triangle -9-



3人揃って喫茶店に入っても押し黙ったままのナミに代わり、サンジは勝手にコーヒーを注文した。
「えっと、ケーキセットもあるけど、いい?まあ、こんな時間だしね、いい・・・よね。てめえは・・・なんでもいいよな、味オンチだしな」
ナミはともかくとして、ノコノコ付いてきた(とは言え、このまま帰す訳にもいかない)ゾロにまで気を遣っているようで癪だが、今は仕方がない。
注文したコーヒーが到着するまで3人は固まったまま無言で、到着してからも誰も手を付けないからますます硬直状態に陥った。
だが、こんなことでめげるサンジではない。
「冷めちゃうよ。とりあえずあったかいもの飲んで、気持ちを落ち着けよう」
言ったサンジ自身が妙な緊張感で心臓バクバクだったが、とりあえずカップを手にする。
一口飲んでほうっと息を吐いて、改めてナミの様子に目を転じてはっと気付いた。
ナミの、大きく胸元の開いたセクシーファッションに一粒の赤い光が花を添えている。
サンジが誕生日プレゼントにと贈った、ルビーのネックレスだ。
転売しないで身に付けてくれていたんだと、俄かに喜びが湧き上がった。
それだけで天にも舞い上がるような心地になって、俄然テンションが上がる。

俄かに調子付いて、サンジはまるでおっさんのように寮の掌を擦り合わせた。
「さって。単刀直入に聞くよナミさん。さっきの男達には心当たりがあるのかな?」
「―――・・・」
ナミは意地を張っているのも無駄だと悟ったのか、大人しくコーヒーに口を付けた。
だがサンジの問いには答えず、黙ったままだ。
「んじゃあマリモヘッド、てめえはなんで現場にいたんだ」
「誰がマリモだ」
突っ込みでも、返事が来ただけよしとしよう。
「まさか、またナミさんのこと付け回してたのか?」
「・・・そうだ」
ゾロは腕を組んだまま胸を張って答えた。
いくら態度が堂々としていても、ストーカーの現行犯であることに変わりはない。
「威張って言うな。あれほどナミさんの周りをチョロチョロするなと言っておいたのに」
「俺は了解した覚えはねえ、現にそれでナミは助かったじゃねえか」
「誰も助けてって言ってないでしょ」
「叫んだだろうが、通りに向かって」
「不特定多数には言ったけど、あんたには絶対に言ってません!」
言い合いを始めた二人に、サンジはまあまあと割って入った。
そこに、ゾロが噛み付く。
「大体、てめえこそなんでこんな夜中にウロちょろしてる」
「ああ?俺か?俺はなあ、なんせナミさんに助けを求められたからさあ」
どうしても自慢気な口調になりつつ、サンジはこれ見よがしに自分の携帯を振って見せた。
「サンジ君助けて!って電話で言われちゃ、何を置いても馳せ参じるってもんだろ」
「早かったわねーサンジ君。まさか本当に来てくれるなんて思わなかった。ありがとう」
ナミはゾロに対するのとコロッと態度を変えて、サンジに向かって可愛らしく手を合わせた。
途端、サンジはデレデレと相好を崩す。
「そんな〜お安い御用だよ。ナミさんのためなら、例え火の中水の中さ」
「けっ、調子のいいこった」
「あんだとお」
ナミは一度口を付けたカップを静かに置くと、じゃあ私はこれでと腰を浮かした。
「待て」
「待ってナミさん!」
ほぼ同時に引き留めて、そのハモり具合にお互い嫌そうに顔を顰める。
コホンと軽く咳払いして、サンジはナミが座っていた椅子の背凭れを持った。
「話はまだ終わってないよ。座って、ナミさん」
口調は優しいが、視線を心持ちきつくした。
いくら大好きで可愛いナミでも、このまま看過できないのはサンジだって同じことだ。

サンジの本気を汲み取ったか、ナミは大人しく再び腰を下ろす。
「お前、やばいとこから借金してんじゃねえだろうな」
途端、喧嘩腰なゾロの口調にナミもむっとして言い返した。
「はあ?あたしがそんな馬鹿する訳ないでしょ」
「どうだか」
サンジはハラハラしながら二人を見守っていたが、敢えて口は挟まなかった。
ナミに関しては、ゾロの方がよく知っている。
乱暴でも手は出さないとわかっているから、しばらく任せてみよう。

「あいつら、カタギじゃねえだろうが。心当たりは」
「別に」
「しらばっくれんなら、こっちで調べるぞ」
「あたしの周りをコソコソ嗅ぎ回るのやめてくれない?犬みたいに」
侮蔑の言葉にゾロは一瞬鼻白ろんだが、言い返しはしなかった。
「ナミさん、言い過ぎ」
「サンジ君は黙ってて」
ぴしゃりと言われて、しゅんとうな垂れる。
その様子に少しは心を動かされたか、ナミははっと息を吐いて肩を竦めた。
「別に、あたしのバイト先で因縁付けてきただけよ」
「どこのバイトだ、またキャバクラとか行ってんじゃねえだろうな」
ぎょっとして顔を上げれば、ナミの毅然とした横顔が移った。
「そうよ、キャバクラ勤めのどこが悪いのよ。職業に貴賎はないでしょ」
「水商売は危ねえから止めろっつただろうが」
「あんたに関係ないって言ったでしょうが」
水掛け論だ。
「あのねナミさん。その、バイト先で因縁付けられたって、どういうこと?」
サンジが軌道修正すると、ナミはああと硬い表情のまま振り返る。
「あたしのこと気に入ったってしつこく言い寄ってくるから、お金だけ貰って丁重に断ったのよ。なのに諦めが悪いって言うか・・・」
「ナミさんナミさんナミさん」
サンジは思わず頭を抱えた。
「アホか、どこのもんだ」
「さあ」
「とぼけたって、調べればすぐわかるぞ」
ナミは憮然とした表情で、小さく呟いた。
「アーロン組・・・とか」
「聞いたことあるな」
サンジは聞いたことない。
と言うか、今さらっと「組」とか言いませんでしたか?
もしかして、そっち系の人?

「水商売なんかしてるから、そんな奴らに目え付けられるんだ。そんなバイト今すぐ止めろ」
「なんの権利があって、あんたが命令するのよ」
ナミの反論は最もだと思いつつも、今回はゾロの意見に賛成したいサンジだ。
「ナミさん、ナミさんなら他にも実入りのいいバイト先は見つかるよ。無理しない方がいいよ」
「サンジ君はもっと関係ないでしょ」
「けど、俺はナミさんが危ない目に遭うのは嫌なんだ」
心配なんだと言い募れば、ナミはバツの悪そうな顔で口ごもった。
「金のことは俺に任せろっつったのに、いつまでもくだらない意地を張るからそうなるんだろ」
ゾロの一言に、ナミはきっと形相を変えた。
「なによ偉そうに、あんたからの金なんかビタ一文だってお断りよ」
「家の金を使うんじゃねえ、俺が稼いだ金だ」
「そんなはした金で恩着せられるのはごめんだわ」
再び言い合いを始めた二人の間で、サンジはただオロオロと手を揉みしだいた。

「四の五の言ってねえで、今だけ金受け取りゃいいじゃねえか。そしたら後はなんとでもなるだろ」
言って、ゾロは財布を取り出しぽんと黒いカードをテーブルに放った。
「俺の金だ家の金だと拘ってんのがくだらねえ。もうこれこのまま使え。上限ねえ」
ナミは顔色を変えて唇を噛んだ。
テーブルの上で握り締めた拳が小さく震えている。
何か言い返す前に、サンジがダンとテーブルを叩いた。
「ゾロ、お前間違ってる」
「ああ?」
ゾロは胡乱気な目でサンジを振り返った。
余計な口挟むんじゃねえよときつい視線で威嚇するが、サンジは怯まない。

「お前、たかが金のことでって軽んじてねえか。飯も食わずろくに寝ないでバイトに励んでるって、そうしながらお前全然、金の価値わかってねえだろ」
「なにを急に―――」
「金ってのはなあ、こんな風に気軽にやり取りできるもんじゃねえんだよ。めちゃくちゃ怖えもんなんだ、魔物なんだ。金が絡むと親兄弟とか、恋人とか夫婦とか、親友とだって揉めることあんだぞ」
サンジ自身、金でトラブった経験はないが、祖父からは耳にタコができるほど聞かされてきた。
金というのはあるにこしたことはないが、安易な貸し借りは人間関係を容易に壊すことがある。
だからサンジは、友人との小さなやり取りの中でも金に関しては貸し借りしたことがない。
「お前がこんな風に、ナミさんが必死になってることに対してあまりにも軽々しく手を出してくるから、腹立つんだろうが。根本的なことなんもわかってないって、哀しくなんだろうが」
なんとなく、サンジにはナミの気持ちがわかる気がした。
毛を逆立てて爪を立て、怒り狂って見えるナミが実はとても哀しんでいるのだと、その時気付いた。
「・・・お前に、なにがわかる」
「わかるよ、ナミさんの気持ちが。少なくともお前よりはわかる」

恐らくナミは、金銭面で追い詰められているのだ。
ゾロの力を借りたなら、多分すぐさま解決できるだろう。
けれどそうできない理由があって、多分それはナミの内面での問題で。
ゾロはそんなことに頓着せずに、単純にナミが意地を張っているだけだと思っている。
そうじゃないのに。
ナミにはナミの矜持があるのに、ゾロはそれをわかっていない。
わかっていないまま、上から目線でナミに施しをしようとしている。
それが、許せないのだ。

「ナミさん、でも俺はバイト先のことはゾロと同じ意見だ。できればそこは今すぐにでも辞めて欲しい」
「・・・サンジ君」
「水商売って、お金が豊富に絡むからこそほんと怖いんだ。それに、人間関係だってしんどいだろ?もうちょっと大人になってからの方がいい」
「子ども扱いしないで」
「けど大人でもない、まだね」
サンジは毅然とした態度で、ナミの携帯を促した。
「今ここで、バイト辞めるって電話して」
サンジの、らしくない命令口調に戸惑うナミの前で、ゾロもまた黙って目を見張っていた。
しばらくの沈黙の後、ナミは観念したように携帯を手に取る。

数度のコール音の後、ナミの表情がカラリと変わった。
「ごめんなさーい、ナミでぇす。そっち大丈夫だったぁ?」
営業用か。
ぽかんとしたサンジの隣で、ゾロはあからさまに顔を顰めた。
「んもう、こっちも散々だったのぅ。もう嫌、あたしもう辞めるぅ」
その後、数度「でもぉ」とか「だってぇ」とか押し問答が続いた。
店側が引き止めに掛かっているのだろう。
「超怖かったんだからぁ。もう無理無理無理、怖くて足が竦んじゃってぇ。・・・ううん、殴られはしないけどぅヤバかった、マジでぇ」
って言うかぁと続いたところで、業を煮やしたゾロが携帯を奪うべく手を出した。
咄嗟にかわして、ナミは身体をくねらせながら座ったまま方向を変える。
「短い間でしたが、大変お世話になりました」
再び口調を変えたナミに、向こうも戸惑っているようだ。
「私はもうそちらに顔をお出しすることはできませんが、皆さんによろしくお伝えください。お世話になりありがとうございました」
言って、携帯を持ったまま深くお辞儀をする。
「月末に、緑頭の目付きの悪いのがお給料をいただきにまいりますので、それだけよろしくお願いいたします」
きっちりと言い含め、再び礼をして携帯を切った。
済ました顔でくるりと振り返る。
「これで、いいんでしょ?」
ゾロもサンジも、ただ声もなく云々と頷いた。



「別に送ってくれなくていいわよ」
「そんな訳にはいかないよ」
「てめえは帰れ、俺が送ってく」
「アホか、てめえのが帰れこの万年迷子」
「あんだとお?」
店先で言い合いを始めた二人を置いて、ナミはさっさと歩き出す。
慌てて追いかけ、仲良くナミの両側に並んだ。

「ナミさんの家って、こっから歩いて帰れる距離?」
「そうよ」
「なんだ、知らないのか」
「俺はストーカーじゃねえからな」
歯を剥いて威嚇しながら答えるサンジに、ゾロははてと首を傾げナミを見た。
「お前、こいつと付き合ってんじゃねえのか」
言われて、ナミは猫のように目を細める。
「ん〜〜〜〜どうだろ」
「えーナミさん、そこは一つ『そうよ』って答えてくんねえかなあ」
「なんだ、てめえフカしたのか」
「んだとう、正真正銘のストカ野郎に言われたくねえよ」
頓着せずに真っ直ぐ歩くナミに遅れたり追いついたりしながら、3人は夜道を仲良く歩き続けた。






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