと喧嘩こそしなくなったとは言え、売られた喧嘩を買わないだけで険悪になったわけではない。
むしろ後片付けを手伝ったり自ら水汲みマシーンを鍛錬ついでに漕いだり、割と積極的に協力してくれている。
冷静に考えたらこれまでにない友好関係にあるんじゃないのか。
けれどそれではサンジが面白くないのだ。
どうにも腹立たしくて、美味そうに食うゾロの顔を正面から睨みつけたら、視線に気づいたのか目線を上げた。
いつもは射殺すような凶悪な瞳がふと和らいで穏やかな笑みを返す。
サンジは慌てて視線を逸らした。
なんだか知らないが胸が騒ぐ。

むかつく、むかつく、むかつく。








明日の仕込みも終えて、サンジは引き出しに溜めておいたレシピの走り書きを取り出した。
暇ついでに全部整理してしまおう。
まだ宵の口だが皆寝てしまったようだ。
だがこう平穏が続くといつルフィが宴会をしたいと言い出すかわからない。
いつでも対応できるように、しばらく肉は控えるか・・・なんてことを考えていたら、ゾロが入ってきた。
灯りが点いているから、居ると知って入ってきたのだろう。
無言で横を通り過ぎるゾロに、サンジも敢えて無視を決め込んで声をかけない。
まっすぐワインラックに向かったゾロは、歩みを止めた。

戸惑う気配を察知してサンジはちらりと視線を送った。
ゾロは暫く立ち止まって一点を見ていたかと思うと、おもむろにしゃがんでシンク下を覗いている。

―――――そういやあ。
昼間に整理した時に、酒類を一式床下の収納庫に放り込んで戻すのを忘れていた。
ゾロは整然と並べられた瓶のラベルをいちいち確認している。
サンジはつい、声を殺して笑いをこらえた。
そこには醤油とかしか入ってねえっての。
黙って探し物をしているゾロの後ろ姿はかなり笑えるが、せっかく整理した物の位置を勝手に代えられても困るので程々で声をかけた。
「ああ、悪いな。酒は切れてんだ。」
物騒な目つきでゾロが振り向いた。
「昨日はあんだけあったじゃねえか。」
拗ねたような物言いが、おかしくて仕方がない。
「今日のソースに全部使っちまったんだよ。なあ、美味かったろう今日の料理。」
言いながらぷかりと煙を吐けば、ゾロは片目だけ顰めて立ち上がった。

「そうかそれじゃ仕方ねえ。女共にはそう言っとく。」
「え?」
サンジは慌てて身を起した。
「今日は月が綺麗だとか言ってな、一杯飲むんだとよ。それで俺が取りに来たんだが、まあ、
 ねえんなら仕方ねえ。」
そう言ってさっさと踵を返して出て行こうとするからサンジは慌てて立ち上がった。
「待て、そう言う事なら話は別だ。つまみもいるよな。」
「なんだ、酒あるのか?」
「レディ専用だ。てめえにはねえ。」
いそいそとキッチンに向かう。
「俺が持って行くからてめえはナミさんとロビンちゃんにお待ちくださいと言っとけ。」
「ああ。」
ゾロが出て行ったのを確認してから床下の収納庫を開ける。
手早くつまみも作ってグラスを4つ用意して甲板に出た。



「ああこりゃいい月だ。」
ありえないほどでかい月がまんまるに浮かんでいて、昼間のように辺りを照らし出している。
船縁にはナミとロビンの姿があった。
「ありがとサンジくん。見事な月夜ねえ。」
「ご一緒してよろしいですか。」
「もちろんよコックさん。どうもありがとう。」
「さすがサンジ君、気がきくわね。月見酒だなんて。」

ん?
「・・・あの、月見酒はナミさんたちのご要望では・・・」
「いいえ、あらゾロが気をきかせたのかしら。」
やられた!
「ちょっと失礼!」
トレイを置いて慌ててキッチンへ戻った。
元通りに戻したはずの床下倉庫の扉が開けられて、ゾロは勝手に3本も腕に抱えている。
「て、ててててめえ・・・」
「おう、良かったな。酒がまだあったぞ。」
にかりと笑うガキ臭い笑みが、あまりに無邪気で物凄く不気味だ。
「お前もう酒がねえとか言ってたじゃねえか。俺が見つけてやった。ありがたく思え。」
「あんだとコラ、てめえ謀ったな!」
「ああ?なんのことだ。酒がねえっつったのはてめえだろ。」
飄々と言い放つと、ゾロは満足そうに酒瓶を抱えて出て行く。
後ろ姿に中指を立てて、思いつく限りの悪態を吐いた。
「緑ハゲ、マリモ、クソ腹巻、苔、芝生、サボテン、爺シャツ・・・」
流石に虚しくなって適当に切り上げた。
地団太踏んで悔しがる自分はあまにガキ臭い。

大体タメ年の癖に妙に老けているゾロと比べるのもどうかと思うが、あのすかした面と人を馬鹿にした態度は
我慢ならないと思う。
なんとかあいつをギャフンと言わせてやれねえものか。
実際にギャフンと言った奴を見たことはないが、ああいう奴にこそ言わせてみたい。
サンジは収納庫の整理も兼ねながらあれこれ策略を巡らし始めた。
正直なところ、酒がなくて戸惑うゾロの後ろ姿が気に入ったと言うのもあるだろう。

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