triangle -5-



サンジのいきなりな宣言に、さすがのゾロも面食らったようだった。
「は?」とか「ああ?」とか言葉にならないまま聞き返し、剣呑な顔をしている。
「だから、てめえの舌は馬鹿になってんだよ。それを俺が治してやるつってんだ」
「てめえが馬鹿か。なんでてめえにそんな世話、焼かれなきゃなんねんだよ」
「お前が俺の飯を『まずい』っつったからだ」
「しつけえ」
ウンザリしたように、ゾロはサンジに背を向けて歩き出した。
慌ててそれを追い掛ける。

「待て、まだ話は終わってねえ」
「そもそも始まってねえ、てめえと話すことなんざねえよ」
「聞き捨てならねえんだよ」
「そりゃてめえの勝手だ」
「おうよ、俺の勝手だ」
振り向きざまに脇腹に打ち込まれた肘を、サンジは咄嗟にリュックで防いだ。
図書館から借りてきた分厚い本を中に入れておいて、本当によかった。
ゾロはちっと舌打ちしている。
「チョコマカと、うぜえ奴だな」
「ストカ野郎にうぜえとか、言われたくねー」
ずいっとゾロが一歩踏み出した。
サンジはリュックを前に持って、身体を庇いながら後ずさった。
得意の蹴りはある程度距離が離れていないと威力が半減する。
警戒している筈なのに、この男は容易く人の間合いに入るのだ。
実にやりにくい。

「なんでそんなに、俺に構う」
低めた声が耳を打った。
頭ごなしに怒鳴りつけられればそれなりに反論できるが、こんな風に声を潜めて囁かれると調子が狂う。
「てめえが、俺の飯を・・・」
「それはもう聞いた」
遮る声も、どこか優しげで不気味だ。
「飯、貶されたくれえでムキになるのも大人げねえが、そもそも自分の弁当を人に食わせるってのが俺にはわからねえ。よっぽどのお人よしかお節介か、それとも他に魂胆があるのか?」
「こんたん・・・」
言われて初めて、サンジははっと気が付いた。
「おうよ、あたりめえだろうが」
すっかり忘れていた。
「てめえをナミさんから遠ざけようってのが、そもそもの目的なんだ。てめえなんざ、飯食う喜びもねえつまんねえ人生だろ。せめて人並みの幸せってもんを見つけ出してやりてえと」
「・・・余計なお世話だ」
さすがに呆れて、ゾロはげんなりとした表情になった。
「ナミさんが素晴らしい女性なのは俺だってよーく知ってる。てめえが夢中になんのも気持ちはわかる。わかるけどなあ、世の中にはナミさん以外にも素敵なものはいっぱいあるんだぜ」
言い募るサンジから顔を背け、ゾロは身を離す。
「当のナミさんに嫌われちまったら、もう脈はねえんだから男らしく潔く諦めろ。女性ってのはな、男と違って切り替えが早くて、そりゃあスッパリしてんだ。一度『嫌い』っつたらもう修復不可能なんだよ。だから諦めて他探そうぜ。ナミさんのことは心配するな、俺がちゃんとお前の分まで大切にする」
「アホか」
「ナミさんほどとは言わねえが、可愛い子はいっぱいいる。世の中半分がレディなんだ、そんなてめえでもいいって言ってくれる女の子が、どこかに一人や二人くらいはきっといる。だから気を落とすな!」
すっかり慰めモードに入って追い掛けて来るサンジを、ゾロは鬱陶しそうに肘で払った。

「言っとくが俺にとっちゃナミ以外の女はどうでもいい。美味い飯だろうが可愛い女だろうが、んなもんは俺にはいらねえ。ナミが幸せならそれだけいいんだ」
とてもストーカー男とは思えないようなキッパリとした物言いに、サンジははっと胸を突かれた。
それでいて、どこかがツキンと痛む。
「・・・なら、俺がナミさんを幸せにするから」
「ナミを幸せにすんのは俺だ。てめえは引っ込んでろ」
さもそれが当然とばかりに、きつい眼差しでサンジを真正面から睨み付ける。
不遜な男の態度に普段のサンジならば怒りが湧くはずなのに、なぜかショックを受けていた。

「口で言ってわかんねえなら、今度こそ身体に覚えさすぞ」
物騒な台詞を吐いて、サンジの心臓の辺りをトンと指で突いた。
軽く突かれただけなのに、よろめいて尻餅を着き掛ける。
脇にあった外灯に腕を引っ掛けて、辛うじて転倒は免れた。
そうしている間に、ゾロはサクサクと歩いて行ってしまっていた。

「人が、親切で言ってやってるのに」
捨て台詞を吐いて睨み付けても、胸の痛みは治まらない。
さして乱暴された訳でもない筈なのに、サンジの心臓はいつまでもトクトクと落ち着きなく暴れていた。





「もしもーし、サンジ君、ちょっと」
翌日、ウソップにちょいちょいと手招きされ、サンジはなんだよと顔を顰めながら近付いていった。
促されるまま自販機コーナーに座り、喫煙エリアで一服する。
「昨日、門の外で話してただろ」
「あ、ああ」
見られてたのか。
なんとなくバツが悪くて、煙草を咥えたまま横を向く。
「ちょっとした知り合いだ」
「そうだな、仲良さそうだったし」
「えええ?!」
驚いて振り返る。
「お前ら、二人して壁に凭れてヒソヒソ話してよ。かと思えば相手が身を引けばお前が追い掛けて、またコソコソして最後はてめえの胸小突いて、コケそうになるのにさっさと立ち去ってったなあ」
・・・なるほど、傍目には仲良くふざけて見えたのだろうか。
黙っていたら、ウソップがジト目で見つめ返してきた。
「そう見せかけてその実、険悪だったんじゃねえか?」
「そこまでわかるのか!」
「ウソップ様の洞察力を甘く見るなよ」
言いながら手帳を取り出し、ペラペラと捲る。

「名前はロロノア・ゾロ。K大法学部3年生、区内アパートで1人暮らし・・・」
「は?ち、ちょちょちょっと待て!」
「ああ?」
胡乱気に顔を上げるのに、襟首掴んで引き寄せた。
「おま、なに言ってんだ、なに知ってんだ。つかK大の法学部って?」
「あいつめちゃくちゃ頭いいぞ、しかもいいとこの坊ちゃん」
「はああ?」
ビックリした。
「俺達と同学年?あいつが?いや、二浪か三浪くらいしてんのか」
「残念だがタメ年だよサンジ君」
「えええ〜〜〜?!」
ってことは、あれでまだ20歳過ぎ?
「なに、相手が誰かも知らないで話してたの。あんなに親密に」
「別に知り合いじゃねえからよ、俺はてっきりフリーターのストーカーだと・・・」
「ストーカー?」
ウソップの問い返しに、サンジははっと口を押さえた。
「ストーカーって、もしかしてナミって子の、ストーカーのことかなあ?」
「いや、それはあの・・・」
「サンジ君、キミは一体どこまで関わってくれちゃってり、してるのかなあ。俺があんだけ忠告したってのに」
「あん時は、もうすでに関わっちゃってて・・・」
「ほおほお・・・それ黙ってて、しらばっくれてたって、そういうこと?」
「だあもう、いいから続き教えろ!」
逆ギレして襟首を掴み上げる。
ウソップはギブギブと諸手を挙げ、咳き込みながら先を続けた。

「ロロノア家ってのはS区にある資産家で、土地持ち出し古くからの名士だしでたいした家柄みてえだぞ。それが、ナミって性悪女に捕まったと」
「てんめええ、言うに事欠いてナミさんになんてことを!」
「俺が言ってんじゃねえよ、巷での評判だよ」
サンジにギリギリ喉元を締められ、ウソップは真っ赤な顔をしてその手を振りほどいた。
「実家からの仕送りに頼らず、自分で学費と生活費稼いで成績も維持してるって評判の好青年だったらしいぜ。それがナミと出会ってすっかり変わっちまったって」
「なんだよ、それ」
「寝る間も惜しんでバイトに励んで、全部ナミに貢いでるらしい。最近は成績も落ち始めたって、大学の友人達が心配していた」
「なんだよなんだよ、んなのナミさんのせいじゃねえよ」
言い返しながらも、胸がドキドキして来た。
それが本当なら、ゾロは救いようがないほど「嵌って」しまっていることになる。

「大体、なんでてめえがンなこと知ってんだ」
「ウソップ様の情報収集能力を舐めるなよ」
これはサンジも納得だった。
ウソップは驚くほどの顔の広さと抜け目ないリサーチ力で、迅速且つ正確に情報を得るのだ。
「それにしたって」
「悪いこたあ言わねえ。なあサンジ、ナミって子から手を引け」
ウソップの両手ががっしりとサンジの両肩を抑えた。
「俺の能力をしてあらゆる場所から情報を得るに、ナミって子の評判はろくなもんじゃねえ。そりゃあ頭もいいし見てくれもいいかもしれねえが、平気で人を騙す、裏切る、金をせびり取る、貢がせて平気な顔ですぐ次に乗り換える・・・典型的な悪女だ」
「ウソップ!いくらてめえでも・・・」
反射的に殴り掛かりたいのを、拳を握ってぐっと堪えた。
ウソップはきっと、殴られるのを覚悟で正面からぶつかってきているとわかるから。
「お前がナミのなにをどんだけ惚れてんのかは知らねえが、このままじゃお前、ロロノアの二の舞だぞ。彼女は毟り取るだけ取って、後はポイだ。お前みたいに、次の男を頼って追っ払わせるだろうよ。ロロノアはもうダメだ。相当いかれてるって、友人達も匙を投げてる。けどお前は、お前はまだ間に合う。そうだろ?」
俯いて、奥歯を噛み締めた。
なにに対して怒っているのか、サンジ自身にもわからない。
「それに、どうもナミの後ろにゃタチの悪いチンピラが付いてるみてえなんだよ。キナ臭い噂も聞いてる。お前まで厄介なもんに巻き込まれてどうするよ」
「・・・キナ臭い、噂って?」
顔を上げたサンジに、ウソップは慌てて視線を逸らした。
「そりゃあまあ、色々だ」
「なんだよ、はっきり言えよ。ナミさんが危険なのか?」
「・・・・お前なあ」
ウソップの方が先に切れて、サンジの胸を拳で打った。
「だから、なんでわかんねえんだよ。もうナミに関わるなっつただろうが。あいつがどんな危険に晒されてるかって、聞いてどうすんだよ」
「助けるに決まってるだろ」
「馬鹿かてめえ!なんでそこまで彼女に拘るんだ」
激昂してサンジの襟首を掴んだウソップの手を、やんわりと押した。
「決まってるだろ、恋はハリケーンだからさ」
真顔で答えたあと、サンジはウソップに張り倒された。



「ったく、手加減しろってのに」
ズキズキ痛む右頬を撫でながら、サンジは大学を出た。
鏡を見ても特に痕にはなっていないが、地味に痛い。
愛の拳だと甘んじて受けたけれども、ウソップは完璧に怒ってしまった。
当分、口を利いてくれないかもしれない。

「・・・ゾロにだって、殴られたことねえのに」
顔は、だな。
もし奴に思い切り顔をぶん殴られたら、半分が歪むか陥没してしまうだろう。
それは避けたいと、頬を擦りながらぶるりと身を震わせた。

―――さて、どうするか。
とぼとぼと当てもなく歩いているように見えて、サンジの足は真っ直ぐにナミが通う大学へと向けられていた。
会ってどうするものでもないが、顔を見ておきたかった。
ウソップの話では、ナミ自身も夜はスナックで働いていて、そこで知り合ったやくざとひと悶着あったらしい。
ナミのことだから、軽はずみに自分の価値を提げるような真似はしていないだろうとは思うが、心配じゃないと言えば嘘になる。
それに、やっぱりゾロのことも気になる。

―――ゾロ・・・
ウソップが語るロロノア・ゾロと言う男は、知らない人のようだった。
頭が良くて金持ちのボンボンで、けれど自分で学費と生活費を稼いでがんばる勤労好青年?
それでいて、女に溺れて身を持ち崩すダメ男?
誰がだ。

ゾロはそんなんじゃねえだろとの想いが沸いて、慌てて自分で打ち消す。
なに考えてんだ。
そんな風に思うほどに、相手のことなんて知りもしないくせに。
数回話しただけで、しかもその内1回は殴り合っただけで、相手のことなんてこれっぽっちも知らないくせに。

自分勝手で傲慢で、人の話を聞かなくて口を開けばナミのことばかりの味覚オンチ。
それが、サンジが知るロロノア・ゾロのすべてだ。
ウソップが語る男のことなんて、見知らぬ他人のようだった。





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