triangle -15-



不実な男に惹かれるのは母親に似たのか―――
と考えつつ、いやいやそうじゃない、なんで野郎に惹かれなきゃならないのかと思い直す。
寧ろ、不実な父親にだけは似たくないと思い詰めたが故にこうなったか―――
と考えつつ、いやいやそうじゃない、なんで一途に野郎を思わなきゃならないんだと再び思い直した。

頭の中ではぐるぐると取りとめもないことを考えているのに、手はテキパキと動き続けた。
無心で調理するといつもより早くできる気がする。
無心ではなく色々ぐちゃぐちゃ考えすぎてしまっているのだが、料理に関しては無心だから捗るのか。
あれこれと思いを巡らしている割に脈略もないまま、気付けば弁当は出来上がっていた。
ゾロの分と、サンジの分(友人達含む)
結局こうして、弁当まで持たせたりする自分が悪いのだなと自嘲しつつ、太平楽に眠る性欲魔人を振り返ったら珍しく自主的に起きていた。
ただし、伸びきったシャツとパンツはベッドサイドにぼろ切れのように放置されたままで、昨日着ていた服をそのまま着直している。
サンジは見なかったことにして、再び背を向けた。

「なにやってんだ」
背後から覗き込むようにして肩を抱くのに、菜箸を持った手でバシっと叩き払った。
それくらいで引っ込むゾロではないから、そのまま後ろから両手を首に回して抱きしめてくる。
「離れろ、暑い」
「この部屋クーラーもねえのかよ、やっぱダメだな」
「話を勝手に進めるなよ」
言っても無駄かと思いつつ、菜箸を置いて指先でゾロのこめかみを強くつついた。
「いいか、俺はてめえと関わりあったことを心底後悔してんだ。勝手に部屋に入り浸って勝手に飯食って勝手に引っ越し決めて勝手に人のこと弄くり倒して。全部全部、俺は了解してねえからな」
ゾロは馬鹿にしたように片眉を上げて見せたが、敢えて何も言わなかった。
代わりに、サンジの手元に視線を落とす。
「で、これはなんだ」
「だから、こっちはてめえの弁当だ。これが俺の」
「でかくないか?」
一緒に食事をしていても、サンジは明らかにゾロほど食わない。
それなのに、尋常でない量の弁当にさすがにおかしいと気付いたらしい。
「俺一人で食うんじゃねえ。他の奴らも食うし」
「・・・なんだと?」
ぴくっとゾロの眉が釣り上がった。
「なんでだか食いしん坊が多いんだ俺の周り。まあ、食べ盛りの野郎ばっかだけどな、俺としては可愛いレディにこそ食べてもらいたいんだけどなー」
風呂敷で包もうとした弁当を、ゾロがさっと横取りした。
思わぬ動きに、サンジは反射的に飛びついて奪い返す。
「あっぶな、なにすんだ!」
「うるせえ、その弁当も寄越せ!」
「はあ?」
「てめえの飯は、俺が全部食うんだ!」
「・・・はあああ?」
先ほどまでの余裕の態度はどこへやら、まるで子どもが癇癪起こしたみたいに足を踏み鳴らし怒鳴ってくる。
ゾロの豹変振りに戸惑いつつ、弁当の危機を察しサンジはゾロを睨み付け庇うように背後に弁当を置き直した。
「てめえが訳わかんねえこと言うのには多少慣れたが、これだけは譲れねえぜ。食いもんに手え出すな、絶対、絶対許さねえ」
サンジの本気を感じ取ったか、ゾロは拳を握り締めたまま動きを止める。

「お前、人のこと好き放題弄くっといててめえはヤキモチかよ。俺の飯誰に食わそうがてめえには関係ねえだろうが、そもそもてめえが最初に食った飯も、誰かに食わせるつもりだった俺の飯だ」
「だったら、金輪際人に食わすな。てめえの飯は全部俺のだ」
「無茶言うな!」
「てめえこそ、なんだってそうホイホイ簡単に人に飯食わせんだ。まさかてめえ・・・」
そこまで言って、苦いものでも飲み下すみたいに顔を歪める。
「・・・ナミにも、なんか食わせたのか?」
「は?」
なぜここで、ナミの名前が出るのか。
サンジは訝りながらも正直に答えた。
「ナミさんには、食べてもらったことねえよ」
「ほんとか」
「嘘吐いてどうする」
そう言うと、ゾロはあからさまにほっとした顔を見せた。
もう訳がわからない。

「なんだよ、ナミさんに食べてもらうのもお前の許可がいるのかよ」
「許可なんかしねえよ、てめえはナミには食わせるな」
「なにそれ、訳わかんねえ」
サンジはこれ以上は混乱すると、先に風呂敷で包んであったゾロの弁当をずいっと差し出した。
「ともかく、もうてめえこれ持って帰れ。これ以上は話し合ったってラチが明かねえ」
ゾロの胸に無理矢理押し付けるのに、そのまま押し返された。
「訳わかんねえのはてめえだ。どこの野郎にもホイホイ飯食わせて、こうやって部屋に引き入れて、好きでもねえ奴と寝るのか!」
思わずかっと来て、ゾロの手に弁当を押し付けたまま渾身の力で蹴り飛ばした。

「誰が、好きでもねえ奴って言った!!」
ゾロは弁当を抱えたままドアに背を打ちつけ、弾みで開いたドアから転がり出た。
なんとも無様な有様なのに、逆さに引っくり返った状態でニヤリと笑う。
「・・・へえ」
その笑みの真意に気付き、サンジはカーッと顔を赤らめ乱暴にドアを閉めた。
「もう二度と顔見せんな!クソ馬鹿アホ緑!!!」
衝撃でドアは凹み鍵が壊れてしまったけれど、ゾロはもう一度部屋に入ってこようとはしなかった。
寧ろ呆気ないほどに、さっさと立ち去る気配がする。

遠ざかる足音すら忌々しいが、サンジだってグズグズしてはいられない。
今日は早い時間から講義があるのを思い出し、自分の朝食もそこそこに部屋を出る。
いつまでも変態ホモ野郎にかかずらわっている訳にはいかないのだ。

部屋を出る時、鍵が掛からないどころかドアがちゃんと閉まらないことにも気付いたが、特に取られて困るようなものは部屋に置いてない。
今は急いでいるから、帰ってから管理人に相談しよう。
出費は痛いけれどちゃんと弁償しようと心に決め、微妙に鈍痛の残る腰を庇いながら大きな弁当を抱え学校に向かった。





「はあ〜〜〜〜〜」
知らず漏れる何度目かの溜め息に、ウソップがチラチラと視線を送ってくるのがわかった。
久しぶりのサンジ弁当に欠食児童達が食らいつくのを尻目に、サンジは先ほどから火の吐いていない煙草の灰を落とす仕種を繰り返している。
明らかに朝から様子がおかしいサンジだが、ウソップは敢えて踏み込んでこなかった。
あまりにも挙動不審であるが故に、詳しく聞いてはいけない病を発症したらしい。
しかし、共通の話題とならば無難と判断したのだろう。
それとなく水を向ける。
「ナミって子、案外いい子だな」
「だろ?だろだろ?」
途端、サンジは笑顔になって話に食いついてくる。
「カヤもよくしてもらってるって、すごく仲良くなったみたいだ」
「よくしてもらってるって、カヤちゃんの方が先輩なのに」
「仕方ねえよな」
ナミの初出勤の模様は二人とも見ているから、思い出してお互いに笑い合う。
「ほんとによく気がついて、頭の回転が速いんだよな」
「口も早けりゃ手も早いぜ」
「人聞きの悪い言い方すんな」
咥えた煙草を上下に揺らしながら、サンジはすっと視線を流した。

ウソップは本当にいい奴だ。
余計な詮索はしないし、誰に対しても公平な目で見つめてくれるし。
臆病者だけど卑怯者じゃない、いざと言う時はとても頼りになる結構な男前。
ウソップになら、ぶっちゃけ相談できるだろうか。
ナミさんへのストーカーだった男が、今度は俺にストカするかもしれないんだ・・・なんて・・・

そこまで考えて、一人でぶるりと首を振った。
いくらゾロでも、そこまで精力的じゃないだろう。
なんせ世界で一番大事なのはナミだと公言しているのだから、サンジのことはちょっと手軽に性欲処理できるセフレのようなものだと考えているに違いない。
入り浸るのに便利だから一緒に暮らそうなんて言い出したのだって、ほんとにそんなことしようと思ったら金も手間も掛かる。
そこまでサンジに対して行動など起こさないだろう。

「サンジ?」
黙って一人で百面相を始めていたサンジに、ウソップはオドオドしながら声を掛けた。
我に返り、誤魔化すためにへらりと笑う。

大丈夫、きっとその内ゾロだって飽きが来る。
ちょっと毛色が変わっているだけで、手間の掛かる野郎の身体になんてさっさと見切りを付けて、また前のようにナミ一筋で突っ走るだろう。
そうなったら、また自分は身体を張ってナミを守るために奔走するだろうか。
その自信はないなと、まだ来てもいない未来に思いを馳せてサンジは再び暗い顔で溜め息を吐いた。





今夜もナミはスパイダーカフェでバイトだし、出勤はカヤと一緒にウソップに送ってもらうと聞いている。
それなら道中も安全だろうと、久しぶりに真っ直ぐにアパートに帰った。
壊してしまったドアの弁償の話もあるなと、途中から重い足取りで帰ったが、アパートの前に引っ越し業者のでかいトラックが止まっているのに気付いてドキンとする。

「あ、帰ってきた」
表に出ていた管理人さんが、当惑顔でサンジの元に歩み寄ってきた。
「今日引越しするって、随分急な話じゃないこと?」
「は、あ?え?」
「もう業者さん、荷物殆ど運び出しちゃったわよ。お任せパックって便利ねえ」
「はああああ???!」
「違約金とドアの修繕費も貰っておいたけど、なにもかも人任せにするのはどうかと思うわあ」
どうかと思うわあって、勝手に引越しの手続きされたこっちがどうかと思うわ!!

「待ってください!俺引っ越すつもりなかったんですよ」
「あらあ、そうなの」
管理人さんはどこまでもおっとりとしてマイペースだ。
「でも手続き済ませちゃったしね。新しい引越し先、業者さんが一緒に連れてってくれるって言ってるわよ」
サンジは慌てて階段を駆け上った。
入れ違うように、引越し業者の制服を着た人が手荷物を持って降りていく。
壊れたドアが開け放たれた室内はガランとして、自分が住んでいた痕跡すら残っていない。

「う、そだろ・・・」
駅から近い場所で家賃も安くて、そこそこキッチンの使いやすさを考慮して一生懸命探した部屋だ。
初めての一人暮らし、初めての大学生活。
胸ときめかせ、時には不安に押し潰されそうになりながら一人で過ごした想い出の部屋が・・・なにもない。
こんなに狭かったのかと驚愕するほどに、なにもない空間がぽつんとただそこにあるだけで。

「あ、あ、あ・・・あの野郎―――――――・・・」
もう勘弁ならねえと、怒鳴り込むつもりでサンジは引越し業者のトラックに乗り込んだ。





「どういうつもりだ!」
マンションの前にのほほんと立って待っていたゾロに、噛み付かん勢いで怒鳴った。
その間にも、引越し業者は段取りよくせっせせっせとサンジの荷物を運び込んでいく。
「お前、ちゃんと立ち会えよ。とりあえず部屋の中にあるもん全部運べとは言ったが、いらないものはこのまま処分すりゃいいだろう」
「俺は引っ越すと言ってないぞ」
「俺が言った」
「俺は引っ越さないと言ったはずだ!」
ゾロは肩を竦めて両手を掲げて見せる。
なんとも人を馬鹿にした、オーバーなジェスチャーだ。
「そう言ったって、もう運んじまったしな」
「お前がそうさせたんだろうが!」
「全部運び終わりました」
「え?!もう??」
「おう、ご苦労さん」
早い、早すぎる。
引越し業者、仕事早すぎ。

「一応、破損がないか中で確かめてもらえますか?」
「ああ、じゃあ行こう」
「じゃあって・・・ちょっと待てよコラ」
さっさと部屋に向かうゾロを、慌てて追い掛けた。
なにを言っても無駄だと思うが、ここで諦めたら負けだとも思う。

新築らしいマンションは、確かにナミの家から近くサンジの学校もゾロのバイト先とも丁度いい距離だ。
セキュリティもしっかりしてそうだし、シンプルで品のいいデザイナーズマンション的な雰囲気がする。
―――めちゃくちゃ家賃、高そうじゃね?
今更ながら貧乏精神が頭を擡げ、どうせゾロが払うんだからと思い直しそうになって己を戒めた。
ダメだ、もし仮にここに住む羽目になったとしても、絶対家賃はゾロと折半してやる!
そう考える時点で、サンジはもう半ば諦めていたのかもしれない。

「ここだ」
部屋に通されて、サンジは思わず声を上げそうになった。
広いキッチン、大きな冷蔵庫、使いやすそうな戸棚。
ゆったりとしたリビングに、奥には寝室が―――
そこでがっくりと、膝を着きそうになる。
寝室になぜ、キングサイズのダブルベッドがドンと鎮座しているのか?

「お前の部屋にあった箪笥とかベッドとかテレビとかはもう処分したからな」
こともなげに勝手なことを言う。
もし、仮にだがベッドがおばあちゃんの形見だったとかTVはおじさんがなけなしの金でプレゼントしてくれたものだとか言ったら、こいつはどんな顔をするんだろうか。
考えるだけ無駄かもしれない。
ゾロはきっと、それがどうしたと逆に不思議そうな表情を返すだけだろう。
いずれも、一人暮らしをするために知り合いからただで譲り受けてもらった中古品ばかりだったから、特に思い入れはなかったしいいけど。
いや、よくない。

「これで、荷物は全部ですかね」
「ああ、整理はこっちでする。ごくろうさん」
「ではこちらにサインを」
ゾロが業者と手続きをしている間、サンジは呆然と部屋の中を見渡していた。
自分には分不相応な部屋だ。
確かに、機能性の高そうな豪華なキッチンは使い甲斐があるだろう。
こんな部屋に好きな人と二人で住めたら夢みたいだろう。
けどそうじゃない。
そうじゃないんだよ、ゾロ。



「どうもありがとうございました!」
業者さん達が揃って頭を下げ、元気よく挨拶して帰っていく。
部屋の中にゾロと二人きりになった時点で、サンジはほうと詰めていた息を吐いた。






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