triangle -7-



「んじゃこれ、ありあわせのもので悪いけど」
出て行こうとするゾロに差し出したのは、握り飯だった。
具を工夫するような時間も素材もなかったから、本当にありあわせのものだ。
タッパーに箸を付けて風呂敷で包んだ。
律儀なゾロは、またちゃんと返しに来るだろう。
そうしたらサンジは、それと引き換えに新しい弁当を手渡すつもりでいる。
あまりにもお節介過ぎて見え見えな作戦ではあるけれど、ゾロは抗わずに黙って受け取った。
そのことに、ほっとする。

「アパートを出て右手に商店街がある。そこを抜けると地下鉄の駅があるから」
「わかった」
ぞんざいに返事し玄関で靴を履きながら、ふと廊下の端に活けられた花束に気付く。
サンジはそんなゾロの視線の先を追って、バツが悪そうに煙草を吹かした。
「俺がナミさんに貰ったんだから、どうしようがいいだろうが」
「ああ」
言って、ゾロは履いた靴の爪先でトントンと床を打つ。
「お前にも似合うなと、思っただけだ」
「―――・・・」
「じゃ」

パタンと閉まったドアを呆然と見つめてから、ちっと舌打ちして灰皿に煙草を押し付ける。
「気障ったらしいこと言ってんじゃねえよ」
毒吐いておきながら、顔は自然とニヤけてしまった。





サンジの作戦が功を奏したか、それからゾロとは定期的に会うようになった。
夏場は臭いからとかなんとか理由をつけて、ゾロはちゃんとタッパーを洗って返しに来た。
食べずに捨てるなんてこともしなさそうだし、「どうだった?」と聞くと顔を顰めて「まずかった」と返すから、しっかり食べてくれたのだろう。
それでも、「飯は握り飯が一番いい」と注文を付けてくる辺り、まんざらでもなかったらしい。
「やっぱ、食べやすいからか?ゆっくり飯も食えねえのかお前」
「今まで特に決まった時間に飯を食ってなかったから、どうせあるなら食うがそれで手を休めるつもりはねえ」
今日もサンジの部屋に上がりこみ、まずいまずいと言いながら旺盛な食欲を示すゾロにお代わりを差し出しつつ、サンジは咥え煙草で顔を顰めた。
「そんなんじゃダメだっつってるだろ、食は基本だ。そして、ただ食うだけじゃなく食事の仕方が大事なんだ」
口に入れて咀嚼して飲み込むだけで栄養なんか取れるもんか。
まず食事は楽しまなければ。
ゾロはそんなサンジの剣幕を目の当たりにしながら、じっと食卓に視線を落とした。
ただ茶碗と皿を並べればいいだけなのに、テーブルには渋い色をした四角い布を敷き、朱塗りの鮮やかな碗や箸、素焼きの取り皿などが使われている。
盛られた料理はどれも色鮮やかで、添え物などどこかの料亭のように洒落ていた。
全てにおいて無頓着なゾロにすら、いい組み合わせだとわかる。
これが、見た目に食欲をそそると言うものか。

ゾロはずずっと無言で吸い物を啜り、ほうと息を吐いた。
「・・・味がしねえ」
「いいんだよ。ゆっくり口に含んで鼻から息吐け」
いちいち怒らないで、寧ろゾロが何か言う度になぜかサンジは嬉しそうな表情を返す。
美味い凄いと褒めそやされるよりも、目の前で食べてくれると言う行為に喜びを見出しているのだろう。
―――変な奴
ゾロは再びずずっと啜って、鼻から息を吐いた。
ほんの少し、懐かしい匂いがした気がした。


「ごっそさん、もう行く」
「ああ?今日の現場は西海駅の近くだろ、まだ早くね?」
「こっから西海遠いだろうが」
ゾロの答えに、サンジはキョトンとして振り返る。
「なに言ってんだ、最寄り駅が西海だろ」
「あ?俺はいつも風車駅から乗ってるが」
「はああ?」
持っていた皿を乱暴にシンクに置き、サンジは手を拭きながら歩み寄った。
「何で真逆行ってんだよ?しかも二駅分遠いし」
「知るか、初めてここに来た日にてめえに言われた通り歩いたら、風車駅があったんだ」
「あほかーっ!西海は目と鼻の先だ、風車は反対方向に三駅先だ!」
どんだけミラクルなんだと、喚きながら自分の髪をグシャグシャと掻き回す。
「わあった、俺も出掛けるから一緒に西海まで行く」
「ああ?別にいらねえよ」
「いるわボケ、お前はファンタジスタ過ぎて目が離せねえ」
早く出ないと遅れると急かすゾロを宥め、サンジは手早く後片付けをしてから一緒に家を出た。

「この角を曲がって、真っ直ぐ前見たら地下鉄のサインがあるだろうが」
「―――・・・」
ほんの数分で辿り着いた西海駅に、ゾロはしばし無言だった。
「こないだは、こんな景色じゃなかったぞ」
「それはお前が逆を向いていたからだ。くるっと身体を反転してみろ。遠くの先にはお前が見ていた景色が広がっているだろう」
「わかりづらい街だな」
「街は普通だ。てめえのオツムがわかりづらい構造なんだ」
けちょんけちょんに貶されて、ゾロはむうっと唇をへの字に曲げた。
「お前、そんなんでほんとにK大法学部かよ」
「・・・なんで知ってんだ」
「サンジ様の情報網を舐めるなよ」

そこに、駅から出て来た二人連れの女性がすっと近付いてきた。
サンジが先に気付いて、むほっと鼻息を荒くする。
女子大生なのか、どちらも可愛くてスタイルがいい。
「ロロノア君、今からバイト?」
「ああ」
可愛く小首を傾げて問いかけてくる女子に、ゾロはむっつりとしたまま答えた。
「大変ね、頑張って」
「たまにはカラオケ行こうよ」
ゾロの隣にいるサンジにも、愛想よく会釈した。
「お友達さん?」
「どうも初めまして、サンジと言います」
「初めましてー」
「私たち、これからお茶するんだけどサンジさんも一緒にどうですか?」
「もちろん・・・」
喜んでーと応じる前に、ゾロに首根っこを掴まれて引き上げられた。
「ぐえっ」
「俺はバイト、こいつは出掛けるんだ。またな」
「ああん、残念」
「それじゃ、また学校でね」
バイバーイと可愛く手を振る女子に、サンジは首を締め上げられながらも笑顔で手を振り返した。

「離せ、っての、ケホッ」
ゾロの手を振り払い、喉を押さえてケホケホと咳き込む。
「なんだよ、同じ学校の子かよレベル高えなあオイ」
苦しいながらもサンジがニヤけながら言うと、ゾロは鬼のような形相で睨み返した。
「てめえ、本当に女なら誰でもいいんだな」
「あ?なに言ってんだ。男なら女子はすべからく可愛いだろうが。可愛い女子みんなとお近づきになりたいだろうが!」
どーんと胸を張って答えると、ゾロの額の青筋がボコボコと浮き上がる。
「ナミはどうなんだ」
「へ・・・あ、や、勿論ナミさんはその中でも一番・・・」
「ふざけんな!」
ゴッとゾロの拳が脇腹に減り込んだ。
治りかけていたのとは反対方向だ。
思わぬ衝撃にサンジは声もなくその場で蹲る。
まさかゾロから反撃を受けるとは思わず、すっかり油断していた。
しかも吐くとか吹き飛ぶとか言うダメージではなく、ひたすらに骨がヤバイ。
またいった気がする。

「・・・てめ・・・」
「俺はてめえの、そういうところが気に食わねえ」
吐き捨てるように言って、ゾロはさっさと踵を返し行ってしまった。
残されたサンジはしばらくしゃがんだままでいて、息を整えゆっくりと立ち上がると歩道の手すりに中途半端な体制で腰を下ろす。
迂闊に身体を起こすと痛みが走った。
いま病院行ったら、絶対診断書が貰える筈だ。
「・・・ざまあねえなあ」
油断していた。
何度も家に食事に来て、いい感じで世間話もできて。
すっかり打ち解けたと思っていたのに、まさかまたこんな形で暴力を振るわれるとは思ってもみなかった。
「・・・なんで、怒んだよ」
ナミを蔑ろにして、他の女子にウツツを抜かしたからだろうか。
でもそれじゃ、なぜ怒られたのかわからない。
今のところ、ゾロとサンジはナミを挟んで三角関係(?)になっているはずだった。
サンジの興味が他の女性に移るのなら、ゾロ的には万々歳だろうに。

「なんなんだよ」
ナミが関わると、まるで人が変わったように凶暴になる。
初めて会った時みたいな、凶悪な目付きで睨み返されて正直肝が冷えた。
折角家に食事に来てくれるようになったのに。
バイト先まで一緒に歩いていける間柄になったのに。
・・・って、あれ?
俺ってなんのためにあいつに近付いたんだっけ。
当初の目的を見失いそうになって、サンジは途方に暮れた。



「サンジ君?なにしてんの?」
視界の隅にすらりとした長い足が映り、サンジは条件反射でわほっと飛び上がりすぐさま痛みに呻いた。
「いてててて」
「なに?筋肉痛?」
噂?をすれば、通りがかったのはナミだった。
学校の帰りなのか、大きな鞄を肩から提げて涼しげな格好で颯爽と歩み寄る。
「ああ、相変わらずお美しい〜」
「なにしてんの?まさか私を張ってたんじゃないでしょうね」
途端に気味悪そうに顔を顰めるのに、慌ててぶんぶんと手を振った。
「違う違う。俺この近くに住んでんだ。ちょっと煙草買いに出てて」
「・・・ならいいけど」
可愛いが故に目を付けられることも多いのだろ。
過剰に警戒するナミも可愛いなあとサンジは痛みも忘れてヤニ下がった。

「そうそう、こないだ誕生日だったんだね。知らなくてごめんね」
「別にいいわよ、言ってないし。こっちこそ急に変なもの押し付けてごめんね」
サンジはポケットから、小さな包みを取り出した。
いつナミと出会ってもいいように、ずっと持ち歩いていたのだ。
「遅くなったけれど、誕生日おめでとう」
思いがけないプレゼントに、ナミの瞳がぱちくりと大きく瞬きする。
いつもの取り澄ました表情ではなく、素で驚いた顔がびっくりするほど幼く見えた。
「私に?いいの?」
「勿論だよ、遅れてごめんね」
言って、包みから箱を取り出す。
幸い、オレンジ色のリボンは潰れずにいて、小さいながらも可愛らしい。
「ナミさん、この世に生まれてきてくれてありがとう。ナミさんのお母さんにも感謝をこめて」
ナミの瞳がほんの少し揺れた。
けれどすぐに、いつもの快活な表情でにっこりと笑う。
「ありがとうサンジ君、遠慮なくいただくわ」

プレゼントの中身は、7月の誕生石であるルビーのネックレスを選んだ。
転売できるほど高いものではないが、サンジが実家のレストランを手伝ってコツコツ貯めた小遣いを注ぎ込んだものだ。
受け取ってもらえるだけで、ゾロに勝ったとも言える。
「あの、前にナミさんから貰った花束は、俺んちでまだ綺麗に咲いているよ」
「え?」
貰うだけ貰ってさっさと通り過ぎようとしたナミが、驚いて足を止める。
「サンジ君、あの花本当に貰っていってくれたの」
「うん。綺麗だし、花には罪はないからね」
いくら毛嫌いしているストーカー相手から貰ったものだろうと、あんな風に心をこめて用意された花束を無碍にすることはサンジでも良しとしない。
「ふうんそう、サンジ君って案外女の子以外にもマメなのね」
「案外とか酷いなあ、俺がマメなのはナミさんに関してだけだよ」
言って、ふっと表情を緩める。
「ねえナミさん」
「なに?」
「ゾロのこと、気味悪く思うのもわかるけど、あいつそう悪い奴じゃないって思うんだ」
「・・・」
ナミの表情がすうっと平坦になった。
「あいつはあいつなりに、一生懸命ナミさんのこと思ってんじゃないかな。そりゃあ無口で無愛想で感情が乏しくて、何考えてるかわかんない不気味さはあるけどさ。けど、ナミさんのことものすごく大切だーって思ってるのは、わかる気がする」
「へえ、そう」
「でもまあ、一旦“気持ち悪い”って思っちゃうともう気持ち的に受け付けなくなるってのもわかるから、仕方ないよね」
「そうよ、わかってくれてるじゃないサンジ君」
ナミはいつもの表情にもどって、にやんと悪戯っぽく笑った。
「そんなにゾロのこと理解してくれる人なんて、サンジ君が初めてかも。さすがサンジ君だわ」
「いやあ、それほどでも・・・」
「だからこれからもゾロのことよろしくね。私からもお願いするわ」
「いや、お願いするって・・・って、え?」
「ゾロには、サンジ君のが似合ってると思うの。まさかこんなに早くゾロのこと理解してくれるなんて、本当に思いもかけなかった。さすがだわー私が見込んだだけあるわねえ」
「へ?え?は?」
「ゾロだって、サンジ君相手なら満更でもないから。どうぞお幸せに、プレゼントありがとう」
ナミは言うだけ言って、さっさとその場から立ち去ってしまった。
後を追おうにも、サンジは脇腹が痛くて立ち上がることも苦痛だったりする。

「・・・一体、どういうこと?」
サンジは呆然としたまま、ナミの後ろ姿を見送るしかできなかった。





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