triangle -19-


深夜の病院から出て、タクシーを捕まえた。
が、家に戻るにしても帰る場所がない。
今のサンジの住まいと言えば、ゾロが勝手に借りたマンションだ。

―――鍵とかまだ、貰ってないよな。
同居すると了解したつもりはないが、荷物はすべて運び込まれてしまっているから結局あそこに戻るしか他にない。
それに、ゾロの着替えやその他色んなものもこれから必要だろう。
管理人さんに事情を話せば、部屋に入れてくれるだろうか。
セキュリティがしっかりしてそうなところだったから、無理だろうか。

逡巡している間にマンションに着いてしまった。
幸い、丁度深夜に戻った住人がいて一緒にエントランスを抜ける。
覚えている部屋に行くと、中に灯りが点いて人の気配がした。
「・・・誰か、いる?」

恐々インターホンを鳴らしたら、中から若い女性の声がした。
「はい?」
「あの、こちらロロノアさんの、部屋だと思う、んですが」
もはやしどろもどろだ。
「はい、どなた?」
声の主は明らかに不審そうだった。
そりゃそうだろう、こんな真夜中に得体の知れない男が尋ねてきたのだから。
「あの、お・・・ボクはサンジと言ってロロノアさん、と同居してるんですが・・・」
「同居」
「はい」
しばらく沈黙の後、かちゃりと鍵の開く音がした。
けれどチェーンを付けたまま、中から眼光鋭い目が覗く。

さらりとした黒髪と、勝気そうな瞳が印象的な美女だ。
警戒の色を隠さないで、声を潜める。
「二人暮らしの気配はないようだけど」
「あの、まだ住んでないんです。俺の荷物がここに運び込まれてると思うんですが」
サンジは戸口に立って、なるべく愛想のいい顔で笑った。
中の女性はまだ若く、この立場は非常にまずい。
女性はサンジの顔を値踏みするように眺めた後、視線を伏せてふっと溜息を吐いた。
「どうりで、ゾロのサイズじゃない服が入ってるはずだわ」
どうぞ、とチェーンを外して中に招き入れる。

「すみません、こんなに遅く」
「夜中なんだから戸口で話さない」
「はい、すみません」
素早く中に滑り込み、ドアを閉めた。
これはこれで緊張する。

部屋に入って、サンジはさらに驚いた。
中にもう一人、先ほどの女性と同じ顔をした女性がいたからだ。
こちらは黒縁の眼鏡を掛けているから見分けがつくが、どちらも白のブラウスに黒のパンツとOL風で燐とした佇まいだった。
自分達より少し年上だろう。
なにより雰囲気が既に、只者ではない。

「サンジさんとおっしゃるの。貴方も今回の騒動に巻き込まれたのね」
「は、はい」
なんでわかったんだろうと思ってから、はたと気付いた。
自分自身、包帯でグルグル巻きで明らかに怪我人の風体だ。
これでわからない方がおかしいだろう。

「勝手にトラブルに巻き込まれてヤクザ撃たれるだなんて、みっともない」
「ロロノア家の恥だわ」
二人は険しい表情のままゾロの荷物を詰めているところだった。
部屋に放置されていたダンボールの箱が開けられ、衣類やタオルがバッグに入れ直されている。
「貴方の荷物はこれとこれ?」
「はい、そうです」
テキパキとした仕種に気圧されつつ、自分の荷物を部屋の隅へと移動させる。
蓋を開けられ中身が一部取り出されていたが、これは仕方のないことだ。

「お二人は、ゾロのご家族の方ですか?」
「そう、姉よ」
「・・・」
いつもお世話になっております、と言いたいところだが言いたくない。
お世話しているのはこちらの方だ。
だが姉達からもそういった、当然と言うべき社交辞令が出てこないので、微妙な沈黙になった。

「あの」
「なに?」
問い返す表情もどこか剣呑で、ついたじろいでしまう。
「今回のことは人助けで、とても助かったんです」
「貴方が?」
「ええ、俺も」
言ってから、サンジは姉二人の前に正座した。
「俺もゾロに助けていただきました、ありがとうございました」
手を着いてきっちりと頭を下げれば、その真摯な態度に姉達もさすがに心を動かされたようだ。
眼鏡を掛けた方が、サンジに向き直る。
「あんなロクデナシでも、少しはお役に立てたようね」
「はい」
素直に返事をすると、くすりと表情を緩める。
「私はたしぎ、こちらはくいな。ゾロの双子の姉よ」
「いつもお世話になっております」
ゾロに、ではないが一応の社交辞令だ。
「貴方が、どういう経緯でゾロと暮らすようになったのかは知らないけれど」
くいな、と呼ばれた方はまだ冷たい表情のまま、サンジを見下すように視線を投げた。
「ヤクザに撃たれるような付き合いをする人であれば、即刻出て行っていただきたいわ」
きつい言葉を浴びせられ、サンジは改めて部屋の中を見た。

二人暮らしには広すぎて、殺風景で生活感のない部屋だ。
これから二人でファブリックを選び、家具を揃え・・・だなんて、考えただけで寒過ぎる。
こんな場所は、そう。
ナミのような女性がゾロと共に暮らすなら、きっと温かい住まいになるだろう。


―――大好きよ・・・
ナミの声が耳の奥に残っていた。
恐らくは、ゾロの耳だけ届くように潜められた、甘さを秘めた言葉。
あんな声で囁かれたら、いくら意識のないゾロでもきっとちゃんと理解できるだろう。

ナミさんは、ゾロが好きなんだ。
そしてゾロも勿論、ナミさんが好きだ。
この世で一番大切で、愛している女性だ。
なんだ、結局両想いじゃないか。
ハッピーエンドで、万々歳じゃないか。
俺の立ち入る隙なんて、まったくないほどに。

サンジはふっと自嘲して、訝しげに見つめていたくいなに頷き返した。
「そうですね、俺はここから立ち去ります」
「サンジさん?」
たしぎが、気遣うように声を掛ける。
「元々、ゾロの気まぐれで引っ越したようなものですから、俺は一緒に住む気はなかったですし。荷物もこのままで丁度いいです。ただ、俺も行く場所がないのでゾロが退院するまではここに荷物だけでも置かせていただけないでしょうか」
「そんなこと、私が判断することではありません」
くいなはにべもない。

「それでは、鍵は貴方に預けますね」
たしぎが部屋の鍵を渡してきた。
「私たちはこれから病院に向かいます」
「はい、お疲れ様です」
サンジは畏まって戸口まで見送りに行き、躊躇いながら言い足した。
「ゾロの病室に、女性がいると思うんですが」
「そうですか」
驚きも詮索もしない、冷淡とも言えるくいなの素っ気ない態度に、サンジは取り繕うように言い募る。
「ナミさんは・・・その女性はゾロにとって、とても大切な人です」
こんなことを自分が言ってしまうのはルール違反かと思ったが、ナミの前でもこの二人がこういう態度であれば、病室は険悪な雰囲気になるだろう。
せめて先に自分からフォローできれば。
「ゾロのことをとても心配して、ずっと付き添っていると思います。彼女がいれば、ゾロは大丈夫だと思います」
貴方には関係ないと、突っぱねられるかと思ったが、くいなは思いの外真剣な面持ちでサンジを見つめ返した。
「ナミ、さん?」
たしぎも何かを思い出すように首を傾げ、「ああ」と小さく声を上げた。
それを嗜めるように、くいながギロリとたしぎを睨む。
「わかりました、それじゃあこれで」
「サンジさんも、どうぞお大事に」
それ以上取り付く島もなく、くいなとたしぎは荷物だけを持って外に出、部屋の扉をパタンと閉めた。



部屋の中に取り残され、サンジはふうと深く溜息を吐く。
一人になってしまえば、今まで気にもしなかった身体の痛みが甦ってきた。
「・・・いってー」
黒い革張りのソファーに腰を下ろし、そのまま横倒しになる。
そこかしこに新品らしい匂いが漂っていて、なんとも落ち着かない部屋だ。
どうせすぐに出て行く場所だけれど、この先ゾロとナミの新居になるのならなるべく自分の気配を残しておきたくはない。
床で寝ようかと思ったけれどさすがに打撲だらけの身体にはきつく、サンジはそのまま靴下だけ脱いでソファの上で丸くなった。
起き上がって痛み止めを飲むのも億劫で、目を閉じて身体の痛みにだけ神経を集中させる。

ゾロが撃たれた時の銃声とか、ナミの悲鳴とか。
血の気のないゾロの顔とか、ナミの愛しいものを見つめるような柔らかな横顔とか。
今日起きたいろんな出来事を思い返したくなくて、ひたすらに自分の中の痛みとだけ向き合った。
アバラも背中も首も腕も、頭も脛もどこもかしこも痛いけれど、一番痛くて苦しいのは胸の奥の疼きだ。
それでも、胸にぽっかりと空いたような寂しさや哀しさよりも、さきほどの病室でのゾロを思い返せばジワジワと温かなもので満たされる。

―――ゾロは、生きてる。
紙のように真っ白な顔をして、たくさんの管に繋がれて、きつく閉じた瞼は開かなかったけれど。
ゾロは生きてる。
もう大丈夫。
急所は外れていたって。
大事には至らないって。
撃たれたのに、ピストルなんかで撃たれたのに。
しかも2発も。
下手したら死んでいた。
いや、死んでしまう可能性の方が高かった。
でも生きてる。
ゾロは、生きてる。

眠ろうと思って閉じた瞼の間から、じわりと熱い涙が溢れた。
死ぬとこだった、死んでしまうかもしれなかった。
あんなにもたくさんの血が流れて、真っ青な顔で床に横たわって。
物言わず目を閉じたゾロの顔を見るのが怖くて、全部をナミにまかせっきりにして。

でも生きている。
いま、ナミさんの側で安らかに眠っている。
目が覚めたなら、きっとナミさんは心からの笑顔でゾロを抱き締めてあげるんだろう。

そう思えば、サンジの胸は喜びに溢れた。
よかった、ゾロもナミさんも本当によかった。
これからは素直に、お互いのことを想える素敵なカップルになれるだろう。
ゾロ、ゾロはもう理不尽なことばかりしなくていいから。
ナミさんを信じて、少しはちゃんと言葉にして想いを伝えれば、きっとうまくいくから。
生きていてさえいてくれれば、俺はもうそれだけで充分だから。

今すぐにでもゾロの元に駆けつけて、そう言ってやりたい。
ゾロの顔を見たい、声を聞きたい、腕に触れたい。
もう、叶わない願いだけれど。
サンジはソファで一人、自分の腕に目元を押し付けながらじっと丸くなっていた。






そのままいつの間にか眠ったらしい。
目が覚めたら午後だった。
いつも早起きな性分のサンジにとって、実に珍しい寝坊だ。
部屋の中は当たり前だが昨夜のままで、床に詰まれたダンボールとサンジが持ち込んだバッグ以外モノがない。

目が腫れて瞼が重い。
そして打ち身があちこち痛んで身体を起こすのも億劫だ。
一人きりでは食事を作るのも面倒で、軽くシャワーを浴びたあと着換えだけ済ませて部屋を出た。
どちらにしろ、このままどこかに消えることもできない。
まずは病院に出向いて、意識が戻ったゾロと話をつけなければ。
ゾロが望むなら、いつだって関係を解消できる心積もりはある。
だから、サンジから逃げる必要はないのだと自分に言い聞かせた。

貴重品だけ持って、ノロノロと病院に向かった。
途中で喫茶店に寄り、軽く食事を摂る。
気分は優れず食欲もなかったが、ゾロに食の大切さを説いた手前、遅いブランチぐらいは済ませて起きたかった。

―――これからどうしようか。
ゾロに強制的に引越しさせられたとは言え、今はあの時と状況が違う。
トラブルはあったが結果的にナミはゾロに、素直に心を開いたのだ。
あの二人が晴れてカップルとなったら、サンジはもうお払い箱だろう。
というか、もしこれでもゾロが自分に執着を見せるようなら、今度こそサンジから引導を渡してやる。
ナミというものがありながら、サンジにも関係を迫るのは同じ男として許せない。

「うし」
サンジは気合を入れて、冷めた紅茶を飲み干した。
これからはよき友人として、二人の幸せを見守っていこう。
当面の問題は住む場所の確保だ。
ゾロはしばらく入院するだろうから、今日の帰りにでも不動産屋に寄って新しい住まいを探すことから始めよう。
味覚障害を治してやれなかったのは心残りだけれど、この先ナミと共に暮らすならきっと自然に治るだろう。
原因は多分、ゾロの満たされない心にあったのだろうから。

ゾロとの出会いを、後悔はしていない。
随分と振り回され、痛い目にも遭わされたけれど、振り返ってみれば楽しい日々だった。
思いもかけず発展した関係については、何事も経験だったと思いたい。
何事も前向きに考えるのが長所だと、自分でも思っている。
サンジは無理に明るい表情を作って、喫茶店を出た。




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