triangle -3-



「あいつ!」
カタンと椅子を鳴らして、サンジは立ち上がった。
慌てて会計を済ませて外に飛び出すと、ちょうどナミがゾロの手を振り切るように肩をそびやかして走り去るところだった。

「てめえっ!」
怒鳴りながら駆け寄れば、逃げも隠れもするつもりはないのかゾロはその場で突っ立ったまま振り返った。
左側の口端から頬にかけて少し腫れ、青痣が残っている。
なんとも間抜けな面相に、再び殴りかかるつもりがぷっと思わず噴き出してしまった。
「ざまあねえな」
「誰のせいだ」
ゾロは憮然とした表情で、両手をポケットに突っ込んで歩き出す。
それを身体ごとぶつかるようにして追い掛けた。
「待てよ、どこ行くんだ」
「帰んだよ」
「何しに来たんだ」
「てめえに関係ねえだろうが」

ナミの顔を見に来ただけなのかな、とふと思った。
つれなくされても、せめて顔だけは見ておきたいとか。
わからないでもない男心だが、そんな間抜け面出したってプラスになるとは思えない。
「しつこくすればするほど、嫌われんだぜ」
「てめえに関係ねえっつってだろ」
ゾロは足を止め、サンジにぐっと身体を寄せた。
背後の電信柱に背中を押し付けられ、挟まれるような形になる。
さりげなく、ゾロの肘がサンジの脇腹に当てられた。
「これ以上しつこくすっと、今度は砕くぞ」
軽く押されただけで痛みが走って、サンジは顔を強張らせながら睨み付けた。

こいつのことだから、その気になれば容赦なく肘を入れてくるだろう。
やり合った時にはっきりとわかったが、こいつは喧嘩慣れしている。
確実に相手が怯むようなポイントを突いて、短時間でケリをつけるタイプだ。
サンジはてこずらせた方だろうが、本気でやり合って勝てる相手とは思えない。
サンジ自身喧嘩慣れしているからこそ、相手の力量は大体わかった。

「関係なく、ねえよ」
それでも、このまま引っ込めるかと男の意地で言い返す。
「ああ?」
「関係なくねえっつってんだ。俺はナミさんのことが好きだからな」
ゾロの顔が近い。
電信柱に押し付けられて、ぴったりと身体をくっつけて小声で囁き合っているなんて、傍から見たらちょっと危ない二人みたいだ。
実際、通り掛ったサラリーマンがチラ見しながら迂回していた。

「ざけんな、てめえみてえなチャラい野郎が」
「そっちこそざけんな、俺は本気だ」
サンジはカッと来てゾロの脛を蹴った。
近付き過ぎているとは言え思い切り蹴ったのに、ゾロは少し顔を顰めただけで微動だにしない。
更に足を振り上げて踏ん付けたら、踏まれたゾロより踏んだ衝撃が腹に響いてサンジの方が痛みに呻いた。

サンジは、「チャラい」とか「ナンパ野郎」とか言われるのが大嫌いだ。
この外見のせいで(外見のせいばかりではないのだけれど)遊び人のように思われるのが嫌で、昔からよく揉めた。
サンジ自身は恋に一途で、とても生真面目に生きているつもりだと言うのに。

「いいか、金輪際ナミさんには近付くなと言ったはずだぞ」
「その言葉そっくり返すぞ、てめえがナミに近付くな」
「嫌われてんのがわかんねえのか、このストカ野郎!」
サンジが一途であるように、ゾロもまた随分と一途に見える。
特に言い訳も弁解もしないでひたすらナミを追い続けるのは、気持ち悪いストカというより直向な純情男の暴走と取れないこともない。
サンジ自身がその気持ちがわかるような気もするからか、言葉ほどゾロに対して怒りは抱いていなかった。
ただ、脇腹の痛みは別物なのだけれど。

「どけ、俺はもう帰るんだ」
「ナミに近付かねえと約束するまでどかねえよ」
「なんでてめえにんなこと約束しなきゃなんねえんだ」
ぴったりと寄り添ったまま押し問答していたら、どこかでぐぐうと何かが吼えた。


「・・・ん?」
ゾロを押し退ける手を止めて、掌を布地越しに押さえ直す。
―――――ぐぐぐぐう・・・
確かな振動に、サンジは再びぶぶっと噴き出してしまった。
ゾロが苦虫でも噛んだみたいに顔を歪める。
「・・・てめえなあ」
「や、わり・・・だっててめ・・・」
ゾロの腹に両手を当てたまま、サンジは肩を震わせて笑いを堪えた。
「なにこれ、でっけー腹の虫」
「うっせ、離れろ」
ガンとしてどかなかったゾロが、さすがに気恥ずかしかったのか一歩下がった。
「もう行け」
「なんだえらそうに」
腹の虫で水を差された形になったのか、そっぽを向いたままゾロは腕時計を見た。

「お前、これからどーすんの」
「バイトだ」
「勤労青年だなあ。飯は?」
食事をとるには中途半端な時間だ。
「別に、食わなくても問題ねえ」
「そんなに腹の虫が鳴いてんのにか?」
サンジは言ってから、そうだと鞄を持ち上げて中を探る。

「よかったらこれ食うか?」
ウソップにやったのとは別に、自分用のランチパックが手付かずに残っていた。
誰かに弁当を食い尽くされた時の、もしも用だから小さいが、一応握り飯とおかずとが詰められている。
「俺の分だ。食ってる暇なかったから」
ゾロは差し出された弁当とサンジの顔を交互に見て、訝しげに眉を寄せた。
「・・・なに考えてんだてめえ」
「別に、腹減ってんなら食わしてやりてえんだよ。バイトまで時間あるのか?」
「ああ」
「じゃあ、立ち話もなんだからそこ・・・バス停のベンチでいいから座ろうぜ」
強引に引っ張って、空いたベンチに並んで座る。

「腹減ったまま働いたってろくなもんじゃねえだろ。まずは食え。腹に入れろ」
風呂敷を開けて蓋を取り、ちゃちゃっと膝の上に乗せる。
箸も出してやれば、ゾロは躊躇いながらも手に取った。
そのまま神妙な手つきで手を合わせる。
「いただきます」
なんだ、案外行儀のいい奴じゃねえか。

「有り合わせでたいしたもんねえけどな」
サンジは謙遜しながらも、ちょっとウキウキしながらゾロが弁当を食うのを見守った。
基本、野郎にはなんの興味もないサンジだが、昔から飯を食わせると途端に懐かれると言う妙技?を持ち合わせていた。
サンジ自身が人に食わせるのが大好きだし、食った野郎どもは軒並みサンジに従順になる。
喧嘩っ早くなにかとトラブルに見舞われやすいサンジではあるけれども、一たび飯を食わせたら大概のことは解決できた。
今回も、ゾロがサンジの弁当を食うことでナミを諦めてくれたらいいのになと若干の期待がないこともない。
まあ、そんな展開ある訳ないのだが。

ゾロは最初にじゃこ飯おにぎりを頬張り、もぐもぐと咀嚼しながらおかずを摘んだ。
牛肉のアスパラ巻き。
柔らかくて味が沁みてんだぞ。
それから出し巻き卵に、ささみのフライ。
コールスローはシャキシャキしてぶりの照り焼きが艶がいいだろ。
ゾロはすべてのおかずをちょっとずつ摘みながら、黙ってモグモグと口を動かし緩やかに首を捻った。
「どうだ?」
つい、目を輝かせて聞いてしまうサンジに、なにやら申し訳なさそうに眉を寄せる。
「・・・まずい」
「――――は?!」
ビックリした。
ビックリして、思わず弁当を取り落としそうになった。

まずい。
そんな言葉、サンジの辞書の中にはない。

「なんだこれ、味がねえじゃねえか」
「は?・・・は?はあ?なに言ってんのてめっ」
あんまりに驚きすぎたせいか、サンジは首を伸ばしてゾロが箸に摘んだままのアスパラ巻きにぱくりと食いついてしまった。
モグモグごくんと咀嚼して、目を吊り上げる。
「美味いじゃないか!」
いつもと同じだ。
アスパラの仄かな青臭さと柔らかな牛肉の旨みが合わさって、絶妙じゃないか。
「そうか?」
ゾロは素で疑問に思っているのか、再びおかずに箸を付けたがどれを食べても首を捻っている。
「味がねえぞ、おい醤油ねえのか」
「ふざけんなっ!」
サンジは弁当を持ったまま立ち上がる。
膝に強いていた風呂敷が足元にはらりと落ちた。
「この味オンチ野郎め!てめえになんざ食わせる飯はねえ」
「食えと言ったのはてめえだろうがっ!」
ゾロも箸を持ったままいきり立って、その場で口論を始める。
バスが緩やかにバス停に停まり、乗客を降ろしたあと静かに発車していった。


「てめえなんか、知るか!」
「そりゃこっちの台詞だ。二度とその面見せんなよ!」
怒鳴り合いながら手元にあった荷物をまとめ、お互いにふんと背を向けずんずんと歩き去る。
サンジは怒り心頭で、風呂敷で包まれた弁当を抱えたまま真っ直ぐに家まで戻ってしまった。
あわよくばナミとデートして〜とか、買い物に寄って〜とか、そういう予定も全部頭から吹っ飛んでしまった。

なんだあいつ。
なんて失礼な野郎なんだ。
言うに事欠いて、俺の飯をまずいだと。
どの口がいいやがる、あの凶暴ストカ野郎!

ムカムカしながら歩いている内に、自分のアパートに着いてしまった。
まっすぐ帰るつもりはなかったのに、ここまで来てまだどこかに出直す気にもならず、そのまま部屋の中に入る。



サンジは、大学進学を機にレストランを経営している親元から離れ一人暮らしを始めた。
両親は早くに離婚し、母親もサンジが中学の頃に事故で亡くなった。
親代わりに育ててくれた祖父の跡を継いでシェフになりたかったが、てめえはてめえの道を行けと突き放されたのだ。
それが祖父なりの愛情表現だったと、いくら単細胞なサンジでもそれくらいはわかっている。
離婚の原因は父親の女癖の悪さだと幼い頃に聞いていて、サンジは母を泣かせた父を憎んでいた。
顔もろくに覚えてはいないが、そんな男にだけはならないでおこうと心に決め、以来女性に対してあくまでも紳士的に誠意を持って接してきたつもりだ。
誰に対してもそうであったから、結果的に「気が多い」と誤解されてしまうのだけれど、サンジにとって女性は等しく女神で天使で、絶対的存在なのだ。
結果、ナンパな遊び人と誤解されて、未だまともに1対1でお付き合いしたことはない。
けれどいつか、運命の人が現われるとサンジは信じている。
その時のために料理の腕を磨き、経済力を得て包容力を持って、愛する人とささやかだけど幸せな家庭を持つのがサンジの夢だ。

「きっと、運命の人はナミさんだ」
サンジは声に出してうんと頷いた。
声に出して言えば、叶うような気がする。
ナミさんみたいに可愛くて賢くて素敵なレディがお嫁さんになってくれたら、どんなにか幸せなことだろう。

「ああ、ナミさんのこと考えるとテンション上がるな〜。あの緑クソ野郎のことなんてっ・・・」
思い出して、またテンションが下がってしまった。
怒るというより、落ち込んでしまう。
自分が作った料理を「まずい」と言われたことなんて、初めてだ。

「・・・ほんとに、まずかったんだろうか」
自室のテーブルに着いて、サンジは風呂敷で包んだだけの弁当箱を出した。
ゾロが食べ残した後だが、今はそんなこと気にしていられない。
箸が手元にないことに気付いた。
ゾロが握ったまま持っていってしまったのだろう。
「ちっ」
舌打ちしつつ新しい箸を出して、弁当の残りをもしゃもしゃと食べる。
「うん、美味い」
いつもと同じ味だ。
冷めても美味しい、食感もいつもどおり完璧だ。

「美味いじゃねえか、畜生め」
モグモグごくんとたいらげながら、サンジは自然と肩が落ちて一人うな垂れていた。




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