triangle -18-


パリンと、ガラスが割れる乾いた音が響く。
「きゃあっ!」
ナミの悲鳴が上がったのと、サンジの後頭部に激痛が走ったのはほぼ同時だった。
もんどりうって倒れたところを、さらに背中を踏みつけられる。
辺りは真っ暗で何も見えない。
サンジは懐から携帯を取り出し、咄嗟に履歴を開いてボタンを押した。
僅かな光源で部屋の様子が知れたが、複数の男達が乱入したようだ。
すぐさま手を蹴られ、携帯は回転しながら床を滑り壁に当たった。

「離して!」
「ナミさんを離せっ!」
倒れ伏したたまま怒鳴ったら脇腹を蹴られた。
ゾロにやられた傷が治りきっていないのに、さらに深く傷めて思わず息が詰まる。
身体を丸め防御しようにも、背中に乗った男の膝が首筋を押さえつけて身動きすら出来ない。
「ナミさんの家に押し入るなんざ、どういうつもりだ!」
「うっせえよ」
ガンと顎を蹴られ鼻血が飛沫く。
「サンジ君!」
ナミの悲鳴が暗闇に響いた。
少し目が慣れてきて、状況が見えてくる。
ナミは二人の男に両脇を掴まれているようだ。
「なによあんた達、アーロンの差し金?」
「頭いいのか悪いのか、わかんねえアマだなあ」
内側から鍵が開けられ、開け放たれたドアから大男のシルエットが現れる。
「アーロン!」
サンジは知らなかったが、これがどうやら親玉らしい。
「四の五の言ってねえで、とっとと俺のもんになっときゃいいものを。くだらねえ小細工で店辞めたって、逃げ切れる訳ねえだろうが」
「誰が、あんたなんかにっ」
「跳ねっ返りは嫌いじゃねえが、あんまりじゃじゃ馬だと躾が必要だ。最初が肝心って言うだろうが、まず手始めにここでてめえらが可愛がってやれ」
「・・・ざけんなっ!」
今まで大人しく伏していたサンジが、驚異的なバネで跳ね起きた。
身体をくるりと反転させ背中に乗った男を振り落とすと、立ち上がりざま前に立った男を蹴り飛ばす。
その隙に、ナミも片方の男の足を踏んで抜け出そうと試みた。
だが、室内で裸足なため威力がなく、逆に強く拘束されてしまう。
「痛っ、いやっ」
「ナミさん!」
2人の男を倒してさらに駆け寄ろうとしたサンジを、アーロンが横から殴りかかった。
さすがに場慣れしているらしく、さしものサンジも避けきれない。
顔と腹をしたたかに殴られ、腕を捻って壁に押し付けられた。

「ぐっ、離せ!」
「こんな派手な兄ちゃん連れ込んで、随分お盛んじゃねえか泥棒猫」
「離して、サンジ君は関係ないでしょ!」
「よく見りゃこっちも綺麗な顔してっじゃねえか」
前髪を乱暴に掴んで引き上げる。
サンジは口惜しげに顔を歪ませ、精一杯の威嚇をこめてアーロンを睨み返した。
「これはこれで使えるかもな」
「止めてよ!」
アーロンはポケットからナイフを取り出し、サンジの頬にひたりと当てた。
「この兄ちゃんの鼻、削がれたくなかったら大人しくしな」
「・・・!」
ナミが、青褪めて立ち竦んだ。
「ナミさん、俺はっ」
「黙ってろ」
ナイフの刃がゆっくりと鼻腔の横を撫でる。
「なかなかの男前だが、鼻がなきゃあ、面相は随分と変わってくるぜ」
「やめて、やめてっ」
「だったら大人しく服脱げやっ」
アーロンが恫喝すると、ナミは力なく両手を下ろした。
「ナミさん、ダメだ」
いっそ自分からとサンジがナイフに顔を近付けた時、窓が窓枠ごと吹き飛ばされた。


「なんだっ?」
ナミを抱えていた男が振り向く間もなく、その場で崩折れた。
もう一人もなにをされたのかわからないまま、真後ろに昏倒する。
サンジを抱えたアーロンが後ずさるのに、飛び込んで来た影は立ち塞がる男達を次々となぎ倒して行った。
「ゾロっ!」
解放されたナミが、その影の後ろに回った。
背後に庇うようにして立つのは、確かにゾロだ。
片手に木刀を携え、悪鬼のごとき形相で睨み付けている。
「てめえら、なにしてんだ」
腹の底からひねり出すような怒りを滲ませた恫喝に、アーロンだけでなくサンジまで身震いした。
怒ってる。
めっちゃ怒ってる。

「なんだてめえは!」
アーロンがナイフを振り翳して襲い掛かるのに、ゾロはまるで風にそよぐように軽くかわして一撃で腹を打った。
声もなく巨体が崩れる。
後頭部にさらに一撃決めて、誰も動かなくなった部屋をゆっくりと見渡した。

「大丈夫か」
視線の先にはナミがいて、その声を聞いてナミはへなへなとその場に座り込んだ。
「ナミさんっ」
サンジは慌てて駆け寄り、身体を支える。
そんな様子を、ゾロは立ち尽くしたまま険しい表情で見下ろしていた。

「てめえ、こんな時間にナミの部屋でなにしてた」
「あたしが誘ったの、サンジ君と話ししたかったから!」
サンジを庇うように、ナミが手で遮って身体を割り込ませた。
「お前に聞いてない」
「あたしの話でしょ、あんたに関係ないわ」
「いや、俺が家まで送ってきてちょっと話し込んだだけなんだ。ナミさんは親切で入れてくれて・・・」
「てめえは黙ってろ!」
「サンジ君は黙ってて!」
「・・・はい」
いや、最初お前が聞いてきたんだろうが。
理不尽に怒鳴りつけられて、サンジは不満ながらも押し黙った。
なんにせよ、ナミの危機は去ったのだ。
これはゾロのお陰といえる。

サンジが大人しく引き下がったので、ゾロもさすがに気まずくなったのか、木刀をトンと床に下ろした。
「いや、てめえがいてくれたからここがわかった。ありがとう」
「え」
思いもかけず殊勝な態度で礼を述べられ、慣れないことに困惑する。
ゾロはそのまま優しい目でナミを見下ろした。
「木刀、置いといてくれたんだな」
「・・・」
ナミは不満げに下唇を噛みながら、ついっと横を向いた。
「別に、邪魔だったし」

ナミの視線が、ふとサンジの方へと流れる。
まだ灯りが点かない部屋の中、最初にサンジが蹴り飛ばした男が、寝そべったまま鈍く光る黒いものを突きつけるようにじりじりと手を伸ばしていた。
「サっ・・・」
「・・・えっ」
振り返るより早く、ゾロが前に飛び出した。



パンパンと、乾いた音が立て続けに鳴った。
サンジの目の前に塞がるように立ったゾロが、身体を捻りながら男の顔を蹴る。
そしてそのまま、どおっと横倒しになった。
なにが起こったかわからず、ナミの肩を掴んだまま振り向いたサンジの腕を払い除け、ナミが金切り声を上げた。

「いや――――っ!」
髪を振り乱し、取り乱した様子で倒れたゾロに取り縋る。
そうしている間に、うつ伏せたゾロの身体の下からじわじわと赤黒い染みが湧いて出た。
「・・・な、に」
「救急車!救急車呼んでっ!!」
喉も張り裂けんばかりに、ナミが叫ぶ。
その声に押されるように、サンジは慌ててポケットを弄った。

違う、携帯はここにない。
明かりを取るために、開いて。
履歴に、ゾロがいて。
だから通話ボタンを押して。
ゾロ、ゾロが・・・

「ゾロっ!ゾロぉ!」
膝を着いて這うように床を進めば、携帯は開いたまま部屋の隅にあった。
震える指でボタンを押すサンジの後ろで、ナミの悲痛な叫びがこだまする。
「目を開けて、ぞろっ・・・いやっ、ごめんな、さ・・・」
ゾロの頭を掻き擁き、堪えきれずに嗚咽を漏らした。
ほどなく、サイレンの音が近付いてくるまで、サンジはただ倒れ伏した男達を見張っているしかできなかった。





泣いて取り縋るナミはゾロと一緒に救急車に乗り込み、サンジは残って現場に立ち会った。
駆けつけた刑事達から聴取を受け、ただ淡々とありのままを話す。

意識を失って倒れていた男達はいずれもアーロン組の者達で、そういう意味では身元がはっきりとした者達ばかりだった。
一人暮らしの女性宅に集団で押し入り暴行を働こうとしたことは明白で、叩きのめしたとは言えこちらは素手と木刀、相手はナイフを所持し拳銃を発砲していることで過剰防衛にも当たらない。
ブレーカーを落としていることから計画的犯行だとして、今後はアーロン組への追及が主体になりそうだ。

事情聴取のあと病院で診察を受け、肋骨骨折と打撲、それに右腕の捻挫と診断された。
手当てを受けて薬を貰い、サンジはそのまま救急病棟の方に向かう。
ゾロが搬送されたのもここ、グランドライン総合病院だったはずだ。



受付で尋ねると、つい今しがた手術を終えて病室に入ったとのことだった。
傷の程度がわからず不安を抱えたまま、教えられた病室に向かう。
夜中の病院はしんと静まり返って、自分の鼓動が足音共に廊下に共鳴しているような気がした。

遠慮がちにノックしてドアを開けると、ナミはでベッドの傍らに座っていた。
サンジを見て、表情を柔らかく緩める。
「サンジ君、大丈夫だった?」
「もちろん、ナミさんこそ大丈夫?」
「ええ」

一応病院で診察を受けただろうが、ナミに目立った外傷は見えずほっとする。
恐る恐るベッドに目を向けると、枕元に一人の男性が立っていた。
身内の人かと、慌てて視線を下げ一礼する。
「こちら、ロロノア家の顧問弁護士さんですって」
ナミの声音が、一時に冷たいものに変わった。
「後ほど、こちらの方にもお話をお伺いすることになると思います」
弁護士は慣れた仕種でサンジに名刺を渡すと、それでは私はこれでと慇懃に礼をして病室を出て行く。

「・・・弁護士、さん?」
家族は、来ないのだろうか。

サンジは改めて、ベッドの上に目を転じた。
たくさんの管に繋がれて、ゾロはシーツより白い顔色で目を閉じている。
息をしているのかどうかも怪しくて、思わずシーツの上に手を乗せた。
「大丈夫、弾は急所を外れていたって」
ナミはゾロの顔を見つめたまま、囁くように言った。
「もう少しで動脈傷付けるところだったって、悪運だけはいいのよ」
「そう」
目を閉じたゾロを愛しげな目で見つめるナミの横顔に、サンジは見てはならないものを見た気がしてそっと視線を外した。

「あの、これ」
サンジは手提げの紙袋をナミに差し出した。
「悪いと思ったけど、箪笥開けさせてもらった。一応、替えの服だけ」
ナミはゾロが担ぎ込まれた時のままの服装で、衣服には血が付いている。
あらありがとうとあっけらかんと礼を言い、紙袋を受け取った。
「さすがサンジ君、気が利くわね」
「ここかなと思ったとこ開けたらどんぴしゃだったから、他のとことかまったく手を触れてないから安心してね」
しどろもどろで言い訳をするサンジに、ナミはクスクスと笑い返す。
「わかってるって、別にサンジ君になら私の下着見られたって恥ずかしくなんかないわ」
「・・・それは、どうかなあ」
複雑な表情のサンジに、どうもありがとうと改めて礼を言う。

「ナミさん、ここは俺が見てるから家に帰る・・・のは気持ち悪いだろうし、お母さんところに行く?」
サンジの申し出に、ナミはううんと首を振った。
「私、ここでゾロを見ていたい」
「でも・・・」
「大丈夫よ、別の棟にはベルメールさんもいるし、明日は姉が帰ってきてくれるし」
「え」
「姉のノジコは沖縄に嫁いでるの。だから今まで相談もしなかったんだけど、これを機会にさっき電話したんだ。ベルメールさんの病状のこととかも話した。そしたらすっごくすっごく怒られた。これから旦那さんと一緒にこっちに向かうって、明日の朝には着くって」
「・・・そう」
話すナミの顔は、どこか吹っ切れて晴れやかだ。
「あたし、馬鹿だよね。全部自分ひとりで背負い込んで踏ん張れる気でいた。あんたなんかまだ子どもよって、めちゃくちゃ怒られた」
「うん」
「明日着いたら、もっとうんと怒られるの」
「そう」
それならもう、心配することはないな。

サンジはそれじゃあ、とそのまま踵を返した。
「また、様子見に来るね」
「うん。サンジ君、ほんとにありがとうございました」
ナミに畏まって深々と頭を下げられ、サンジは酷く寂しい気分になった。
ここから完全に、自分は部外者だ。



静かに扉を閉める寸前、僅かに空いた隙間からナミの声が廊下に届いた。
「ゾロ、早く目を開けて。大好きよ・・・」






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