triangle -20-


面会時間を狙い、午後2時過ぎに病院に向かった。
病室に入るのが躊躇われたが、扉の前に立つと中から朗らかな笑い声が響いてくるのに気付く。
どうやらナミ以外に、見舞い客が来ているようだ。
ナミの姉か、もしかしてゾロの姉達がいるのだろうか。

ノックをして扉を開けると、中には予想していた以上に人がいた。
「おうサンジ、遅かったな」
意外だったのは、そこにウソップがいたことだ。
「なんでお前がいるんだ?」
「随分だな、俺はカヤを送って来たんだ」
「大変でしたねサンジさん」
カヤに気遣われ、サンジはいやいやと首を振る。
「たいしたことないよ。それにしても―――」
改めて見渡せば、リクライニングのベッドにむすっとして横たわっているゾロを囲むように、ウソップ、カヤ、ナミ、それにルフィと写真で見た美人が立っていた。

「姉のノジコよ」
「初めまして、ナミがお世話になりました」
血は繋がっていないと言っていたが、ナミによく似た雰囲気で快活な美女だ。
よく日に焼けた肌が健康的で、白い歯が眩しい。
「初めまして、こちらこそ」
大変でしたねと声を掛けると、ノジコが眉を顰めてナミを睨む。
「ほんとにもう、この子は考えなしで無茶するんだから」
「別に!考えなかった訳じゃないのよ。タイミングを計ってただけで・・・」
「ベルメールさんのことも、私に内緒にしてたでしょ」
「そんなつもりなかったってば」
言い返すナミは、いつもよりずっと幼く可愛らしく見える。
「まあいいわ、連絡してきただけでもよしとしたげる」
「・・・ごめんなさい」
「罰として、これからしばらくは私もこっちにいるわよ。もうナミの好き勝手にはさせない」
「ししし、よかったなナミ」
ルフィはゾロのベッドに肘を掛け、全身を跳ねさせるようにして伸び上がった。
弾みでベッドが揺れ、ゾロが顔を顰める。
「おいルフィ」
「おう、悪い悪い」
二人の雰囲気を見て、サンジはあれ?と首を傾げた。
「知り合い、なのか?」
「同じ大学だ」
ゾロが嫌そうに眉を顰める。
「ええ?!ルフィってK大?」
思わず病室内で大きな声を出してしまった。
K大って、実はアホでも入れるところなのか?
「食堂でアホほど食ってるから、モノ凄く目立ってる」
「ゾロだって目立ってるぞ」
お互い様だなーと、馴れ馴れしく顔を寄せた。
「まさか、てめえがナミと知り合いだとは思わなかった」
「この病院、ちょくちょく来るんだよ。バギー師匠も今度来るって」
「誰だそいつは、来なくていい」
言い合う二人を前に、サンジはははっと肩の力を抜いた。

あの、ナミからはストーカー扱いされ金を巻き上げられて、バイトにばかり勤しんで学業が疎かになっていたゾロは、短い付き合いの間だけでも随分と孤独に見えた。
自分勝手な行動ばかりで他者を寄せ付けない雰囲気で、周囲を威嚇しながら生きているような目つきをしていたのに。
それがどうだ。
今はこんなにも多くの人に囲まれ心配されて、後輩とじゃれ合っている。
なんだ、心配することなんてなんにもないじゃないか。

「どうした?」
ゾロが、サンジの表情の変化に気付いたかのように声を掛けた。
なんだか気遣わしい素振りで、それがとても滑稽に思える。
気を遣うなよ、ゾロ。

「あのな、夕べお姉様方がいらしてな」
「・・・あ」
「あー」
ゾロとナミが一様に微妙な反応をする。
「着替えとか洗面道具とか、持って来られたと思うけど」
「はいはい、いらっしゃいました」
ナミは肩を竦めて溜め息を吐いた。
「さすがの私にも強烈だったわー。なにあれ、ゾロの姉妹って、なんであそこまで似るもんなの?」
「似てたか?」
「似てたわよ、人の話を聞かないとことか身勝手なとことかもう、そっくり」
あの二人とナミが対峙した場面は、ちょっぴり覗いてみたかったなと思わないでもない。
勿論怖いもの見たさだが。
「あの、眼鏡掛けた方はまだちょっとソフトなんだけどねえ」
「悪いな、俺寝てて」
「爆睡だったよね。あんな険悪な雰囲気の中、よく寝れるわあんた」
「なんだ、ゾロの姉ちゃんおっかないのか」
「おっかないなんてもんじゃないわよ」
それでも、語るナミの表情は晴れ晴れとしている。
「ナミさん、ちゃんとお話はできたのかな」
「まあね」
と、背後でノックが聞こえた。
顔を覗かせたのは見慣れない男性だ。

「ナミちゃん、家の方は話付いたよ」
「ありがとうお義兄さん」
どうやらノジコの旦那らしい。
「家、片付けてくれたの?」
「うん、どちらにしろ引っ越そうと思って」
あの部屋は大変なままだったなと、今さら思い出した。
なにせ窓は壊されフローリングは血塗れで、ちょっとした惨状だろう。
「ベルメールさんにも相談したけど、荷物もさほどないしお義兄さんに大家さんと話付けて貰ったのよ」
「すみませんでした」
ベッドに固定された状態で、ゾロが殊勝にも頭を下げた。
いやいやと、お義兄さんは陽気に手を振る。
「君は俺の大事な義弟にもなるんだからさ、ゆっくり休んで早くよくなって」
ズキッ・・・と胸が痛んだ。
何動揺してるんだと自分でも思いつつ、そりゃそうだなと納得するぅ。
ナミの姉の旦那さんだから、ゾロとナミが結婚すればゾロは義弟だ。
随分と気の早いことだけれど。

「それなら、ゾロのところに住めばいいじゃないか」
気を取り直したサンジがさらっと提案すると、ナミとゾロが同時に振り向いた。
「ゾロと?」
「お前、何言ってんだ?」
双方共に、眉間に皺が寄って見える。
なにかまずいことでも言っただろうか。

「だってよ、ゾロは広い部屋に引っ越ししたとこじゃねえか。あそこでナミさんと一緒に住めば丁度いい・・・んじゃ、ね?」
「てめえはどうする」
険しい表情のまま、ゾロが噛み付くように言った。
「え、サンジ君はなんなの?」
ナミの問いにヤバイと焦った。
ゾロとサンジの仲を、推測だけでも気持ち悪いと嫌ったのだ。
絶対に知られる訳にはいかない。
「いや、俺は別に・・・」
「俺はこいつと一緒に住むんだ」
止める間もなく、ゾロから爆弾を落としてくれた。

「ゾロとサンジ君が、なんで?」
ナミのきょとんとした表情が胸に痛い。
「あのーあのー俺がアパート追い出されて・・・」
「違う、俺がこいつに無断で引越しの手続きした」
「あんたまた勝手なことを!」
言い合うゾロとナミ、それに呆然としたサンジを、ウソップ達はぽかんとして見ている。
「なんかこう、この場にいてはいけない病が・・・」
「私も、です」
それでも立ち去るタイミングを失って、せめてもとウソップとカヤは気配を消した。

「俺はこいつと一緒に暮らすんだ」
「だからなんで?サンジ君、お料理上手だっていってたけど、もしかして家政婦代わりに扱き使うつもり?」
「サンジ、飯美味いのか?今度食わせてくれ」
「あんたは黙ってる!」
ナミはルフィの頭に拳骨を落とした後、腰に手を当ててサンジに向き直った。
「サンジ君」
「はい、はいはい」
「私言ったわよね、あんた達がおかしなことになると嫌だって」
「そんなこと言ったのか」
「言ったわよ、だって気持ち悪いもの!」
ゾロに言い返した言葉が、サンジの胸にぐっさりと突き刺さった。

そりゃそうだ、男同士で一緒に暮らすだのなんだの、普通に考えても寒すぎる。
それに加え、実はおかしな気配どころかもうすでにゾロとあれこれしてしまっている事実があるから、どうにも居た堪れない。
「お前に関係ねえだろうが」
「あるわよ!」
噛み付くように怒鳴り返し、ナミは表情を一転させて媚びるようにシーツに手を置いた。
「ねえ、ゾロお願い」
「なんだ気色悪い」
心底気持ち悪そうに首を竦めるゾロに、ナミはめげずに身を寄せた。
両腕を胸の横に沿わせるようにして寄せたから、豊満な胸の盛り上がりが更に高まる。

「サンジ君と、別れて」
「・・・」
「ちょっ、ナミさんっ」
もはや悲鳴のような声を上げ、サンジは慌てて割り込んだ。
「別れるも何も、別にそういうことには・・・」
「サンジ君は黙ってて」
「・・・は、い」
しおしおと引き下がり、落ち着きなくナミとゾロの顔を見比べる。
ナミはゾロを真っ直ぐに見据え、口元に笑みさえ浮かべて念押しした。
「ね、私からのお願い。サンジ君とは別れて」
「―――・・・」
ゾロは答えない。
大好きなナミの頼みならなんだって聞くだろうに、なぜか今回ばかりはうんと言わない。
サンジは一人ハラハラして成り行きを見守った。

「サンジ君のことが好き?」
「ああ」
「でも、私の頼みなら聞いてくれるでしょ?」
「・・・」
「お願いだから、別れて」

これ以上いてはいけない病が―――
思わずカヤを連れて後ずさりしかけたウソップを、ナミが目で制する。
蛇に睨まれたカエルの如く、その場から動けなくなった。

えもいわれぬ緊迫感に包まれた病室で、一人鼻を穿りながら成り行きを見守っていたルフィがゾロの背後から離れた。
つかつかとナミに歩み寄り、まるで肩を抱くように手を掛ける。
てめえナミさんになにすんだとサンジが眉を吊り上げそうになる前に、ナミがふっと肩の力を抜いた。

「あのねえゾロ」
「・・・」
「私にはベルメールさんもいるし、ノジコもお義兄さんもいる。家族がいるの」
「・・・」
「それに、バイト先で友達もできたわ。ウソップにカヤちゃん、どちらもとても大切な友人」
ウソップとカヤは顔を見合わせ、しっかりとナミに頷き返す。
「そしてルフィ、バカでアホで大喰らいだけど私にとって大切な人よ」
ルフィはナミの肩を抱いて、にししと笑った。
「大事な家族と友人と恋人が、私にはいるの。もう一人ぼっちじゃないの、小さな子どもでもないの。だから―――」
ナミの、ゾロを見る目が慈愛に満ちて優しい。

「もう、ゾロにとって私が一番じゃなくていいの。私のために生きなくてもいいの。だから、これからは自分のために生きて」
ゾロの瞳が、ほんの少し揺れた。
「自分が思うままに自分の人生を、生きて欲しいの・・・お兄ちゃん」


「―――――へ?」
沈黙の中、サンジの間抜けな声だけが落ちた。




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