triangle -16-


二人だけ取り残されて余計に広く感じる部屋の中で、サンジは俯き煙草に火を点けた。
その仕種を見て、灰皿買ってこなきゃなとゾロが声を掛ける。
「他にも、台所で使いてえ道具とかあるだろ。このカードてめえが持ってろ」
ナミに投げたのと同じ動作で、ポンと軽くサンジに黒いカードを寄越す。
サンジはそれに目もくれないで、まだピカピカとした新品のシンクに乱暴に吸殻を押し潰した。
灰が黒い筋となって残り、ささくれ立った気分が更に高まる。

「やってらんねえ」
「ん?」
「やってらんねえよ、ゾロ」
ぎゅっと拳を握り締めてから、振りかぶるように身体を捻った。
殴られると身構えたゾロにフェイントを掛け、ステップを踏んで向こう脛を強かに蹴り付ける。
「いって!」
「痛いようにやったんだバーカ!」
倒れたゾロの横腹に更に一発爪先を減り込ませ、サンジは手荷物だけ掴んで外に飛び出した。
「誰がてめえなんかと住んでやるか。勝手に一人でやってろ!」
トドメとばかりに戸口に積まれたダンボールも蹴り飛ばし、ゾロの姿を荷物で埋めてしまってから脇目も振らずに表へと駆け出す。
背後でゾロがなにか叫んでいたが、聞く耳も持たなかった。





走って走って、途中で駅に寄り電車に飛び乗って更に2駅過ごし、スパイダーカフェに辿り着く。
ここにくれば誰か知り合いがいるから、最悪しばらく泊めて貰おう。
そう思って扉を開けたら、予想外なナミの笑顔に迎えられた。
「あらサンジ君いらっしゃい。連日ご苦労様」
悲愴な顔に皮肉な笑みを浮かべ、突っ張って生きていた時とはまったく違う、朗らかな表情。
あの、病院にいたルフィって子の前にいるのと同じような顔付きで、そんなナミを目にしただけでサンジの身体からほっと力が抜けた。
「ちょっとちょっと、サンジ君大丈夫?」
膝から崩れるように脱力したサンジを支えたナミは、オーナーに断って休憩に入った。

この店にはサンジもたまにヘルプで入るから、半ば従業員のようなものだ。
勝手知ったるで休憩室を借り、ナミに差し出されたウーロン茶をごくごくと飲み干す。
いろんなことがありすぎて、闇雲に怒鳴り過ぎて、喉がカラカラだったことをようやく思い出した。
「どうしたの、なんか疲れてる・・・っていうか、憑かれてる?」
「そう、まさしくそんな感じ」
サンジは青褪めた顔で笑って見せて、すぐに表情を引き締めた。

「ナミさんとちょっと真面目に話したいんだけど、時間貰えないかな」
サンジの顔付きに釣られたか、ナミも真剣な面持ちになる。
「急ぐの?今日とかがいい?」
「できれば今すぐにでも」
「わかったわ」
深くは聞かず、そのまま休憩室を出た。
程なく、戻って来る。
「今日、早帰りに変えてもらったから、あと1時間くらいお店で待っててくれるかな」
「いいの?」
「コニスと交代したから大丈夫よ、あの子もおっとりして見えてしっかりしてるし」
どちらが先輩だかわからないことを言って、頼もしく笑う。
「取り敢えず、1時間はお客さんでいてね」
「了解です」
サンジは少し気が楽になって、そのまま店のフロアに入った。



夕べから色々あってろくに食事も摂っていなかったのを思い出し、カフェで軽く夕食を済ませる。
店は相変わらず賑わっているし、クルクルと働くカヤちゃん達は可愛くて、ポーラママは綺麗だ。
まさにここは竜宮城か桃源郷かと鼻の下を伸ばしている間に、いつの間にか1時間が経っていた。
「サンジ君、お待たせ」
ウェイトレスの制服を着替えたナミが、裏からこっそりと声を掛ける。
「ママ、無理言ってごめんね」
「いいのよ、今度ヘルプお願いね」
ぷかーとたゆたう紫煙に見送られ、ナミとサンジは店を後にした。

「時間貰って悪いね」
「いいってば、ところでどこに行く?」
話をしたいだけで、特にどことも考えていなかったサンジは歩きながらしばらく考えた。
「どうしようかな、どこかの喫茶店とか」
「もう食事も終えてお腹一杯なのに、茶店なんか入ったって勿体無いでしょ。うちに来ない?」
「ええ?!」
突然の申し出に驚いてしまった。
早帰りとは言え時刻はそろそろ8時を回る。
こんな時間に、女の子の部屋にお邪魔する訳にはいかない。
「いや、どこかファミレスでも・・・」
「勿体ないってば、それともうちみたいな貧乏臭い家・・・いや?」
「とんでもないよ!」
サンジは慌ててブンブンと首を振った。
確かに、ナミの住まいはかなり年季が入ってくたびれた感があったから、ある意味洒落にならない。
でもだからと言って、紳士たるものむやみやたらとレディの部屋に立ち入るなど言語道断。

どうすれば・・・と脳内で逡巡していたが、背後の不穏な気配に気付いた。
カフェを出てから電車で2駅。
西海駅を降りた辺りから、ずっと尾けられているような気がする。
もしやゾロか?とも思ったが、ゾロなら黙って尾けたりせずにさっさと乱入してくるだろう。
狙いが自分とは思えないし、そうすると消去法でナミとなり、このまま自宅まで送ってはいさよならでは心配になってきた。
「じゃあちょっとだけ、お邪魔しようかな」
「やた!」
サンジの懸念を他所に、ナミは子どものように手を叩いて喜んだ。



「お邪魔しま〜す」
サンジは恐る恐る、家の中に足を踏み入れた。
ナミは母と二人暮らしで、その母親が現在入院中ということは明らかに一人暮らしだ。
禁断の花園に踏み込む感があって、サンジはおっかなびっくり部屋に入った。
ナミが当たり前みたいにドアを閉めるから、サンジの方がびくっと振り向いてしまう。
「ナ、ナミさんドアは開けておいた方がいいんじゃないかな」
「なんで?無用心じゃない」
確かに。
そうでなくとも、怪しげな気配を感じていたのだ。
サンジも家の中から外の様子を窺えば、怪しい者がいないかどうか確かめられるだろう。
「じゃあ、ちょっと窓を開けるね」
「そうね、暑苦しくてごめんなさい」
「外を確認するだけだから」

カーテンを引いて注意深く表を観察する。
見たところ、怪しい人影は見えない。
住宅街でも少し奥まったところにある平屋だから、人が近付いたら気配でわかるだろうか。
「はい、麦茶でもどうぞ」
窓辺に立って外を窺うサンジに、まるで刑事みたいねとナミが笑った。
「用心するに越したことないからね」
そう答え、ナミと向かい合うようにテーブルに着席する。
遠慮がちに見渡せば、家の中は簡素ながらも綺麗に片付けられ可愛らしい雰囲気だった。
ファブリックも女性らしく、どこか柑橘系のいい匂いが漂っている。
「ああ〜ここがナミさんのお部屋か〜〜〜」
一人だったら、このままフローリングの上をゴロンゴロン転がってベッドにダイブしたいくらいだ。
「いやね、女性の部屋をあまりジロジロ見ないで」
「失礼、慣れてなくて」
赤面してコホンと咳払いをするのに、ナミはクスクス笑いながら灰皿を差し出す。
「どうぞ、うち禁煙じゃないし」
「え、いいの?」
「母が、ヘビースモーカーなの。今頃、入院先で苦労してるだろうと思うけど」
肩を竦めたナミの背後には、家族写真が飾ってあった。
きりっとした顔立ちのお母さんに、色っぽいお姉さん。
「この方が、ナミさんのお母さん?若いね」
「ふふ、そうでしょ」
カラリと氷を鳴らしながら、ナミは喉を潤した。
「お姉さんも綺麗な人だーv さすがナミさんの家族だね」
「で、サンジ君はどうなの?」
ナミから水を向けられて、本題を思い出した。

「ああ、あのね」
「うん」
「実はね・・・」
言いかけたものの、なんと説明していいか分からない。
しばらく逡巡した後、誤魔化しても無駄だと結論付けた。
「単刀直入に聞くけど、ナミさんとゾロはどうやって知り合ったの?」
「ほんとに単刀直入ね。ゾロとなにかあったの」
「・・・あった」
ナミはほんの少し目を瞠った。
が、それ以上は聞かず視線を逸らす。

「ゾロとは、そうねサンジ君と同じで合コンよ」
「ほんとに?」
「ほんとよう、K大って人気あるからこれを逃す手はないって私も張り切っちゃってさあ。それで、ゾロって中身はともかく見た目ああだし、結構いいでしょ?」
「・・・そうかな」
「まあそうなの、女の子から見てね。すごく人気でわーっと群がってたからこっちも闘争心に火が点いちゃって」
思い出したように、喉の奥で笑う。
「つい、本気出して引っ掛けちゃった。お陰で一緒にコンパ行った子達には恨まれたわよう」
ケラケラ笑うナミの前で、サンジはげんなりとした。
確かに客観的に見れば、ゾロは顔よし金持ちK大生となるだろう。
けれど現実は・・・ああだ。

ナミも途中から乾いた笑いに変えて、疲れたようにこめかみを押さえた。
「それがねえ、いざ付き合ってみたらあの俺様ぶりは半端ないわー。人の意見とか、ぜんっぜん聞かないし」
「うん」
「全部一人で決めちゃって、こっちに一言の相談もなくて」
「うん」
「しかも良かれと思ってやってるんだろうけど、なんかこう、やることなすことズレててねえ」
「うん、うん」
サンジは深く深―く頷いた。
わかる、すごくよくわかる。

「具体的には、どんな感じで?」
立ち入ったことごめんねと断りながらも、恐る恐る聞いてみる。
「うーん、ぶっちゃけ、うちは母が入院してお金のやりくりが苦しかったのよ」
「うん」
「ここんとこの不景気で、母が病気になる前に結構借金もあってね。その返済のこととか相談したら、そりゃ過払いだって言われて」
「へえ」
「まあ、私もその辺は気になってたんだけど、所詮学生の身だし母が倒れてバタバタするしでその問題は後回しにしちゃってたんだ。そしたらゾロ、勝手に動いて帳消しどころか返金まで貰って帰ってきてくれて」
「そりゃすごい」
役に立ってるじゃないか。
「そこまではよかったの、ありがとうって誠心誠意お礼を言ったわ。頼りになるとも思ったわ。ただ、これで恩に着せられるとちょっとメンドクサイな〜とも思ったのは確かだけど」
「うんうん」
その警戒心は、わからなくもない。
男の過剰な親切には裏があるものだ。
特に、ナミのような見目麗しいうら若き女性ならなおの事。
「それでね、まあこれからも家計切り詰めてバイトとか頑張るからって話をしたら・・・」
「うん」
「いきなり、ぽんと現金持って来て」
「・・・」
がくりと、サンジの肩が下がる。
「やりそうな、ことだな」
「でしょ」
ナミは苛々とこめかみを擦った。

「確かにね、うちはお金に困ってるわよ。貧乏よはっきり言ってね、でもだからって付き合って間なしにいきなり現金手渡すってどうなのよ、ねえ」
「ははははは」
サンジも半笑いだ。
「馬鹿にすんなーって、つい怒っちゃったわ。今まで確かにご飯ご馳走になったりなにかと口実付けてプレゼント貰ったりとか、そういうのは他の人にもしてたわよ。でもろくに付き合いもしないで当座の工面にって一千万、現ナマ持ってきてどうするの」
うわあ。
「んで、私が怒りついでについ母の病状のこととか愚痴ったら、翌日には勝手に転院させられてたわグランドライン総合病院に!」
ああああああ。
「別にねえ、大金貰うとか設備が整ったいい病院紹介してもらうとか、そういうのは結果的にはいいことなのよ、ありがたいのよ。でもね、行動する前に一言欲しいわけ。って言うか、勝手に決めて事を進めないで欲しい訳。あたしだって馬鹿じゃないしただの業突く張りでもないのよ。行動する前に一言相談なりアドバイスなりあったら、こっちもそのつもりで考えたり対処したり出来るじゃないの。それなのにこちらの了解もなしにあれよあれよと勝手なことされて、バス・トイレ付豪奢な個室宛がわれて、ありがたいけど気持ち悪いし迷惑だっつの!」
怒り心頭でダンっとテーブルを叩いたナミの拳を、思わず両手で握り締めていた。

「わかる!わかるよナミさん!」
「わかって、くれるの?」
「わかるともさ、そりゃあ結果的にはありがたいなと思っても、そこに至る過程までがすっ飛ばされて早すぎるんだ。独断過ぎるんだよ、しかもあいつそれが悪いとはカケラも思ってなくて」
「そうそう、そうなのよ。私が怒ってもなにに腹立ててるのか全然わかってくれないの」
「言葉で言っても意味わかんねえし」
「話通じないわよね、そうじゃないって言ってるのに論点を摩り替えられるって言うか、主観が全部自分って言うか」
「基本が自分だから、相手の気持ちとか予定とかつもりとかそういうのガン無視なんだよ!」
わかるわかると、まさに手を取り合って言い募った。
今まで溜まったゾロへの不満を、この際思い切りぶちまける。

「本人善意のつもりなのが、またものすげえ性質悪い。なんかこう、やることなすこと気色悪い」
「そうそう、こっちの感情的にはサイアク」
「なにもかも乱暴に丸めて、めちゃくちゃに解決させてる感じがある。金があるのに物を言わせて」
「自分が払うんだからいいじゃねえかって、ものすごく横柄」
「それで、俺がこんだけしてやってるのにって顔して」
「そんなに威張ったって、嬉しくないのよねこっちは!むしろ恩着せがましいのよ!」
わかるーとテーブルを挟んで両手を回し、抱き合う格好になった。
まさかこんなところで、心底分かり合える同士に出会えるとは思わなかった。

「やっぱり、ナミさんもそうだったんだ」
「やっぱりって、サンジ君もそうだったのね・・・って、え?」
ナミはちょっと待ってという風に、サンジの肩を押して軽く仰け反った。
「私はともかくサンジ君が、なんで?」
「あ、え、あ」
途端、サンジの方が視線を外ししあからさまにどろもどろになる。




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