triangle -10-



「ここでいいわ、ありがと」
ナミが立ち止まったのは、集合住宅の入り口だった。
ひっそりと寝静まり返っているから、サンジは遠慮がちに囁いた。
「いいの?部屋まで送らなくて」
「そっちの方が、危険じゃない?」
ナミは笑いながら答え、それじゃあを手を振って路地に入っていく。
お世辞にも綺麗とはいえない、寧ろ古ぼけ寂れた住宅街は他に人気もなくて。
ナミが入って行った家は真っ暗で、帰りを待つ人の気配もなかった。
「・・・一人暮らしなのかな、物騒だな」
名残惜しげに見守るサンジとは対照的に、ゾロはさっさと踵を返した。
「待てよ」
慌てて、その後ろを音を立てずに追い掛ける。

「お前、これからどうすんだよ」
「寝る」
「どこで、つか明日の予定は?」
もう、明日ではなくて今日だ。
「昼から、西海の現場」
「じゃあうちのが近いじゃねえか、このまま一緒に帰ろうぜ」
ゾロは足を止めた。
まるで信じられないものでも見るような、奇異の目でサンジを凝視する。
「・・・あんだよ」
「お前、なに考えてんだ?」
改めて聞かれても、別に何も考えていない。
「うっせえな、てめえがどこに住んでるか知らねえが、どうせ西海行くんなら俺んちからのが近いに決まってっだろが」
アホが、頭は生きてる内に使え。
そう罵倒してやると、ゾロは鳩が豆鉄砲でも食らったように間抜けな顔をして目をぱちくりとさせた。
が、すぐに口をへの字に結び、立ち止まったままのサンジを追い越してぐんぐん歩く。
「おい、この方向音痴が先を歩くな」
慌てて追いかけると、ゾロは真夜中の住宅街でそこだけ煌々と灯りを点けるコンビニの中に吸い込まれるように入っていった。
仕方なく、サンジもその後に続く。

「買い物かよ」
ゾロは籠を持って真っ直ぐに酒売り場に向かうと、無造作にビールを投げ入れた。
そうしてくるりとサンジを振り返る。
「お前は、なにがいいんだ」
「え、俺?」
尋ねられるとは思っていなかったから、一瞬びっくりして首を竦める。
「別に、同じもんでいい」
「そうか」
先ほど買ったのと同じメーカーの缶ビールを後3缶追加する。
しかしこれでは、量販店で箱買いした方が安いんじゃないかと所帯じみたことを考えてしまった。
「どうせならつまみも買おうぜ」
「面倒臭え」
「コンビニ寄っててなに言ってんだよ、飲むばっかじゃダメだっつったろ」
つまみ類を適当に見繕って籠に入れた。
冷蔵庫の余り物で適当に作れないこともないが、深夜も過ぎたこの時間では正直サンジだって面倒臭い。
その代わり、明日の朝はちゃんと飯を食わせてやろう。

なんてことを考えている間に、ゾロはさっさと籠を持ってレジで会計を済ませていた。
他に客もいないから、スムーズなものだ。
「いくらだ?」
「いらん」
奢られる筋合いもないから、せめて割り勘しようとの申し出はすげなく却下された。
まあいいかと、それ以上サンジも食い下がらない。
今まで弁当を作ったり夕飯を食わせたりしたのも全部サンジの自腹で特に食費を貰っていた訳じゃないから、セコいこと考えればこの程度出してもらっても全然足りないくらいだ。
とは言え、自分が好きでやってるお節介な訳だけれども。

あれこれと考えながら歩いていたら、いつの間にか自分のアパートの前まで来ていた。
出掛けた時より近く感じる。
「まだ3時半か、酒飲んでもちょっとは寝れるな」
明日、というより今日はサンジも午前中、講義がない。
飲んだくれて寝ても、ゆっくり朝寝坊できるだろ。



慌てて飛び出したままの部屋に戻り、脱ぎっぱなしの衣類も隅に寄せてテーブルだけ片付けた。
ゾロは勝手知ったるで、壁に立て掛けられていたローテーブルを広げると買ってきたものを並べ始めた。
プルトップを起こすとプシュっと水音が立ち、ゾロの指を覆うように白い泡が吹き出す。
「ほら、てめえが乱暴に運ぶから」
サンジは笑って、台布巾を投げた。
その顔を、やはりなんだか信じられないようなものでも見るような目付きをして眉を顰める。
「人んちで酒飲んで、不機嫌な面すんなよ」
言って隣に座れば、ゾロは特に身体を避けたりしなかった。
あれ、ちょっと近い場所過ぎたかなと腰を下ろしてから思ったが、今さら尻をずらして距離を開けるのもなんだかなと思う。
そのまま肘が触れ合う距離で、サンジもプルトップを起こした。
覚悟はしていたが、やはりブシュっと音がする。
「あー勿体ねえ」
口から迎えに行ってゴクゴクと喉を鳴らす。
一連の動作を、ゾロは近い位置でじっと凝視したままだ。

「あんだよ」
視線を感じてねめつけても、ゾロは怯みもしない。
寧ろサンジの顔を覗き込むように更に近付いた。
「てめえ、なに考えてんだ」
「は?」
「前にてめえと別れ際に、俺がなにしたかわかってんのか」
そう言われ、サンジはぐるんと目玉だけ上げて考えた。
―――前にゾロに会った時って・・・確か西海の駅まで送ってったんだよな。
「あーそういやてめえ、よくも人のこと殴ってくれたな」
今さらそう詰っても迫力に欠ける。
と言うか、サンジだって本気で腹など立てていない。

「てめえ、なんともねえのか」
「あ?なんともねえ訳ねえだろ。めちゃくちゃ痛かったぞ、今も痛え」
そう言って、ひょいとシャツを捲り上げた。
薄い腹の臍辺りにまで、どす黒く肌が変色している。
その色に、サンジの方がぎょっとした。
「うわー、ひでえ」
「自分で言うな」
「えー、だってひどくね?」
コツンと肩を当てて、凭れ掛かった。
変色した肌をもっと見せ付けてやろうと、軽く腰を上げる。
「反対側もひどかったんだぜ。ようやく色が落ち着いたと思ったら、もうこっちで」
ゾロも少しは悪いと思ったのか顔を逸らし、目線を真っ直ぐ前に据えたままぐびぐびとビールばかり呷った。
その頑なな態度は、却って不自然だ。
「なー聞いてんのかコラ。つか、酒ばっか飲むんじゃねえって」
言って、ゾロに凭れたままさきイカを摘まんで口元に持って行った。
ゾロが、前を向いたまま首だけ下げてそれに喰らい付く。
「そうそう、ちゃんと喰え。よしよし・・・」
男に手ずからつまみを与えていること自体、かなり異常だと思うのだがサンジは気付いていない。
というか、夜中の運動+ビールがぶ飲みで、量的にはほんの少しのアルコールなのに酔いが回っていた。

「なー、ナミさんはどうして金に困ってるんだ?」
距離が近しくなったせいか、つい気分も緩んで率直に聞いてしまう。
そんなサンジに視線を合わさず、ゾロは前を向いたまま淡々と答えた。
「家族が入院して、金がいるんだ」
「家族・・・」
「母親と、二人きりでな」
言ってから、違うかと一人呟く。
「姉がいるが、嫁に行ったから知らせたくないと、あいつは強情なんだ」
「そう・・・」
サンジは缶ビールを呷り、ゾロの肩にコテンと頭を預けた。
「でもそんなん、ナミさん一人で頑張ることないのに。しかもこんな無茶をして」
「俺のせいだ」
ゾロの言葉に、びっくりして目を見張る。
「俺が、関係ねえのにしゃしゃり出て金の工面の話をしたから、あいつはムキになったんだ」
「そんなこと・・・」
「余計あいつを、追い詰めるような真似をした」
普段の尊大なゾロからはとても想像できない、悔恨を滲ませた表情に、サンジは思わずその肩に手をかけた。
「ゾロは、純粋にナミさんが心配だっただけだろ?そりゃあかなり上から目線でむかつく物言いしただろうって想像付くけどよ。けど、決してそれで恩着せたりしようなんて思わなかったはずだ」
「―――・・・」
ゾロが、初めてサンジの顔を見た。
いつもは人の視線を弾くような強い眼差しが、どこか頼りなく揺れている。
「なぜ、お前はそう思う」
「え?」
「お前は、人のことわかったような口ばかり利くな」
言葉はきついが、責めている口調ではない。
ただ素朴な疑問として口を付いて出たとわかって、サンジはゾロと目を合わせたまま微笑み返した。
「当たってねえかも、しれねえぜ?ただ単に俺が、てめえがそんな奴ならいいなあって、思ってるだけかもしんねえ」
へへ、と酒のせいで赤く染まった頬を緩めた。
「お前、乱暴に見せて存外丁寧で行儀いいじゃねえか。人のことすぐ殴ったりするけどよ、そうやってナミさんのこと思って考えて、悩んでる。真剣だなあって、こっちにまで伝わってくる」
「俺には、お前がわからん」
ゾロは至近距離からじっとサンジの顔を見詰め、囁くように言った。
「殴られても痛めつけられても、ホイホイ懐いて飯を食わせるてめえのことが、心底わからねえ。俺が怖くねえのか」
「は?怖い?誰がだ」
サンジはくくっと喉の奥でわらった。
「どこの馬の骨ともわからねえ男を、部屋に連れ込んで」
「アホか、レディじゃねえっての」
ひゃははと笑いながら、ゾロに凭れ掛かる。
ゾロの身体が少し傾いで、凭れたサンジはほとんど横倒しになった。
「別に、取られて困るもんなんかねえし。俺だって貧乏だし」
ぐいぐいと頭を擦り付け、重いとか退けとか押し退けられるのを待った。
なのにゾロは、身体を傾けたままサンジの背中に手を回し抱き留めている。
「・・・ゾロ?」
ここに至って初めて、サンジは自分達の状態がヤバ気なことに気付いた。
まるでこれは、ゾロに抱擁されてるみたいじゃね?

「え・・・っと」
軽く胸を押して身体を起こそうとして、できなかった。
いつの間にか背中に回ったゾロの手が、がっちりと抱き締めている。
「ゾロ」
「こんな夜中に、酔っ払ってベタついてくるなんざ」
―――誘ってんのか?
そこだけ声を潜めて耳元で囁かれ、ぶるると背筋から震えが湧き上がった。
「な、に言ってんだてめっ」
慌てて両手で押し退けようとするのに、ゾロは更に肩を抱く手に力を込めた。
―――お前、酒飲むとやたらと絡む癖あるから、気を付けろよ。
過去に受けたウソップの忠告が、今更脳内に蘇る。
―――絡むってなんだよ、俺もしかして喧嘩売ってる?
―――そっちじゃねえ、やけに懐くんだよ。俺とかわかってる奴はいいけど、迂闊にすると勘違いする野郎も出て来るぜ。
男相手になに言ってんだと、その時は一笑に伏した。
けれどまさか、今ここでこんなことになるだなんて―――

「違う、んだぞ」
「ああ?なにがだ」
片手で肩を抱き、もう片方の手が捲り上げたシャツの裾からするりと滑り込む。
「―――・・・!」
痛めた脇腹に一瞬力が入ったが、ゾロの掌は思いのほか優しい動きで肌を撫でた。
「・・・痛むか?」
「や、だいじょう・・・ぶ」
患部を押さないように、痛くないようにと気を付けながらゆっくりと痣をなぞった。
そのまま手は上へと移動し、盛り上がりも柔らか味もない真っ平らな胸をまさぐる。
「ちょ・・・まっ・・・ちょっ」
ゾロの掌が、発火しているほどに熱い。
ジンジンと染み入るような熱に伝染したかのように、サンジの頬もカッと熱くなった。
「あ・・・」
いつの間にか、ゾロの顔が触れそうなほど近くにあった。
近過ぎて、じっと見つめてくる目線を睨み返そうとしても焦点が合わないほどで。

「ぞろ・・・」
決して呼んだつもりはないのに、その声に応えるようにゾロは唇を押し付けてきた。



―――嘘だろー・・・???
ちゅ、ちゅと音を立てて、何度も角度を変えながら啄ばまれる。
最初から暴力的なディープキスならともかく、音を聞くだけで恥ずかしくなるようなバードキスを繰り返され、サンジにはその方がダメージが大きかった。

なんだこれ。
まるで、恋人同士みたいな甘いキス。
「ぞろ・・・」
ちゅっ
「あ、のな」
ちゅっ
「ま・・・」
ちゅっちゅ
「〜〜〜〜〜〜〜〜」
んちゅっ

ちゅーっと心持ち長く吸いながら、ゾロの手が胸元から再び脇腹へとずらされる。
そのまま、緊張に固まり凹んだ腹を撫でバックルの隙間に入った。
「―――!!」
さすがに驚いて飛び起きる。
が、ゾロの手は躊躇いなく熱くなり始めたそこを握りこんだ。
「・・・ぁ―――」
声にならないうめきを、ゾロの舌が塞いだ。
今まで肌を撫でていた掌の熱が、じかに触れて擦り始める。
さすが同性と言うべきか。
強すぎず弱すぎず、的確なツボを突く愛撫にサンジの身体は否応なしに高められた。

「はっ・・・あ、ダメっ・・・だ」
ダメだダメだと魘されたように繰り返す。
サンジ自身なにがダメだかどうすればいいのかわからないまま、夢中でゾロの首にしがみ付いた。




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