Torick or treat 2


昨夜あれほど荒れた風が、嘘のように穏やかに吹いている。
サンジはみかん畑でしゃがみ込んで、散らされた小さな花弁を拾い集めた。
花びらの端っこが少し茶色く萎れているけど、まだほのかに香りが残っている。
片手に山盛り拾い集めて甲板を見下ろした。
目標は日陰で眠りこける昼寝中の魔獣だ。

サンジは、くくっと声を殺して笑うと足音を忍ばせてゾロに近づいた。
敵の奇襲でもない限り船が転覆しそうでも起きないゾロだ。
それでも慎重に近づいてぐーすか眠る顔を窺った。
少し眉間に皺を寄せて不機嫌な表情そのままに爆睡している。
サンジは手にもった小さな白い花をそっと草色の髪の上に置いた。
人差指で軽く押し込む。
ツンと立った固い毛の間に生け花みたいに綺麗に刺さった。
くく・・・と喉が引き攣る。
ひとつ、またひとつと可憐な花を飾っていく。
腹筋がひくつき痙攣してるみたいに波打って、息をするのも苦しくなってきた。
緑の頭の上にいくつも咲いた白い花々。

「・・・ぐふっ・・・」
鼻から抜けた息が、思いのほか大きな音を立てた。
こうなるともう止まらない。
サンジは腹を抱えて蹲った。
さすがに気配を感じてゾロが起きる。
まだ半眼のゾロの頭に、可憐な花が咲いている。
「ふ、ぎゃはははは・・・」
とうとう耐え切れず、サンジは爆笑した。
あまりにもツボにはまった。
色味が絶妙で似合いすぎている。

「あんだあ、クソコック?」
身を起していつものようにガシガシ頭を掻いたら、ぱらぱら白いものが落ちてくる。
それを花と認めて、ようやくサンジのしでかしたことを理解した。
「なにしてくれんだ、この素敵眉毛!」
笑いの発作が止まらず、起き上がれないサンジに覆い被さった。
弾みでまた花が散る。
「似合う、似合いすぎる、ゾロ・・・あ、はあ、腹が痛え・・・」
ウソップなら震え上がるであろう形相にも怯えることなく、ひたすら笑いを納めるのに必死のようだ。
ゾロは舌打ちして舞い落ちた花をサンジの髪に挿した。
だがはらりと落ちる。
「クソコック、暴れんな。」
ゾロはサンジの上に乗り上げながら妙に慎重な手つきで花を抓む。
「どうなってんだ?てめえの髪は。」
するりと滑り落ちて、そこに留まらないことに苛立ったようだ。
ゾロは床に横たわったサンジの襟足に掌を差し込んだ。

「・・・!」
でかくて暖かな手が少し伸びた生え際を包むように抱き込んだから、思わず声を上げそうになる。
一気に心拍数が上がり、頬が燃えるように熱くなった。
「ったく、なんか留めるもんとかねえのかよ。ウソップの輪ゴムとか・・・」
身を起して気を逸らせたゾロの隙をついて、膝で腹の辺りを蹴り上げる。
一瞬傾いだ肩に大きく振り上げたエポールを決めて、ゾロの下から抜け出した。

「このクソ、アホ、バカ、花マリモ!!!」
動揺を隠し切れないまま力ない罵倒を繰り返して逃げるように立ち去った。
ゾロは何が起こったんだかわからない顔で床に寝転がっている。
床に散った花びらが風に任せて四方へ飛んだ。









「ビ、ビビった。」
サンジは赤い顔のままキッチンに飛び込んだ。
誰もいないのを幸いに一気に向かいの壁際にまで突進して紅潮した顔を伏せる。
「いや、ビビったっつーか、なんだこれ。」
途中までは完璧だった。
ゾロが頭に花を挿した状態は今でも目に焼き付いていて、思い出しただけで笑いがこみ上げてくる。
久々のヒットだあれは・・・
ツボに入り過ぎたか?
けど動悸が収まらない。
さっきまでのゾロの手の感触がまだ残っている。

あの野郎、俺の髪に触りやがった。
最初に梳くように撫でて、それから手を差し込んできた。
後頭部をでかい掌で包み込まれて鳥肌が立った。
気色悪い、野郎に髪を触られるなんて―――
嫌悪から来るそれの筈なのに、寒くない。
どっちかっつーと、熱い…
火照った感じで、頬が上気しているのが自分でも分かる。

なんなんだ、畜生。
サンジはゾロの感触を振り払うように、乱暴に髪を掻き混ぜて手櫛で梳かし付けた。









「昨日は魚だったから、今日は肉な。」
シンプルな船長の要望により、干し肉やハムを調理する。
今日は花曇の穏やかな空だったからみんな甲板に出て好き勝手に過ごしているようで、そろそろ夕飯時なのに誰もまだキッチンに入ってこない。
収納庫の下にワインと一緒に保存しておいた瓶を取り出した。
空き瓶を再利用して自家製の果実シロップを入れてある。
前に熱帯域を通った時に自然発酵してしまったらしくアルコール臭がきついので、おやつには向かないと
置いておいたものだ。
封を開けるとフルーティな香りが鼻腔を擽る。



ゾロが汗を拭きながらラウンジに入ってくるのが見えた。
夕飯一番乗りがゾロとは実に意外だ。
サンジはふと思いついて、ゾロに向かってにやりと笑った。

「味見するか?」
瓶を掲げて見せる。
ワインのラベルがそのまま付いているからゾロはすぐに飛びついてきた。
「まあ、グラスを出せ。注いでやる。」
濃紫の液体を波々と注いでやった。
匂いでバレっかな?
ゾロは喉が渇いていたらしくまったく疑いもせずにグラスを呷った。
途端、激しく咽る。

「うげ…がはっ、が…」
「ひゃ、ひゃ!どうだ味見は?美味いだろ。」
果実にレモン汁と氷砂糖を入れただけで自然抽出したシロップだ。
ソーダで割ればジュースになるが、原液を飲めばクソ甘いに決まっている。
「ゴホっ、てめえ…」
鼻にも逆流したらしく、涙目で睨みつけてくる。
サンジはもう可笑しくて仕方がない。
「まだグラスに半分残ってっぜ。ちゃんと全部飲めよな。捨てたりしたら、俺がゆるさねえぜ。」
勝ち誇ったように言ってやった。
ゾロは苦々しげに顔を歪めてグラスを眺めていたが、ふとサンジの顔に目を留めて意を決したように
残りの液体を口に含んだ。
「お、案外潔いな。」
なんて感心する間もなく首根っこを掴まれて引き寄せられる。

合わせた唇から甘い液体が流れ込んできた。
何が起こったかわからないまま喉に染みるようなきつい液体を飲み込んだ。
気管に入らないようにするだけで必死で、自分の状態が把握できていない。
サンジの喉がごくりと上下したのを確認して、ゾロは離れ際に舌を強く吸ってから唇を離した。

「クソ甘えだろ。」
サンジの目を睨んだままべろりと舌を出して笑ってみせる。
だが、サンジはまだナニが起こったかよく分からず、お玉を持ったまま固まっていた。
口の中が凄く甘い。
飲み込んだ食道辺りがぴりぴりしてるから、かなり濃い味だったんだろうなあ…
ところで、今のは――――

「うお〜い、サンジ腹減ったあ!!」
ルフィが飛び込んできた。
つづくチョッパーが鼻をひくつかせる。
「サンジ、なんか焦げてないか?」
「え、え、え…うわああ!」
背の低いチョッパーにまで分かるほど、フライパンの中で盛大に肉が焦げていた。



焦げた肉はすべて船長専用となったのでルフィはいたくご満悦だ。
手早く他のクルーの分を作り直しながら、サンジは先刻の出来事を頭の中で反芻してみた。
ゾロは確かに、グラスの中身を空にした。
捨てることなく。
しかもどっちもクソ甘い目にあったから痛み分けみたいなもんだかなあ…
それにしても――――

今のはやっぱり、キスって言わないか???



「サンジ君、焦げてるわよ。」
「うわあ、はいはいはい…」
テーブルの向こうで、ゾロが笑ってる気がする。












「はああ…」
深夜のキッチンに一人座って、サンジは深いため息をついた。
なんだかもう、散々だ。
ゾロの行動が突飛過ぎて掴めない。
ギャフンと言わせるどころか、こっちがギャフンと言いそうだ。
一体なに考えてんだ、あいつは。
多分何も考えてないんだろう。
奴にしてみれば男の口に口移しでなに飲ませようが手段に過ぎなくて、それがキスと名のつくものだなんて知らないのかもしれない。
そんな奴相手にムキになって怒っても、こっちが惨めになるだけかもな。

それでもどうにも腹の虫が収まらない。
昨日からこっち、やられっ放しだ。
一矢報いねば暴力コックの名が廃るってもんだ。

まもなく日付を超えようとしている。
ルフィたちはもう休んだ。
ゾロはさっき風呂場に入るのを見たから入浴中だろう。

―――――水を止めてやる。
唐突に思いついた。
ゾロはカラスの行水のクセに結構丹念に身体を洗う方だ。
今頃泡だらけだろうから、水が出なくなったら困るだろう。
サンジはきししと悪人っぽく笑って立ち上がった。



水汲みマシーンから給水している部屋に忍び足で入ったら、先にゾロがいた。
心臓が飛び出しそうになる。
「な、ななななにしてんだ!」
「てめえこそ、なんだ。」
ゾロは腰にタオルを巻いて立っていた。
頭の上にはまだ消え残った泡がついている。
「風呂入ってたら水が止まりやがったんだよ。てめえはなんだ?」
「ああ、いや…水汲もうかと思って…」
苦しい言い訳だ。
「そりゃ、ありがてえ。ついでに一緒に漕いでくれ。」





なにが嬉しくて、夜中に男二人並んで水汲みマシーンを漕がなきゃなんねえんだろう。
サンジはさめざめと泣きそうになりながら、ひたすらペダルを漕いだ。
隣でゾロがタオル一枚の格好で、ペダルを踏み壊しそうな勢いで漕いでいる。
「お前も明日の仕込みしてて、水が出なくなったのか?」
「ああ、まあそんなもんだ。」
もう、ゾロをギャフンと言わせるのは諦めよう。
ろくな目に遭わない気がする。
とほほと肩を落としながらペダルを漕ぐサンジに、ゾロが間延びした声をかけた。

「なんか…水溜まってねえ気がする…」
「へ?」
見れば漕いでも漕いでも一定の位置から水位が上がっていない。
「てめえ、壊したんじゃねえだろうな。」
「どうだか、空回りしてっぜ。これ以上は無駄だな。」
「骨折り損かよ…」
サンジはハンドルに突っ伏して額の汗を拭った。
「まあ、これだけあったら身体洗うくらいはできるぜ。お前風呂まだなんだろ。」
珍しく優しい声音でゾロが聞いてきた。
「俺はあと濯ぐだけだから、てめえも一緒に入れ。節約になる。」
「ええ〜…」
ゾロと風呂に入る。
確かにアラバスタで入ったことはあるけど、あん時はみんな一緒だった。
男同士だから身構える必要はないだろうけど、なんか抵抗を感じるのは…気のせいだろうか。

「いや、俺は…」
「そんなに汗掻いてんのにそのまま寝る気か?ああー、そうか。俺と入るのは怖えんだな。」
「なにが!!」
条件反射で食いついてしまった。
「なら構わねえだろうが。来いよ。」
「おう、行ってやらあ。怖いことあるかクソ野郎。」





皆が寝静まった深夜の風呂場で、サンジはそれでも少しうな垂れて服を脱いだ。
なにが哀しくて男と風呂に入らなきゃならねえんだろう。
一応、タオルで前は隠してもいいよな。
ちろりとゾロを見れば、何故か先に入らずに腰に手を当てて仁王立ちのままこっちを睨みつけていた。
「なんだよ。」
喧嘩売る気なのかと睨み返せば、ゾロは実に盛大に深いため息をついた。

「お前って、本当に――――」
これ見よがしな態度に、サンジは不可解に眉を顰める。

「心底鈍いのか、単に脳足りんなのか、天然なのか?」
「は?」
不当な言い掛かりの筈なのに、まるで被害者みたいにゾロのが悲壮な顔をしていた。






「もういい、きっちり分からせてやる。」

そのまま有無を言わさず浴室に連れ込まれた。











その夜、絹を裂くような小さな悲鳴がどこからともなく聞こえて来たとか来なかったとか


語ったのは不寝番だったウソップの後日談。


END

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