triangle -13-



ゾロの前では眦上げて反発してみせるナミ。
サンジの前では余裕ぶって、つれない素振りのナミ。
そのどちらでもなく、今目の前にいるナミは年相応の邪気のない笑顔で、ルフィと呼ばれた男の傍に寄り添っているように見えた。
蚊帳の外みたいな寂しい気分になって、なにを今更とも思い直す。
自分だってナミとは合コンで知り合った程度の仲だ。
ゾロ避けの意味で声を掛けられただけで、それがなかったらそもそもナミの眼鏡にかなっていたかどうかも怪しい。
ナミにはナミの、ゾロにはゾロの、そして自分には自分の世界があるのに、今頃気付いたような気がする。
思えば、彼女達のことは何一つわかっていない。
なのにゾロに言われるままナミの世界へ土足で足を踏み込んだようで、気が咎めた。

―――知り合いと一緒にいるようなら、大丈夫だろ。
そう判断して踵を返し掛けた。
と、角から出て来た白衣の男とぶつかりそうになる。
「・・・すみません!」
「いや・・・」
顔を上げ、「あ」と声を上げる。
「BJ先生!」
「ん?」
あだ名で呼ばれ、医師は改めて足を止めサンジを振り返った。
「ああ、君は確か」
「祖父が、お世話になりました」
深々と頭を下げるサンジに、全身縫合傷だらけの医師が強面の顔を綻ばせる。
「じいさんは、元気か?」
「お陰様でピンピンしてます、ありがとうございます」
通称BJ先生と呼ばれるゲン医師は、ゼフが手術した時の執刀医だった。
あまりに特長のある容姿だから、基本男は覚えないサンジでもさすがに記憶に残っている。

「麦わら!とっとと荷物持って来い」
「じゃあなナミ」
「お疲れ様」
大荷物を抱えたルフィが、立ち話をする二人の脇をすり抜ける。
「BJ先生、さよなら!」
「おおルフィ君、お疲れさん」
風のように去っていった麦藁帽子に目を止めて、ふっと視線を戻す。
「サンジ君?」
背後から、ナミが近付いてきた。

「あれ?ナミさん」
サンジはあくまで偶然を装って驚いて見せた。
「なあに、こんなところでなにしてるの?」
さすがに、ナミは警戒の色を隠さない。
「うちの祖父の眼科予約に来たんだよ。そしたら昔お世話になった先生に会ってさ」
眼科は外科と同じ階だ。
実際、サンジも何度か来たことのある病院だから不自然ではない。
「ゲン先生、お知り合いだったの?」
「ああ、おじいさんの手術を執刀したことがある」
この流れはラッキーだとサンジは思った。
ナミと共通の知り合いがいるのなら、親近感はぐっと増すはずだ。

「じゃあ、私はこれで失礼」
「あ、すみません足を止めました」
医師はナミに何か言いたそうな素振りをしたが、会釈だけしてその場を後にする。
ナミも黙って頭を下げた。
部外者の自分がいるから会話を交わせなかったんだろうなと、サンジは今頃気付いた。
「あの、もしかしてBJ先生・・・」
「やだ、サンジ君までBJ先生って呼ぶの?」
これは子どもの間のあだ名よ、と言って笑う。
「先生を初めて見た時、俺も子どもだったからさ」
サンジが不満そうに口を尖らせて言い返せば、ナミはごめんごめんとまた笑った。
さっきルフィと一緒だったのと同じような、屈託のない笑顔だった。



「そうか、BJ先生はナミさんのお母さんの主治医なんだね」
二人で病院内の庭を散歩しながら話した。
「偶然ね、サンジ君のおじい様の執刀医だったなんて」
「先生はとてもいい腕を持ってるよ。うちの祖父も回復が早かった。だからお母さんもきっと、大丈夫だよ」
気休め言わないで!と怒鳴られるかと思ったが、ナミは目を伏せたまま素直にうんと頷いた。
気が弱くなっているのか、それとも少なからずサンジに心を開いてくれたのだろうか。

途中、自動販売機で缶コーヒーを買いプルトップを開けてナミに渡した。
二人で木陰のベンチに並んで腰掛ける。
「はー、冷えてて美味しい」
「夕方でも蒸すね」
何とはなしに、紅色に染まる建物をぼうっと眺めていた。
さやさやと、樹枝を揺らす風の音が静けさを運んでくる。

「さっきの」
「ん?」
「さっきのピエロ?みたいなの、あれはなに」
「ああ」
ナミはこくんとコーヒーを飲んで、茜色の空を見上げた。
「病院、主に小児病棟を訪問するボランティアのバギーさんよ。ああ見えて、普段は会社の経営者ですって」
「へえ、すごいね」
「いつもピエロの格好したまま病院に来るから、素顔は誰も見たことがないとか」
「そりゃあ、いろんな意味で凄い」
サンジもこくんとコーヒーを口に含んでから、いい?とナミに断って煙草を取り出す。
「じゃあさ、一緒にいた真っ赤なシャツの、麦藁帽子背負った奴は?」
「ああ、彼もボランティアよ。バギーさんの一番弟子って勝手に名乗ってるらしいわ。ジャグリングとか手品とかパントマイムとか、パフォーマンスは全然できないのになんだか彼がいると楽しいのよねえ」
「身軽だったよね、サルみたいで」
「そうそう、だからかしら子どもに大人気なの」
サンジはスパーっと煙を吐いてから、おずおずと聞いた。

「彼はナミさんと、仲いいの?」
「いやだ、なに言ってんの」
ナミは並んで座るサンジの肩を軽く叩いた。
頬が朱色に染まっているのは、夕陽のせいだと思いたい。
「彼とは病院で知り合っただけよ。毎週水曜日と土曜日の夕方、談話室で大騒ぎしてるし。あと、別の曜日には病棟を回ってたりするわ。何度か会ってるうちに話するようになったの」
「それで、片付けを手伝ったり?」
「やだ、見てたの」
「そりゃあ、あんだけ目立ってればね」
言って、ん?と首を傾げる。
「ボランティアってことは、暇なのか。フリーター?」
「一応大学生よ、私と同級生になるみたい」
「大学生?あのガキが?」
「どこの学校かは聞いてないけど、まあ暇な学生の身を謳歌してるんじゃないかしら」
言って、ナミはご馳走様と立ち上がった。

「ナミさん、これから予定でもあるの?」
「ううん、誰かさん達のお陰で夜のバイトが潰れたからねー。これから探しに行く」
「・・・ううう、それは・・・」
責任を感じない訳ではないが、このまま一人でナミを行動させてまた危うい目に遭わせるのは嫌だ。
どうしようかと迷っていたら、ポケットの中で携帯が振動した。
「ごめん、ちょっといい?」
少し離れて携帯に出る。
ウソップからだった。

『おうサンジ、今いいか?』
「ああ」
『つうか、今から時間ねえか?スパイダーカフェ助っ人頼む』
「え、今から?」
言って反射的にナミを振り返れば、ナミは首を傾げて見せた。
『バレンタインが腹痛だとかで急遽休んだんだよ、コニスは休暇取ってるしカヤ一人じゃ俺が心配で』
「お前がかよ」
『勿論、俺もヘルプ入るし』
ナミのことがなければすぐにでも手伝いに行くのに・・・そう思ってはっとした。
「ナミさん」
「なあに?」
「急だけど、今からバイトしないか?」
ナミは一瞬瞬きしたが、すぐに「行く」と即答した。





ウソップの彼女が「社会勉強」のためにバイトするスパイダーカフェは、繁華街の一角にひっそりとあった。
目立たない外観に立ち入りがたい雰囲気の通路まであったが、一旦店に入ってしまえばキュートでポップな空間だった。
「こんなとこに、こーんなお店があったんだ」
ナミは目を輝かせ、早速オーナーのダズ&ポーラ夫妻に挨拶する。
「悪いわね、サンジ君のお友達に急遽お願いすることになって」
「いいえ、足手まといにならないように頑張らせていただきます」

店内の説明を一通り聞いた後、ナミはそのまま現場に立った。
物覚えがいいらしく、1時間もしない間にまるで昔からここで働いていたかのように淀みなく動いている。
「彼女、とてもいいわね」
客としてカウンターに座ったサンジに、ポーラがカクテルのお代わりを差し出しながら囁いた。
「そう?連れて来てよかったよ」
「勘がいいし飲み込みも早い。色んなところで経験を積んでいるんでしょう、場の空気を読んで今自分が何をすべきか判断するのがとても早いわ」
一緒に働くカヤとも意気投合したらしく、和やかな雰囲気だ。
と言うか、すでにナミがカヤに指示を出しているように見える。

「カヤは、なんせおっとりしてるから。人に言われたことはちゃんとこなすんだけど、次になにすればいいのか考えないとわかんないんだよな」
「でもきちんと考えて行動してるわよカヤちゃんも。それに、あの子はあれがいいのよ」
決してテキパキとはしていないが、人に威圧感を与えないカヤは客たちにも評判がよかった。
「タイプ的に、ナミとバレンタイン、カヤとコニスかな」
トレイを持って立ち話していたウソップが、フロアの動きに気付いてさっとその場を離れた。
ウソップもなかなかいい働きをしていると、サンジは客目線で見守っている。
「バランスはいいわよね」
ポーラは長い煙管を気だるげに吹かして、満足そうに目を細めた。
と、そこへ奥からダズが顔を出す。
「バレンタインから連絡が入った、盲腸だそうだ」
「まあ、本当?」
「しばらく店には出てこれないと」
「そりゃ大変だ」
顔を顰めたサンジに、ポーラが覗き込むように身体を屈めた。
「ねえサンジ君?」
「は、はい?」
色っぽいポーラのアップに、思わず引き寄せられ鼻の下がだらんと伸びる。
「ナミ、しばらくうちで働いてくれないかしら」
「それはもう」
「よろこんで!」
いつの間に来ていたのか、後ろに立っていたナミが胸を張って元気よく手を挙げていた。



「サンジ君、いいとこ紹介してくれてありがとう〜」
労働条件の交渉も済んで、ナミはホクホク顔だった。
サンジにしても、夜のバイトとは言え勝手がわかった知り合いばかりが働くバーなら安心というものだ。
「明日から毎晩来ていいって、お給料もいいし助かるわ」
帰りはウソップが、カヤを送るついでにナミも家まで送ってくれる手筈になったから二度美味しい。
勿論、サンジがヘルプに入る時はサンジが送る。
なにより、ウソップとナミが顔見知りになってくれたのはサンジ的に嬉しかった。
ウソップだってナミと直接会って話したら、業突く張りの守銭奴どケチ女とは思わないだろうし、彼女のカヤとも仲良くなっているのを見て悪い感情は持たないだろう。

ナミは、ゾロや自分と言った男達の前にいるより女性達に囲まれている方が性格がよさそうに見える。
もしかしたら男嫌いなんじゃないかなと、ちらりと思ったりもした。
けれどそれじゃ、あのルフィって奴だけ例外ってことになるじゃないか。
それはそれで、なんとなくムカつく。

「ここでいいわ、ありがとう」
いつもの集合住宅の前で、ナミは足を止めた。
サンジもそれ以上立ち入ろうとはせず、じゃあと手を振る。
少し行きかけて、ナミは振り返った。
「サンジ君」
「ん?」
「なんか、サンジ君変わった?」
「え?」
キョトンとして、ナミの顔を見つめ返す。
「そう?」
「うん、なんだろ・・・」
言って、頬に手を当てて首を傾げる仕種に、なんて可愛いんだろうと目を細めた。
「んーまあいいわ。おやすみなさい」
「おやすみ、いい夢を」

ナミが門の向こうに消えてしまうまで見送って、サンジはぶらぶらと元来た道を歩き始めた。
途中で煙草に火を点け、ぷかーっと吹かす。
朝は散々だったけれど、相対的にはいい日だった。
なにより、ナミが随分と自分に心を開いてくれたように思う。
ルフィってのの存在は癪に触るが、病院だけでの知り合いならまあ警戒するほどでもないか。
それより―――

ナミの新しいバイト先のこと、ゾロになんと伝えよう。
別にそのまま報告してもいいのだが、なんとなく面白くなかった。
すべてゾロのいいなりで行動しているようだ。
「まいっや、あいつに全部喋る義理はねえし」
ちょっとした意趣返しとして、ナミの新しいバイトのことはゾロに内緒にすることに決めた。



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