triangle -17-


「いやそのう、ホラ、ナミさんを切っ掛けにして、俺も結構ゾロと親しくなったって、言うか」
「なあに、サンジ君もゾロにあれこれされちゃってるの?」
それはもう、あれやこれや。
ぐっと言葉に詰まったサンジを見て、ナミはあからさまに眉を顰める。
「いやあよ、前は冗談で言ったけど、ほんとにゾロと妙なことなってちゃ・・・」
「勿論!そんなこと決してないって!」
つい条件反射で全否定してしまった。
「それならいいけど。正直、気持ち悪いし」
―――ガーン・・・
半端なくショックを受け、サンジは危うくその場で卒倒しそうになった。
これは絶対ナミに知られてはいけない。
すでにゾロに、あんなことやこんなことまでされてしまっていることを。

慌てて軽く咳払いをし、言葉を続ける。
「うんまあ・・・あのホラ、あいつろくなもん食べてなさそうだったから、飯食わせたり弁当作ったり、したら」
「そんな餌付けみたいなことしちゃだめよ。すぐに懐くんだからああいうタイプは。・・・ん?サンジ君、お料理得意なの?」
「うちは祖父がレストランのシェフでね」
「へえ素敵。じゃあ将来はお店を継いで・・・」
「継がせてもらえるかどうかは、わからないけどね」
そうかーと、ナミの瞳が柔らかく和む。
「じゃあ、ご両親もお店を手伝っているの?」
「いや、両親はいないんだ」
サンジは言葉を濁して、その代わりにこっと微笑み返した。
「俺が小さい頃に離婚してね、父親はその後どうしたかわからない。母はその後、交通事故で亡くなって」
「――――・・・」
ナミは口元を押さえ、ごめんなさいと呟いた。
「や、ナミさんが気にすることじゃないよ。変な話してごめん」
「ううん」
俯いて頭を振り、そっと窺い見るように顔を上げる。
「その、離婚の原因とかは、サンジ君聞いてるの?」
「え」
まさかそこに突っ込まれるとか思わなかった。
少し躊躇いつつも、正直に話す。
「正直よく知らないんだ。俺まだ小さかったし、ただ、多分・・・だけど、父親が女癖悪かったらしいんだよなあ」
困ったように後ろ頭を掻き、苦笑いを零す。
「だから母が三行半叩き付けたって、そういうことらしい。もう、男としては最低だね」
ナミは思いつめたような顔をして、もう一度「ごめんなさい」と詫びた。
「そんな、気にすることじゃないよ」
「ううん、うちと同じだなって思って」
「え?」
ナミの、いつもは知的に輝いている瞳が潤んでいる。

「私もね、ほんとの両親はいないんだ」
「・・・そう、なの?」
サンジは無意識に、背後の写真に目をやった。
写真に写った母子はいずれ劣らぬ美人揃いだが、顔立ちに似たところはない。
それに、確かに母親は若過ぎる。
「母は、今入院してるベルメールさんは、私の本当の母親じゃないの。私は元々里子に出されてたんだけど、里親がろくでなしでね」
「え」
サンジよりディープな事情に、ひやりとする。
「まだ物心もつかない私に、万引きを教えてた。もし捕まっても子どものすることだからってね。だから私が最初に覚えたものって、泥棒だったかなあ」
「・・・ナミさん」
幼いナミの窮状を想像するだけで、サンジの胸はぎゅうっと痛んだ。

「スーパーの警備員をしてたベルメールさんに捕まってね。元警官だったベルメールさんの目は誤魔化せなくて、親が通報されて私は保護施設行き・・・だったところを引き取ってもらえたの」
「もしかして、ベルメールさんは独身で?」
「ええ、同じような事情で先に引きとられていた姉もいて、一気に3人家族になって・・・ビックリしたけど嬉しかった」
ナミは当時のことを思い出したのか、柔らかく微笑んだ。
「でも私なかなか馴染めなくてね、ベルメールさんに反抗ばかりして困らせた。でもベルメールさんは悪いことしたら怒って、泣いたら抱き締めてくれて、なんでもないことをすごく褒めてくれて」
楽しかったな・・・と、しみじみと呟く。
「最近ようやく、素直にベルメールさんの言うこと聞けるようになってたのに。姉のノジコがお嫁に行って、これからは二人きりだねーって、私が20歳過ぎたら一緒にお酒飲もうねって言ってたのに・・・」
そこまで言って、言葉を詰まらせる。
「こんな、病気になっちゃって・・・」
「ナミさん」
サンジは腰を立ち上がってナミの側により、そっとその背に手を当てた。
もう片方の手を、ナミが両手でぎゅっと握る。
「私、私まだなんにもベルメールさんに、恩返ししていない・・・」
ぱたたっと、サンジの手の甲に熱い涙が滴り落ちた。

「ほんとは、ほんとはゾロになんか意地張らなくて、くれるって言うんなら全部、お金貰えばよかった」
「―――・・・」
「大きな病院に転院させて貰って、いいお医者様付けて貰って、その見返りにならなんだってしたっていいとさえ思った。けど、けど、どうしてもできなくて・・・」
「ナミさん」
「ゾロの好意だって素直に受け取れなくて、なにかしてくれればしてくれるほど腹が立って苛立って、余計冷たくして突っぱねて。けど利用できるだけ利用して、あたし・・・」
「ナミさん」
「あたし、最低だ」
サンジはもうたまらなくなって、か細く震えるナミの肩を抱き締めた。
そんなサンジの身体に両手を回し、ナミもぎゅっと抱きついてくる。

「ごめ、ごめんなさい、サンジ君」
「いいんだよ、ナミさん」
小さいころから辛い目に遭って、それでも優しい人と巡り会えてやっと幸せになれるかと思ったのに。
突然の不幸で、ナミの胸は切り裂かれるほどに痛んだろう。
そんな時にゾロに出会ったのなら、普通の女性なら一も二もなくゾロに靡く。
けれどナミは決して媚びず、どれほど金銭的に苦しくても必要以上にゾロに頼らず毅然として生きてきた。
こんな苦しみを与えたのは、あたら金の価値もわからず考えなしに施そうとしたゾロの方が断然悪い。

「ナミさんは間違ってない。確かに経済的には苦しい現状でも、ナミさんにはナミさんの矜持がある。無神経に立ち入ったゾロが悪い」
「サンジ君」
「ナミさんは悪くない、したたかでもずるくもない。ナミさんは正しい」
ナミは大きな瞳を瞠り、きゅっと顔を歪めた。
拍子に、目尻からポロポロと涙の粒が零れ落ちる。
「・・・いい、のかな」
「ああ」
「私、こんなんでよかったのかな、ゾロに」
「ああ」
「ゾロに、ほんとは感謝しなきゃ、いけない、のに・・・」
「いいんだ」
「言えなくて」
「いいんだ」
「あたし・・・」
それ以上言わせたくなくて、サンジはナミを胸に掻き抱いた。

柔らかな髪の匂いが鼻腔を擽る。
細身なのに豊かな胸が張りのある弾力を持ってサンジの胸に押し当てられ、心拍数が一気に上がった。
「・・・ナミさん・・・」
「・・・んっ」
「ナミさんは、その、ゾロに・・・」
それ以上聞いていいかどうかわからず、抱き締めたまま言葉を濁す。
「ゾロに、なんにもされてないよ」
その先を読んだか、ナミはサンジの肩に顔を埋めたまま囁いた。
「だってゾロ、あたしにはなんにも求めないもの」
ツクンと、サンジの胸が痛んだ。
「ゾロは、私にはなんの見返りも求めないって」

―――ああ、やっぱりそうなんだ。
ゾロにとってナミさんは、とてもとても大切な女性。
大切すぎて、迂闊に手を伸ばしたりできない、この世で一番の宝物。
俺とは、違う。

黒く湧き上がった感情を誤魔化すように、サンジはナミを抱いたまま顔を上げた。
カーテンを開けっ放しにした窓の外、隣の家の影に入る男の後ろ姿が見えた。
隣人が帰ってきたようだ。
「ナミさん、もう遅いよ」
「・・・」
「俺、そろそろ帰るね」
「帰らないで!」
意外なほどに強く、ナミはサンジの腰に回した手に力を籠めた。
「帰らないで、傍にいて」
「ナミさん」
「いま、私一人でいたくない・・・」

ゾロとどうにかなる前だったら、サンジは天にも昇る心地でナミを抱き締め返しただろう。
けれど、今はナミに対して恋愛感情は欠片も湧いて出なかった。
ナミのことはとても愛しくて全力で守ってあげたいけれど、それは恋する女性にではなく愛すべき妹に対するような気持ちに似ていて。
「サンジ君」
サンジの表情を、ナミは涙に濡れた瞳でじっと窺った。
「ごめん、迷惑?」
「そんなことないよ」
「けど、サンジ君は・・・」
「あのね、ナミさん」
サンジは優しく微笑みながら、ナミの肩に手をかけて向き直った。
「俺ね、父親が浮気して母と別れたから、絶対、父みたいな不実な男にはならないでおこうって決めたんだ」
「・・・」
「好きになる人は一生に一人だけって、なんでだかそう思い込んだ。恥ずかしい話だけど、今でもそう思ってるんだ。だから、俺世の中のレディはみんなみんな大好きだけれど、愛する人はたった一人にしたいと思ってる」
ナミは、不思議そうな顔でサンジを見つめる。
「もちろん、これからナミさんに真剣に恋をするかもしれない。けれど今は、多分君への気持ちは恋じゃないと思う。ナミさんのことは大好きで、命を賭けても守りたいと思うよ。君の強さや優しさや、そして弱さが好きだ。誰よりも、君が好きだ。恋をする相手としてじゃなく、人間として君が大好きだ」
ナミは、花が綻ぶようにふわりと笑った。
それでいて、瞳から大粒の涙がコロコロと零れ落ちる。
「・・・ごめんなさい」
「え?」
なんでここで謝られる?
「ごめんなさい、サンジ君ごめんなさい」
「ちょっ・・・ナミさん?」
再びサンジの胸に顔を埋めたナミの髪をゆっくりと梳きながら、サンジは戸惑って顔を上げた。
窓の外に目をやる。
隣はずっと、暗いままだ。

「ねえ、ナミさん」
「・・・ん、な、に?」
しゃくり上げながら返事をするナミの肩を、そっと押し留める。
「あのさ、隣の人が帰ってきたみたいなんだけど」
「え?」
サンジの胸に手を置いて、ナミががばっと顔を上げた。
「隣って、こっちの?」
「うん。帰ってきて随分経つのに、部屋の電気が点かなくて・・・」
ナミの顔付きが一遍に険しくなった。
「この隣、いま誰も住んでない」
「え?」
はっと身構えた途端、家の電気がすべて消えた。




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