triangle -4-



ゾロの「まずい」発言は思いのほか深いダメージをサンジに与えていた。
毎日、趣味の一環として楽しんでいた弁当作りを思い留まらせてしまうほどに。

「サンちゃん、今日弁当ないの?」
学年が上なのになぜか昼時に現れるエースは、サンジの弁当試食を二口までと強制的に決められている常連だ。
サンジがいつもの弁当包みを抱えていないのを目敏く見つけ、いらぬ一言を発したから他の男共がざわめいた。
「なに、今日弁当ねえの?」
「あの一口が味わえねえのか」
「なんだよサンジー、今日は寝坊でもしたのかよ」
昨日もウソップに連れて行かれて弁当食ってねえのにと、自分の弁当でもないくせに憤懣やる方ないクラスメイトの前で、サンジは珍しく大人しい。
いつもなら、勝手なことほざくなと椅子の一つも蹴飛ばす勢いがない。
「どうした、具合でも悪いのか」
ただならぬ雰囲気に、周囲がさり気なく耳を欹てる中をウソップが単刀直入に聞いてきた。
ぼうっとしていたサンジは、生返事で答える。
「や・・・俺の弁当なんて、別になくてもいいだろ」
「は?」
ざわわっと空気がざわめく。
だが誰も声を発さず、息を呑んで成り行きを見守っていた。

「んなことねえだろ、少なくとも俺にとっては毎日の楽しみだ」
俺もそうだ、俺もそうだと無言で頷く男達の姿は、呆けたサンジには見えていない。
「んーまあ、腹減ってたらなんでも美味いよなあ」
どこか自虐めいた口調に、ウソップは眉を寄せた。
「腹減ってなくたって、お前の飯は美味いぞ」
「そうだよ。俺は、毎日でも何時間でもサンちゃんのご飯食べたいよ」
エースも快活な口調で乗っかってきた。
それに、困ったようにニヤンと笑い返す。
「そりゃ、エースはなに食ったって美味いだろうよ。底なしの食欲だし」
「おいおい、こう見えてエースはちゃんと味わかってっぞ。確かになんでも食うし馬鹿ほど食うけど、美味いまずいはわかってるよな、な?」
「もちろん、失敬だよサンちゃん」
胸を張るエースの隣で、ウソップは恐る恐る聞いてきた。
「なんだサンジ、お前の飯のことでなんか言われたのか」
「・・・」
黙って口をすぼめる。
誤魔化すために煙草を取り出して咥えたいところだが、教室ではさすがに許されない。

「・・・まずいって、言われた」
ボソッと呟いた一言は、しんと静まり返っていた教室の中に、やけに大きく響き渡った。
「な、んだとおおおおお?!」
頓狂な声を上げて立ち上がったのは、周りの男達だった。
まるで咆哮のような怒声を上げて、両手を振り上げ足を鳴らす。
「サンジの飯まずいとか、どこのどいつが言いやがった」
「ふざけんな、食ってもいねえくせにっ」
思わぬリアクションに圧倒され、サンジはらしくもなく素直に首を振った。
「いや、そいつちゃんと食ったし・・・」
「ますますふざけんなあああ」
「サンジの飯の、どこがまずいってんだゴルアアアア」
もはや手が付けられない。

「サンジ、誰だそいつは、言え!俺が教育的指導をしてやる」
「そうだそうだ、みんなで囲んでフルボッコしてやる」
「二度とそんな口叩けねえようにしてやらあ」
鼻息荒く詰め寄られ、サンジは逆に戸惑ってしまった。
「や・・・だってよ、そいつがほんとにまずいと思ったら、やっぱまずいんじゃねえか?」
「まずくねえ!」
「サンジの飯はまずくねえ、超美味え!」
「誰がなんと言おうと、俺はサンジの飯が好きだっ!」
こんな、野郎の集団に好きだ好きだと連呼されても、サンジは欠片も嬉しくない。
嬉しくないはずなのに、なんだかふにゃんと口元が緩んでしまった。
「そっか、ありがとな」
その寂しげな微笑みに、ウソップが口を挟んだ。
「別に、お前のフォローしてんじゃないぞ。ほんとのことだからな」
「そうだぞサンジ」
「うん、お前らの気持ちはわかった。ありがとう」
「ほんとだってば、サンジ〜」
「わかったっつってんだろ」
縋り付く野郎の手から逃れ、心配顔のエースの影に隠れて笑う。

料理が好きで、人に食べさせるのが大好きで。
本当は実家のレストランを継いで料理人になるのが夢だった。
けれど祖父の反対に遭って、専門学校に行くのを諦めて趣味の範囲内だけで料理を続けた中途半端さだ。
そんな自分が作るものなんて、結局たいしたもんじゃないんだと気持ちが落ちてしまったのも事実。
きちんと勉強して努力していないから、自信が揺らぐ。
そのことを思い知らされて、昨夜は色々と考えてしまっていた。
玄人はだしだと褒めそやされて、調子に乗ってまずいものを食わせていたのかと思うと、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
美味いと思っていた、自分の舌が怪しく思えた。
どこの誰ともわからない男の一言でここまで揺らぐくらいなら、やはりちゃんと学校に行って勉強して修業して、腕を磨くべきじゃないかとも思い直した。
だから、今からでも進路を変更しようかとまで思い詰めていたのだ。

「わあったよ、今度はちゃんと弁当持って来るよ」
「約束だぞ、絶対だぞ」
「作ってこないと、作りに帰らせるからな」
「お前ら大学をなんだと思ってんだ!」
突然乱入した教授の一声で、その場はわっと解散した。





「ところでサンジ君、本当のところまずいとか抜かした奴は誰なんだい?」
学食で向かい合わせに昼食を摂りながら、ウソップはおずおずと聞いてきた。
さっきはなぜだか大騒ぎになってしまったから言えなかったけれど、ウソップにくらいはいいかと思う。
嘘吐きだがお喋りじゃないし、お節介だが押し付けがましくないウソップはかけがえのない親友だ。
「昨日、成り行きで俺用の弁当食わせたんだ」
「誰に」
「お前に言っても知らねえ奴だよ」
口を開きつつもどこか頑ななサンジに、ウソップは遠慮しながらも突っ込んだ。
「大体お前、昨日はナミって子とデートだったんじゃね?」
「んー・・・お茶だけして、ナミさんに用事があったからそのまま」
「大方、飲み物代を払わされただけじゃねえのか」
ぐ、とサンジは不平そうな顔付きになる。
「別に、俺だって紅茶飲んだし」
ナミが行ってしまった後に一口だけ、だが。
「そんで、その後どうしたんだ。自分の弁当を食べようと、どっかで広げたのか」
「うん、まあ・・・」
そういう事にしておこう。
「そしたら知り合いが通り掛った?」
「そんなところだ」
「お前のこったから、ちょっと食ってけよとかなんとか言って」
「そうそう」
「そいでそいつが食ったら・・・」
そこまで言って、ウソップはどんぐり眼を潜ませる。
「まずいって?」
サンジは相槌も打たず、しょぼんと項垂れた。

そんな様子を見てさすがに不憫に思い、ウソップは頬を人差し指でカリカリと掻きながら視線を上げた。
「そいつ、味覚障害じゃね?」
「は?」
「絶対味オンチだって、てめえの飯食ってまずいとかありえねえよ」
サンジの眼差しが柔らかく和んだ。
「お前、ほんとに優しい奴だなあ」
「だからフォローじゃねえっつってんだろ、いい加減怒るぞ」
拳で叩く真似をして、真剣な表情で顔を近付ける。
「なあ、世間には色んな奴がいるんだよ。男手玉にとって貢がせる悪女やら、なに食ってもまずい味しかしねえ味覚オンチやら」
「最初の部分は明らかに余計だ」
「ともかく、一般常識って何だろうってわかんなくなるほど、色んな奴がいるしそれぞれに色んな“普通”がある。もちろんそれを認めて理解してやるのも大切だけど、余計な言葉で自分を揺るがせるのは止めろよ」
「―――・・・」
痛いところを突かれた。
まさしく、自分に自信がないからゾロのあの一言が効いたのだ。
「サンジの作る飯は、なに食ったって美味い。それは俺が保証する。俺は嘘吐きだが人を騙すことはしねえ。嘘なら嘘だってわかる嘘しか吐かねえからな」
胸を張って堂々と宣言するウソップに、つい噴き出してしまった。
「どんだけ誇り高い嘘吐きだ」
「おうよ、俺は誇りのウソップ。自分にだけは嘘を吐かねえぜ」
いっそ清々しいほどの逆ギレっぷりに、サンジは腹の底から笑い声を立てた。
持つべきものは、やはり親友だ。



ナミとゾロとのこともうまく誤魔化し遂せて、朝とは打って変わって上機嫌で午後の講義を受ける。
空いた時間に珍しく大学図書館まで足を伸ばし、味覚障害について調べてみた。
ざっと探したところ文献は少ないようだ。
けれど確かに実在する病気で、原因も症状も多種多様だった。

―――あいつ、味がしねえとか言ってたな。
確かに、サンジが作る料理は素材の風味を活かすために薄味にしてある。
外食や濃い味付けのものに慣れていると、淡すぎると感じるかもしれない。
「悪味症ってのもあんのか」
なに食ってもまずいなんて、人生大損してるじゃないか。
これはさすがに気の毒だろうと、症例を読んでいるだけで胸が痛んだ。
改善させるなら早めの方がいい。
症状が出てから時間が経てば経つほど、回復させるのが難しくなる。
「一生飯がまずいなんて、そんなん不幸だ・・・」
サンジは必要事項だけメモを取ると、パタンと本を閉じた。



勿論、ゾロが味覚障害だろうがなんだろうが、サンジには関係のないことだ。
寧ろこれ以上関わってもろくなことにならないと、本能が告げている。
だが、この先もナミに纏わりつくストカ男であり続けるなら、その排除のために目的は厭わない。
「もしかしたら、なに食ってもまずい人生を儚んでナミさんに固執してるだけかも知れねえし・・・」
それだったら、人生他にも楽しいことはいっぱいあるんだよと教えてやりたい。
無愛想で乱暴もので傲慢で酷薄そうだが、ナミに対しては一途なものを感じてしまう。
思い込みが激しいだけで、根は悪い奴じゃないかもしれない。
だからと言って、サンジから直接関わることなんて絶対にないのだけれど。

なんてことをつらつらと考えながら学校を後にして、大通りの向こう側のバス停に緑頭を見つけて心底驚いてしまった。
関わらないで置こうと決意した矢先に、なんで毎回タイミングよくいるんだこいつは。



「おう」
今度はサンジが目的だったのか、ゾロは仏頂面のまま片手を上げてきた。
右向いて左向いて、減速する車の間を縫うようにして横断する。
ゾロの元に駆け寄る形になって、サンジとしてはなんだか不本意だ。
だが今は、そんなことを言ってる場合ではない。

「てめ、なんでここにいやがる」
「てめえを探してた」
なんで?と、ちょっと走っただけで動悸なんてするはずないのに、心臓がバクバクした。
「これを、借りっ放しだっただろう」
言ってゾロが差し出したのは、箸だった。
ちゃんと洗ってあるらしいが、剥き出しのまま差し出されても困る。
「義理堅いんだな」
「借りたもんは返すのが常識だ」
ストカ男に常識を解かれてもと躊躇いつつ、サンジは箸を受け取った。
「じゃあな」
「ちょっと待てよ」
それで終わりかよと、別に用もないのに反射的に引き止めた。
「なんで俺がここにいるってわかったんだ?ストカ能力か」
「はあ?なんだそれは」
自分がストーカー呼ばわりされている自覚がないのか、ゾロは呆れたような顔で振り返った。
「黄色い頭して眉毛が巻いた男を見たことねえかって聞いたら、この大学に行き当たったんだ。割と簡単だったぞ」
「・・・てめえなあ」
言うに事欠いて、なんて探し方しやがる。
「てめえ、目立つのな。すぐにわかった」
「そんなん人に聞いてんじゃねえよ、こっ恥ずかしい」
サンジは頬を赤らめてがしがしと顔を擦ると、ちょっと来いとゾロの腕を引いて塀に押し付けた。

「お前な、飯美味いか?」
「ああ?」
「正直に答えろ、てめえが美味いと思うもんはなんだ」
唐突ながら真剣な問い掛けに、ゾロも釣られて真顔になった。
「別に」
「別にってこたあねえだろ。なんか美味いって思うもん、あるだろ」
「そう言われてみれば・・・」
「うん?」
しばしの沈黙の後、ゾロはきっぱりと言い切った。
「ねえ」
カクンとサンジの肩が下がる。
「やっぱりか」
「あ?」
「てめえ、いつからだ」
「なにがだ」
「飯の味がわかんなくなったのは、いつからだって聞いてんだ」
襟首を掴まれ、ゾロは反射的にその手を払った。
勢いで腕を捻り上げるのに、サンジも無言で身体を引いて抵抗する。
どちらも表情を変えずに揉み合っていたから、通り掛かった学生達は二人がふざけているようにしか見えないだろう。
けれど、サンジも真剣に抗った。
これ以上傷を増やされては敵わない。

「いいから答えろ、いつから飯がまずくなった?」
「てめえに関係ねえだろう」
「関係大有りだ、俺はてめえに弁当がまずいと言われたんだぞ!」
ぶちっと切れて大声を出してしまってから、しまったと慌てて口を塞ぐ。
誰かに聞かれでもしたら、サンジの飯をまずいといったのがゾロだと知られてしまう。
そうするとなにかと面倒だ。

「根に持ってやがんのか」
「当たり前だろ、俺にとってはオオゴトだ」
至近距離でギリッと睨み合い、先に目を逸らしたのはゾロの方だった。
「はっきりとは憶えてねえ」
「んな訳ねえだろ、どんだけ無頓着なんだてめえ。飯がまずいなんて人生の楽しみ半分以上なくなるじゃねえか」
ちなみに、サンジの楽しみの残り半分は女性との触れ合いな訳だが。
「飯なんて、腹が膨れりゃなんでもいい」
「なんだとお!」
今度は料理を侮辱する発言に、さらに切れる。
「上等じゃねえか、こうなったら意地でもてめえに美味いもん食わせてやる!」
「・・・はあ?!」
思わぬ展開に呆然となったゾロの前で、サンジは堂々と宣戦布告した。





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