triangle -2-



呼吸をするだけでズキズキくる脇腹に、自然と手が行ってしまう。
サンジはほんの少し身体を傾け、無意識に懐に腕を突っ込んで歩いていた。
「どうした、なんかくたびれてんな」
背後から声をかけてきたのは、友人のウソップだ。
振り返るのも億劫で、サンジはそっぽを向いたまま「別に」と答えた。
「具合悪いのか?今日はあんまりヤニ休憩してねんじゃね?」
「俺だってちょっとは健康に気を遣う」
嘘っぱちだ。
深く吸い込むとアバラが痛いからえているだけで、吸いたくても軽く吹かす程度にしかできない。

医者には行ってないが、多分折れたかヒビくらいは入っているだろう。
診断されたところでどうなるものでもないから、じっと我慢して痛みが引くのをひたすらに待つ。
幸いかわざとなのか、あのゾロとか言う暴力男はサンジの目立つ場所には傷を付けなかった。
その代わり、見えない場所はかなり手ひどく痕を付けられた。
昨夜、風呂に入る時に服を脱いで鏡を見て、仰天したものだ。
自分でもぎょっとするほど派手な、黒やら青やらの痣が身体一面に付いていた。
掴まれた手首はくっきりと指の形に赤痣が残っていて、蒸し暑い日中でも当分半袖が着られない。

「なあ、ちょっといいか?」
「ん?」
昼時ともなると、サンジは手製の弁当を持ってランチルームに行く。
大抵多目に作ってきていて、それが目当ての友人たちが集まって来ると、適当に振る舞うのが日課になっていた。
サンジは女友達の増加を見込んでのことだったが、なぜか今では餌付けの9割を男子が占めている。
なぜだろう、こんなつもりじゃなかったのに。

今日は、ウソップは他の友人たちをサンジの弁当を囲むつもりがないらしい。
昼時前に声を掛けてきたのはなにやら思惑があったようで、促されるままサンジはウソップについて学外の公園まで出向いた。



「なんだよこんなところまで」
「まあ、たまには外で飯食おうぜ」
ウソップもコンビニで買った弁当を持ってきてはいるが、やはり当たり前みたいにサンジの弁当に箸を伸ばした。
サンジも、人に食べられるのが当然と思っているのかウソップが取りやすいように並んで座る二人の間に弁当を置いた。
美味い美味いと話もそこそこにがっつき始めたウソップを、自分は軽く一服しながら満足そうに眺めた。
人が、自分が作った料理を「美味い」と言いながら食べてくれるのを見るのが好きだ。
これが、野郎じゃなくてレディだったらもっといいのに。
ささやか過ぎる願望に自分で切なくなっていたら、ところでとウソップが顔を上げた。
「お前、最近S女のナミって子と付き合ってるって?」
「お、う、おう」
思わず噎せて、咳き込んだ拍子に肋骨が痛んで身を屈めた。
俯き歯を食いしばって必死に耐える。
そんなサンジの挙動を、照れたのかとウソップは勝手に解釈した。
「なんだ、やっぱほんとなんだ」
「・・・おう、そうだぞ」
正確には、ナミに相談を持ちかけられただけで所謂「お付き合い」などはしていない。
けれど遅かれ早かれそうなるだろうと希望的観測をこめて、ここは否定しないでおいた。
「参ったな、もう噂になってんのかよ」
俺って罪な男だなーと悦に入っていたら、ウソップがちちちと人差し指を振って見せた。
「注目されてんのはお前じゃなくて相手。S女のナミってあんま評判よくねえぞ」
「なんだと?!」
途端、サンジは目を吊り上げてウソップに振り返った。
小さな動作でいちいち痛みが走るが、今は構っていられない。
「ナミさんのこと、侮辱する気か」
「いや・・・まあ、俺だって噂だけで口出すのはフェアじゃないって、わかってっけどさ」
サンジの剣幕にしどろもどろになりながらも、いつもの臆病なウソップにしては珍しく逃げの体勢に入らなかった。
「けど、俺の知り合いの知り合いも酷い目に遭ったって言うし」
「知り合いの知り合いだと?友達の友達なんてそこら中に履いて捨てるほどいるじゃねえか」
「まあそうだけど、けど確かな線で聞いたんだって」
まあ落ち着けと、自分も一旦言葉を区切ってペットボトルの茶を飲んだ。

「S女のナミって、あちこちのコンパに顔出しては必ず一番扱いやすそうなのをGetするんだとよ。んで後で連絡取ってきて巧みにその気にさせるんだ」
「なに言ってやがる、コンパってのはそういうもんだ」
現に、サンジだってそうやってナミと知り合った。
・・・って、あれ?

「俺は見たことねえけど、なかなか可愛くてスタイルもいいんだって?そこいらのTV出てる子よりよっぽど可愛いって話じゃねえか」
「そりゃそうだ、お前ナミさんの可愛さ美しさを俺に語らせたら千と一夜あったって足らねえぞ」
「そりゃまた今度な、それでだな」
ウソップ曰く、ナミはカモになりそうな男を見繕っては、適度に付き合い適度にあしらって貢がせるのが天才的に上手いらしい。
「気が付けば短期間ですっからかんだとよ。仕送りの金も全部注ぎ込んで、学業ほったらかしてバイトに励みさらに貢ぐって野郎も少なくないとか」
「そんなん当たり前だろうが、ナミさんは男に貢がれるのが当たり前な女神だ」
言い切れるサンジも相当アレだなと、唯一冷静なウソップは一瞬遠い目をして見せた。
が、ここで見放しては男が廃る。

「どういうマジックか知らねえが、生まれもっても魔性なんだろうよ。手玉に取られてる男本人はなんも不満を感じちゃあいねえらしい。お前みたいにな。けど、その男の家族やら友人やら彼女やらにしてみたら、黙って見てられる訳ねえだろ」
「彼女だとお?彼女がいながらナミさんと二股掛けるたあ、ふてえ野郎だ!」
「今は横道に逸れてくれるな」
いきり立つサンジをどうどうと宥め、ウソップはうんざりしたようにため息を吐いた。
「とにかく、尻の毛まで毟られて一文無しになったらポイだ。そうやって捨てられた男の中には、ナミへの恨みと言うより執着で付きまとう・・・所謂ストーカー化しちまった奴もいる。それをまた、新しく掴まえた男に対応させるとか、どこまでもずる賢い女なんだってよ」
「なに言ってやがる、ナミさんは聡明なんだ」
言い返しながら、サンジはどこかで聞いたような話だなーとは思った。

「ナミさんのように可愛く麗しくナイスバディなレディは、男に貢がれ傅かれるのが当然なんだから周りがとやかく言うことじゃねえよ。ましてや部外者がな」
サンジのきつい物言いに怖気づきながらも、ウソップは強い目線で見返した。
「ああ、部外者が立ち入るなって言われたらそれまでだ。だがな、俺は友人として心配してる。こんだけの話を聞いた上でお前がナミって子と付き合うってんなら止めやしねえよ。けど、なんらかのトラブルはあるってことはわかっておいてくれ」
ぷるぷると震えながらも言い切ったウソップの、曇りのない瞳を見返してサンジはふっと表情を緩めた。
「わかってる、ありがとう」
「サンジ・・・」

ウソップが、興味本位で人の恋路に口出ししてきた訳でない事は充分に理解していた。
ただ、サンジの身を心配してくれただけなのだ。
そうでなくともサンジは女性に対して盲目的になりすぎるきらいがあるし、ウソップとは長い付き合いだから、過去それで何度か痛い目に遭ってきたのも知られている。
だから心配してくれたのだ。
ウソップの優しい気持ちが痛いほど伝わってきて、腹が立つより嬉しかった。

「けど、俺は今はナミさんに夢中なんだ。ごめんよ、こればっかりはお前になんと言われようとも俺の気持ちを変えることはできない」
「・・・わかってるよ」
恋はハリケーンだと公言して憚らないのがサンジだ。
ましてや、人の意見や噂話に左右されて、色眼鏡でモノを見ることができない性質で。
「けど、充分注意して行動しろよ。万が一にも、他の男に付きまとわれてるの助けて・・・なんて言われて、ホイホイ引き受けたりするんじゃねえぞ」
「・・・・・・」
なんかもう、手遅れなんデスケド。
そう言い返すこともできず、サンジは曖昧に笑って見せた。


・・・―――――♪
言ってる傍から、ナミからメールが入った。
それだけでサンジは浮かれて、隣にウソップがいることも忘れ目をハートにする。
「うおっほvナミさんだ!」
「って、ええ?!」
ウソップになんと言われようとも、今回の相談を受けるに当たってナミとメール交換ができたのはなによりの収穫だった。
それだけで我が人生に悔いなしと言うもの。
「はいはーい、おっけーだよ〜ん」
能天気な独り言を呟きながら、ほいほいほいっと返事する。
「なんて言って来たんだ」
「んーデートのお誘い」
「行くのかよ」
「てめえ、さっき止めねえっつったじゃねえか」
サンジはホクホク顔で携帯を仕舞うと、ウソップに粗方食べ尽されてしまった弁当を風呂敷に包み直して立ち上がった。
「んじゃそう言う訳だから、午後は代返よろしく」
「お前なあ〜〜〜〜」
なぜか泣きそうになっているウソップを置いて、サンジは痛む脇腹を抱えつつスキップで公園を後にした。





「はいはーいナミさん、貴女のサンジでっす!」
待ち合わせのカフェに行ったら、ナミは話し掛けて来る男に背を向けたところだった。
サンジに気付き、殊更笑顔で大きく手を振り返す。
「んもう、遅いよ〜」
「ごめんごめん」
言いながら、サンジは目に力を込めてナミの背後に立つ男を威嚇した。
黙っていればモデルみたいと言われるスタイルと容姿で、瞳を眇めれば冷酷にも映る青い瞳はなぜか同性相手に効果がある。
今回も敵意と侮蔑を込めて睨み付ければ、ナンパ男は気圧されたように後ずさって立ち去っていった。
「助かったわーしつこかったの」
「仕方ないよ、ナミさんみたいなキュートな子が一人でいたら絶対悪い虫が寄って来るから」
遅くなってごめんね、と改めて詫びて隣に腰掛けた。
「こちらこそ、わざわざ呼び出してごめんなさい。もしかして、サンジ君もうゾロと話をつけてくれたのかと思って」
「ああ、そうだよ」
さらっと肯定すれば、ナミの大きな瞳がぱっと輝いた。
「ほんとに?すごい、さすがサンジ君」
「いやーそれほどでも」
注文を取りにきたウェイターにややこしい名前の紅茶を頼み、サンジは前髪をふっと払う気障な仕種を見せた。
「とは言え、奴が諦めたとは限らないけどね。なかなか話の通じない石頭だったから」
「そうでしょう、でもこんなに早くちゃんと話を通してくれたなんて、すごいわ」
ナミに手放しで褒められ、尊敬の眼差しで見つめられ、サンジは穏やかに微笑みながらも内心盛大に照れていた。
もう、アバラの痛みなんてどこかへ飛んでいってしまうくらいに。
「ゾロって本当に乱暴で、今までも話を付けてあげるって言った人は何人かいたんだけどみんな二度と私に近付かなくなったのよ。なにあれ、今でも彼氏気取りかしら」
「あーそんな感じだね。思い込みが激しいって言うか、人の話を聞かないって言うか」
「でしょう?なんて言っても全然話通じないし、自分のことばっかり。とんだ自己中男だったわ」
それはわかると、サンジは大きく頷いた。
「それなのにサンジ君、そんなゾロと話して無傷でいられたんだ。うん、今まで話しに行ってくれた人達って全員病院送りか入院で、傷害罪で告訴されないのがおかしいくらい酷かったのよ」
「・・・はあ」
なるほど、確かにサンジも病院に行こうと思えば行けるかもしれない。
診断書で慰謝料、ばっちり取れると思うよ。
「散々ボコられて脅されるせいか、誰も訴えたりしなかったみたいだけどこれ以上係わり合いになりたくないってみんな逃げちゃったの。なのにサンジ君凄いわ。綺麗な顔もそのままだし、ほんとに強いのね」
「・・・まあね」
テーブルに肘を着く度、アバラがズキズキ痛むけどね。
ナミは華奢な指を組んで、ほうっと夢見るみたいに目を眇めた。
「今朝はあの忌々しい緑頭を見ないで済んで、本当に爽やかだった。感謝してる」
「今朝は?」
サンジの問い掛けに、ナミは目を見開いて大げさに頷き返す。
「あいつ、なに勘違いしてるのか毎朝私の家の前で張り込むのよね。そして学校に着くまでずっと後をつけるの」
「・・・げ」
「昼間はバイトしてるみたいだけど、あたしが帰り遅くなると必ず後ろからつけてくるし」
「気味悪いね」
「そうなのよ」
ナミは両手で自分の肘を抱いて、ぶるりと身を震わせた。
「もう気持ち悪くて気持ち悪くて」
「完璧にストーカーだね。わかった、もしこれからも何かあったら遠慮なく俺に言って」
「ありがとう。やっぱりサンジ君は頼りになるわ」
ナミにそっと手を握られ、サンジは有頂天になった。
「あ、いっけない。もうこんな時間」
携帯に目を落とすと、慌てた仕種で立ち上がる。
「私もう行かないと、どうもありがとう」
「こちらこそ、またいつでも連絡してね」
ナミが駆け足で立ち去った後には、当たり前みたいに伝票が残されていた。
けれどサンジは気分がいい。
なんせナミみたいな可愛い子に尊敬され頼りにされたのだ。
しかもまた連絡してくれるだろうし、こちらから連絡したってちっともおかしくない。
これってもう、俺たち付き合ってるんじゃね?

ニマニマしながら運ばれてきた紅茶を口元に運び、危うくそのまま吹き出しそうになった。
カフェの窓から、車道を隔てた向かい側の雑居ビルの看板が見える。
その陰に、緑頭を見つけたからだ。



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